4-3 復讐
※本節から視点が変わります。
涼司の腕が久瀬の胸を抉る寸前。
――止めろ!
涼司の身体がびくりと跳ねる。一瞬の硬直。
そのまま、俺は涼司の身体を突き飛ばした。
「させない!」
――君が、私を助けるのか。
息を弾ませる俺の足元で、そんな声を聴いた気がした。
『……朝倉、か』
崩れた壁に激突し、そのまま壁に背を預けながら力なく座り込んだ涼司。
頭を垂れた状態で、それでも涼司は、目線だけを上げて俺を見る。
『こんなところに出てくるとはな』
顔を合わせたのは、1年ぶりだろうか。いや、もっと経っているだろう。
目の前で薄く笑う涼司。あれほど助けたいと願ったあいつの目は、ずいぶんと禍々しく、淀んで見えた。
そんな目をするのは、俺だけで良かったはずなのに。
『……何をしたんだ』
涼司が低く尋ねる。
『おれが暴走したら、頭を吹っ飛ばすようにしてただけじゃねぇのか。……それ以外にも、無力化する手段があったのかよ』
その通りだった。
彼が組織の一員として活動するようになって以来、彼の身体には二つの鎮圧機構が埋め込まれていた。全身麻酔と、頭部破壊。前者は一時的に無力化するためのもの、後者は永久に沈黙させるためのもの。仮に後で蘇生できたとしても、自我は完全に崩壊するであろう点が似て非なるものだった。
俺が使ったのは当然、前者だ。あと数時間は指先すら動かせないだろう。もちろん、話すことさえも。今、聞こえてくる声が念話を通じてなされているのも、それが原因だった。
これは、指輪を介在したシステムだ。対象から一定範囲内にいる認証済みの人間、それも一定のオウガ因子を持つ人間が発する微弱電流を指輪が検知することで起動する仕組み。このシステムを知っているのも、所持しているのも、恐らくほんの少数だろう。久瀬と数名の部下のみ。
その指輪をなぜか、久瀬は俺にも預けていた。
「少しは正気に戻れたのか」
そう問いかけると、涼司は気怠い表情で笑う。
『さぁな』
自分ではもう分からないと、そんな声まで聞こえた気がした。
彼を強引に止める手段に出たはずなのに、彼には激高した様子がない。先ほどまでは、あれほど猛り狂っていたのに。
今はただ、全てがどうでもいいとそんな風で、その豹変ぶりには苦いものが込み上げた。涼司がもう元通りではないことを暗に示された気がして。
『……けど、お前は何だ? オウガじゃねぇよな』
その冷静な問いかけに、俺は少しだけ安堵し、そして苦笑いした。
俺の髪は白髪交じりの灰色で、瞳は琥珀色になっている。これはオウガの特徴ではなかった。
「オウガの一歩手前って感じかな。まだ死に損なってるんだ」
そう応じると、涼司は鼻を鳴らすようにした。
『はーん……で? お前、そいつ側についたのか』
俺は思わず苦笑した。
「まぁ、……そういうことになるのかな」
***
数か月前の、あの夏の日。結城に腕を喰われて意識を失っていた俺は、やはり危うく死にかけるところだったらしい。
目が覚めると、手術台の上だった。左腕は欠けたままだが、それ以外の傷は治っていて、それでも拘束具が外されていない。
その時点でピンと来たが、やはり俺の裏切りは全部バレていたらしい。どうやら、忍び込んだコントロールルームの隠しカメラと盗聴システムが生きていたようだ。全て潰したとばかり思っていたが、4つ目の隠し設備でもあったんだろう。
……これじゃあ、左腕は喰われ損じゃないか。
そんな思考も脳裏を過ぎったが、ここまで来たら大差ないという気もした。俺は結局、単なるモルモットに戻っていたから。
そうして、その後の馴らし行為は苛烈を極めた。組織が俺をオウガにするつもりで、実験を再開したことはすぐに分かった。
涼司たちは、島から無事に逃げ出せたのか。それすら分からなかったが、実験の苛烈ぶりに、俺は成功を信じた。
恐らく、上手く逃げ出せたんだろう。だからこそ、俺を第2形態のオウガにしようと躍起になっている。きっとそうだ。
そうとでも思わなければ、やっていられない耐え難さだった。
