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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-6 家族の在り様

<朝倉 克己>


 俺たちはもう、闇に潜む存在だった。

 普段は命のやり取りなんて意識しないで済む世界。法と秩序に守られた安全な生活。そんな日常とは縁遠い、暗部で蠢く虫けらだ。それを今さら、どうこう言うつもりはないんだが。


 かつての日常に戻れなくなっていたのは、俺たちだけじゃなかった。涼司の妹、矢吹彩乃。彼女もまた、日常に戻れなくなってしまった一人だった。

 ……いや、それを選んだ一人、というべきか。


 涼司の父親は元々、組織の仕事をしていたようだし、母親もパート仕事のみだったと言う。だからいっそ、彼らが島に移住しようと考えるのは理解できる。

 だけど、彩乃ちゃんは何と言っても大学生だ。これから表の世界へ羽ばたこうとしているときに、こんな暗部に関わり過ぎたら、彼女まで人生が狂ってしまう。少なくとも大学を出るまでは、一度本土に戻るべきだ。そう思っていた俺は、彼女まで実験島に残ると聞いてぎょっとした。


 欧州遠征に出向く前、両親とともに島で涼司の帰りを待つと聞いたとき、思わず俺は詰問してしまった。この先、どうするつもりなのかと。結構、露骨な物言いをしてしまったが、


「暫らく休学することにしたの」


 余りにも明るい声で返されたのには面食らった。

 思わず言葉を失っていると、彩乃ちゃんは照れくさそうに言い添える。待っている間は、父親の研究を手伝うことにしたのだと。オウガ細胞の活性化を図りつつ、その狂気を抑える研究をしたいのだと。

 元々、彼女は生命科学を専攻するつもりだったらしい。


「だから、丁度いいでしょう?」


 そんな風に茶化してきたが。

 丁度いいも何もない。それでは学位をとれないどころか、途中退学しそうなパターンだ。


「……本当にいいのかい?」


 こんな状況に巻き込んだ俺が言うセリフじゃないな。そう思いつつも、尋ねずにはいられなかった俺に、彩乃ちゃんは困ったように笑った。


「あたしにも全然分からないんです。何が正しいのかなんて」


 それから、俺の隣で不機嫌そうに押し黙っている涼司に目を向け、うーんん、と小さく唸る。


「お父さんもお母さんも、あたしは本土に戻れって言うし、兄貴も本当はそう言いたいんだよね?」


 でも、と言って、彩乃ちゃんは言葉を紡ぐ。


「あたしにはやっぱり、家族が一番大事なの。みんなで一緒に笑い合っていたい。何かを恨んで呪って、ただ復讐して、とか、やっぱり嫌だ。そんな感情に翻弄されるのも心底悔しい。だから、前を向けるようにしたい。でも、それって何だろうって考えたら、――その結果がこれだったんです」


 そう言ってニカっと笑う。まるで太陽みたいに。

 正直、眩しかった。今の俺には、余りにも真っすぐな在り方で。


 ただ溜息が零れ落ちる。

 これはもう、俺から言えることは何もないなと思って。


 しかし、こうなると別のことも気になってきた。涼司の母親のことだ。

 涼司は未だに、母親には会っていなかった。母親の方は、マジックミラー越しに涼司の姿くらい見ているはずだが、涼司の方から母親を訪ねたことはない。母親の方は一度でいいから、涼司に対面したいと切望していたのに。


