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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-10 思惑の先

 奥の壁から、パラリと欠片が零れ落ちる。

 まるで、鉄球でもぶち当てたみたいにしちまった久瀬の執務室で。


 言うだけ言って、やることもやっちまった。これ以上、こいつ等と話すことは何もねぇな。

 そう思って踵を返しかけたおれだったけど。もう一つだけ、どうしても確認したかったことを思い出す。

 それで、


「あと一つ聞かせろ」


 答えによっては、ますます激昂しかねない。そう思いつつ、久瀬を見据える。

 久瀬は目線だけを上げてきた。言って見ろということらしい。


「おれのクローンも、いるのか」


 低く恫喝するように尋ねると、返ってきたのは簡潔な答え。


「いない」

「本当かよ」


 久瀬は片眉を上げるようにした。


「君の代わりが務まるようなクローンを、そう簡単に生み出せると思うかね」

「…………」


 答えはNo、だとは思った。

 今のおれを何重にも縛る枷。彩乃と母さん、結城に中嶋。おまけに、と言ったら怒られそうだが、今では水野や池田もそうだ。あいつ等の存在がおれにとっての枷で、――命綱だった。


 もちろん、久瀬のしたことは赦せない。ふざけるなと、何度だって殴り飛ばしてやりたくなる。

 それでも、もしこの枷がなかったら。あの陽だまりみたいな場所を知らずに、ただ怒りだけが膨れ上がっていたら。きっとおれは終わっていた。とっくの昔に、壊れきってた。

 だから。


 クローンのおれが『いない』と聞いて、心底ほっとしちまった。

 ――けど。


「おれの遺伝子は保管してるんだろ」


 いざとなれば、おれのクローンを作れるように。怪物を生み出せるように。


「そうだな。……仁科あたりは、それを狙っているかもしれんな」


 他人事のように言われてムッとする。

 仁科あたりって、絶対てめぇもそうだろうが……!


「ケリがつけば始末するさ。――と言ったところで、信用など出来るはずもないか」


 ふっと笑うようにする久瀬が忌々しい。


 こいつのことだ。例え今はそのつもりだったとしても、状況が変わったら平気で意見をくつがえすだろう。信用しろと言われたところで、信じられるだけの実績なんぞ見た覚えはねぇし、もしも本当に状況が変わったら――……

 あぁくそ! 考えるのもばからしい。


 ただ、それよりも気になったのは。


「仁科も“それ”にアクセスできるのか」


 久瀬の目が一段と冷えた気がした。


「今はできない。……が、そうだな、1年以上前に私の目をかいくぐって持ち出していたとすれば、あるいは」


 あるいは?

 ちょっと待てよ、何だよそれは。お前の目をかいくぐって?

 お前、ここの責任者だろう! 部下の管理はきっちりしろよ!


 苛立たしい思いが込み上げてくる。

 だってお前、それはこの先、『おれがおれに対峙する』なんて、そんな糞みてぇな状況も起こり得るって言ってんだろう!?