だが、やはり俺は、涼司や結城ほどの相性を持たなかったらしい。
残虐な馴らし行為もさることながら、ウィルス投与後の反動が中途半端に大きく、そのくせ再生能力も中途半端で、俺はほとんど廃人になりかけていたらしい。
こんな状態では、オウガにしたところで第1形態にしかなり得ない、とでも判断されたのか。
次にまともな思考で目覚めた時には、どこか別の場所に移されていた。そこで初めて、俺は久瀬に会った。
***
俺の足元で上半身を起こしたまま、物思いにふけっていたらしき久瀬に声を落とす。
「立ち上がるのに手は必要ですか?」
久瀬は目を瞬き、それから首を横に振った。
「いや、不要だ。構わない」
そう言って身体を起こす。背筋の伸びた、よく引き締まった体躯。
「――しかし、君が私を助けるとはな。私に復讐する、良い機会だったのではないか?」
普段は獲物を狙う鷹のような印象を纏っている男が、先ほどから終始、苦笑する雰囲気を漂わせている。
「今、貴方に死なれては困りますので」
そう応えると、久瀬のふっと笑う気配がして、思わず舌打ちしたくなった。
俺を仲間に、と誘ったときのことが脳裏をよぎる。
『私に力を貸す気はないか』
久瀬はあのとき、そう切り出した。
『君をずっと見てきた』と。
『君が不用意に自分の命を惜しむ人間でないことはもう知っている。だからこそ、ここで散らすには惜しい。私の下で働いてみないかね』と。
『君は先の実験で死亡したことになっている。裏切りの証拠が残っている以上、表立ってもう一度、組織の一員に迎えることはできないが。もし私を補佐する気があるのなら、匿ってやろう』とも。
始めは、言われたことの意味が理解できなかった。
「何のために? 意地汚く生き恥を晒して、この上、何を目指せと?」
そう返した俺に、久瀬は笑った。
「君は矢吹を助けたいのだろう」
思わず反応してしまった俺に、久瀬は畳みかける。
『彼はいずれ、我々の元に戻ってくる。我々の下で働かざるを得なくなる』と。
『矢吹とともに私を補佐しろ、そうすれば、面白いものを見せてやろう』と。
何を、この男は――。
困惑する俺に、久瀬は笑った。凍えるような眼差しに、隠し切れない憎悪を纏って。
「この組織の行く末に興味はないかね。私とともに見てみたくはないか? この組織の最期を」
それが、決定打だった。
もちろん、この男のやることだ。何の保証もなしに信用されたわけじゃない。許可なく指定区域外に出たり、もう一度裏切ったと断じられたら、脳内で爆発する小型爆弾を埋め込まれた。
首輪をはめられた犬にでもなったようで、決していい気分ではなかったが、何の制約もなしに信用されても、かえって怖い。
こうして、俺はこの隔離施設に軟禁され、この男が連れてくる教官達に、様々なことを叩き込まれるようになった。
戦闘能力では涼司に及ぶべくもないが、護身術くらいは身につけろとしごかれ。
左腕を欠いていたからバランスをとるのに苦労したが、“馴らし”のおかげで、一般人よりはよほど強化された肉体だ。生き延びる術は格段に向上した。
さらに、対抗勢力を含む、組織の世界勢力図を暗記しろと叩きこまれ。
仮想の戦闘シミュレーションや、作戦立案なんかもやらされた。
……ああ、そうだ、正直に告白する。
これらを面白い、と思わない訳がなかった。
むしろ、俺の血は滾った。
時折やって来る久瀬が、そんな俺の様子に口元を緩める。
それはひどく癪に障ったが、それ以上に、この男に惹かれたのも事実だった。
仁科の上に、こんな男がいたなんて。
この男は確信犯だ。何たる悪党。全て分かっていて、俺たちを嵌めやがった。
それだけに、この男の腹の据わり方は尋常ではなかった。自分の成した行為への揺るぎない覚悟。
感嘆せざるを得なかった。こんな男に狙われたら、ガキの俺たちに対抗できたはずがない。
その悔しさが一層、俺のやる気に火をつけた。
この野郎、今に見ていろ、必ずあんたを越えてやる。
必ずあんたに、詫びさせてやる……!
