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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-7 少女の正体

 この子は誰だ。何でこの部屋にいる。

 そもそも、おれが声を掛けられるまで気づかないなんて――


 ただ、この少女からは敵意を一切感じなかった。ただ興味深そうな栗色の瞳が、まじまじとおれを見上げてくる。


 身に着けているのは、薄紅色のワンピース。肩口まで伸びた栗色の髪は、内側に緩くカーブがかかっていて。おれを上目遣いにじっと見上げてくるさまは、どこか子猫めいて見えて。

 ドキリとした。


 結城に似ている、気がするけれど、やっぱり全然似ていない。

 でも、全く無関係の人間がここに来られるはずもなく、――


「君は、……何だ?」


 そう声を絞り出すのが、やっとだった。


 もし結城だったら。

 もし結城が戻ってきてくれたなら。

 ――でも!


 あの結城だったら、こんな風じゃない。

 あいつだったら、もっと。

 時折びっくりするほど優しくて、湖畔を照らす月明かりみたいな、そんな眼を――


 少女は小首をかしげたまま、小悪魔のような仕草で笑う。


「思ってたのと、ちょっと違うのね」


 ……違う?


「どこか痛そうなのは一緒なのに。くすんだナイフみたいな眼、してる。……随分と変わったのね?」


 変わった?

 何を言ってるんだろう。まるで、おれを知っているかのようなセリフ。

 言葉にし難い苛立ちが込み上げてくる。


 何だお前は。何なんだ。

 お前は結城じゃないだろう? 少し似ているだけの別人だよな?

 だったら、思わせぶりな態度を取るんじゃねぇよ……!


 そのときだった。ドアが勢いよく開け放たれた。

 彩乃だ。彩乃がパリッとした白衣なんかを羽織って、息を切らせながら飛び込んできた。


「ちょっと! ここに来るのは、まだ早いって言ったのに……!」


 早い……?

「お前、こいつを知ってるのか?」


 彩乃はおれを振り返り、


「――兄貴! 無事に帰って来たんだね、よかった……!」


 肩で息をしながらも、満面の笑みを浮かべてくる。


「ああ、問題ねぇ。――で、」


 気恥ずかしさも手伝って、挨拶もそこそこに先を促す。と、彩乃は少しだけ困ったようにしながら、少女の手を取った。


「うん、分かってる。この子のことでしょ」


 少女は嫌がるように身を捩る。


「ちょっと、子ども扱いしないでってば! 何で貴方の――」

「マホちゃん!」


 彩乃が一喝するような声を出す。


「少しは言うこと聴いて! 物事には順序ってものがあるんだから!」


 その途端、少女はむくれたように口を尖らせ、

「どうして、貴方なんかの言うことを聞かなきゃいけないの!」

 拗ねたように不満の声を上げたが――


 マホ……? 今、そう言ったのか?


 結城真帆、それがあいつの名前だったはずだ。

 なら、こいつはやっぱり結城なのか……?


 面影は結城を彷彿とさせるし、どこかエラそうな、……滅茶苦茶エラそうなところなんて、まんま結城だったが。

 それでも、姿が全然違うことに。何より、本当に子供っぽい態度には違和感が募った。というより、ちょっとだけ頭をはたいてやりたくなった。

 いやこいつ、ちょっとワガママ過ぎねぇか……?


「なぁおい。こいつ、本当に結城なのか……?」


 そう言って手を伸ばすと、彩乃が慌てたように身体を割り込ませてくる。


「ダメ! 待って待って! なんの準備もなく、触れようだなんて!」


 その慌てぶりと言いざまには、ピンとくるものがあった。


「記憶を見たら、やばいのか」


 彩乃が顔を強張らせる。

 どうやらその通り、らしい。

 ……けど、それは何を意味している?


 もし結城だったら。

 本当に、あの日の結城だったら。

 あの日、あの吹雪の夜。結城に触れて、垣間見てしまったあいつの記憶。

 それがふいに脳裏を過ぎり、途端に思考が黒く染まる。


「兄貴……っ!」


 唇を噛む。どうにかその激情をやり過ごす。


「――大丈夫だ。もう、あのときのおれじゃねぇ」


 彩乃は一瞬、痛みを堪えるような顔をしたけど、すぐに屈託のない笑顔を返してくる。


「うん、わかってる」

「……悪ぃな」


 ふいに視線を感じて目を向けると、少女が少しだけ神妙な面持ちで、おれをじっと見つめていた。

 何か悪いことをしたらしいと思ったような、でも、それが何か分からず、もどかしさを憶えているような顔。


 それで、何となく分かってしまった。

 やっぱり、こいつは結城ではあるんだろう。

 でも、あのときの結城じゃない。

 おれの知っている結城じゃあ、ない――……


 そう思ったら、身体のどこかが少しだけ軋んだ気がした。



 ****



 それから、彩乃はサイドテーブル前の椅子に腰を下ろして。結城に似た少女――面倒だから、真帆と呼ぶことにする――にも「お座り!」とでもいうように、ソファーに座るよう指示をする。

