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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
75/87

5-14 二択

『はは、死んだと思っただろう? まぁ確かに死んだわけだが。当てが外れて残念だったねぇ』

 

 含み笑うような声。脳内に響くそれは、強制的に送り付けられた念話だ。おれの能力じゃない。 

 くそっ……。

 

 間違えようもない。オウガとして蘇りやがった。

 けど、そんなことにならねぇよう、きれいさっぱり喰おうとしたのに……!


 遠くで埃を叩くようにしている仁科。髪は真っ白、眼は血色。胸に開いたはずの大穴も見当たらない。おまけに、消失したはずの左腕まで生えていやがる……!

 

 確かに、おれもそうだった。搔っさばかれた腹の傷なら全開していた。だけど普通、オウガへの変態前に欠損した腕まで生えるか? そもそもコイツ、どうやってウィルスを投与したんだ。他にも仲間がいるってことか!?


 けど、改めて探ってみても周囲に気配を感じなかった。南米ボスの取り巻き連中だって、もういやしない。コイツが一人残らず片づけたんだ。


 ふいに仁科の姿が揺らいだ。ぎょっとして構えた途端、

 ――速ぇ!

 

 目と鼻の先に仁科がいた。ただの跳躍。そのはずなのに。

 こんなの、並みのオウガの力じゃねぇ……!

 

 突き出された拳を弾き、その反動を使って距離を取る。

 力は逸らしたはずなのに、弾いた腕がビリビリ痺れた。

 何て力だ……!

 

「はは! 驚いているようだねぇ。規格外はお前の専売特許とでも思っていたか?」

 

 くそが! 一体どうやって――

 

 そこで、ようやく思い至った。ずっと違和感があったことに。

 最近の仁科の態度、これはどう考えても異常だった。事あるごとにおれを煽って。まるで、おれがいつ暴発しても構わないと言いたげに。


 クソみたいなこいつの性分の成せる業かと、そう軽く考えていた。今までみたいに、ただ愉しんでやがるのかと。

 そんな訳がなかったんだ。この計算高い男が、何の思惑もなくそんな態度を取るはずなかった。実際に、いつ殺されても構わなかったんだ。死んでも蘇る自信があった。それも、おれに匹敵する力を得て――

 

 くそっ、この態度はいつからだった?

 ……そうだ、北米遠征から戻った後。こいつもどこぞから帰ってきた後。つまり――

 

「創始者か」

 

 仁科の眉がピクリと動く。

 

「てめぇのバックに創始者がいるんだな。だからこんな真似ができた。その技術も力も、全てそいつから手に入れたんだろう……!」

 

 あっさりとテメェの父親を殺しやがったのも。おれたちに正面切って敵対しやがったのも。全部、お前の背後に創始者がいるから!

 

「あぁ、勘違いしてもらいたくないねぇ」

 

 仁科は不愉快そうな顔をする。

 

「私は単なる駒になった覚えは一度もなくてね。これを全て彼のおかげだなどと考えているなら、お門違いもいいところだ」

 

 まるで吐き捨てるような物言い。

 

「創始者もなかなかに癖のある人物でねぇ。そんな相手が都合よく、私だけに利する行為をとるはずがないだろう? これは私が、私自身の手で! 交渉して勝ち得た結果なんだよ!」

 

 言った瞬間、風圧を感じた。

 とっさに背後に飛び退る。

 

「ははっ、相変わらず反応いいねぇ! だが」

 

 そう言って、爪をべろりと舐める。

 

「無傷、という訳にもいかなかったろう?」

 

 頬のあたりが熱かった。胸元もジンジンしやがる。

 躱したつもりだったのに、くそが!

 

「おや、随分と顔色が悪いようだねぇ。まさかここまで肉薄されるとは思っていなかったか?」

 

 その饒舌な口を塞いでやりたかった。

 けど――……

 じっとりと脂汗が滲む。

 

 正直言って、想定以上だ。下手をすると、おれより速い。

 まさか、力もおれより上――?

 

 考える間もなく、また斬撃が飛んできた。

 そいつを弾くと、間髪入れずに突きが来る。上半身を逸らして躱し、その勢いで蹴りを放ってみたものの、コイツはそれすら余裕で避けた。

 

「……フン、お前もこの程度だったのか」

 

 つまらん、とでも言いたげな響き。

 ちきしょう、余裕ぶちかましやがって……!