この場で涼司を止めたのも、久瀬の指示などではなかった。
ただ、俺の軟禁場所と、涼司の隔離場所が同じ施設内だったというだけだ。
数日前から涼司がいることは知っていたが、今日、久瀬が来たことも知らなかった。
そろそろ寝ようとしていた矢先に、それは起きた。
頭の中で、強烈な殺意が爆ぜた。
狂おしいまでの憎悪と、泣きたくなるほどの罪悪感。
涼司が周囲に散らした念だとすぐに分かった。
今まさに、何が起ころうとしているのかも。
――頼む、間に合ってくれ!
二人がどこにいるかも、迷わなかった。
近くにいた俺には、涼司の抱いたイメージが余りにも鮮明に伝わってきたから。そして、――
***
「積もる話をしたいところだが、今は時間がないようだ。そろそろ部下が駆けつける」
久瀬はちらりと腕時計に目を落とす。
深く抉られた両手の出血は止まったようだが、なかなか見事な削られ具合だ。僅かに骨も垣間見えた気がするが、顔色一つ変えず、
「話の続きは、またとしようか」
自身が殺されかけた事実など無かったかのように、久瀬は告げる。
これには俺も驚いたが、涼司もさすがに眉を顰めた。
『……おれがまだ使えるとでも、思ってんのか』
「さてな、それも含めて、別途すり合わせだ」
言って俺を見下ろす。
「朝倉君、君のおかげで助かった。礼を言う」
薄く笑っているように見えるが、それ以上の感情が読み取れない。
「だが、今はまだ身を隠していたまえ。また連絡する」
そのまま、返事を待たずに踵を返す。
……自分の生死にすら動じないのか、この男は。
そういうところが、また無駄に癪に触る。でも、頭のどこかで感嘆している自分がいて、そんな自分にますます辟易してしまう。
……まぁだけど、今は余計なことを考えてる場合じゃないな。
そう思って俺も踵を返しかけると、
「悪かったな」
呟くような声が聞こえて、俺はぎょっとして振返った。
今の、涼司か? ……悪かった? 何が?
「……すまねぇ」
繰り返された言葉に、俺はようやく思い至る。
恐らく、涼司の家の事情が、俺をこの世界に巻き込んだことを指しているのだろう。
……けど。それはお前のせいじゃないだろう?
俺が自分の意志でお前を裏切ったのとは訳が違う。
なのに、謝るのか。
しかも、これは念話じゃなくて――
涼司は力なく首を垂れたまま、ただポツリと言葉を落とす。
「今のおれは、ただの壊れた生物兵器だ。次はもう、お前のことも、分からないかもしれねぇから、」
だから今のうちに謝っておく、と、そう告げて、涼司は膝に顔をうずめた。
もう、動けるようになっているのか……!
無力化は、数時間は持続すると聞いていた。
なのに、たった数分で動けるようになるなんて。
にも関わらず、涼司は逃げるでもなく、ただその場に蹲る。
……お前……!
思わず、涼司を殴りたくなった。
あぁそうか、こんな気分か。
ふいに理解できた気がした。
かつて涼司が、俺に感じていたであろう憤り。
1年以上前、オウガにされたばかりの涼司と、一緒に閉じ込められた檻の中で。
あいつに殺されたいと、俺は確かにそう願っていた。
弱気になった。逃げだしたかった。
誰かに終わりにしてほしかった。
あぁ悪かったよ。おかげでよぉく分かったさ。それがどれほど腹立たしいか。
全て諦めたような人間が、これほど度し難いなんて……!
俺は振り切るような想いでその場を後にする。
今は涼司を一人残して、この場を離れざるを得ない。――だが。
認めない、それは認めないぞ、涼司……!!
隠し通路に身を潜ませ、兵士の一群をやり過ごす。
問題はない。そう、問題があるとしたら涼司の方だ。
だってそうだろう?
そのまま施設の深部に移動しながら、俺は頭の中で念を飛ばした。
いいか涼司。聞こえているなら、よく聴けよ!
涼司の気配は感じなかったが、それでもおれは、叫ばずにはいられなかった。
逃げるな、認めろ、目を逸らすなよ。
俺なんかに言われたくはないだろう。だけど、それでも言ってやる。
これは復讐、そうだよな?
この組織への、世界への、理不尽でクソったれな運命への。
だったら、それを果たして見せろよ。狂気なんかの好きにさせるな。自分の狂気を飼い慣らせ!
恐らくこれは聴こえていない。きっとあいつの耳には届かない。
だけど、それなら。
今度は、俺がお前に気づかせてやるまでだ……!




