5-3 次なる獲物
「欧州を次のターゲットにしてはいかがです?」
仁科はそう、口火を切った。
仁科が島を出ていた間、どこで何をしていたかはさておき。
俺たちが久瀬に与した経緯など、一切の説明も抜きにして。
当初の予定通り、次の計画の話込みを始めてすぐに、仁科はそう切り出した。
明らかに、反逆計画を手土産にここまで来た、と言わんばかりの口ぶりだった。
貴様の計画を聞かせろ、と仁科に水を向けたのは俺だが、それすら上手く使われた気がして、思わず舌打ちしたい気分になる。
久瀬は、仁科の素性をある程度承知している、と言っていたが、何を知っていたら、この怪しすぎる男をいきなり仲間になどできるのか。
けどまぁ、仁科が何を提案してくるのかには興味があった。
欧州を次のターゲットに、というのも、久瀬の中では既定路線のようだったし。
それで俺たちは、腰を据えて、仁科の話を聞く体制に入った。深々と椅子に座り直し、チラと観葉植物の緑にも目を向けて、加熱しかけた意識を入れ替えて。
仁科と気分良く話をするなど、土台無理な話だろうが、それでも、出来るだけ冷静な頭でこいつの話を聴きたかったから。
で、肝心の欧州地区だが、あそこは現在、現行組織が最も勢いづいているところだった。
涼司が対抗勢力に少なからぬ打撃を与えてから、まだ一月もたっていない。対抗勢力は立て直しの真っ最中で、おかげで欧州地区の奴らは、闇ビジネスを展開しやすくなったらしい。
そこに来て、北米地区の内紛だ。欧州地区の奴らにしてみれば、今こそ勢力拡大のチャンスだと鼻息が荒くなるのも当然だった。そして、その足をすくってやろう、というのが仁科の提案だった。
まずは対抗勢力を装って、欧州地区の奴らを襲撃する。その裏で、対抗勢力もしっかりと煽ってやる。そうして真実、両組織で戦端が開かれたなら。
そこからが、いかにも仁科の作戦だった。
「指揮官クラスを一掃してやるんですよ」
仁科はそう言って、ほくそ笑んだ。
「それも、両組織の指揮官全員をですよ?」
戦力が拮抗している通常の戦闘なら、起こり得ない話だろう。
だが、双方で独自の研究が進んでおり、それを双方がある程度知っている状態だ。それだけに、指揮官がやられたら、相手の研究が一歩先んじていたためだと疑わせるのは、そう難しくはないだろう。
しかも、双方が焦って対策を練ろうとしたところで、指揮官が次々と消える状況下では、命令系統が乱れざるを得まい。そうして混乱を極めたところで、北米組織を介入させる。そのまま欧州地区を北米組織の支配下に置く……。
「この目論見が成功して北米組織が力を強めれば、まだ無傷の南米組織も、大いに警戒せざるを得ないでしょう」
そう言って、仁科はほくそ笑んだ。
「そうすれば、近いうちに、北米地区と南米地区の奴らを正面衝突させられますよ? 欧州の次は南米という訳です。なかなか、イケそうな話でしょう?
……ああ、といっても貴方のことだから、似たようなことを既に考えておられたかもしれませんがねぇ」
相変わらずの慇懃無礼ぶりを発揮しながら、仁科は嗤う。
その様子には、さすがに不快感を覚えずにはいられなかった。
しかも、だ。
この計画の成否を握るのは、指揮官クラスの一掃だろう。そしてこれは、涼司の力をあてにしたものだ。
それなりに強化されている複数の部隊を相手取り、何が起きているのかを悟らせる間もなく、指揮官を暗殺し尽くす。そんな真似は、破格の力を手に入れてなお、その力を制御し得る今の涼司でなければ、到底できない相談だろう。
ただ、仁科は、その全てを涼司に任せるつもりはなかったらしい。
「一部の暗殺対象者は、私が引き受けますよ?」と仁科は言い添えた。
「以前から懇意にしている傭兵集団がいましてねぇ。そいつらを使って、少々掻き回してやりますよ。さすがに矢吹一人では、別の単独犯がいると気づかれる恐れがありますからね。
しかし、遠く離れた地から複数同時に攻撃されれば、やはりこれは組織間の対立だと疑わせやすくもなるでしょう。裏で糸引いている者がいるなど、……ましてそれがアジア地区の我々だなどと、到底、思いつきもしないでしょうな」
くつくつと仁科は嗤う。今からその光景を想像すると、笑いが止まらないとでもいった風に。
見ていて、胸糞が悪くなった。
確かに、これが単なるゲームなら、そう悪い作戦ではないだろう。
実現可能か否かで言えば、可能だとも思った。――けど。
ちらりと久瀬に視線を向けると、彼は相変わらず黙したままだった。
何事かを考えこむ風情だが、何を考えているのかまでは読み取れない。
だが、仁科の話を聞く過程で、一度だけ僅かな反応を示していた。
指揮官クラスの一掃、その言葉を聞いた時だ。
やはり、その点には引っ掛かりを覚えたんだろう。
そう、思いたかった。
仁科の提案した計画。
これは同じ暗殺計画でも、北米のときとは状況が異なる。
暗殺の対象者も、数十人規模にはなるだろう。そこまでくると、さすがに良心の呵責を覚えずに済む相手だけではなくなるはずだ。
止むを得ない事情で関わっている人間だっているかもしれないし、一定の敬意を払うべき相手だっているだろう。
……いや、こんな組織に関わるような人間たちだ。どこかしら、脛に傷ぐらいあるだろうし、何よりもこれは戦争だ。今さら、そんなことに頓着する方がおかしいのかもしれない。
そもそも久瀬なら、全員を殺し尽くす覚悟だってあるんだろう。
だけど今回、それを実行するのは涼司だ。
離れたところから、ボタン一つで吹き飛ばすのとは訳が違う。
耐え難い衝動に突き動かされて、一瞬で殲滅するのとも訳が違う。
事前に暗殺対象者の情報を得て、下手をしたら、その人となりを知った上で相手の懐に潜り込み、一つ一つ命を握り潰すことになる。
そんな真似を――
確かに、できるだろう。
今の涼司になら、それすら出来てしまうだろう。だが、出来るからといって……!
