5-14 二択
『はは、死んだと思っただろう? まぁ確かに死んだわけだが。当てが外れて残念だったねぇ』
含み笑うような声。脳内に響くそれは、強制的に送り付けられた念話だ。おれの能力じゃない。
くそっ……。
間違えようもない。オウガとして蘇りやがった。
けど、そんなことにならねぇよう、きれいさっぱり喰おうとしたのに……!
遠くで埃を叩くようにしている仁科。髪は真っ白、眼は血色。胸に開いたはずの大穴も見当たらない。おまけに、消失したはずの左腕まで生えていやがる……!
確かに、おれもそうだった。搔っ捌かれた腹の傷なら全開していた。だけど普通、オウガへの変態前に欠損した腕まで生えるか? そもそもコイツ、どうやってウィルスを投与したんだ。他にも仲間がいるってことか!?
けど、改めて探ってみても周囲に気配を感じなかった。南米ボスの取り巻き連中だって、もういやしない。コイツが一人残らず片づけたんだ。
ふいに仁科の姿が揺らいだ。ぎょっとして構えた途端、
――速ぇ!
目と鼻の先に仁科がいた。ただの跳躍。そのはずなのに。
こんなの、並みのオウガの力じゃねぇ……!
突き出された拳を弾き、その反動を使って距離を取る。
力は逸らしたはずなのに、弾いた腕がビリビリ痺れた。
何て力だ……!
「はは! 驚いているようだねぇ。規格外はお前の専売特許とでも思っていたか?」
くそが! 一体どうやって――
そこで、ようやく思い至った。ずっと違和感があったことに。
最近の仁科の態度、これはどう考えても異常だった。事あるごとにおれを煽って。まるで、おれがいつ暴発しても構わないと言いたげに。
クソみたいなこいつの性分の成せる業かと、そう軽く考えていた。今までみたいに、ただ愉しんでやがるのかと。
そんな訳がなかったんだ。この計算高い男が、何の思惑もなくそんな態度を取るはずなかった。実際に、いつ殺されても構わなかったんだ。死んでも蘇る自信があった。それも、おれに匹敵する力を得て――
くそっ、この態度はいつからだった?
……そうだ、北米遠征から戻った後。こいつもどこぞから帰ってきた後。つまり――
「創始者か」
仁科の眉がピクリと動く。
「てめぇのバックに創始者がいるんだな。だからこんな真似ができた。その技術も力も、全てそいつから手に入れたんだろう……!」
あっさりとテメェの父親を殺しやがったのも。おれたちに正面切って敵対しやがったのも。全部、お前の背後に創始者がいるから!
「あぁ、勘違いしてもらいたくないねぇ」
仁科は不愉快そうな顔をする。
「私は単なる駒になった覚えは一度もなくてね。これを全て彼のおかげだなどと考えているなら、お門違いもいいところだ」
まるで吐き捨てるような物言い。
「創始者もなかなかに癖のある人物でねぇ。そんな相手が都合よく、私だけに利する行為をとるはずがないだろう? これは私が、私自身の手で! 交渉して勝ち得た結果なんだよ!」
言った瞬間、風圧を感じた。
とっさに背後に飛び退る。
「ははっ、相変わらず反応いいねぇ! だが」
そう言って、爪をべろりと舐める。
「無傷、という訳にもいかなかったろう?」
頬のあたりが熱かった。胸元もジンジンしやがる。
躱したつもりだったのに、くそが!
「おや、随分と顔色が悪いようだねぇ。まさかここまで肉薄されるとは思っていなかったか?」
その饒舌な口を塞いでやりたかった。
けど――……
じっとりと脂汗が滲む。
正直言って、想定以上だ。下手をすると、おれより速い。
まさか、力もおれより上――?
考える間もなく、また斬撃が飛んできた。
そいつを弾くと、間髪入れずに突きが来る。上半身を逸らして躱し、その勢いで蹴りを放ってみたものの、コイツはそれすら余裕で避けた。
「……フン、お前もこの程度だったのか」
つまらん、とでも言いたげな響き。
ちきしょう、余裕ぶちかましやがって……!