「――さて、どうかな。仁科も、君が稀有な成功例であることは十分に承知しているだろう。そう易々と、クローンから制御可能な逸材を生み出せるとは思っていないだろうが」


 冷静に答えられると本気でムカつく。

 結局のところ、おれの遺伝子からまた、実験動物のように扱われる奴が生まれるかもしれない、そう言っているわけだ。

 ……あー、だめだ。猛烈に気分が悪くなってきた。


 久瀬はわずかに眉根を寄せてから、言葉を継いだ。


「今は可能性に目くじらを立てても仕方あるまい。――それよりも、次だ」


 無機質な声。

 ……分かってる。分かってるさ! こんちくしょうが。


「次の南米地区は、仁科にとっても因縁の場所となる。そろそろ、警戒すべき時期だな」

「……油断はしねぇ。それでいいんだろう」


 久瀬はおれの声に目線を上げる。そのまま、少し考える仕草をした後で、


「そうだな、いい機会かもしれん」


 そう言って、おもむろに身体を起こした。やや気怠さを纏っていた空気が消失し、獲物を狙う鷹の様な目になる。――いつもの久瀬だ。


「そろそろ君達にも話しておこうか」


 ……何だよ、その含んだような言い方は。


「何の話か分かるか?」


 知るか! 勿体つけずにさっさと話せ。

 そう思うおれの脇から、


「仁科の素性、ですか!?」


 期待感を押し隠せていない声がした。言うまでもなく朝倉だ。

 壁に背を預けながら、黙っておれ達の様子を眺めていた朝倉だったが、何やら俄然、前のめりになっている。


「ですよね?」


 久瀬は皮肉めいた顔で応える。


「待たせたようだな。その通り、彼の出自だ」


 朝倉は急くように久瀬の前のソファに腰を下ろす。うずうずした様子で、お前もさっさと席につけよと目線で促してくる。

 妙な腹立たしさが込み上げたが、何とか黙って、離れた席に腰を下ろす。


 と、小さく笑うようにしてから、久瀬が口を開き始めた。

 興味深げに相槌を打ちながら、嬉々として久瀬の話に聞き入る朝倉。

 おれはもう一度、舌打ちしたい気分になった。 


 ……それはそれで、いいんだけどよ。

 何だよお前等、その息の合ったやりとりは。

 最近、ますます磨きがかかってねぇか?



 ***********



 それから、あっという間に三ヶ月が過ぎた。


 まぁ実際にはいろいろあったし、慌ただしい日々を振り返ってみれば、という感じだったが。

 それでも、そんなことを考えたのは、『ついにここまで来た。』そんな感慨が込み上げたせいもあったんだろう。


 ここは南米。とある山中、広大な敷地を有する南米ボスの邸宅前だった。


 南米地区と北米地区が全面戦争に突入し、文字通り、血みどろの抗争が始まってから二ヶ月。さすがに両組織とも、隠しようのない疲弊が見え始めた頃だった。

 業を煮やした北米地区が戦況を動かそうと本丸の強襲を計画、その動きに便乗して、おれもこっそり忍び込んだまでは良かったが。


 結局、おれは南米地区の手勢を一人で相手する羽目になっていた。どうやら突入部隊は全て、返り討ちにあっていたらしい。

 けど、北米地区の奴等を弱いなどと侮る気は毛頭ない。やり合ったこともあるから分かるが、奴らは強い。部隊の練度も段違いだ。

 けど、それでも惨敗を喫していたのは、例によって規格外の連中がいたからだ。


 高圧電流でも流れていそうな電気柵と高く張り巡らされた有刺鉄線。それを越えて敷地内に入り込んだ途端、統率されたオウガの集団が、まさにゾンビの群れのごとく出てきやがった。その数、優に100体はいただろう。


 それでも始めは、大したことはないと思った。そいつらの目は灰色にくすんでいたし、マネキンか何かのような無機質さだったから。

 せいぜい、侵入者よけの雑魚だろう。そう軽く考えたのがいけなかった。


 ――ちょ、待てよ!


 敵が捕捉圏内に入った後の動きときたら、とんでもなかった。おれですら躱すのがギリギリだった。

 いや、あくまで油断があったせいだけど。真っ向勝負なら後れは取らねぇけどな!


 それでも、奴等の一撃は重く、そのくせ急所を狙って繰り出される一手は俊敏ときている。おまけに、仲間意識なんてないはずのオウガ同士で、ある程度の連携すらしてきやがる。


 何だよ、こいつ等……!


