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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-2 暗躍する者たち②

 仁科の言葉に、俺は思わず目を見張った。

 一口乗せろ、だって?


「何のことかな」


 久瀬はそう返したが、本気でとぼけているようには見えない。対する仁科も、これは予想していた反応のようだった。


「貴方はこれから、全権力を手中に収める気なのでしょう。ああ、いいんですよ、答えなど期待しておりませんから」


 まさに絵に描いたような慇懃無礼。舌なめずりでもするような、上から目線の言い様。

 こんなところに単身で乗り込んできて、俺たちに、――涼司に瞬殺されるという未来は思い描かないのか。こいつの自信は一体どこから来ているんだ。

 そう思うと、むしろ薄ら寒さすら覚えた。


「貴方の動きはどうも怪しい。これは数年前からの直観ですよ。だが、なかなか尻尾を掴ませなかったのは、さすがとでも言いましょうか」


 突然、仁科がそんなことを言い出して、俺は眉を顰めてしまった。


「いやまあ、エリアボスになるような人間なら、いずれ組織のトップに上り詰めてやろうという野心は、誰しもが持っているでしょうからねぇ。

 ……ええ、こんな世界です。野心と裏切りは紙一重だ。貴方のそれが、単なる野心のなせる(わざ)か否か、中枢の方でも見極めるのは難しかったんでしょう。……ただねぇ」


 そう言って、仁科は目を細める。


「それにしては、妙な動きが多すぎたんですよ。

 ……いえね、貴方は時折、モルモットどもを、余りにあっさりと廃棄しておられたでしょう。大概の者はあれで騙されたようですが、私から言わせれば、あれはただの悪手ですよ。進化の可能性を早々に棄て去り、単にモルモットどもの苦痛を終わらせようとしているだけに見えましたからねぇ。ええ、私だけは確信しておりましたよ。貴方はいずれ、裏切る気だとね」


 こいつ、何が言いたいんだ……?

 喧嘩を売っているようにしか聞こえない仁科の言い様に、俺はむしろ戸惑ってしまった。


 久瀬もさすがに予想外だったのか、眉根を寄せるようにしてから、冷たく言い放つ。


「……で? 無駄話は嫌いだと言ったはずだが」


「ですから、認識を改めたんですよ。貴方の真意はさておき、貴方についた方が面白そうだとね」


 久瀬が不快げに眉を顰める。だが、仁科は意に介した様子もなく続けた。


「正直に申し上げましょう。当初はね、どうにか証拠を掴んで貴方を引きずりおろすつもりでしたよ? ただ、少々風向きが変わってきましてねぇ。そうです、そこの矢吹ですよ。彼に対しては、貴方は全く研究の手を緩めなかった。おかげで、私も大変興味をそそられましてねぇ」


 言って、ちらりと視線を投げる。愉悦に染まった、蛇を思わせる双眸。その舐め回すような目には、ひたすら嫌悪感が込み上げた。だが、その視線を向けられた当の本人は、まるで動じる気配がない。ただ冷たい雰囲気を纏ったままで、俺の方が驚くくらいだった。


 それは仁科も同じだったようで、嘲るような調子の中にも、やや感嘆の色が滲んでみえた。


「いやはや、本当に面白いですなぁ。力につける前に壊れて終わるだろうと思いきや、まさか、ここまでいくとはねぇ」


 対外的には、涼司は制御不能に陥ったため、完全に自我を破壊した上で、残された身体のみ研究を継続していることになっている。仁科が島から離れたのも、涼司が拘束施設を半壊して狂人に堕ちたと思われた直後だ。


 その仁科がなぜ、今の涼司のことを知っているのか。


「そして、このタイミングでの北米エリア内紛ですか。いやはや、見事としか言う他ありませんな。ですから、これは貴方についた方が面白そうだと思ったわけです。特段、おかしなことでもないでしょう?」


 相変わらず久瀬は無言で、けれど、その身に纏った空気が数段は重く冷えた気がした。仁科は、やれやれと肩を竦める。


「信じて頂けませんかねぇ。私としては、誰が上に立とうとも、私の好きなことをさせてもらえれば、それでいいんですが。まぁ、他にも一つ望みはありますがね。この二つを叶えてくれそうな者がいれば、その者について行きたいとまぁ、そういうわけですよ」


 もう一つの望みとやらが何かは知らないが、仁科の好きにさせる、というのはつまり、あの反吐が出る残虐行為を続けさせろ、ということだろう。冗談じゃない!

 仁科はあれを研究とのたまっているが、単に嗜虐趣味の捌け口にしているだけだ。俺たちが最も嫌悪する行為、その筆頭と言ってもいい。


 その貴様が仲間だと? ふざけるのも大概にしろ……!


