4-2 対峙
涼司は私を睨み上げるように見据えた。まるで値踏みでもするかのような視線。
決して胸のすくものではなく、むしろ不愉快な類のものだったが、私もよくそうしているだろうから、余りとやかく言えた義理ではない。
だがまぁ、こうなると事前に確認しておきたいことはある。
「君のその能力だが、シンシア譲りのものかね?」
涼司はピクリと肩を震わせた。
「能力って」
「口と耳を解さずとも通じる、念話のようなものだよ。使えるようになったのだろう?」
からかうように言ってやると、涼司はやや憮然とした顔をした。
「あんた、この能力のことは知ってたんだな。なら、全部お見通しだろ」
「そんなことはない。正直、驚いているよ。オウガなら誰でも使える、というわけではなさそうだからね。能力範囲も然り。だから教えてくれるとありがたいのだが」
涼司は再度、睨むように私を見上げ、それから肩を竦めた。
「結城はシンシアから教わったって言ってたが。おれの方は良く分からねぇよ。一度あいつに触れて、記憶のようなものを見た後から、気づいたら、使えるようになってただけだ」
……記憶、か。はたして彼は、どの程度の彼女の記憶に触れたというのか。
「それは相手に接触せずとも可能、ということだね?」
真に聞き出したい部分はさておき、まずは答えやすいことから、確認させてもらおうか。
「相手による。多分、相手のウィルスの投与量とか、相性とかが関係しているんじゃねぇの」
言って、涼司は真正面から私を睨む。
「あんたもそうなんだろ? 弱毒化したウイルスとか、ワクチンてぇの? そういうの、投与済みなんだろう?」
……それは当然、バレているか。
「まあ、多少はな。副作用は少々きついが、ある程度、身体は丈夫になるのでね。……とすると、今までの会話も、全て念話でいけるのかな?」
涼司はひどく嫌そうな顔をした。
「疲れるんだよ、これ。双方向、念話で済ますとか、体に来る負担が結構でけぇ。馴れの問題かもしれねぇけど、少なくともあんたとは疲れる」
その言い様には、思わず笑ってしまった。
「それは恐らく相性の問題だな。私は元々、ウィルスとの相性はさほど良くなくてね。……とはいえ、接触すれば、伝達できる情報量はより増えるのだろう?」
涼司は曖昧に頷く。
「まぁな。直接触れた方がイメージを鮮明に伝えられるみたいだが。というより多分、記憶そのものを垣間見れるって感じだけど……」
「それはすごいな」
感嘆するように言ってやると、ひどく嫌悪するような顔をして黙り込む。
この反応は恐らく、そう上手くはコントロールできないせいだろう。記憶を垣間見るということは、意図しない情報まで無差別に伝わることを意味する。……シンシアですら、そうだったのだから。
だからこそ、私も迂闊に、彼には触れられないわけだが。
「しかし、あれだな。こんなに正直に明かして良かったのかね? これは君にとって相当なアドバンテージだろう。その能力を秘匿したまま、私を出し抜こうとは思わなかったのか」
からかう様に尋ねると、涼司はこの上なく嫌そうな顔をした。
「あんたの思考は、数日前からチラチラ聞こえてくんだよ。聞きたくもねぇのにうっせえんだよ、クソが」
私は目を剥いて、
は!
心底、笑ってしまった。
いや、そうか。いや、まさか! だ。
「とうことは、あれか? 今も私の思考は駄々洩れということかね」
込み上げる笑いを押し殺せないまま尋ねると、涼司は毛虫か何かでも見るように吐き捨てた。
「そんなわけあるか。あんたの思考がおれの方に向いた時だけ、少し聞こえてくる程度だ。ふざけんな」
額に手をやって、笑いを噛み殺す。
ああ、久方ぶりに笑った。
いや全く、予想の斜め上だ。
涼司は舌打ちする。
「いつまで笑ってんだよ。で? あんた本当の目的は? まあ、大方の予想はついたけどな」
分かっているのに聞くのか。
まだそこまで確信を持てないのか。それともこれは、通過儀礼のようなものかな。
「目的ね。まぁ、このウィルス開発に携わる全勢力の壊滅、とでも言えばいいかな」
そう答えてみると、我ながら薄ら寒さに怖気が込み上げた。
口にしてみると、これほど安っぽいとは。
このウィルス開発を推進しているのは、他ならぬ私だ。
その情報を他勢力にばら撒いているのも、……私だけではなかろうが、その多くは私だ。
元の真意がどうあれ、余りにも嘘くさい科白に、我ながら嫌悪感が先に立った。
これは単なる私個人の復讐か。周囲を盛大に巻き込んだ、甚だ迷惑な茶番劇か。
