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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-12 大義の在処

 お前の側につく? おれが?

 おれは呆気に取られて仁科を見返した。


 あるわけねぇだろうが、そんなこと……!

 性懲りもなくそんなことを尋ねてくる神経には、ほとほと辟易してしまう。


 ここまでは止む無く共闘してきたが、こいつに対する憤りが消えた訳じゃねぇ。そんなの、当たり前すぎて眩暈すら覚える気分だ。


 ――確かに、朝倉や久瀬、親父に教官ども。今共闘している奴等は全員、ふざけるなと殴ってやりたい。どいつもこいつも、よくも好き勝手良くもやってくれたなと。あぁもう、それこそ心置きなく殴り飛ばしてやりたかった。


 その中でもコイツがおれにしたことは断トツだ。少し思い出すだけで、今でも腸が煮えくり返る。

 ……あぁくそ、ほら見ろ。


 コイツだけは引き裂いて、思う様に喰らい尽くしてやりたかった。この衝動を抑えるためには、いつだって感情を押し潰す必要があって。押し付けて蓋をして、それでどうにかやってきたんだ。内心ではいつだって、コイツの裏切りを待ち望んできた。次に裏切ったら大手を振ってぶち殺せる。それをずっと待ち焦がれてきたはずなのに。


『私の側につく気はないか』だと?

 これは間違いなく、裏切りを想定した言葉だろう。

 だったら悦んでいいはずだ。今度こそと、そう高笑いしていいはずなのに。

 どうして今はその気になれない……!


 ああくそっ、てめぇが妙な会話を聞かせたせいだろう! 

 まがりなりにも自分の父親を手にかけて、まるで気にした風もない。そういうところは、疑いようもなく仁科なのに。


 一方で、いつもの愉悦と嘲笑で塗り固められた仁科らしくもない気がした。

 ……何をもって仁科らしいかなんて知らねぇが。

 けど、だったら何だってんだ?



 おれの表情をどう読み取ったのか、仁科はやれやれといった顔をして見せる。


「残念だねぇ。やはり無理ということかな」


 当たり前だろ!

 睨むおれに、仁科は目を細めて見せた。


「とすると、君はこれからどうするつもりなのかなぁ」

「――予定通り、ここの研究施設を潰しにいくんだよ」


 情報なら既に得ている。例えその情報にガセネタが混じっていようと関係ない。一つ一つ確認して、アタリなら潰していくだけだ。

 そう思って踵を返そうとした途端、含み笑うような気配がした。


「それは止めて欲しくてねぇ」

「――今さら、裏切る気か?」


 動悸を堪えながら尋ねると、仁科は心外だとでも言いたげな顔をした。


「言ったはずだよ。私の希望を叶えてくれる限りは君たちの側につくと。希望の一つは、南米組織の壊滅だった。ここまではいい。だがもう一つは――」

「研究の継続か」


 仁科は満面の笑みを浮かべる。


「わかっているじゃあないか」


 ……やっぱりコイツは、こういう奴か。不愉快で忌々しい、ただの下衆野郎。


「なあに、これは人類のためでもあるんだがねぇ?」


 ――は?


「お前、自分の価値に気づいているか? お前のそれは不老不死だぞ。死してなおも生きられる。というより、新たな自分への生まれ変わりだ。しかも、他者を圧倒できるというチート紛いの能力付きで。まるで夢のような話じゃないか?」


 ――突然、何を言ってんだ。

 不快感しか込み上げなかった。

 これがそんなにいいモノだって? これが! この状態が!


 殺気でも感じたのか、仁科は肩を竦めてみせる。


「まぁ実態はともかくとして、だ。そんな技術が本当に『ある』と知ってしまえば、誰もが欲する力だろう。それを管理しようということだよ。なあに、世界に混乱を招こうという訳じゃない」


 どうやら、お得意の御託でも並べ始めたらしい。


「お前の望みは組織の完全壊滅か? まぁ、現体制の刷新なら良いがねぇ。このウィルス開発で得た技術を全て闇に葬り去ろうだなんて、今さらそんなことが本当に出来るとでも?」

「――だから、各地の基幹施設をぶっ潰そうとしてんだろうが」


 仁科はお決まりの表情を浮かべた。上から目線の嘲るような顔。


「この技術は既に世界中に拡散しているぞ。それを誰が広めたかという話は、まぁこの際、一旦脇に置くとしてもだ。

 重要なのは、一度でも『実際にある』と知ってしまった人間がその魅力に抗えるはずもない、ということさ。例え技術の核が失われようと、――いや、失われれば尚のこと、どうあっても手に入れようと躍起になる人間が必ず出てくる」


 言い含めるように仁科が続ける。


「何も不老不死を追い求める権力者や、富豪ばかりが対象じゃないぞ。例えば、難病に侵された子供の親や、非業の死に見舞われた家族なんてどうだ? きっと死に物狂いになるだろうよ。そうなればいつの日か、手段を問わない輩が必ず出てくる。世界は混乱の渦に叩きこまれるだろう。私はそれを防ぎたいのさ」


 ……胡散臭さしか感じなかった。


 さも『これは正義だ』みたいなツラしやがって。そんなのは見え透いた嘘だろう。

 てめぇは単に、被検体モルモットを使って遊びたいだけだろう。他者の絶望に興奮を覚える外道なだけだろうが!