 

 そもそもお前、参謀タイプで戦闘はからっきし、とは言わねぇが、実践タイプじゃなかっただろう! それが今のおれにも匹敵するなんて一体どんな反則技だよ……!

 

 いつの間に、という思いがどうしても拭えなかった。

 

 大体おれが、今の動きをこなせるようになるまでに、どれだけかかったと思ってるんだ。彩乃や真帆が訪ねてきそうな朝晩の小一時間と忌々しい実験時間、これらを除けば四六時中、訓練のしっぱなしだぞ! あぁくそ、腹立たしいことこの上ねぇ。

 けど、どうする。どうやってコイツを殺す。

 さっきから汗がダラダラ鬱陶しいな!


 ――………いや、落ち着けよく考えろ。

 確かに一筋縄じゃいかなくなったが、おれの力が通じていないわけでもなさそうだ。こいつはずっと、おれの隙を窺っていやがる。向こうだっておれに反撃されたらまずいんだろう。


 ようやく、思考が平常モードになって来る。

 

「今度は、こっちも本気で行くぜ」

 

 さっきだって手を抜いたわけじゃなかったが、そんなことをイチイチ教えてやる義理はない。

 負ける気なんてねぇし、ここから先は油断もねぇよ……!

 

「はは、いいねぇやってみろ! ――と言いたいところだが、そうもいかないんじゃないかなぁ?」

 

 何言ってやがる。

 そう飛び出そうとして、

 

 固まっちまった。文字通り。

 なん――……

 

 トン、と衝撃が走る。

 遅れて、錆び臭いものが込み上げてきた。

 

 視線を落として、目を剥いた。

 胸から腕が生えていた。

 

 嘘だろ、くそが……。

 抜かれる腕に煽られて、身体が大きく揺らいでしまう。辺りにびしゃびしゃ血が飛び散った。

 何……で……。

 

 猛烈な飢餓感が押し寄せてくる。上手く力が入らない。立っていられず、膝をつく。と、そこで本当に動けなくなった。まるで石像にでもなったみたいに。

 何だよ、これは……!

 

「今度こそ動けないだろう? そうだろうとも」

 

 目線を上げると、愉悦に染まった仁科の顔が目に入る。この上なくこの男らしい、歪んだ笑み。

 その脇に、どこかで見たガキがいた。感情の欠落した無機質な眼。

 まだ、いやがったのか……。

 

 むせた拍子に大量の血を吐き出しちまう。

 あぁくそっ、意識が飛びそうだ……。

 

 脳内でアドレナリンが暴れ回る。爆発的に力の漲る感覚がある。

 だけど身体は全く動かず、行き場を失った衝動が脳を灼く。


「はは、君はとことん感情が顔に出るねぇ。分かり易くてどうかと思うが、無感動な木偶人形よりはマシか」

 

 頭の上でくそったれな声がする。

 

「……くくっ。こちらの研究はお前たちの遥か先を行っているという証明だよ。どうだ? 力なき願いなど、ただの妄言にすぎないだろう」

 

 黙れよ。貴様も結局、ただの飼い犬ってことだろうが……!

 

「違うと言っても聞く耳なしか。まぁ、そこは期待していなかったがねぇ」

 

 やれやれと言った溜息とともに、前髪を鷲掴みにされる。そのまま、のけ反るほどに上向かされた。

 

「このまま潰してやってもいいが、……さて」

 

 言って、思案顔でおれを眺める。

 

「これで終わりにしたんじゃあ、余りにもつまらないな。……ふむ、そうだな、馬鹿が過ぎるお前に免じて、もう一度だけチャンスをやろうか」

 

 はっ、そうかよ、やってみろ。必ず後で後悔させてやるから……!