 今のおれだから何とかなったが、少し前ならヤバかっただろう。南米地区のオウガがここまでの仕上がりを見せているなんて、想定外もいいところだった。


 もし、これだけの戦力を以前から有していたら。きっと今頃、権力を手中に収めていたのは南米地区だったろう。だけど、実際にはそうなっていない。ということは。


 成果がモノになったのはつい最近。この全面戦争に間に合わせるべく、相当な無茶をやらかして開発を進めたってことなんだろう。そのために一体、何をどれだけやったのか。

 それを考えると、反吐が出そうだった。


 叩くなら今しかねぇ。

 腹の底からそう思った。

 これ以上放置したら、世界が本気でひっくり返る。



 **



 そうして、敷地内に踏み込んでから、ボスの邸宅に辿り着くまで。

 その道のりは、あっという間で、同時にとても長かった。

 下手をすると、この時間が一番長かったんじゃないかと思うくらいに、途中で何度も思考が飛んだ。

 実際には小一時間程度だったが、体感的には一昼夜にも思えた。


 何せ数がやたらと多い。おまけに、決して弱くない。

 追いすがってくるオウガの群れを蹴散らして。一体ずつ、オウガの頭蓋を吹き飛ばす。それをだた機械のように繰り返す羽目になったから。


 もちろん、こうまで派手に動き回ると腹も減る。

 だから喰らった。そこかしこで咲き乱れていた赤い花。それらを喰らいながら、先へと進む。次第に気分も高揚してくる。


 一つ、二つ。また一つ。

 きっとお前等も、望んでこんな姿になったわけじゃねぇだろうけど。

 もう大して自我は残ってねぇだろ? それならおれが、終わりにしてやる。

 ……残っていても、潰すけど。はは。


 一つ、二つ。また一つ。 

 おれもこいつ等と同じだな。

 ただ、おれの方が強いから。喰らって散らして、潰して喰らう。

 脆いなお前ら。何だよ、そのザマ。そっちもまた同じ手か? 少しはおれを愉しませろよ。


 ――……っ!

 息が上がる。

 違う、……違う、そうじゃない。

 同じだけど、同じじゃねぇ。

 ……分かってんだよ、分かってる。だから今は、おれが勝つ……!



 **



 弾んだ息を整えながらオウガどもを殲滅し、ようやくおれは辿り着く。

 山の斜面にそそり立つような広い屋敷だ。どうやら、これ以上の出迎えはないらしい。 

 それならそれで結構だ。

 おれはそのままホールを駆け抜け、ムダに豪奢な扉を押した。


 大勢の女子供に囲まれて。

 開け放ったその先に、南米ボス本人がいた。


 事前に写真で見知っていた通り、やや浅黒い顔に短めの髭を蓄え、白髪をゆるくオールバックにした恰幅のいい男だった。目つきの悪さも相まって、妙な貫禄を醸し出していやがったが――


 おれの姿を見た途端、女たちは悲鳴を上げて身を寄せ合う。足元のガキどもは、おれを昏い眼で睨みやがった。

 肝心のボスもふてぶてしい顔でおれを睥睨へいげいしてきたが。はっきりそれと分かるほど、怯えの色を滲ませたのも見逃さなかった。


 ……はっ、何だよそれは。

 これには、ひどく白けちまった。


 もうずっと、自分の生死には動じない奴らばかり相手にしていたから。

 久瀬や朝倉、戦闘訓練の教官役。ついでに言えば、仁科もそうだ。

 もちろん、あいつらの方がおかしいのは分かってる。

 けど、目の前の男は久瀬と同じか、それ以上の大物じゃなかったのか。この程度の野郎が、悪の枢軸の一人だって?


 何だか無償に腹立たしくなってくる。ただ老獪なだけのブタ野郎に今まで好き勝手にされてきたのか? そう考えると、叫び出したくもなってくる。


 ただ一方で、そんなものかと思う自分もどこかにいた。

 こういう手合いは、どれほど残虐なことをしようと、全く悪びれねぇんだろう。むしろ、愉悦や快感を覚えるタイプだ。で、こういう奴らほど、いざ自分がやられる側に回ると青ざめるんだよな。まるで考えも及ばなかったって風に。


 だったら今度は、おれがせいぜい弄んでやる――……

 そう昏い悦びに浸った時だった。


「そこで止まれ、矢吹」


 聞き覚えのある声がした。


「そのまま動くなよ」


 嫌な声だ。聞きたくもない。

 辟易しながら視線を向けると、柱の陰から現れたのは――案の定、仁科だった。


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