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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-5 孤高の独裁者

「はは、似合っているじゃあないか」


 変装したまま久瀬の執務室に入った途端、愉悦を帯びた声が俺たちを出迎えた。一足先に戻っていた仁科だ。


 言ってろよ。

 今さら応えてやる気もなくて、ただ久瀬に視線を移す。と、


「もう、それは外しても構わないが?」


 久瀬は革張りの椅子に背を預けたまま、どこか笑うような表情を浮かべていた。

 ……久瀬でも、そんな顔をするのか。

 少しだけ意外な気がした。


 確かに、涼司の被ったラバーマスクは良くできている。間近でしげしげ眺めてみても、本物の老人にしか見えない。この中身が実は涼司なのかと思うと、そのギャップには俺でも笑いが込み上げてくる、のはその通りなんだが。

 ――ただ、これは今だけ、なんだよな。


 先に付け髭を外してみせると、涼司も無言のままマスクを外した。

 その途端、まるで猟犬でも現れたような空気が満ちた。あるいは鋭利な刃物を思わせる空気が。そんなヒヤリとした気配を纏ったままで、涼司が久瀬に目を向ける。仁科など眼中にないかのように、ただ黙って久瀬だけを見据える。


 ……いやお前、それで挨拶のつもりか?

 どうやら口を開く気はないらしい涼司に代わり、仕方なく俺が口上を述べる。


「先ほど、帰島しました」

「ああ、大筋の報告は受けている。二人ともよくやってくれた。ご苦労だったな」


 僅かだが、声には労いの念が滲んでいた。ただそれだけで、言葉にし難い感情が込み上げてくる。

 別に久瀬のためにやったわけでもないし、この男は単なる共犯者だ。なのに、なぜか報われた気がしてしまう自分がいる。

 くそっ……。


 どうにも複雑な気分で返す言葉に詰まっていると、仁科がおもむろに口を開いた。


「ところで朝倉君、左腕の調子はどうだったかな」


 そんなことを訊いてくる。

 余計な思考が中断されて、今回ばかりは、ほんの僅かに感謝してしまった。話題にされた左腕のことも。


 欧州での作戦に赴く前、おれの失った左手には義手がつけられていた。仁科の手配したものだった。

 かなり精巧にできており、神経との接続も上手くいったおかげで、日常生活には何ら支障のないレベルまで回復した。むしろ、強化された身体に対応するように、並外れた馬力も出せるようになっている。


「おかげさまで、悪くはないですよ」


 そう応えざるを得ないのは業腹だったが、実際に助かったのは事実だ。

 まあ、仁科から打診される前にも、義手をつけようと思えばできただろうが。ただ、あのときは妙な動きを見せて、不用意に俺の存在を察知されたくはなかった。その必要もなかった。だが。

 恐らくこの島で最も鼻が利き、バレたら最も面倒なことになると目されたのが仁科だ。その仁科が曲がりなりにも同じ陣営に入ったおかげで、あらゆる作戦が格段にやり易くなった。こんな風に、無駄に気の利く真似をしてきたりもする。


「そうかい、君の役に立てたようで何よりだよ」


 そんなこと、本音では毛ほども思っちゃないだろう。それをいけしゃしゃあと宣うあたりが腹立たしいことこの上ないが、そこまではまぁ良しとしよう。

 けど、その後がいただけなかった。おもむろに余計な一言を添えてきた。


「これがいつぞやの詫びになる、と思っている訳ではないがねぇ」


 詫び……?

 俺をモルモットにしたときのことを指しているんだろう。それはすぐに分かった。分かって、思い出してしまって、ムカムカした気分が込み上げてくる。せっかく僅かでも感謝の念を覚えてやったのに。


 これが詫びだって?


 あの時の、あの最低の所業が、この程度でチャラにできるはずもない。脳裏にこびり付いた絶望と憎悪がそれを許さない。普段は無理やりその記憶に蓋して、コイツの利点に目を向けるよう努力してるのに。

 そんなこと、仁科だって分かっているはずだろう。そもそも、根っからの嗜虐嗜好のコイツが、本心から反省することなどあり得ない。にも拘らず、敢えてその話題を持ち出してくる神経には、怒りを通り越して呆れすら覚えた。


 わざとか。例によって、わざとやっているのか? おれの反応を見て愉しもうって腹だな?