 それを目にするにつけ、何だか妙に苛々してきて、涼司にそれとなく勧めてみたことがある。……いや、かなり露骨に迫ったような記憶もあるが。

 いずれにしろ、涼司は首を横に振った。彩乃ちゃんが提案してもそれは同じだった。


「悪いが、会えない。母さんにはごめんと伝えてくれねぇか」


 そんな風に言う涼司に、彩乃ちゃんは憤慨した顔をした。それから、断固拒否の姿勢を見せる。


「それ、自分で伝えてよ。お母さんも絶対に喜ぶから、顔を見せてあげて」


 それでも、涼司は頑として首を縦に振らなかった。


「今はだめだ。でも、最後にはちゃんとするから、な」


 彩乃ちゃんは、ものすごい渋面を作っていたけれど。こうと決めたら、テコでも動かない面があるのは、涼司も同じだったらしい。

 当の母親も、最大限に息子の意思を尊重しようとしていたから。結局は一度も会わずに今に至っている。そのまま、彩乃ちゃんとは別に、何やら父親を手伝っているらしい。

 ――凄い人だと、そう思う。


 そう言えば、涼司の両親は、大げんかの末に何とか和解したらしい。これも欧州遠征に行く前の話だ。

 和解の直後は、父親の顔に幾つもの引掻き傷や青あざができていて、その原因を聞くことは誰もしなかった(というかできなかった)けれど。


 ただ、その顔を見た途端に涼司が噴き出しかけていて、それがひどく印象的だった。肩を震わせて笑いを噛み殺している涼司なんて、どれだけ久しぶりに見ただろう。そんなところは完全に昔のあいつで、ちょっと感慨が湧いてしまった。


 父親の方は当然、この上なく複雑な顔になっていて、それがまた笑いを誘った。拗ねたように憮然としたところなんかは涼司と本当によく似ていて、やっぱり親子なんだなぁとか、ちょっと失礼(?)なことを考えてしまった。


 ちなみに、涼司と父親の方は和解したとか、そういう話は聞かない。それでも、もう随分と前から、涼司は父親のことを赦していたんだと思う。

 そんな発言を聞いた覚えはないし、この先も言う気はないだろうとは思ったが。少なくとも、恨んでいるような様子は一切伝わってこなかったから。


 さすがに、昔のように話すというのは出来そうもない様子だったが。それでも、互いに必要以上に踏み込まないようにしているのは、一つの気遣いの形なんだろう。

 傍から見ているともどかしさは覚えたが、それはそれで好ましく映った。俺の両親は俺が小さな頃に離婚して、それ以来、父親とは全く会っていなかったから。



 ――ちなみに、俺の両親の離婚はまぁ、意見の不一致が原因という奴だ。

 俺の両親はともにバリバリの仕事人間だったようで、当時まだ小学生だった俺は一応、母親の方に引き取られた。

 ただ、離婚前から育児は全てベビーシッター任せだったし、離婚後も教育は学校や塾、数多のクラブ活動なんかで構成されていた。食事や金の面で困った覚えはないが、温かい家庭の空気ってヤツを感じたこともない。

 まぁ、仕事を優先したい両親にとっては、俺はさぞ面倒な存在だったんだろう。――なら始めから子供なんか作るなよ、って感じではあったが。


 まぁ一応、虐待されたわけでも、育児放棄されたわけでもないし、金をかけてくれたことには感謝している。それ以上でも以下でもないが。

 ま、俺の両親は今でもどこかで、それなりにバリバリ働いているんだろう。どうでもいいけど。


 そこに来て、涼司の家族はすごい。極端すぎる気がして、どん引きしてしまうときもあるが。それでも羨ましくないと言ったら、やっぱり嘘になる。

 ただ、それは嫉妬というより憧れに似ていて、できれば応援したいという気持ちに嘘はなかった。せめて彩乃ちゃんには幸せになって欲しいという涼司の願いは、こんな俺でも心底、共感できるものだったし。


 そう言えば、久瀬が去り際に彩乃ちゃんのことを口にしたのも、涼司の家族を気遣ったからこそ出て来たセリフなんじゃないだろうか。あんな発言、わざわざ久瀬の口から伝えるほどの用件でもないし。むしろ唐突で違和感すら覚えるほどだったが、本当はもっと純粋な言葉をかけたかったのかもしれない。

 ――こんな関係でさえなかったら。


 無表情の涼司がどう捉えているかは分かり辛いが、涼司の方がその辺りは敏感に感じ取っているような気もした。

 だから余計に厄介で。涼司の父親に対するよりも、その確執は根深くて始末に負えない。


 ふと、そんなことを思った。





 *********


 <矢吹 涼司>


 あてがわれた自室に戻って、おれはベッドに倒れ込んだ。


 悪くない。

 身体の調子も。今のこの状況も。

 別に悪くなんかないが――


 半地下の一角、この少し手狭な空間が今のおれの自室だった。

 ビジネスホテルのシングルルームのような造りで、ベッドの他にはサイドテーブルとソファーなんかが置いてある。特徴的なのは、天井近くに設けられた小窓から、日の光が差し込むようになっていることくらいか。