 我ながら驚くほど抑えがたい憎悪が噴出して、それに比例するように力が漲るのを感じる。俺の中で増殖し、変質しかけた細胞が血を求めて喝采を上げた。

 

 はは、涼司に頼むまでもない。俺が血の雨を降らせてやるよ……!


 仁科は俺をちらりと見やる。


「そこの朝倉君が妙に殺気立っているようですが。今私が死んだら、貴方の心証が決定的に害される証拠が各エリアに届くようになっておりましてね。まぁ恐らく、疑わしきは潰せ、となるでしょうな」


 何だそれは。だからどうした。

 今さら久瀬が、俺たちが、そんなことを気にするとでも?


「ええ、わかっておりますよ? 貴方はそうなっても、どうにかされるおつもりでしょう。ただ、今は都合が良くないんじゃないですかねぇ。なにせ、まだ創始者の手掛かりは得られていないのでしょう?」


 久瀬の眉がピクリと動く。


「……どういう意味かな」


「言葉通りの意味ですよ。今しばらく、私を味方につけておいた方が良いと思うんですがねぇ。きっとお役に立ちますよ? 私を使えば、きっと創始者にも辿り着く……」


 思わせぶりな仁科の言い様に、久瀬はふっと小さく嗤った。


「なかなか興味深い話だが、一体、その自信はどこから来るのかな。これでも、君の素性はある程度承知していてね。海外遠征中に何があったか知らないが、俄かには信じがたいな」


 仁科も不敵に笑う。


「そこはそれ、お互い企業秘密という奴ですよ」


 言ってから、笑顔を消して久瀬を見据える。


「これは取引ですよ。お互い、損はないと思うんですがねぇ?」


 そのまましばらく睨み合っていた二人だが、先に笑みを浮かべたのは、

 ――久瀬だった。


「まぁいいだろう」

そう言って、鷹揚に嗤う。


「君にも協力を仰ごうか」


「久瀬さん!」

 思わず声を上げた俺に、久瀬はきつい目線を向けてきた。


「異論は認めない。嫌なら、抜けるかね。涼司も、どうする?」


 俺は息を飲んだ。この男は何を言っている。俺はともかく、この場で涼司を敵に回して無事に済むとでも――


 だが、涼司を見て、俺は再び息を飲む羽目になった。

 涼司は無言で、けれど、久瀬の判断に異を唱える気のないことはすぐに分かった。静かに俺を見据えて、それからふいと視線を逸らせる。


 ……っ!


 涼司が何を考えているのか分からなかった。ただ冷や水を浴びせられた気がして、それで幾分、冷静になった。


「……いえ、失礼しました」


 そう言う他なくて、その様子を仁科に興味深そうに眺められるのが心底、癇に障った。


「……それにしても、君も何やら変わったようだな。この半月足らずで一体何があったのか、興味を覚えるところだが」


 そんな久瀬の言葉に仁科は目を瞬き、それから爆笑した。


「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。貴方の変化の方が、私には意外に映りましたがねぇ」


 久瀬の変化?


 望むと望まざるとに関わらず、それなりの年月を近くで過ごしてきたんだろう。二人にしか分からない何かがあるのかもしれない。それが分からない自分が口惜しく、この二人を出し抜くに至れない自分が心底悔しい。


 ――ちくしょう、このクソ野郎どもが。ある意味狂った化け物どもが!


『同感だな』


 不意にそんな声が聞こえた気がして、振り返ると、涼司が薄く嗤っていた。


『安心しろよ、朝倉。お前はまだ()()だと思うぜ。おれやこいつ等に較べればな』


 それは痛烈な皮肉に聞こえて、涼司にすら激しい苛立ちが沸き起こる。と、


「ああ、朝倉君、それから矢吹。これからもよろしく頼むよ?」


 仁科に愉悦交じりに挨拶されて、苛立ちが破裂しそうになった。この男のこういうところはいい加減、慣れているはずなのに、なぜ今日に限ってこうも腹が立つのか。


 わかっている。今はこの男を利用した方がいいんだろう。そんなことは、頭では理解できていた。

 だけど、こうも腹に据えかねるのは、どうしてか。

 そもそも、涼司より俺が先に沸騰しかけるなんて、何のために俺は……。


 そう思いかけて、ハタと思い至る。思い至って、溜息が零れた。


 涼司より俺が、とか考えている時点で、傲慢の極みだろう。

 他人のことをとやかく言えた義理じゃない。


 俺は瞼をぎゅっと閉じた。


 ……頭を切り替えろ。下らないわだかまりなど捨てろ、今は忘れろ。

 深く息を吐いてから、目を開く。


 そうだ、道理など通じない世界に殴り込みを続ける気なら。

 本気で捻じ伏せ、従わせる気があるのなら。


 俺は仁科に向き直った。

 面白そうに俺を見上げるクソ野郎。こいつも利用し尽くしてやる。

 そのためなら――


「では、早速伺えますか。次のターゲットについて、まずは貴方の考えを?」


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