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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第4章 混沌の向こう
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4-9 狂気と正気の狭間で ①

 彩乃にだけは、幸せになって欲しい。

 そう願う気持ちは嘘じゃなかった。


 でも、彩乃の望みは叶えてやれない。

 おれはもう、正気じゃないから。

 今はこうしていられても、いつ、彩乃に害をなすか分からないから。


 きっと一線を越えるときは、自覚なんて無くなっているんだろう。

 だけど、そんなのはゴメンだった。そんなことになるぐらいなら、今すぐに消えた方がマシだ。


 ……くそ。


 腕の中で泣きじゃくる彩乃を抱きしめていると、愛しさだか何だか、よく分からない感情が込み上げてくる。何とかしてやりたいと思うのに、ただ背中を叩いてやることぐらいしかできなくて、そんな自分が心底悔しい。大丈夫だと言ってやれない自分が、忌々しくて仕方がない。


 それでも、ひとしきり泣くと少しは落ち着いたのか、彩乃が「ごめんね」と言っておれを見上げてくる。

 その泣き濡れて充血した目を見た途端、おれの中で何かが弾けた。


 ちきしょう、誰がこいつを泣かせた。

 そんなことを思って、

 ――お前だろ。

 そう思ったら、頭の芯が痺れた。


 ――そうかお前か。お前のせいかよ。


「あ、兄貴……?」


 ――なら死ね。お前など消えちまえ!


「兄貴っ!」


 首筋に爪を走らせると、勢いよく血飛沫が噴き上がる。

 彩乃の顔も真っ赤に染まって、


 あは、あははははっ!!


 ちょっとそんな妄想をしかけて、本気で胸が高鳴った。

 最高に楽しそうだと思えて、腕を抑えるのに苦労したけど。


 でも、もし本当にそれをしたら、どうなっちまうかを冷静に分析している自分もいて。

 そいつが薄笑いしながら、「いいんじゃねぇの? 好きにすれば」みたいな感じで眺めてきて、その無感動っぷりには反吐が出そうになった。

 とどのつまりは何だか色々面倒くさくてなって、ただ溜息をつくだけで済んだ、それだけの話だった。



 ふと気づいて視線を戻すと、彩乃がおれを見上げたまま押し黙っている。

 それから何を思ったのか「そこ、座っていい?」と言って、ベッドを指さしてきた。

 おれに許可を求めておきながら、おれの返事を待たずにちょこんと座り、「兄貴も」と言ってシーツを叩く。


 おれは小さくため息を落として、彩乃の指示に従った。

 それでこいつの気が済むのなら。そんな気分だったのかもしれない。

 おれはもう、コイツに何もしてやれないから。

 ギリギリ自制の利いている今くらいしか、こいつの話を聞いてやれないと思ったから。


 で、おれが腰を下ろすと、彩乃は念押すように言ってきた。


「さっきはごめん。でも、兄貴が消えるときは、みんな死ぬっていうのは本当だから」

「だから――」

「わかってないのは、兄貴の方だよ」


 そんな風に言われて面食らう。

 だから、……何を?


 彩乃は少しだけ唇を噛んでから、どこか申し訳なさそうに笑った。


「そんなことを言われても、兄貴だって困るだろうけど。でもね、やっぱり知っておいて欲しいんだ」


 黙って見降ろすと、彩乃はアハハーと笑う。


「そもそもお父さんてさ、あれで結構、もう限界だと思うんだよね。あたしたちのために、今まで全部一人で抱え込んできたんだろうけど。今回のことで、あたしたちが完全に拒絶しちゃったからさ」


 おれは口を挟みかけたが、その気配だけで意図を察したのか、


「ん? 何をしたのかって? ……ああ、あたしたちのために馬鹿なことするのは、もう絶対止めてよねって言っただけだけど。金輪際一切やめて。もし次にやったら、目の前で死んでやるからって、そう脅しちゃった」


 ちょっと悪いことしちゃったかなぁ、という呟きが聞こえて、何となく想像はついた。

 確かに親父にとっては、キツイ言葉だっただろう。ただでさえ罪の意識を持ってたみたいだし、良かれと思ってやった相手から、そうまで否定されちゃあな。


 そこまで思って、あれ、と思う。

 ていうか、何を正直にバラしてんだよ。二人には嘘をつき通せば良かったのに。

 ……まぁ、そんな器用な真似ができたら、そもそもこんなことにはなってないんだろうけど。


「正直に言うとさ、最近のお父さん、あたしたちのことは無事なら取り敢えずそれでいいやって感じで、何か別のことに気を取られて、倒れそうなくらい頑張ってる気がしてたんだよね。お母さんをほっぽって、一体何をやってるのかと思っていたけど、あれってやっぱり、兄貴の為だったんだよねぇ……」


