5-11a 訣別の足音
仁科――
相も変わらず、こういう場面で現れやがるか。
全くの想定外とは言わねぇが。
お前は本来、別働隊と待機しているはずじゃなかったのか。おれがボスを殺ったら、残存兵力とここの研究施設を潰す手筈だったろう。それが何だ?
睨み付けると、仁科はこれ見よがしに右手をかざした。
何の真似だと言いかけて、鈍く光る指輪に気づく。
そいつは……。
ただの指輪なんかであるはずがない。見覚えもある。その仕草も。
親指で指の付け根を抑えるような動き。
間違いない。おれの頭を吹っ飛ばすための起爆装置だろう。
――けど、何でこいつが。
所有している奴なんぞ全員は知らねぇが。久瀬と朝倉、腹心の部下。ほんの数名しか、この指輪は保持していないと聞いていた。まさか久瀬が仁科に渡した……なんてことはねぇだろうし。
コイツがどこかで手を回して手に入れたのか。あるいは、ダミーか?
いずれにしろ、今のおれには真偽を判断する術がない。
けどまぁ……。
おれは思わず、嗤っちまった。
重要なのは、コイツがついに裏切りやがったってことだ。タイミングはもちろん最悪だが、それでもようやく。これでようやく、てめぇを殺せる……!
『よくやった、マサユキ』
太い声を発したのは、南米ボスだった。
日本語でも英語でもない。恐らくはポルトガル語かなんかだろう。
もちろん、ポルトガル語なんて全く知らない。けど、何を言ったのかは何となく伝わってきた。
そうして、その名は――
仁科は口の端を釣り上げて嗤う。
「油断は禁物ですよ。何せこいつは規格外ですからなぁ」
日本語で応答しやがった。ボスに答えたようでいて、その実、おれに向けて言ってやがるのか。
睨む俺の目の前で、仁科がゆっくりとボスに近づいていく。指輪を嬲るようにさすりながら。
いつでも起動できると言いたいらしい。はぁん……。
そうして仁科はボスの脇に立ち、おれに向き直って宣言する。
「さて、状況は分かるな」
おれは肩を竦めた。
「元の鞘に戻ったんだろ」
久瀬に聞いた仁科の出自。それが、こういう形で証明されたわけだ。
「やっぱり血縁は強いってか?」
そう、こいつは何と南米ボスの息子だそうだ。ボスは日系三世で、仁科はその三男にあたるらしいが――
仁科はくつくつと嗤った。
「私抜きで何やらコソコソやっているかと思えば……。なるほど、知っているなら話は早い」
指輪を弄ぶようにしながら、仁科が嗤う。
「なぁ矢吹、我々の側につく気はないか?」
――はあ?
思わず鼻で笑っちまった。
おれが受け入れるはずのないことくらい、分かっているだろう。それでも聞いてくるのは、何か狙いでもあるのか。
「お前、何がしたいんだよ」
そんな言葉まで漏れちまった。
そもそも、血縁が強いとは言ったものの。
本当はお前、そいつに復讐したいんじゃなかったのか?
仁科は正真正銘、南米ボスの実子らしいが、正妻や愛妾の子ではなく、使用人の子供だと聞いた。
当然、血縁者としての好待遇を受けるべくもなく、幼少の頃は、父親が誰かも知らずに育ったと聞く。母親を失くして、それも変わったらしいが……。
「んん? 何かって? そんなの決まっているじゃぁないか」
毎度のことだが、こいつの嘲るような口調には不快感が込み上げる。
「もちろん、この興味深い研究をさらに進化させたいのさ。そのためには様々な実験が欠かせなくてねぇ。なのに、あの島ときたらどうだ? 研究対象は君と限られた者だけだろう。君の興味深さはなかなかのものだが、そろそろ飽きてきてねぇ……。その点、ここは最高だよ? 実に良質で大量の素材も手に入る」
そう言って、舐めるように傍らの少年を見やる。
……結局、それかよ。
忌々しさに反吐が出そうだ。
「おれが素直に頷くとでも?」
おまけに、これ見よがしのその指輪。そいつでおれを止められるとでも?