 

 睨み上げると、仁科は嘲るような色を浮かべた。

 

「まぁどちらにしろ、お前には再教育が必要だな。まずはそこで己の無力を噛み締めろ」

 

 人差し指が突き出される。

 

「……がっ…」

 

 ごぼごぼという嫌な音。喉が熱い。熱くて痺れて、まともな思考が追いつかねぇ……。

 

「んん? この程度で壊れるなよ。次が本命だぞ」

 

 視界の端で仁科の長く伸びた爪がちらつく。

 瞬間、頭の中でスパークが散った。

 

 ――多分、一度意識が飛んだ。

 

 気づくと視界が真っ赤に染まっていた。

 息をするたび、肺が灼ける。視野の端から、黒い染みが広がっていく。

 ……やべ……ぇ……。

 身体の中に手を突っ込まれて、内臓をまさぐられているような圧倒的な嫌悪感。あのハジマリの日の最悪な感覚が蘇ってきて、もう一度意識が飛びかけた。

 ……まず…………。

 

 思考が乱れる。身体の奥底で何かが蠢く。その衝動に身を任せちまいたい欲求が全身を支配する。

 ――……っ!! あぁ……くそっ……!

 

「――ほぉ、まだ自我が残るか。大したものだな」

 

 欠けた視野の端っこに誰かの影を見た気がして、それで意識が覚醒した。

 動けないのは変わらねぇが、暴走する思考は霧散する。

 

 仁科がおれを見下ろしながら、口元に手を当てていた。興味深そうな顔をしてから、どこか愉し気に嗤ってくる。

 

「まぁいい。これでお前の足りない頭でも分かっただろう。私の得た力が大したものだと。しかもこれは、秘匿技術の一部に過ぎないというじゃないか。全く、やってくれるものだ」


 そう言って大仰に溜息をつく。

 

「お前もそうは思わないか? 初めて目にしたときは、私ですら震えが来たよ」

 

 ……何の話だ、とは聞くまでもなかった。創始者に関する話だろう。創始者がまだ何かを隠してやがった、そういうことだろ。――くそったれ。

 

「ふっ、彼はなぁ、まさに別格だったよ。お前も相当に破格の存在だと思ったが、あれは次元が違う。結局、我々は押しなべて彼の掌の上だったというわけさ」

 

 仁科の声が、少しだけ忌々し気な響きを含む。

 

「だがまぁ、そんな彼にとってもお前の存在は興味深く映ったらしい。実際、彼の研究が一気に進んだのも、お前のクローン細胞あってこそのものだからな。つまり、お前には可能性があるってことさ。興味の湧く話だろう?」

 

 言って、仁科はおれを見据える。

 

「だから、もう一度だけ聞いてやろう。私に従うか、ここで消えるか。――さて、お前ならどちらを選ぶ?」

 

 答えるまでもねぇ。

 そう一蹴してやりたかった。

 てめぇを殺して創始者も潰す! そう言い放ってやりたかった。

 

 でも、今はダメだ。今は抗いようがねぇ。

 認めるのは癪だが、こいつらの方が一枚上、数段先を行っていたんだ。――だから。


 だからこの場は乗ってやる。役にも立たないプライドなんか、ゴミ箱にでも突っ込めばいい。全身が焼けつきそうだが、そんなもんは無視すりゃいいんだ。


 それに、敵の懐に飛び込めば、内情を探りやすくもなるだろう。せいぜい創始者とやらの情報を掴んで、後で喉笛噛み千切ってやる……!!

 

『……分かった。従う』

 

 我ながら淡々としすぎたかもしれない。けど、あり得る反応のはず――

 そう思ったのに、仁科はふっと鼻先で嗤いやがった。

 

「言ったろ、矢吹。相手を従わせるときは、確実に追い込んこんでからにしろと。お前の下らん浅知恵など通用しない。それを今一度分からせてやろう」

 

 ……どういう意味だよ……。

 嫌な感覚が込み上げてくる。


 仁科はニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 

「これも既に言ったはずだな。お前の大事な女たち、その命はこちらで預かっていると」

 

 ……まさか……。


 仁科が顎をしゃくってくる。その視線の先を辿って、おれは言葉を失った。

 ――結……城?

 

 目の前に現れたのは、大人びた結城の姿。

 髪が風に煽られて、スカートの端がたなびいている。


 いやだって、あいつは死んだ……

 いや、まさか、こいつ等になら出来たのか? 蘇らせてやることが……。

 だったら、だったらおれは――……!


 けど、

「ごめん、やぶき……」

 

 呟かれた言葉を聞いて、頭を殴られた気がした。

 

 真帆、なのか……!


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