 部屋を移ったのは、彩乃と再会してすぐ、北米地区への工作を開始する前だった。

 どうやら彩乃が朝倉に打診、というか、突き上げを行ったらしい。それまで過ごしていたおれの部屋を見て、えらく憤慨していたようだ。

『日の光も浴びずにモグラみたいになっているから、気分も荒むんだ』みたいなことを言っていた気がする。


 一応、理由はあったんだが。何重にも隔壁を通した地下深くにいたのは、おれが壊れて手が付けられなくなった時に備えてのものなんだろう。

 けど、おれの力が増した分、ほとんど意味を無さなくなっていたこともあって、彩乃の希望がすんなり通ったらしい。


 まぁ確かに、今のおれが壊れきったら、生半可な方法では止められないんだろう。脳内に埋め込まれた爆薬を起爆されたところで、オウガとしての活動を停止するかは分からねぇし。ここ最近、再生能力にはやたらと磨きがかかっているだけに、下手をすると復活するかもしれない。


 自我なんかは消えて無くなるんだろうが、もともとぶっ壊れていたら同じだし。そこまで行ったら、周囲ごとおれを焼き尽くすしか手はないんじゃないだろうか。

 けど、そんなことを施設内でやったら、物的被害は甚大だ。それなら始めから地上近くに配置して、いざというときは追い出して、外で爆撃でもした方がマシってことかもしれない。


 まぁ対外的には、おれは廃人同然にされて地下に拘束され続けているはずで。そもそも真実を知る者は少ないだろうだから、そこまで打算的に決めたのかどうかは分からねぇけど。

 ついでに言えば、地下だろうが地上だろうが、部屋なんてどこも大差ないと思っていたが。


 でも確かに、悪くはなかった。日の光は少しだけ煩わしいが、月明かりは心地いいし、虫の音や木々のざわめきなんかが聞こえてくるのも悪くなかった。


 でも、疲れたかな……。


 身体だって、喰えば万全になる。だから今だって全快なんだが。

 別に、睡眠だって必要じゃないし。


 おれの中に根付いたウイルスは、体細胞の自壊信号を抑える働きがあるらしい。外部から栄養源が供給され続ける限り、半永久的に、馬車馬のように働かせることにも長けているそうだ。寝なくとも疲労物質なんかは消滅するみたいだし。生物兵器としては実に都合よくできていて、だから疲れる、なんてことはないはずなのに。


 それでも、今日はなんとなく、彩乃の顔を見たいと思った。


 ……別に久瀬に言われたから、とかじゃない。彩乃はなんだかんだで、俺がここにいるときは、毎日のようにこの部屋に来ていたから。自分の手伝っている研究がどうだとか、親父と母さんがどうだとか、そんな話をほぼ一方的にして帰っていく。家にいた時もそんなところはあったから、きっと昔の習慣を身体が思い出しただけなんだろう。

 ――けど。


 目を閉じても開いていても、脳裏を過ぎる映像がある。

 胸糞悪い情景だった。フラッシュバックのように何度も何度も繰り返す。

 それを上書きしてほしかった。

 自分のしてきた行為を忘れる気は更々ねぇけど。

 ……された行為は、いっそ忘れちまいたいが。


 今はとにかく、神経がささくれ立った感じでひどく気分が悪かった。

 だからあいつの他愛ない、馬鹿げた話を聞いていたかった。

 そのままちょっと、眠りてぇかもな……。




 おれは本当に眠っちまったらしい。


「やぶき」


 耳元で声がした。

 彩乃じゃない。もちろん、母さんのでも。


「やぶき?」


 反射的に飛び起きる。その声には聞き覚えがある。

 ……まさか、今の……!


 目の前にいたのは、

 ……子供?


 少女だった。

 小首をかしげて、その拍子にはらりと零れた髪の毛を耳元に掬い上げる。そのまま、じっとおれを見る顔には見覚えが、え――……?


 その瞳は栗色で、髪の毛だって同じ色で。染めているわけでも、カラーコンタクトをつけているわけでもない。何より、オウガの気配がない。

 だから結城じゃない。

 結城じゃないのに。


「お前は、誰だ……?」


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