そもそもお前、参謀タイプで戦闘はからっきし、とは言わねぇが、実践タイプじゃなかっただろう! それが今のおれにも匹敵するなんて一体どんな反則技だよ……!
いつの間に、という思いがどうしても拭えなかった。
大体おれが、今の動きをこなせるようになるまでに、どれだけかかったと思ってるんだ。彩乃や真帆が訪ねてきそうな朝晩の小一時間と忌々しい実験時間、これらを除けば四六時中、訓練のしっぱなしだぞ! あぁくそ、腹立たしいことこの上ねぇ。
けど、どうする。どうやってコイツを殺す。
さっきから汗がダラダラ鬱陶しいな!
――………いや、落ち着けよく考えろ。
確かに一筋縄じゃいかなくなったが、おれの力が通じていないわけでもなさそうだ。こいつはずっと、おれの隙を窺っていやがる。向こうだっておれに反撃されたらまずいんだろう。
ようやく、思考が平常モードになって来る。
「今度は、こっちも本気で行くぜ」
さっきだって手を抜いたわけじゃなかったが、そんなことをイチイチ教えてやる義理はない。
負ける気なんてねぇし、ここから先は油断もねぇよ……!
「はは、いいねぇやってみろ! ――と言いたいところだが、そうもいかないんじゃないかなぁ?」
何言ってやがる。
そう飛び出そうとして、
固まっちまった。文字通り。
なん――……
トン、と衝撃が走る。
遅れて、錆び臭いものが込み上げてきた。
視線を落として、目を剥いた。
胸から腕が生えていた。
嘘だろ、くそが……。
抜かれる腕に煽られて、身体が大きく揺らいでしまう。辺りにびしゃびしゃ血が飛び散った。
何……で……。
猛烈な飢餓感が押し寄せてくる。上手く力が入らない。立っていられず、膝をつく。と、そこで本当に動けなくなった。まるで石像にでもなったみたいに。
何だよ、これは……!
「今度こそ動けないだろう? そうだろうとも」
目線を上げると、愉悦に染まった仁科の顔が目に入る。この上なくこの男らしい、歪んだ笑み。
その脇に、どこかで見たガキがいた。感情の欠落した無機質な眼。
まだ、いやがったのか……。
むせた拍子に大量の血を吐き出しちまう。
あぁくそっ、意識が飛びそうだ……。
脳内でアドレナリンが暴れ回る。爆発的に力の漲る感覚がある。
だけど身体は全く動かず、行き場を失った衝動が脳を灼く。
「はは、君はとことん感情が顔に出るねぇ。分かり易くてどうかと思うが、無感動な木偶人形よりはマシか」
頭の上でくそったれな声がする。
「……くくっ。こちらの研究はお前たちの遥か先を行っているという証明だよ。どうだ? 力なき願いなど、ただの妄言にすぎないだろう」
黙れよ。貴様も結局、ただの飼い犬ってことだろうが……!
「違うと言っても聞く耳なしか。まぁ、そこは期待していなかったがねぇ」
やれやれと言った溜息とともに、前髪を鷲掴みにされる。そのまま、のけ反るほどに上向かされた。
「このまま潰してやってもいいが、……さて」
言って、思案顔でおれを眺める。
「これで終わりにしたんじゃあ、余りにもつまらないな。……ふむ、そうだな、馬鹿が過ぎるお前に免じて、もう一度だけチャンスをやろうか」
はっ、そうかよ、やってみろ。必ず後で後悔させてやるから……!
