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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-13 容赦なく

 仁科の言葉はほとんど頭に入らなかった。

 力が入らねぇ――?

 

 急に身体が重くなった。

 その場に膝をついちまって、それでも支え切れずに地面に崩れる。

 ばかな、なんで――

 気配を感じて振り仰ぐと、冷えた視線が突き刺さる。

 

「ようやく薬が効いたようだな」

 

 ――薬?

 

「戦闘に紛れて、お前に筋弛緩剤を投与しておいたのさ。気づかなかったろう?」


 戦闘……って、お前がただ逃げ回っていたときか!


「そう、少年兵とやり合っていたときさ。お前、戦闘中は意識が飛び気味だったろう。おかげで楽な仕事だったよ。効果が出るまで時間のかかるのが玉に瑕なんだがねぇ」

 

 今まで話を引き延ばしていたのは、このためか……!

 

「全く、この薬の開発には骨が折れたよ。何せ、ほとんどの薬物に耐性がついていたからなぁ。おかげで、彼等を何人駄目にしたことか」

 

 ざわりと、嫌悪感が這い上がる。

 彼等って……。

 

「んん? お前のクローン体だよ。正確には、お前の細胞と別の素材を掛け合わせた強化人間だがねぇ。

 ……もしかして気づいていなかったのか? お前の闘った少年兵、あれはお前の遺伝子から創られた半クローン体さ。彼等は何百人といたんだがねぇ、最終的に生き残ったのがあの精鋭たちというわけだ。まぁそれなりに強かったろう?」


 そう言って面白そうに嗤いやがった。


「あぁ、本当に気づいていなかったのか。気づいたからこそ、悠長なことをやり始めたのかと思っていたが。

 ――んん? 今さら何だ? 妙な同情なら不要だと思うがねぇ。彼等にお前のような感情はない。それは相対していたお前が一番良く分かっただろう?

 ……まぁ確かに、対抗意識くらいならあったかもしれないがねぇ。今にして思えば、彼等の動きは少々執念めいていた。それを見事に踏み潰すあたり、お前も相当なものだと思ったんだが」


 頭が痺れた。ガンガンと猛烈に痛んで、全身が熱くなる。ドロドロした何かが込み上げてくる。


「はは、どうした? 随分と怖い顔だな。もちろん、彼等は知っていたさ。お前が誰か、自分たちは何者なのか。だからこそ、オリジナルを越えることで、自分たちの存在価値を証明したかったのかもしれないねぇ。これはまぁ推測だがね。何しろ彼等は最期まで、無感動な目をしていたからな。

 しかしまぁ、お前がその体たらくだと考えれば、彼等の留飲も少しは下がろうというものだ。――んん? そうさ、お前に投与したのは、彼等の身体で開発した薬だよ。なかなかよく出来ているだろう?」


 そう言って、おれの頭に銃口を押し付ける。

 

「さて、お喋りもここまでだ。残念だよ矢吹。なかなかどうして、本当に名残惜しいよ。生まれ変わったお前となら、結構上手くやれそうだ。そう思うことも増えていたんだがねぇ……。

 それもまぁ、ここで終わりだ」


 パァン! と軽い音がして、


 ――絶句したような仁科の顔。

 そんな顔は初めて見るな。


 銃弾がおれの頭を穿つことはなかった。ほんの少し上半身を逸らせただけで、そいつはただ地面を抉った。

 地を蹴って背後に回る。そのまま腕を捻り上げ、身動きできないように押さえつけると、


「……くっ! なぜ薬が効かない!」


 仁科が顔に焦りが滲む。これも結構、珍しい。


「本当に分らないのか?」


 仁科の眉がピクリと動く。


「とっくに想定済みだったってことさ。お前の裏切りも、お前がおれのクローンを使って、何かをする可能性もな」


 仁科がギリッと唇を噛む。


「だからおれも協力したんだ、親父たちの研究に。お前に一泡吹かせるためなら、どんな実験も受けてやるし、やらせてたんだよ……!」


 あんまりおれたちを舐めるなよ。そう言ってやりたかった。

 だってそうだろ、あのくそ親父がやってんだ。本気で必死に取り組んでんのに、どうかできない訳がねぇだろう……!



