5-1 暗躍する者たち①
※章を変えました。ここから最終フェーズに入ります。
<朝倉 克己>
「私の知らぬ間に、何やら随分と面白いことをしているようじゃありませんか。仲間外れとは、哀しいですなぁ」
そう言いながら、俺たちの前に悠々と姿を現したのは、仁科だった。
ここは研究施設の地下5階。25平米ほどの小ぶりの打合せ室だ。
部屋の中央には洒落たウッド調の長机が置かれ、その周囲には、いかにも人間工学に基づいて設計されていそうなチェアが6脚、配置されている。
造花とはいえ、部屋の奥には大型の観葉植物まで置かれていて、無機質で味気ない空間が多い地下施設の中で、長居が苦にならない珍しい空間となっていた。
その“感じ”の良いはずの空間を、一瞬で不快なものにしてくれたのが、仁科だった。
直接、顔を合わせたのは随分と久しぶりになる。俺がモルモットとして馴らし行為を受けていた時以来だから、半年ぶりくらいか。
そう思いかけて、全身がカッと燃え上がった。
そうだよ、コイツが嬉々として、俺の腸を弄んでいたとき以来じゃないか……!
獰猛な憎悪が噴出しかけて、あと少しで殴りかかるところだった。それをしなかったのは、俺の意思の力じゃない。物理的に止められたからだ。
肩の骨が折れるかと思うほどの痛みに振返ると、背後にいたのは涼司だった。
その目を見た途端、ぞわりとした悪寒が走る。
まるで猛吹雪の中に叩き込まれたかと錯覚を憶えるほど冷えた眼をしているのに、その奥には、灼け爛れそうな憎悪の炎が垣間見えて。
間違いなく、俺よりも涼司の方がヤバいと、一瞬で気づかされるような視線だった。なのに、涼司は無言のまま、ただ黙って仁科を見ているだけで。
……すごいな、コイツ……。
完全に頭が冷えて、俺は小さく深呼吸した。
「悪い、涼司。もう平気だ」
俺が涼司に止められてどうする……。
不甲斐なさに打ちのめされそうな気分をどうにか払拭し、部屋の入り口に再び目を向ける。と、腹立たしいことに、仁科はそんな俺たちを興味深そうに眺めていた。
もう一度殴り飛ばしてやりたい衝動が込み上げたが、今度は何とか自分の意思で抑え込む。
……けど、何だってこいつが、ここに。
ここは極秘の会合の場、そのはずだった。久瀬と涼司、そして俺だけの。
なのになぜ、貴様がここにいる――。
*****
彩乃ちゃんとの邂逅を経て、涼司がおれたちに思念波を送ってきたのは、もう一週間ほども前になる。
『おれを上手く使って見せろ』
そう言って、俺たちを呼びつけた涼司。その眼光には思わず息を飲んでしまった。醸し出される凄みに、目を逸らすことができなかった。
それまでの軽薄な狂人のようでもなく、不機嫌そうに押し黙る子供のようでもなく。決着がつくまで二度と狂気の自由にはさせない、そんな覚悟すら感じさせた。
……こんな言い方をすると、当の本人は否定するだろうが。
こびり付いた狂気は本物で、もう昔の涼司には戻れない、というのは本当なんだろう。
今も全身から漂う淀んだ殺意と、嘲笑混じりの冷えた視線。ともすれば、自身を含めた周囲全てを台無しにしてやりたいという破滅衝動。
家族を前にすれば少しは鳴りを潜めるだろうそれらも、もう決して、根底から拭い去れはしないんだろう。それが俺にも伝わってきて、少しだけ身勝手な感傷が沸き起こる。
だけど、それでも。
『やってやるよ。だから、てめぇらも応えて見せろ』
そんな視線で睨み上げられて、俺の全身は震えた。間違いなくこれも、俺の期待する涼司ではあったから。
久瀬もまた、どこか嗤うようにしていた。一時は終始、自嘲めいた苦笑を浮かべて、血の通った人間味すら感じさせたが。今や以前にも増して、凍えるような冷たさを纏っている。
とはいえ、涼司の様子には概ね満足しているようだった。睨み上げるような視線にも、久瀬は口の端を上げて冷笑を浮かべただけで、ただ一言、声を発した。
「では、始めるとしよう」
それが合図だった。本格的に組織に反旗を翻す、始まりの宣言。
***
手始めは、北米エリアのボス暗殺だった。組織が収集した情報に基づき、俺が暗殺計画を立案し、涼司がそれを実行に移す。
俺たちはそれを、上手くやってのけたと思う。
今の涼司の力があれば、暗殺自体はそう難しいものではなかった。少数の戦闘で、今の涼司を止められる者などいない。だから問題は、それを誰がやったと見せかけるかだった。
その点、北米エリアの状況は、始めから上手くお膳立てされていた。
北米エリアのボスは50代で、まだまだ力の漲ったエネルギッシュな男だった。その彼には、No.2が二人いた。虎視眈々と次期ボスの座を狙っているような男たち。この二人の仲は、周囲がそれと分かるくらいに悪かった。だから。
俺は、ボスの暗殺をNo.2の仕業に見せかけるよう提案した。互いに、相手が手を下したと疑うように。