「これは随分と誤解されているようだねぇ。私が未だに単なる外道と思われているなら、哀しい限りだがなぁ」


 仁科が大仰に首を振って見せる。


「この世の中、綺麗ごとだけでは望む結果など得られないだろう? お前の存在そのものがそれを証明しているんだよ。

 ――そうだな、もし綺麗ごとだけで済ませる気なら、お前はとっくに消えていなければならない。人を喰らうのを止めて、どこかの溶鉱炉にもでも身投げすれば良かったのさ。それなら綺麗さっぱり、この世から退場できたぞ?

 だが、お前はそれをしなかった。誰かを助けたい、などという理由をつけて、この世に留まることを選んだわけだ」


 仁科が含み笑うようにする。


「ん? 抗弁できないのか? そうだよなぁ、事実だものなあ。ここまでトントン拍子に来れたのだって、お前の力があってこそのものだろう? この一大組織を完全に掌握するまで秒読み段階だなんて、1年前なら誰が想像できた? まさにこれこそ、望むものを得るには力が必要だという典型さ。力を得たからこそ見えた景色だ。――お前だって、この矛盾は百も承知だろうが!」


 仁科は嗤う。まるで世界そのものを嗤うみたいに。


「綺麗ごとだけで済むのなら、世の中はもっと美しいだろうよ。だが哀しいかな、何をするにも力は欠かせないのさ。だからこそ、力をより研ぎ澄ます必要がある。それが研究という形をとるだけさ。

 んん? 私は何か間違ったことを言っているかねぇ?」


 息を吐き出すかのように淀みなく演説する仁科に、上手く否定の言葉が出てこない。と、――



『それは認められんな』


 突然、脳裏に響く声。

 久瀬だった。

 おれを通じて、仁科とのやり取りを聞いていたんだろう。そいつが突然、おれに思念波を送り付けてきた。おれを中継して、仁科にも思念波を送ってきやがった。


 仁科に対しては、初めて使う能力だったが。

 仁科はピクリと頬の筋肉を動かしただけで、低く嗤う。


「はは、出ましたね。やはり聞いていましたか。ということは、相当近くまで来ているんですなぁ」


 仁科は動じた様子もない。

 この念話能力について、仁科に説明したことはない。久瀬も仁科の前では、極力使用を避けていた。だから、もしかしたら知らないのかと思っていたが。

 ――やっぱり把握済みか。


 まぁ、仁科がこの能力を知っていたこと自体に不思議はない。南米ボスとも太いパイプがあったわけだし、先端技術のほとんどは把握済みなんだろう。

 けど、久瀬が近くに来ていることまでバレるか。

 

 おれの念話が届く範囲は、進化した今でも半径30km程度が限界だった。だから、久瀬は秘密裏に近くまで来ていた。近くと言っても、沖合いの船上だが。だけどそれは、久瀬と朝倉しか事前に知らない情報のはず――

 

『仁科君、君の言葉はある意味で真理だろう。だが、その論理ではいずれ破綻を招く。大きすぎる力など、できるなら抹消すべきだと思うがね』

 

 内心の動揺を他所よそに、二人は勝手に話を進める。

 

「おやおや、それはまた随分と弱気な発言ですなぁ、貴方らしくもない。現に貴方は今、大きすぎる力を上手く制御しているじゃあないですか。他組織が成し得なかった傑作を」

 

 そう言って舐めるようにおれを見る。褒められているようだが、もちろん、忌々しさしか込み上げなかった。

 

『そういつまでも、都合よく御し続けられるとは思わぬ方がよかろう。彼もいずれは――』

 

 唐突に仁科が爆笑した。

 

「――いや失礼! 貴方もなかなか酷い方だと思ったものでねぇ。なぜって、今の発言はあれでしょう? そこの矢吹も使い捨てだと、事が済めばお前も消えろと、本人の前でそう言っているわけでしょう?」

 

 そう言っておれを眺める。

 だが、黙ったままのおれを見て、仁科は呆れたように溜息をついた。

 

「度し難いですなあ、矢吹も納得済みですか。……いやまぁ、知ってはおりましたがねぇ。とはいえ、ここまで貴方の都合の良い駒に育つとは、腹立たしくさえありますよ。私が憎まれ役で、貴方が美味しいところを総取りですか。はっ!」

 

 吐き捨てるように言っておれを見る。真剣な目がおれを見据える。

 

「なぁ矢吹。専務が全ての糸を引いていたことは分かっているんだろう? お前はまんまと踊らされたただの哀れなマリオネットだ。それでも専務に従い続けるのはなぜだ? 自由に抗えるだけの力だって手に入れたはずだろう。揺り籠の中のお前の大事な女たちだって、助けようと思えば助け出せるはずだ」

 

 ……その言い方。

 仁科があいつ等をどうこうできるというのは、やはりただのハッタリだったんだろう。――にしても。

 

「おれもお前等を利用しているだけだ。黙って従ってるわけじゃねぇ」

 

 仁科はふぅと息を吐き出した。

 

「ま、そこまで思考誘導されているなら、何を言っても無駄か。残念だよ、お前とは上手くやれる気がしていたんだがねぇ」

 

 それだけはねぇよ!