 **


 欧州から戻って以降、おれは連日を訓練と実験に費やしていた。

 おれの強化を目的とした紛うことなき人体実験。執行人は親父ときている。


 ……あ、ヤバい。

 思い返すと、今でもちょっと体の奥が燃え上がる。おれへの負い目だか何だか知らねぇが、申し訳なさそうな顔をしてる割には、やることがえげつねぇんだからよ。……いや、いいんだけど。これは脅して、無理やりやらせてた面はあったんだから。


 ただ、渋っていた割に、親父のやり方は容赦がなかった。

 おれがどこまで耐えられるか、限界ギリギリを狙っては、即座に回復させやがる。直接的な破壊もあったが、抗ウィルス薬を使っての内部破壊も多かった。とにかく色んな耐性をつけさせて、限界を引き上げようって作戦らしいが。

 思い返すと、やっぱりちょっと怒りが湧く。……いや、ちょっとどころじゃ済まねぇ気がする。だってそうだろ、何だってそう、絨毯爆撃みたいな頭の悪いやり方すんだよ!


 とにかく毎度毎度、これは死ぬって思いをさせられて、意識が飛びかける前に回復される。そのおかげもあって、暴走したことは一度もねぇけど。

 というか、その場に彩乃もいやがるんだ。おまけに母さんの気配まで近くに感じる。これで我を忘れて暴走するとか、できるはずもなかったんだが。


 だから、それはいいとして。

 良くはねぇけど、いいとしてもだ。

 このやり方で心配なのは、むしろ彩乃の方だった。

 おれはさすがに慣れたけど、我ながら結構、毎度毎度が阿鼻叫喚の有様だった。無表情に耐えるとかはもうちょっと無理なんで、思うままに叫び散らす。その方が暴走しにくいと分かったからって話でもあるんだが。


 ただ、顔見知りの奴が悶えているさまなんて、見ていて胸のすくもんじゃないだろう。大概はスプラッタになっちまうし、ときには体液まき散らしながら、のた打ち回っていたこともあった気がする。


 ……いやこれ、実際にされる奴より、見ている奴の方がヤバいんじゃねぇ?

 精神がぶっ飛んじまってもおかしくない、気もするんだが。

 親父は、……もうぶっ壊れてるから、どうでもいいけど。これで彩乃までマッドサイエンティストになったらどうしてくれる!


 そう言って親父に詰め寄ったことがある。文字通りに襟首掴んで吊し上げたら、一体どこで聞きつけたのか、彩乃がすっ飛んできて、逆におれが怒られる始末だ。

 ……いや、何かおかしくねぇか? そもそも何で、お前の方が泣きそうな顔してんだよ。


 まぁともかく、話を聞けば、実験に同席することを頑強に主張したのは彩乃らしい。眼を逸らしたくねぇんだとか。それで絶対におれを最強にして見せる! とか言い切りやがった。

 彩乃らしいっちゃ、らしいが……。


 そんな決意を無碍にするのも何か違う気がして、――まぁなんだ。後は既に言った通りだ。

 おかげで、大概の薬物になら目覚ましい耐性を手に入れた。


 だからなあ? てめぇがコソコソ胸糞悪い実験を続けて、何かの新薬を開発しようとな。おれの家族がそう簡単に後れを取るわけねぇだろう。そう何度もてめぇの思い通りにされてたまるか……!



 ***



 拘束されたはずの仁科は、今やすっかり普段通りだ。このふてぶてしさと言ったらまぁ。さすがにあの親にしてこの子あり、とか思っちまった。

 だけど時折、口惜しそうな表情が過ぎるのも隠せていない。このままでは殺される、そう理解してはいるんだろう。


「もう一度だけ聞いてやる」


 それを見ながら、おれは尋ねた。


「研究は諦めろ。そうすれば、考え直してやってもいい」


 仁科は虚を突かれたような顔をした。

 おれも、自分でぎょっとした。次に裏切ったらぶっ殺す。ずっとそう思ってきたはずなのに。

 ――ただ。


「……忌々しいが、テメェは役には立つんでな。二度と裏切らねぇって約束するなら、一度だけなら見逃してやってもいい」


 仁科は呆気にとられた顔をした。見事なまでに、初めて見る表情だった。

 そうして見る間に顔を歪める。


「あははは! あーっははははははぁ!」

「おい!」


 胸倉を掴み上げると、仁科は顔を歪めながらも、ヒィヒィと笑い声を上げてきた。


「いやいや、いやいや! まさかここまで甘ちゃんだとは」


 それではっきり自覚した。コイツに情けは無用だった。


「ちっ! わかったよ」

「従おう」


 何だって?

