5-4 欧州攻略
仁科の狙いは当たった。
欧州地区の瓦解工作、これは実に順調に進んでいった。
仁科は担当した仕事を腹立たしいほど上手くやってのけ、俺たちも狙いは外さなかった。おかげで目論見通り、現地は大混乱に陥った。
ちなみに、今回の欧州遠征には、俺も同行した。
暗殺計画の実行部隊は仁科の一派と涼司の二人だが、今回はターゲットが多い。その上、実行のタイミングも戦況を見ながら都度、変える必要があった。それで俺は、涼司の補佐役として同行したわけだ。おかげで、多くの時間を涼司と二人きりで過ごす羽目になった。
もちろん、終始二人きりという訳じゃない。仁科とは基本的に別行動だが、現地での移動や通信、食事の手配に関しては、現地の協力者が何名もいた。ただ、協力者は全て一時的なものだ。暗殺計画の都度、メンバーが入れ変わる。
久瀬や仁科が手配した者たちだから、俺も詳しい素性は知らなかったが、それは相手も同じだったのだろう。俺たちがどういう存在かを問い質すこともなく、ただ命じられた役割を忠実にこなす。
逆に言えば、それ以外は一切しない者たちだった。だから、全てを知る俺が涼司の補佐役に徹する必要があった。
現地の協力者との渉外は、全て俺の担当だった。計画実行の際も、俺は現場近くで控えていた。
始めの頃こそ、現場から遠く離れて待機していたが、その方針も早々に改めた。
涼司ほどの能力があれば、想定外の事態に陥ることなど滅多になかったが、それでも、あいつ一人では限度がある。暗殺対象の傍に、勘のいい奴らがいれば尚更だ。涼司がやられることはないにしても、第3者の介入だと気づかれる恐れがあった。
それで俺は、現場近くで待機し、刻一刻と変化する状況変化を把握することにした。近くにいれば、涼司の思念波を無線機代わりに使える。
涼司からの状況報告と、俺が周囲で集めた情報。それらをリアルタイムに交換することで、計画の成功率は格段に向上した。涼司の思念波の有効範囲には増々磨きがかかっていたから、尚更だった。
そんなわけで、欧州地区の指揮官クラスは次々と消えた。荒事には不慣れな指揮官もそれなりにいて、なかなかに笑いを誘われる場面もあった。
実際に見たというより、無線機や盗聴器を通じて声を聴いているだけだったが、それでも、その狼狽ぶりには失笑が込み上げた。そんなときは、どこも人手不足なんだなぁとか、どうでもいいことを考えてしまう。
全員を抹殺したわけではないし、単に行動不能にした者も多かったが、指揮系統は大いに揺らいだ。上官不在時に指揮を担う下位クラスの者が、実に有能な働きをしてくれた部隊もあったが、まぁ、大勢に影響はない。
事前に情報をリークされていた北米勢力が手を伸ばした頃には、欧州地区に抵抗の余力は残されていなかった。むしろ進んで助けを求めるほどで、北米勢力が欧州を実質的な傘下に収めるまで、そう時間はかからなかった。
こうなってくると、明らかに北米勢力の独り勝ちだ。これ以上は、他の勢力も黙っていられないだろう。案の定、何やら怪しい動きが見られ始めたことは、まだ欧州にいる俺たちの耳にも届いた。
まさに狙い通りの状況だった。思わずニヤリとしたくもなったが、まぁ、そうでなきゃ困る、という話でもある。こちらだって、それなりに苦労しているわけだしな。
――苦労の大小で戦況が決まったら世話はないが、それでもやっぱり、報われたいとは思ってしまう。遠征期間が長くなるほどその思いが強くなるのは、当然ってものだろう?
