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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第1章 ハジマリの夏
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1-5 殺人ウィルス

 その痩せぎすの男は、仁科(にしな)と名乗った。


「お互い、名前も知らないというのでは味気ないだろう?」


 その男――仁科は、椅子に腰掛けて鷹揚に笑った。


「いいから、さっさと説明しろよ!」


 焦れた今井が、大窓を叩く。

 仁科は肩をすくめて、モニターを指し示した。


 一拍の間をおいて、どこかの部屋が映し出された。画像も音声も粗くてよく分からない。ただ、こことよく似た部屋に思えた。

 一つだけ決定的に違うのは、部屋の中央にひどく汚れた台が据え付けられていることだ。


 何だよ、ここ……。


 ふいに、画面の中が騒がしくなった。

 白衣を着た男が何事かを指示すると、屈強な男たち2人に脇を抱えられるようにして、中年の男が連れてこられる。


 その男は、ひどく怯えているように見えた。助けてくれと搾り出すような声で懇願している。なのに、兵士たちに耳を貸す様子はなく、まるで機械のように、嫌がる男をベッドに押さえつけ、拘束具のような金具で四肢を次々に固定していく。


 ……何……してんだよ……。


 背筋を何かが這い上がっていく。ドロドロとした感覚が喉元までせり上がる。


 やがて、1人の男が何かを手に持って、括り付けられた男に近づいていく。

 ……注射器……?

 やけに針の太いそれを男の首筋に押し込んだ途端、男の体がびくんと撥ねた。


「何を……」


 言いかけたおれに、仁科は黙って見ていろ、とでもいうように顎をしゃくる。

 思わず怒鳴りかけたとき、


『ぎゃあああぁっ!』


 ビデオを振り返った途端、頭の中が真っ白になった。


 部屋は真っ赤だった。

 真っ赤で、中央にある男の体だけが無くなっていた。

 ……いや、違う。なくなってはいない。

 ただ、滅茶苦茶だった。


 そこにあるのは、赤黒いぬめった塊。無数の赤い筋が台から床に零れ落ち、壁はまるで真っ赤なスプレーを撒いたかのようだ。


 酸っぱいものが込み上げる。

 見たくない。

 見ていたくなんかないのに、目が離れない。

 それは、本当に人間だったのかと目を疑うのようなシロモノだった。

 まるで、内部から何かが喰い破って出てきたような……。


「どうだね?」


 問われて、我に返る。


「これが問題のウイルスだよ。恐ろしい効果だろう?」


 仁科の頬が緩む。おれは目を疑った。


 ……笑った……? こいつ今、笑ったのか……?


「幸い、空気感染ではなく血液感染だがね。あのように、静脈に直接投与しなければ感染しない。しかし、致死率は100%だ。ウイルスが体内を巡った瞬間、血管が内部から破裂して即死というわけさ」


 まるで笑いを堪えているかのような声。

 全身が凍りついた。


「それで……? あなた方は何をしているんです?」


 声が、震えてる……?

 振り返ると、朝倉の顔も蒼白だった。


「ウイルスの開発をしているとでも……?」


 朝倉の問いに、仁科は唸ってみせた。


「惜しいね、残念だが違う。我々が行っているのは、抗ウイルス薬の開発だよ」

「抗ウイルス薬……?」

「某国から、あのような殺人ウイルスを持ち込まれてね、その対抗薬の開発を任されたんだ。対処法のないウイルスなど、兵器としての価値を失うだろう?」


「この……悪魔が!」


 池田だった。


「よくもあんな真似を……平気で……!」


 絞り出すような池田の声に、仁科は心外だとでも言いたげな顔をした。


「勘違いは困る。あの男は死刑囚だ。我々が咎められる筋合いはない」


 死刑囚?

 おれは唇を噛んだ。

 ふざけんな、嘘をつくな。いくら死刑囚だからって、この日本で、あんな非人道的な執行が認められるはずねぇだろう……!


「それなら、私達は何? こんなところに閉じ込めて、一体何をする気なの!」


 中嶋の声も震えていた。

 仁科が蛇のような目を細めてくる。


「君たちのような前途ある若者を捉えて、すまないと思うのだがねぇ」


 御託はいいから、さっさと言え……!


「きみたちは、抗ウイルス薬開発のためにつれてこられた被検体というわけさ」


 ……被検体?


「安心したまえ、開発は順調に進んでいる。薬の完成まで、後もう一歩のところまで来ているんだ」

「どういう……意味ですか」


 掠れる池田の声に、仁科は笑いを噛み殺すようにする。


「君たちには、ウイルスと抗ウイルス薬の同時投与を行っているのさ」


 ……なっ……?

 おれたちの顔を舐めるように見回しながら、言い含めるように続ける。


「これでも、すでに2回ほど実験させてもらった後なんだよ。だが、君たちは今も無事だろう? これは、抗ウイルス薬が効果を発揮している証しなんだ。……もっとも、多少の後遺症はあるかもしれないがね」


 後遺症……?

 初めて目が覚めたときの、あのとんでもない苦痛を思い出す。

 あれが多少の後遺症、だと!?


 睨みつけるおれの視線に気付いたのか、仁科は口の端を上げて笑った。


「おっと、失礼。そんなに怖い顔で睨まないでもらえるかな。……そう、順調に見える開発だが、実は問題もあってね。抗ウイルス薬が効く効かないは、今だ個人差によるところが大きいんだ。今はその原因を探っているところなんだよ」

「おれたちの体を使ってか……」


 腸の煮えくり返る思いがする。

 仁科は、可笑しそうに笑った。


「君、矢吹君だったね。確か、君が最も抗ウイルス薬との相性が悪かったねぇ」

「……だから何だ」


 こいつの勿体つけた言い回しは、いちいち癇に障る。


「ここまで話したのだから、全て話してしまおうか。つまりは、こういうことさ。薬物投与後の反動が大きく、衰弱が激しい者ほど、対抗薬との相性が悪い。それが過ぎれば、死に至る」


 体がびくりと震えた。


「ある意味、君は実に優秀な被検体というわけだ。なぜ、抗ウイルス薬との相性が悪いのかを探るためのね」


 ……っ!


「おい! それじゃあ」


 おれが怒鳴るより先に喚いたのは、今井だった。


「反動の出ない奴は? 対抗薬が効いている証拠だろ? 調べる意味なんてないんだろ? だったら、早くここから出してくれよ!」


 仁科は、悩ましげに腕を組んだ。


「そうだな。確かに、反動の出ない者は早々に開放してもいい。……今すぐには無理だがね」

「そんな……!」

「落ち着きたまえ。いずれにしろ、対抗薬が完成すれば、君たちは無事に帰れるだろう。全ては、君たちの協力次第というわけさ」


 その場に、落胆とも安堵ともとれない声が上がる。


 ……この……!


 こいつに、おれたちを無事に帰す気がないことくらい、皆とっくに分かっているはずだ。開放する気がないから、これだけべらべら喋っているんだろう。

 ……けど。


「協力してくれるね?」


 おれは周りを見回して、唇を噛んだ。

 目の前にぶら下げられた希望に、みんな目が眩んでしまっている。

 こいつに協力する気でさえいる。


 少し頭を冷やせば、すぐ分かることなのに……!


 隣を見ると、朝倉も血の気の失せた顔で立ち尽くしていた。さすがの朝倉も、この先どうしたらいいか分からないんだろう。


 ……それはおれも同じだった。


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