 殺気を込めて睨むと、仁科は肩を竦めた。

 

「せっかちなことだな。だが、もう少しくらい、専務とゆっくり話をさせてくれないかねぇ。お互い、これで最後になるかもしれないのだから」

 

 おれは舌打ちしつつ、ついでに疑問だったことを口にする。

 

「その専務ってのは何なんだよ。久瀬が組織のボスだろう」

 

 仁科は目を瞬いた。

 

「ははっ、そこに興味を持つかね? しかも今?」

「……るせぇな、応える気がないなら、さっさと済ませろ」

 

 仁科はつくづく可笑しそうな顔をした。

 

「そう怒るなよ。――そうだな、我々アジア地区の組織には表の顔もあるんだよ。専務というのは、その表の会社の役職名さ。我々は裏事業専門だがねぇ。裏事業の成果を、表の事業に効率よく流す人材が必要だった。それで彼が専務に納まったという訳さ。さすがに表立って動くには限度があるから、社長は別の人間が担当しているがね。……おっと、そうそう」

 

 ……まだ何かあるのかよ。

 

「君は我々の事業を嫌悪しているようだが、それなら、こんな話はどうだ? 我が社は立派に社会貢献もしているって話だよ。

 ――まぁそう険のある目をしないで、少しは話を聞き給え。いいか? 我々は裏事業の成果を表の事業に反映することで、画期的な新薬を次々と市場に投入しているのさ。それも通常ならあり得ないスピードでな。フフ、この意味が分かるか? 我々の事業のおかげで、どれほどの人間が救われていることか」

 

 ……何が言いてぇんだよ。

 

「もし我々の活動がなかったら、大勢の人間が今もベッドに縛り付けられているか、命を落としているということさ。我々はそれを救っているわけだ。これは立派な社会貢献じゃないかねぇ。

 そもそも、新薬開発に実験動物モルモットは欠かせない。そうして元来、命の価値に動物も人間もないだろう。人間だけに重きを置くのは傲慢というものだ。そう考えれば、どうだ? 本当にこの研究を潰した方がいいと言い切れるのか?」

 

 こいつ、おれの揺らぎそうなところを突いているつもりなのか?

 だとしたら、見当違いもいいところだな。

 

「関係ねぇな。やられる側に回ってみろ。大人しく犠牲になれだなんて抜かす野郎は糞くらえだ」

 

 仁科は少しだけ目を見開き、それから大笑いした。

 

「はは、分かりやすくていいなぁ! 言い感じに仕上がっているじゃないか。くくっ!」

 

 おれが睨むと、仁科は分かった分かった、とでも言いたげな顔をした。

 

「で、専務。貴方にも一応、お礼を申し上げておきますよ」

 

『――礼とは?』

 

「これでも貴方には感謝しているのですよ、ええ、本当に。貴方が実験島の最高権力者として赴任して来られたのは3年前でしたか。前任者と違って、貴方は実に自由にやらせてくれましたからねぇ。……厳密には多少の制約を受けましたが、まぁ許容範囲ですよ。加えて、貴方のやり方も間近で学ばせて頂いた。力と恐怖で従わせるのではなく、自由意思で従わせるその手腕をね」

 

 言って、ふぅと溜息をつく。

 

「今までに見たことのない手法でしたからねぇ、目から鱗でしたよ。私には到底、真似できそうもないのが残念なところですが。

 まぁいずれにしても、貴方は私にとっても良き上司だったという訳です。本当に、ある意味では感謝していたのですよ。ですから私も、色々とお役に立ったでしょう?

 だからこのまま、私の望みを受け入れてくれさえすれば。この先も貴方の下で働くことに異論はなかったんですがねぇ。やはり、そうはいきませんか」

 

『――そのようだな』

 

 仁科は僅かに苦笑するような顔をした。

 

「ええ、分かっておりますよ。分かっていて互いを利用していたのはお互い様だ。だから、今までのことはチャラにしましょう」


 そう言ってニヤリと笑う。


「ここからは本気で行かせて頂きますよ。――私が、貴方を殺します」

 

 久瀬はしばし沈黙し、

 

『――今までの件、感謝する。だが、私も大人しく殺されてやる気はなくてね』


「結構。けれど、そこの矢吹なら、もう役に立ちませんがねぇ!」

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