その指輪を介した起爆装置は2秒以上、念の流入が必要と聞いている。誤爆防止のためだそうだが、この距離だ。それだけの時間があれば、今のおれに仁科を殺すことなど造作もない。
ただ、それくらい、コイツだって分かっているはずじゃなかったのか。
にも関わらず、この余裕。
お前一体、他に何を仕込んでやがる……。
睨み付けると、仁科は歪んだ笑みを浮かべた。
「そうそう、君の大事な揺り籠、あそこにいる彼女達は今頃どうしているかなぁ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
何言って――……、――っ!!
「何しやがった!」
「はは! 何もしていないさ、今はな。私が無事な限りは。全ては君の返答次第という訳だ」
ふざけるな、コイツが自由にできるはずはねぇ。あそこは久瀬の管轄区域だ。仁科と言えど、そうやすやすと手を出せるはずがねぇ……!
――けど、絶対の自信はない。
「……殺すぞ」低く唸ると、
「はは! 短気だな、話を聞いていなかったのか?」
仁科は大口を上げて笑う。
「それとも、あれかな? 全員死ねばいいってヤツかな? 何せ君は、本当は今でも思い続けているはずだからねぇ。全て滅茶苦茶にしてやりたいと!」
おれはぎりっと唇を噛んだ。
そうだな。そんなこともあったかな。
だけど今は、それより大事にしてぇもんがあるんだよ!
「テメェの好きにはさせない。テメェは殺す、あいつ等も助ける、それだけだ!」
「甘いなぁ、甘い甘い」
ほとほと蔑むように笑って、仁科はおれを見下ろす。
「そんなことだから、この程度の仕掛けにも気づかないんだよ!」
**
言うが早いか、仁科が大きく腕を薙ぐ。その手に隠し持っているのは、
――ナイフか?!
仁科が立っているのはボスのすぐ右隣り。その位置ならボスの首が落ち――
――なかった。ボスの首を裂いたはずのナイフは空を切り、その直後に仁科の腕が消し飛んだ。文字通り、肩より先が消失した。
まさか、レーザーか?!
光線の残像が脳内に焼きつく。
にしても、効果範囲が広い。仁科の腕が消し飛んだ辺りは、床が直径1mは焼け焦げていた。
『……何の真似だ』
ボスの唸るような声が響く。
『はっはぁ、貴方に引導を渡しに来たんですよ。決まっているじゃあないですか』
額に脂汗を浮かべながらも、軽い口調で仁科が応じる。
……おい、これって……。
「んん? 君まで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をするとは。そこまで信用がないかねぇ」
おれに目を止めて、仁科が口の端を釣り上げる。愉悦に満ちたいつもの顔。
コイツ……!
おれ達を裏切る気はなかったのか。そう思った途端に込み上げてきたのは、……ドロドロした感情だった。
こんなところで裏切られたら厄介で、そうでなかったことは悦ぶべきなのに。
まだ裏切ってくれねぇのか……?
そんな思念が絡みつく。
――あぁくそっ!
それよりも目の前のボスだ。なぜ攻撃が当たらない。
いや待てよ、まさかこれ……。
「ホログラムだよ、よく出来ているだろう」
仁科が口の端を歪める。
やや蒼い顔をしているようだが、傷口がきれいさっぱり灼けたおかげか、大して出血もしていない。
そう簡単にくたばる玉じゃないのは、ここでも健在ってわけか。……忌々しい。
「しかしねぇ、これくらいは言われずとも気づいて欲しかったよ。おかげで早々に出てくる羽目になったじゃないか」
……ああ?
「お前、侮っていただろう。この男の演技にコロリと騙されて、うかうかと手を出すところだったろう? 全く、これだから青二才は困るよ」
溜息をつくように言われて、頭に血が上る。
何だコイツ、ケンカを売ってやがんのか?
なまじ事実が含まれているだけに、腹立たしいことこの上ない。
「まぁいい、今ならまだ近くにいるはずだ。探し出せ!」
てめぇがな!
反射的に怒鳴りかけた時だった。
『残念だよ、お前には期待していたんだがな』
ホログラムの中で、ボスはいつの間にか立ち上がっていた。冷静を装いつつも、それなりに激昂していたらしい。おかげで、言いたいことはおれにもビンビン伝わってきた。
思わず思念波を遮断してやりたくなったが、……ちくしょう、話が分かるに越したことはねぇ。
直後に響いたボスの声。
『殺せ!』