No.2の一人は、ボスより厄介な切れ者だった。けれど、もう一人は小賢しさが鼻につくだけの所謂ボンボン。現エリアボスの実子だった。その血縁関係と、周囲を固める有能な部下のおかげで、今の地位にいるだけの男。その周囲の部下の中に、久瀬に内通している者がいた。
詳しいことは知らなかったが、その内通者は、元は裏社会とは無縁の、やり手のビジネスマンだったらしい。だが、その能力と野心を見込まれ、いつの間にか組織に引き込まれ、ついには北米組織の金庫番を任されるまでになっていたらしい。
だが、ボンボンの失策に巻き込まれて、惨めに無駄死にしかけたところを久瀬に救われたとかで、今では久瀬のスパイとしても働いていた。その内通者が裏で糸を引き、ボンボンの陣営から、実際にエリアボスの暗殺命令を出させていたから、真実味は嫌が応にも増しただろう。
すぐに組織内で内紛が勃発し、それに乗じて、俺たちはもう片方のNo.2も暗殺した。厄介で切れ者の方を。機を見てボンボンを陥れ、久瀬の内通者が北米エリアを実効支配できるように。
最終的には俺の提案した計画だったが、恐らく久瀬自身か、あるいはその部下が、以前から似たような想定で準備を進めていたんだろう。それをわざわざ俺にやらせるあたりが試されているようで癪に障ったが、まぁ、文句を言う場面でもない。
何より有難かったのは、エリアボスとNo.2どもが、弱者を容易に切り捨てる人間であったことだ。力無き者は、力ある者に蹂躙されて当然だという思想でのし上がってきた者たち。おかげで、僅かに残された良心が欠片も痛まずに済んだ。
俺に計画の概要を聞かされたとき、涼司も少しだけ面白がるようにしていた。とはいえ、薄く嗤った目の奥が冷えたままで、俺はどこかでほっとした。涼司に殺しを依頼しておきながら、何を今さらと思いはしたが、それでも、本気でこの行為を愉しむような涼司は見たくなかったから。
最高に虫のいい願望そのままに、涼司は見事に役割を果たした。周囲に少しも気取られることなく、ただの仕事と割り切った冷たい彼のままで、あっさりと島に戻ってきた。どうでもいいと投げ出したような空気すら纏わず、余りにも自然に。
そうして今、まさに次の計画を打ち合わせようとしていたところに。空気をぶち壊すようにして現れたのが、仁科だったという訳だ。
***
ちなみに、現行組織の中で誰が「真の味方」かは、俺たちにもはっきりと明かされてはいなかった。
久瀬には腹心の部下が何名もいる。それは知っていたが、正直、彼らのどこまでが真の協力者かは判然としなかった。戦略に関する教官役を担った老齢の男なら見知っていたし、戦闘訓練の指南役も当然分かるが、誰がどこまで久瀬の計画を知っているのか定かではない。計画の全容を把握しているのは久瀬のみ、というのが鉄則のようだった。
俺たちが信用されていない、ということではなく、まあ恐らくは、何かあった時のための安全策なんだろう。裏切りが発覚し、「味方」の誰かが拘束された場合、脳内に眠る極秘情報を何らかの形で引き出されないとも限らない。何せ、非人道的な薬物開発や拷問のデパートと化しているのがこの組織だ。個人の意志の力や、想いの強さだけでどうにかできる範囲など、たかが知れている。だからこそ、一つの綻びから全てが瓦解するようなリスクはとれないということなんだろう。
逆に言えば、さすがに久瀬本人が捕らえられたらマズイのだろうが、その点はさほど心配していなかった。何の対策も講じていない、ということはこの男に限ってあり得なかったし、安直に保身に走るような男でもないと知っていたから。
だが、そんな中でも仁科は間違いなく潰すべき組織側の人間で、極秘案件には関わらせないよう工作していたはずだった。何より、二週間ほど前からどこぞの海外組織に呼び出されて、暫らく不在にしていたはずだったのに。
そんな思いを知ってか知らずか、無言で睨む俺たちを眺めて、仁科は「ほぅ」と溜息をついた。
「良くぞ、ここまで研ぎ澄ませたものだ。全く、貴方の手腕には恐れ入る。……いや、本心ですよ、これは」
明らかに、久瀬に向けて放たれたセリフ。
それまで無言であった久瀬は、僅かに肩を竦めた。
「何の用かな。わざわざ、そんなことを言いに来たわけでもあるまい」
全く動じる気配のない久瀬に、仁科はどこか愉し気な表情を浮かべた。それから部屋の中を見回し、空いた椅子に目を止めて、顎をしゃくる。
「あちらに座っても?」
許しを請うているようで、どこか不遜な態度。
だが、久瀬は慣れているのか、淡々と言葉を返す。
「構わんが、手短に頼む。無駄話は嫌いでな」
仁科もそんな応答には慣れっこなのか、小さく嗤うようにしてから椅子に腰かけ、足を組んだ。
「では、結論から申し上げましょう。私も一口、貴方の計画に乗せて頂きたいんですよ」