 真帆は不満そうにしながらも、大人しくちょこんと座る。

 ……いやホント、すげぇよな。

 彩乃が怒った時の有無を言わさない感じは、真帆にも有効だったみたいで。


 ともあれ、おれもベッドに腰かけて、ようやく“事”のいきさつを聞くに至る。

 そうして、やっぱり。

 この子は結城だと、彩乃は開口一番、そう言った。


「でも、本人というわけでもないの。彼女は――……」

「クローンか」


 先んじるように言うと、彩乃は少しだけ驚くようにしてから小さく頷く。それから、そっと隣の少女に視線を送った。ひょっとすると真帆の心境を慮ったのかもしれない。

 けど、彼女は大して気にした風もなく、肩を竦めただけだった。


 ――まぁ、これは本人も分かっていそうだったから、おれもストレートに訊いちまったんだが。

 それでも、いざ肯定されると複雑な気分になる。

 クローンの彼女がいる、ということの意味を。

 あの結城は二度と帰ってこないのだと、はっきり告げられた気がして。


「彼女は、人間だった頃に採取された細胞から複製されたらしいの。5年前の細胞から」

「5年前?」


 これは予想外の発言だった。

 5年前って、最近の話じゃなかったのか? だとしたら――


「その頃から、モルモットにされてきたのか」


 我ながら凍えるほど低い声がでた。身体の奥底にべっとり張り付いた悪意が頭をもたげる。ついさっき消失したはずの黒い思考。


 ――ったく、消えたと思ったらすぐこれだ。ふざけんじゃねぇ。


 こっそり自分の腕を掴む。血が出ねぇようにギリギリ、ガリガリ締め上げてやる。

 あー……いや、彩乃の視線が痛い。ばれてんな……。


「いや、ワリィ。別にお前等に怒ってるわけじゃねぇから。あんまり気にしないでくれ」


 彩乃は小さく吐息をついて、仕方がないなぁという風に笑う。大丈夫だよというサインを滲ませて。

 今度はちょっと、別の意味で胸が痛くなった。凍傷に温湯ぬるゆをかけたみたいに、熱くて痛くて、ジンジンする。

 ったく、こいつには叶わねぇんだよなぁ……。


 一方の真帆は、なんだか他人事のように話を聞いていた。足をぶらぶらさせながら、それでも時折、激しく嫌悪するような表情がちらちら顔を覗かせている。

 やっぱり、この真帆も碌な目には遭って来なかったんだろう。


 そう思うと、少しだけ息苦しくなった。

 本当にキツい状況ほど、なんてことない風を装おうとしている気がして。

 そんなところは、おれの知っている結城にそっくりな気がして。…………。


「――で、今は一体、どういうことになってるんだ?」


 どうにかそう尋ねると、彩乃はこんな説明してくれた。



 元々、この組織はクローン研究も進めていたこと。ただ、所望のクローンを生み出すには、オウガ以上に莫大な資金と時間がかかるらしく、オウガに較べればまだ数は少ないこと。

 とはいえ、能力の高いオウガを安定して生み出すカギを探ろうと、モルモットにされた人間は全員、生前に細胞を採取されていたらしい。そのまま一定期間は細胞が凍結保存され、ウィルスとの相性がいい人材が現れれば、時にクローンの製造が行われてきたという。


 この時点でもう辟易しかけたけど。おれは黙って続きを聞いた。


 このクローンを成長させるためには、本来は常人と同じ時間が必要らしい。そりゃそうだろうと思ったら、どうやら強制的に成長を速める手段もあるらしい。ただ、上手くいかずに途中で命を落とすことが多いという。


 さらに気分が悪くなってきたが、それでも黙って話を聞く。


 で、ウイルスとの相性が高ければ高いほど。微量のウイルス投与を行うことで、成長促進とウィルスへの耐性獲得を同時に実現できる可能性があるらしい。ただ、例によって適正値の許容範囲が極端に狭く、相当に博打の側面があるという。

 つまりは、大金に見合う成果がオウガ研究より得られにくいから。クローン化実験は頻繁には行われない。ただ、それだけの話らしかった。 


 そうして、結城はまさにウィルスとの相性が高い逸材で、にも関わらず、早々に脱走したモルモットだった。だから、組織は数年前からクローンの製造を進めていたらしい。

 そして案の定、そのほとんどは失敗に終わり、目の前の結城は、そのただ一人の生き残りだという――


 そうした話を聞くほどに胸糞が悪くて、これら全てを把握しながら実行していたであろう久瀬には、改めて腹の底から殺意が湧いた。


 けど、当の本人は上辺だけでも平気そうにしているし、彩乃だって、本当はしたくもないだろう話を丁寧に続けてくれている。そんな状況でおれだけが暴発なんてできるわけがない。だから、


「それで? こいつは何でここにいるんだ?」


 沸々とした昏い感情を捻じ伏せながら問いかける。

 と、彩乃は困ったように笑った。


「ええと、この組織のトップの人? が、1年くらい前から、クローン実験は中止させてたんだって。兄貴が研究対象になったからって」


 思わず息を飲んでしまった。


「でも一つだけ、最近まで続いていた実験があるらしいの」


 途端に、剣呑な感情が込み上げてくる。

 ――どんな実験だよ。

 目線で先を促すと、


「結城さんの身体と、真帆ちゃんとを触れ合わせる実験」

「……っ! それは、」


 彩乃はすごく言い辛そうにしながらも、


「うん、結城さんの身体はね、やっぱりほとんどの細胞が死滅してて。でも、凍結して仮死状態だった細胞も僅かに残されていたみたいなの。……だから、その結城さんの身体と、真帆ちゃんとを触れ合わせたおかげで、」


「やぶきのことが、少し分かるの」


 そう、真帆が後を継いだ。


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