 けど、隣の涼司だって、自分の時のことを思い出さざるを得ないだろう。それが何を意味するのか、仁科だって承知しているはずなのに。

 ほら見ろ、涼司の殺気が肌をびりびり刺している。一瞬でこの場にいる者を薙ぎ払い、全てを終わらせかねない凶悪な殺意が周囲に満ちる。


 クソが。ふざけるな。一体、何度この局面をやらせる気だ。もういい加減飽きたんだよ!


 視線で射殺せるものなら、殺してやりたい。本気でそう思った。

 だが、仁科を睨んでも、奴はおどけたように肩を竦めて嗤うだけ。

 真剣に殺してやろうと一歩足を踏み出しかけて、そこで俺は我に返った。隣の気配がやけに冷たい。

 気づけば、能面のような顔がそこにあった。感情の欠落した、機械染みた無機質な顔。

 ため息が漏れた。どうやら、今すぐ終局を迎えることはなくなったみたいだが。


 仁科は相変わらず、ふざけた嗤いを浮かべ続けている。

 コイツは本当に、何がしたいんだよ……。

 怒りよりも脱力感が込み上げてくる。

 ここまで来て涼司の箍がはずれたら、コイツは一体どうする気なんだろう。自分だけは大丈夫とでもいうつもりか?


 久瀬の知る“仁科の素性”とやらが何なのか、どうしても気になって以前、久瀬に詰め寄ったことがある。だが、当時は見事に素気無くあしらわれた。


「今はその時ではない」


『今は』ということは、いずれは話す気があるのかもしれない。だが、そのときはまるで取り付く島がなかった。それ以上食い下がったら、逆に切られるのは俺の方だと、そう思わされるには十分で。

 だから、今まではどうにか我慢して来たんだが。


 ちらりと見やった久瀬は、相変わらずの無言だった。それでも、今回は周りの空気がひどく剣呑なものを孕んで見えた。

 さすがに、容認できる範囲を超えたか……?

 驚き半分、期待半分で久瀬を注視していると、それもすぐに消失する。 

 ああ、やっぱり。

 そう思うくらいには、あっという間にいつもの怜悧な雰囲気に戻っていた。



 そんな様子を目にしていると、ふと、脳裏に蘇ってきた言葉があった。


「ある意味、久瀬も狂ってるんだと思うぜ」


 そう言ったのは涼司だ。

 以前、欧州で二人きりのときに交わした会話。何かの話の流れで、俺が久瀬を化け物呼ばわりしたときのことだった。


 狂ってる? 久瀬が?

 俺が訝しむようにしていたせいだろう。涼司は苦笑するようにして、言葉を続けた。


「お前も知ってるだろうけどな」


 どこか刹那的な調子ではあったが、それでも涼司は、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。


「おれはもう、いいとか悪いとか、そういうのが良く分からなくなってきてるんだ。おれたちが今してることだって、何が悪いって感じでさ」


 どこか自嘲気味に涼司は続ける。最近にしてはかなり珍しく。


「おれをこんな風にした奴らをさ、――間接的にだろうと、こんな活動に関与してる奴らをこれほど簡単に踏み潰せちまうことにさ、どこかで嗤ってるおれがいるんだ。ざまぁみやがれ、消えろよ糞が、みたいな感じで。……最近じゃあ、むしろ歯ごたえなさ過ぎてつまらねぇ、って感じかな」


 自分を厭う気配を湛えたまま、涼司は笑う。

 ふいに、遠い昔を思い出した。まだ高校生の頃、大木の下で訥々と、涼司が自身の考えを口にしたときのことを。 


「もちろん、おれのやってることは外道だ。そんなこと、頭では分かってるんだ。喰らったらもう、愉悦と快感しか湧いて来ねぇ。我に返って後の惨状を見たってもう、だから何だよ、みたいなさ。

 ……だけどたまに、ふとしたときに、……自分の頭をかち割ってやりたいみたいな気がするんだ。悪いとか思ってるわけじゃねぇのにな。罪の意識? そんなもん、とっくに消えちまったはずなのに。はは、やべぇだろ?」


 それを聞きながら、なぁんだ、涼司は涼司のままじゃないかとか、俺はそんなことを思っていた。

 なぜって、それはおれも同じだから。というより、俺の方がよほど「やべぇ」と思ったから。


 涼司の言う「悪いこと」をしているのは、俺も同じだ。最後の手を下しているか否かの違いがあるだけで、やっていることは全く同じ。だけど俺はもう、割り切れてしまっていた。

 ここまでなら赦されて、ここから先は赦されないとか、そんな線引きは考えていない。まぁ基本的に、全てアウトだろう。だけど仕方がない。だって、やるしかないだろう?