ちなみに、欧州地区が紛糾し始めた矢先、中東勢力も何やら不穏な動きを見せ始めた。だが、中東は元々、単発勢力がひしめき合っていた地区だ。妙な徒党を組まれる前に、主要部隊は潰しておいた。
もちろん、言うほど楽な仕事ではなかったが、これも仁科が事前に手をまわしていたおかげで、実行自体は支障なかった。
何だかんだで3ヶ月ほどの期間を要しただろうか。
大筋の決着がつき、ようやく欧州から撤退した頃には、欧州にも春の兆しが見られ始めていた。
*****
看板に出た途端、一陣の風に煽られる。
欧州から飛行機や船を乗り継ぎ、実験島に帰島したのは、つい今しがただ。射るような日差しに、一瞬目がくらんだ。
実験島があるのは亜熱帯だ。1年を通じて気温は高く日差しも強いが、この時期はまだ過ごしやすい。この日も、いい具合に爽やかな気候で。
どうにか無事、帰って来れたか――
そんな感慨を覚えてしまった。
どんよりと重い雲の垂れこめた、暗く寒い日が長く続く土地での殺伐とした仕事。気を張った戦闘の繰り返し。それらが一段落し、長距離の移動を終えた今、身体にこびり付いた疲れやら何やらを吹き飛ばしてくれそうな風と強い日差しには、思わず、喝采を上げたくなった。
思わず奇声を上げかけて、――もちろん実際には、やらなかったが。
兵士達がいなければ、もう少し自由にしてやるものを。
内心でつい、そんなことを愚痴ってしまう。兵士達がいなければ、ここに帰るのも一苦労だとは分かっていたが。
今、俺たちに同行している兵士は5名。一分隊にも満たない人数だ。欧州からずっと同行してきたわけではなく、例によって、中継地点のフィリピン沖から合流してきた一団。
移動中、涼司は終始、特殊なラバーマスクを被って完全な別人に変装していたし、俺も付け髭なんかで見た目を変えていた。だから、こいつらも俺たちがどういった存在で、どこで何をしてきたかなんて知らないんだろう。
とはいえ、兵士をドライバー代わりに、こんな島にやって来るような人間だ。それが誰であれ、余り素っ頓狂な真似をする人物はいないだろう。奇抜な行動をしすぎると、兵士達の記憶に残る可能性もある。だから仕方なく自制した。
一応はまだ世間体を気にする、という奴だ。……ちょっと違うかな。
まぁともかく、俺達は黙ったまま兵士の先導に従った。予め桟橋に用意されていた護送車に乗り込み、島の内部に向かう。
ほどなく見慣れた研究施設に到着し、生体セキュリティをパスしてゲートを通過。そのまま、管理区域の応接室に入り、そこで兵士達が去っていく。
空調の利きすぎた簡素な部屋。そこで二人きりになってようやく、人心地着いた気がした。
ここまで来ると、さすがに羽目を外す気もなくなっていたが、といって、涼司と二人きりで呑気にお茶を飲む気にもなれない。一息つくなら、久方ぶりに自室に戻りたいところだった。そこで思い切り、爆睡したい……。
隣を見ると、涼司も背を丸め、どことなく吐息を零しているように見えた。皺の深い初老の老人のマスクを被っているせいで、疲れて見えるだけなのか、本当に疲れているのかは判断に迷うところだったが。
――いや、普段は背を丸めるなんてあり得ないから、老人の演技が抜けていないだけだろうけど。そういうところは、妙に律儀で要領の悪い昔の涼司そのままで、思わず笑いが込み上げてくる。
けど、そんなことを指摘しようものなら、薄ら寒いことになりそうで、俺はどうにか笑いを噛み殺した。
「で、この後どうする。すぐ報告に行くか?」
久瀬に会いに行くか。そう尋ねた俺に、涼司は一言、同意を示す。
「ああ」
しゃがれた老人の声。変装の効果がまだ出ているらしい。
大きく顔の筋肉を動かせば、マスク越しとはいえ表情に現れるはずだが、作り物めいた無機質な顔からは、その感情は読み取れない。
まぁ、そのマスクの下も本当に、ただの無表情があるんだろうけど。
それなりに長い時間を一緒に過ごしていたおかげで、ある程度のことは察せられるようになっていた。
「なら、確認がとれ次第、すぐに向かおう」