睨み上げると、仁科は嘲るような色を浮かべた。
「まぁどちらにしろ、お前には再教育が必要だな。まずはそこで己の無力を噛み締めろ」
人差し指が突き出される。
「……がっ…」
ごぼごぼという嫌な音。喉が熱い。熱くて痺れて、まともな思考が追いつかねぇ……。
「んん? この程度で壊れるなよ。次が本命だぞ」
視界の端で仁科の長く伸びた爪がちらつく。
瞬間、頭の中でスパークが散った。
――多分、一度意識が飛んだ。
気づくと視界が真っ赤に染まっていた。
息をするたび、肺が灼ける。視野の端から、黒い染みが広がっていく。
……やべ……ぇ……。
身体の中に手を突っ込まれて、内臓をまさぐられているような圧倒的な嫌悪感。あのハジマリの日の最悪な感覚が蘇ってきて、もう一度意識が飛びかけた。
……まず…………。
思考が乱れる。身体の奥底で何かが蠢く。その衝動に身を任せちまいたい欲求が全身を支配する。
――……っ!! あぁ……くそっ……!
「――ほぉ、まだ自我が残るか。大したものだな」
欠けた視野の端っこに誰かの影を見た気がして、それで意識が覚醒した。
動けないのは変わらねぇが、暴走する思考は霧散する。
仁科がおれを見下ろしながら、口元に手を当てていた。興味深そうな顔をしてから、どこか愉し気に嗤ってくる。
「まぁいい。これでお前の足りない頭でも分かっただろう。私の得た力が大したものだと。しかもこれは、秘匿技術の一部に過ぎないというじゃないか。全く、やってくれるものだ」
そう言って大仰に溜息をつく。
「お前もそうは思わないか? 初めて目にしたときは、私ですら震えが来たよ」
……何の話だ、とは聞くまでもなかった。創始者に関する話だろう。創始者がまだ何かを隠してやがった、そういうことだろ。――くそったれ。
「ふっ、彼はなぁ、まさに別格だったよ。お前も相当に破格の存在だと思ったが、あれは次元が違う。結局、我々は押しなべて彼の掌の上だったというわけさ」
仁科の声が、少しだけ忌々し気な響きを含む。
「だがまぁ、そんな彼にとってもお前の存在は興味深く映ったらしい。実際、彼の研究が一気に進んだのも、お前のクローン細胞あってこそのものだからな。つまり、お前には可能性があるってことさ。興味の湧く話だろう?」
言って、仁科はおれを見据える。
「だから、もう一度だけ聞いてやろう。私に従うか、ここで消えるか。――さて、お前ならどちらを選ぶ?」
答えるまでもねぇ。
そう一蹴してやりたかった。
てめぇを殺して創始者も潰す! そう言い放ってやりたかった。
でも、今はダメだ。今は抗いようがねぇ。
認めるのは癪だが、こいつらの方が一枚上、数段先を行っていたんだ。――だから。
だからこの場は乗ってやる。役にも立たないプライドなんか、ゴミ箱にでも突っ込めばいい。全身が焼けつきそうだが、そんなもんは無視すりゃいいんだ。
それに、敵の懐に飛び込めば、内情を探りやすくもなるだろう。せいぜい創始者とやらの情報を掴んで、後で喉笛噛み千切ってやる……!!
『……分かった。従う』
我ながら淡々としすぎたかもしれない。けど、あり得る反応のはず――
そう思ったのに、仁科はふっと鼻先で嗤いやがった。
「言ったろ、矢吹。相手を従わせるときは、確実に追い込んこんでからにしろと。お前の下らん浅知恵など通用しない。それを今一度分からせてやろう」
……どういう意味だよ……。
嫌な感覚が込み上げてくる。
仁科はニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「これも既に言ったはずだな。お前の大事な女たち、その命はこちらで預かっていると」
……まさか……。
仁科が顎をしゃくってくる。その視線の先を辿って、おれは言葉を失った。
――結……城?
目の前に現れたのは、大人びた結城の姿。
髪が風に煽られて、スカートの端がたなびいている。
いやだって、あいつは死んだ……
いや、まさか、こいつ等になら出来たのか? 蘇らせてやることが……。
だったら、だったらおれは――……!
けど、
「ごめん、やぶき……」
呟かれた言葉を聞いて、頭を殴られた気がした。
真帆、なのか……!