 多分、俺の心はとっくに乾いているんだろう。そもそも、お前がオウガとして中嶋たちと囚われていた一年間、俺が何をしてきたと思ってるんだ。


 そう言いかけて、そう言えば、その詳細は涼司も知らないんだっけ、と今さらながらに思い至る。

 涼司がその気になれば、俺の過去の記憶も自由に覗けるのかと思っていたが。それは未だに、上手く制御できないのかもしれない。


 いずれにしても、仁科を罵倒してみたところで、結局は俺も同じだ。組織の一員なってからは、他のモルモットたちに対する所業を見て見ぬ振りをしてきた。

 やむを得なかった、なんていう気はさらさらない。死ぬ気になれば何らかの行動はできただろうし。あの時にそれをやったら(今ですら)あっさり殺されて終わりだろうが、それを選ばなかったのは俺自身だ。仁科を止めないどころか、奴の行為に手を貸した。それも何度も。

 本当は、仁科だけを責める資格なんて無いんだろう。

 ――だけどそれはそれ、これはこれだ。


 俺は一生、仁科を赦さないし、むしろ機会があれば殺してやりたいと真剣に思っている。だけど、それの何が悪い?

 今の作戦も、有効だと思ったからやっているだけだ。俺自身はいいとか悪いとか、大して思い悩んでなどいない。総じて気分のいいものではないが、作戦が上手くいったら、ガッツポーズの一つでも決めたくなるし、潰した相手が胸のすく相手だったら、「ざまぁみろ」の一つくらい、俺だって言っている。

 大体、最後まで正しく在りながら決着を付けるとか、どんな神サマ的な存在だったら、そんな絵空事が実現できるんだよ?


 そんな風に思っていたから、涼司が未だに葛藤していたらしいことに、少しだけ安堵してしまった。狂気に侵されていようと、半分おかしくなっていようと、なんだかんだ言って、そこだけは変わらないみたいで。


 多分、涼司が伝えようとしてきた意図は全く違うはずだけど。まだ話の続きがあるんだろうけど、そんなことはどうだっていい。俺からすれば、涼司の本質が変わっていなかったことの方が重要で、それは今でも、どこか眩しい在り方に映ったから。

 俺にはない資質。愚直なまでの不器用な生き方。

 だからこそ惹かれた。だから嫉妬した。



 本当を言うと、最近では一抹の虚しさを感じることが多くなっていた。涼司らしさがどんどん薄れているようで、この先、涼司が俺以上に何の痛痒を感じなくなったらどうしようと、それが怖かった。

 欧州遠征に来る前は、大丈夫だと思っていたのに。


 遠征に来てから、涼司の感情の起伏は乏しくなる一方で、こちらから話しかけない限りは一言も喋らない。だから、何を考えているのかが本当に分り難くなっていて。おかげで、こっちの独り言が増えた、というのはさておくとしても。


 たまに話すことはあっても、仕事をした直後は、殊更に冷え切った死神みたいになっていることが多くて、そのたびに虚無感に襲われた。


 今だから告白するが、遠征に来て2ヶ月ほどもたった頃には、何のためにこんなことをしているのかと、自問自答を繰り返す日々だった。涼司にとっては「残された家族のため」なんだろうけど、俺にとっては……?