 絶対に嘘だろう! そう思わざるを得ないのに、馬鹿なことを言った手前、即座にはねつけることが出来ない。

 頭の奥で、久瀬のため息を聞いた気がした。


「――と、応えたら、お前はどうする気だったんだ?」


 ニヤニヤと嗤う仁科。

 今度はおれが面食らう番だった。


「お前なぁ、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでくると筋金入りだな」


 一人ごちるように言葉を吐き出す。


「いやしかし、これが鍵とか? この甘さが自我を維持する要因なのか? ……とするなら、ふぅむ、これは悩ましいねぇ」

「……てめぇ」


 猛烈に馬鹿にされていることだけは分かる。


「ふっ、本当に直情型だな。……まぁいいだろう、最後だから教えてやるよ」


 言って仁科はおれを見上げる。


「いいか矢吹。口約束で価値観の違う相手を従えられると思うんじゃない。やるなら、相手が逆らえない状況を作ってからだ。こんな世界じゃ、それが鉄則だろう? ――そう、いい加減に学べよ馬鹿が!」


 ベルトのバックルから何かが飛び出す。

 短針銃か。けど、そんなもの――!



 ああ、テメェは確かに有能だったよ。

 一筋縄でいくはずのない組織攻略。それが、こうもやすやすと進んだのは、コイツがいたおかげだろう。


 アジア地区がここまで急激に勢力を拡大したのも、きっと久瀬一人の成果じゃない。何だかんだ言ったって、久瀬はどこかで甘い気がする。非情な奴だが、それでもどこか手心を加えていやがる。

 その点、仁科は清々しいほどの下衆だった。胸糞の悪い行為も躊躇いなくこなす上に、ソツがなくて小賢しい。おかげで今まで、後顧の憂いなくターゲットを叩き潰せた。


 ――だけど、やっぱり。

 やっぱりおれはうれしいぜ? そっちから手を出してくれるなんてさ。

 だってそうだろ。この先もお前と共闘? そんなの、反吐が出そうだったからさ!!


 目の前で血が噴き上がる。

 おれの腕が仁科を貫き、あっという間に命の残滓が消えていく。


「――じゃあな。てめぇは先に地獄へ行ってろ」


 腕を振ると、仁科は足元にくず折れる。

 もう身じろぎ一つしやしない。

 ……。

 飽きるほどに見て来た光景。だから実感に乏しいんだろう。


 ようやく、おれは復讐できたのか……。


 あれほどに望んだ願いだ。この姿にされる前。気が狂うほどに願っただろう。

『カナラず、おれがコロしてやる……!!!』


 なのにどうして気が晴れない。

 くそっ……。


 こいつとは色々あった。あり過ぎたんだ。

 感情が振り切れそうな思いを何度もさせられて、『必ずいつか殺してやる』と、ずっとそう思い続けてきた。それがこんなにも呆気なく終わるだと?


 仁科だったモノを見下ろす。

 ――……あぁくそ! 下らねぇ感傷に浸っている暇はねぇ。


 こんな奴でも、喰えば腹の足しにはなるだろう。

 それがおれ、お前の作ったバケモノだ。

 そのバケモノに喰われて消えろ。それで決着をつけてやる……!


 そう手を伸ばしかけて、

 その瞬間だった。



 ドンッ! という衝撃があった。

 次の瞬間、おれは吹っ飛ばされていた。多分、100mはあっただろう。


 なっ……!

 遅れて襲ってきたのは、声も出せない激痛。

 身体が痺れた。


 何、が――


「やぁ、また会ったねぇ」


 霞む視界に飛び込んできたのは、

 ――……っ!?


 頭の中が真っ白になる。

 そこにいたのは紛れもなく。殺したはずの仁科、だった。


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