ふと、傍らの涼司の気配が、禍々しさを帯びた気がした。
慌てて視線を動かすと、『何だよ?』とでも言いたげに涼司が嗤う。暗褐色の瞳が愉悦を帯びて、昏く揺らめく。
それで分かってしまった。
やはり、それでも構わないということだろう。
指揮官クラスの無差別一掃。それができる自信があり、そして、それを愉しむ自信もある……。
ぞくりと、背筋が寒くなった。
何なら、今すぐ試してやろうか?
涼司の歪んだ嗤いは、それをありありと俺に伝えていて。
もし、このまま狂気に染まった涼司が出てきて、二度と戻れなくなったら。
真っ先に標的になるのは俺たちだろう。
その覚悟はとっくにできているつもりだし、それを望む気持ちだって、ないわけじゃなかったが。
いつ、どこでそうなるか分からない、というのは、やはり心臓に悪かった。
ましてや、仁科の発言でその引き金を引かれるなど、……冗談じゃない!
だけど、仁科を睨んだ視線を涼司に戻したときには。
彼はもう、感情の欠落した無機質な目をしているだけだった。
……は?
思わず目を見張ってしまった。
そんな俺に気づいたのか、涼司はちらりと俺を見て、そのまま興味なさげに視線を移す。
なんっ……!
さすがに、ちょっと頭に血が上りかけた。
何だそれはと言い募りかけて、……その前に長い吐息が零れた。
……コイツ本当に、挙動が読めなくなってきたな……。
ふと気づいて久瀬を見やると、この男は相変わらず無表情に黙っているだけで。
対する仁科は、愉悦を湛えた瞳で、興味深そうに俺たちを眺めていた。
お前な……!
思わず、仁科の胸倉を掴んで、殴り飛ばしてやりたくなった。
貴様のせいで無駄に疲れただろう! 何を、自分だけは無関係、みたいな顔してるんだよ!
激しい怒りが湧き出しかけたが、久瀬や涼司から妙に冷たい視線が飛んできて、それがますます癇に障った。
これじゃあまるで、俺が昔の涼司になったみたいじゃないか……!
俺も相当に大罪人だという自覚はあったし、少々のことになら動じなくなったと思っていたが、こいつ等に較べると、まだ可愛く思えてしまうから質が悪い。
全く、この非人間どもが……!
そう毒づいてから、涼司が念話で揶揄った言葉が脳裏に蘇ってくる。
『おれたちに較べれば、お前はまだ人間だと思うぜ』と。
認めたくはないが、そんな指摘まで的を射ている気がして、心底嫌気が刺してくる。
けど、そんな脳内の独り相撲は、久瀬の一声で霧散した。
「いいだろう、仁科。君の計画を採用しよう」
……何だって?
さすがに、唖然として久瀬を見返すと、
「だが、司令官の誰を暗殺対象とするかは、追って連絡する。いいな?」
有無を言わさぬ強い声。
先ほどまでは全く感情が読めなかったのに、再び俺たちを見据えたその眼には、いつもの鋭さがあって。
涼司も、今の発言が自分に向けられたものだと理解したんだろう。
小さく肩を竦めて、それからすぐに承諾の意を示した。
……その前に少しだけ嗤うようにしたのは、多分、気のせいじゃないだろう。
その一方で、異を唱えたのは仁科だった。
「全員は殺さないおつもりか?」
声に苛立ちが滲んでいた。
「……なるほど、なるほど。誰を生かすか殺すか、選別しようという訳ですか。その上で、必ず成功させる自信があると。ははぁ、まるで神のごとき、といったところですな」
先ほどより、明らかに嘲りを含んだ声音。
「不満かね」
対する久瀬は、ひどく静かな視線を投げた。嘲りも苛立ちもない、ただひたすらに冷たいだけの視線。
仁科は僅かに眉根を寄せて、しばし沈黙する。それから、思い直したように居住まいを正した。
「……いえ、これは失礼を申し上げました。もちろん、不満などありませんとも」
慇懃なのは変わらないが、仁科の声から嘲りの色が薄れて見えた。
「ここは貴方がボスだ。決定権は貴方にある。……それに、……」
呟くようにして飲み込まれた言葉に、久瀬が興味を覚えたように問い返す。
「それに?」
仁科は鼻を鳴らし、それから肩を竦めてみせた。
「……まあ、貴方のそういうところに、使える駒……いや失礼」
俺の剣呑な気配を感じ取ったんだろう。一応、言葉を換えて。
「貴方の周りに使える人材が集う理由、なのでしょうからな」
俺は思わず息を飲んでしまった。
俺の知る限り、初めてだったから。
微かに自嘲の響きを乗せながら、仁科が他人を評価するなど。
ひょっとすると、久瀬にとっても意外だったのかもしれない。
僅かな沈黙の後、さざ波の様に嗤う気配があった。
「それは一応、誉め言葉を受け取っておこうか」