 いや本当に、何でこんな真似をしているんだっけ。

 まぁ、俺が善人じゃないことは重々自覚していたさ。でもだからって、何の因果で傭兵の真似事なんかやってんだ。いや、ただの殺し屋か。……殺し屋! マジか、すごいな俺。


 その日も、ちょっと思考が馬鹿なところに向かいかけて、涼司の痛みを堪えたような顔を見て我に返る。あぁ、未だにそんな顔もできるんだな。

 ってか、涼司の奴、やっぱりどこかで悩んでいたのか。だから“無言”が多かったわけな。はは、全く、涼司の方がよほど人間らしいじゃないか。

 思わず笑い出しそうになって、それでようやく、それまでの話の流れを思い出す。


 で、何だっけ。

 ……あぁ、久瀬も狂ってるって話か。 ……狂ってるって、何が?


 俺の馬鹿な思考を読んだ訳、ではないんだろうけど。

 涼司は相変わらず自虐的な笑みを浮かべたまま、どこか吐き捨てるように呟いた。


「あいつは何か違うんだよ。おれとも、……多分、お前ともな」


 久瀬を指して、そんな風に漏らす。


「あいつは、あいつだけは、今でも全部自覚してやってる気がするんだ。

 ……本当は騙し討ちとか、姑息で卑劣な手段は嫌いなんだろう。モルモットに対する実験だって、本当は誰より嫌悪してやがる、多分な。なのにあいつは、そんな自分の感情を押し殺して、これが腐った行為だと腹の底から自覚しながら、さらに腐った行為をしてやがる。そのくせ、まともな神経は棄ててねぇんだ。

 ……ハ! でもおかしいじゃねぇか! あいつが今まで何をやってきたのか、お前だって知ってるだろう? あいつがおれ達を嵌めた。殺してバケモンにして、思い通りに従わせて、全部画策してやがった! それでも未だに自分だけは真っ当な神経してるとか! そんなのおかしいだろう? そんなの、 どこか狂ってなきゃ到底出来ねぇだろう?! ――だからさ、」


 吐き捨てるように言って、涼司は口を閉ざす。


「おれ達とは違う形で、あいつも相当におかしいと思うぜ」と。


 確かにな……。

 今なら、涼司の言った意味がよく分かる気がした。

 この男はおかしい。久瀬を前にして、俺はようやく実感した。


 本来は絶対に相容れないはずの相手とだって、必要と思えば即座に手を組む。利用する。悪魔にでも平気で魂を売り渡す真似をする。それでもなお、自分が悪魔に堕ちきったりはしない。まともな倫理観てヤツが消し飛んだりもしないらしい。

 ――はっ、何だよそれは。


 久瀬には正直、叶わない。以前からそう思っていた。

 我ながら噴飯ものだが、憧れに近い念も抱いていた。

 だけど本当に。

 俺も久瀬のようになりたいのか?


 気づけば、そんなことを考えていた。


 本当になりたいのか。首までどっぷり悪に浸かりながら、それでも悪に染まり切らず。狂っているくせに、どこかまともで、だからこそ妙に人を惹きつける孤高の独裁者。


 ある意味、壊れているんだと思った。だけどまぁ、それはそうだろう。こんなの、どこか壊れてなければ到底やっていられない。

 でも、どんな資質があってどんな経験をしたら、そんなふざけた人間が出来上がるんだ……。


 益体もなくそんなことを考えていると、その場の空気を変えるように久瀬が言い放つ。


「さて、挨拶は終わりだ」


 例によって、何事もなかったかのように宣言する。


「仁科君、君にはまた次の計画を練ってもらおう。後ほど詳しい話を聞かせてくれ、いいな」


 仁科は嗤ったまま、了承の意を示す。

 それを視界の端に捉えながら、俺たちにも目を向ける。


「君たちには追って連絡する。また早々に動いてもらうことになるだろうが、今は休みたまえ。――以上だ」


 言って、有無を言わさず退室を求められる。

 まあ、ここには顔を見せに来ただけだし、早々に解放されるのなら、それはそれでうれしい。今は少し心が荒れて落ち着かない気分だが、自室に戻れば、それでもすぐに眠れるだろう。


 仁科に次いで、俺たちも退散しようと部屋の外に向かう。

 と、部屋を出る直前で、久瀬が淡白な声を出した。正確には涼司に、声をかけてきた。


「涼司。君の妹が会いたがっていた。後で部屋に向かうそうだ」


 涼司は久瀬を振り返った。

 ほんの少し沈黙してから、小さく「わかった」と呟いて外に出る。

 余計なお世話だ、とは、言わなかった。


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