 そんな風に言われて、微妙な気分になる。

 それは何となく、おれにも分かっていたから。


 親父もオウガ因子を少し取り込んでいたから、とか、そういうことじゃない。言葉を交わしたからでもない。

 組織の一員に組み込まれてからも、親父が同席するときはいつも別の誰かがいたし、会話があったとしても、最低限の事務連絡だけだ。

 それでも、親父の想いは嫌でも伝わってきた。何を考えているのか、ほとんど全部、顔に出ていやがったから。


 今さらそんなツラをするくらいなら、始めから相談してくれりゃあ良かったのに。

 そう思わなくもなかったが、正直、親父から全て打ち明けられていたとしても、助かる可能性なんてほとんどなかっただろう。


 あのとき、家族全員で逃げ出そうとしても、本気を出した久瀬から逃げ切れるとも思えないし。

 捕まった後で、さっさと殺されるならまだしも、見せしめに母さんや彩乃までモルモットにされたら目も当てられない。

 それだけは絶対に、絶対にさせられない。

 認めたくはねぇけど、あのときの親父の選択は間違っていたとも思えなかった。


 だから、おれに対する贖罪で死のうとか考えてんなら、一切止めろ。

 おれのせいにすんな。死にたきゃ、勝手に死ね!


 そう思って、そう言いかけて、

 ……ああ違う、『自殺するとかふざけんな』

 おれの言いたいのは、こっちだろう?


 いやだって、当たり前じゃないか。

 勝手に罪の意識を感じて、後追いするって?  

 ふざけんのも大概にしろってんだ。何を弱音を吐いてやがる。

 ちょっと拒絶されたくらいで何をひるんでやがるんだ。それくらいの覚悟もなくて、おれを売ったっていうのか? ふざけんな、そっちの方がよほど赦せねぇよ。

 だったら始めから、一家心中でも何でもすりゃあよかっただろう。おれたちの死体を使われないようにする方法だって、いくらでもあっただろうが! 聞いてんのかよ、このクソ親父!!


 そう吠えて、親父に思念波を放ちかけて、実際に放っちまって、その馬鹿馬鹿しさには胸が冷えた。

 今さら、もうなるようにしかならねぇのに。


 そんな気分で黙っていると、彩乃は小さく吐息を落とした。


「それでさ、お母さんもあれだよね。兄貴が生きるために仕方なく犯した罪の何が悪い、って感じだけど。……あれ、意外そうな顔」


 彩乃に指摘されて、ちょっと苦笑いしちまった。

 母さんのことだから、おれがしてきたことを知ったら『おれを殺して一緒に死ぬ』くらいは言うだろうと思っていたから。

 ……いやそれ、親父に言ったんだっけ……?


「あーやっぱり、お母さんのこと、ちょっと勘違いしてる。いやいや、お母さんてばアレだよ? 顔の見えない世間様なんかより、家族の方が大事って人だから」


 いや、いや待て。 

 確かに家族第一って感じはあったけど。だからって、無関係の奴を犠牲にしても構わない、って感じでもなかっただろう……?


「うーん、お母さんの考え方って、ややこしくて上手く説明できない時があるんだけど。……もちろんね? 家族のためなら、他の誰かを踏みつけにしてもいいだなんて、そんなことを思っているハズはないよ? そんなことを本気で思ってるお母さんから、兄貴みたいのが生まれる訳ないし」


 何か妙なことを言われている気がしたけど、上手く言葉が出てこない。


「うーん、敢えて言うなら、『兄貴が望んだわけでもないのに、強引に在り方を変えられた今の兄貴に、世間の倫理を押し付けるな』って感じかなあ。うん、これが一番近い気がする。

 とにかくお母さんてば、全世界を敵に回しても、最後まで兄貴の味方でいる気満々だけど。

 それでも、もし兄貴が消えちゃったら、そのときはやっぱり自分も一緒に罪を償うって感じだし。そこはちゃんとケジメつけます、みたいな。あれで結構、気性の激しいところもあるしね、お母さん。知ってるでしょう?

 あぁ、ちなみに償う、っていうのはお父さんの分も入ってるよ? 今はちょっとあれだけど、本当はすっごいラブラブだしね、あの二人」


 全くもう、はた迷惑な夫婦喧嘩なんかして! と彩乃は小さく憤慨するようにする。


 そんな話を聞いているうちに、だんだんと胸の奥が灼ける気がして、何かを叫び出したくなってくる。

 でも、次の瞬間には感情がどこかに吹き飛ばされる。

 何を考えていたのか分からなくなる。


 ――……ああ、でも彩乃は? 彩乃は何だって一緒に死ぬとか言ってんだ?


「ん? あたし? いやいや、それくらい分かってよ。あたしだって、兄貴のおかげで、これまで無事だっただけだし」


 言いかけて、自分の頭をコツンと叩く。


「ごめん、これは嘘。本当はそんなんじゃないんだ」


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