その想いは、涼司も同じだったのだろう。
「あんたの後ろに、あとどれだけの人間が隠れているって言うんだ。あんたも用済みになったら、あっさりと切られる口って訳かよ?」
なかなか面白い言い方だ。
少し考えてから、足を組み直す。
「まぁ、ある意味ではそれも真実かな。私はアジア地区の開発総責任者という立場だが、欧州や北米、中南米のボスどもが曲者ぞろいでね。しかも、その上にいる創始者が、我々にすら未だその姿を見せないときている。全てを叩くのは、なかなか難儀なわけだよ。……おまけに、最近では中国勢がアフリカ圏でなにやら新規開発を進めているようでね。どうしたものかと思っているわけだ」
涼司は、口を動かさずに私を見据える。
『最後のあたりは、あんたが状況を悪化させたんじゃねぇのか。世界中にウィルスの存在をまき散らしているのは、あんたなんだろう』
これには、苦笑いする他なかった。
「それもお見通しか。全く難儀な力だな、それは」
開発中のウィルスとワクチンを他勢力に売り捌いているのは、実際のところ私以外にもいる。だが、その存在をばら撒いているという点においては、私も大罪人の一人だ。否定はしない。できない。
しかし、この念話能力はつくづく諸刃の剣だと、そう実感せざるを得なかった。
過去のシンシアとのやり取りを通じて、思考を閉じる方法もある程度は身に着けてはいるが、それも果たしてどこまでもつか。この先、彼の能力が増大したら保証の限りではないだろう。
まあ、それは追って対策を考えるとしてもだ。
「それで、君は私に協力してくれるつもりがあるのかね?」
あるからこんな話を続けている、とは思いたいところだが。
「君の能力がこのまま進化を遂げれば、この先、全勢力との全面戦争などせずに済むかもしれない、とは思い始めていてね。首脳陣の暗殺、これが最も周囲の被害が少なくて済む方法なのだが。そこまで付き合えそうかね?」
涼司は私を見据え、それから薄ら笑いを浮かべた。
「いいぜ? ……だって、いいんだろう? 全部終わったら。アンタもぶち殺していいんだよなぁ?!」
血のように赤い瞳の奥で、炎のような狂気が揺らめいている。
これには苦笑してしまった。
間違いなく、目的を遂げたら私も即座に殺されるな。
そう確信せざるを得なかった。恐らく、人質だのなんだの、一切の抑制は無意味だろう。
しかし、そうなると――
思考を閉じて瞑目する。
……ということは。
やはり首脳陣の暗殺だけで済ませるのは難しい、ということだ。私を含め、組織を壊滅せずにその首だけすげ変えても意味がない。
やはり、私が死ぬ前に、全てを完膚なきまでに壊滅させる必要がありそうだ。戦場は焦土と化すだろうが、まぁ仕方がない。元より、そのつもりではあったのだから。
再び、目の前で愉しそうに笑う涼司に目を向ける。
「では、詳しいことはまたの機会に詰めるとしようか。私も少し、今後の計画を見直したいのでね」
そう言って立ち上がる。
と、涼司が呟くように声をかけてきた。
「なあ、結城は結局、助からなかったんだよな……」
薄ら笑いは鳴りを潜め、元の沈鬱で重苦しい雰囲気を漂わせてくる。
「――ああ。残念ながら、彼女に解毒剤は効かなかった」
少し不穏に思いながらも真実を告げると、さらに食い下がってくる。
「あいつの身体は、どうしたんだ」
「――安置所だが」
涼司は眉間にしわを寄せた。そのまま醜く顔を歪める。
「まだ何かしようとしてんのか。あいつの身体を使って……!」
淀んだ殺気。思わず眉を顰めたくなるほどの。
「無体な真似はしていない。保証する」
「はっ、どの口がそんなこと!」
……これは、まずいか。
それまでの対話が全て消し飛ぶような、剣呑な空気が漂っている。
私は、そっと指輪の感触を確かめた。いざというときに、涼司を無力化するための起動装置。
使わずに済めばと、使わずに済むだろうと、そう思っていたのだが。
「……今は休め。後ほど、食事も届けさせる」
だが、涼司は弾かれたように顔を上げた。
「食事? 食事なら目の前にあるじゃねぇか!!」
反応する前にそれは起きた。
辺りに轟く轟音。
気づいた時には、彼はワイヤーを引きちぎり、私に馬乗りになっていた。
「望み通り、全部ぶっ壊してやるよ! まずはてめぇからだよ! くそやろう!!」
*****
やられたな……。
完全に動きを封殺する形で抑え込まれ、私はただ苦笑した。
手指も見事に抑え込まれ、まるで身体の自由が利かなかった。
もう少し力をつけてもらわなければ困る。そう思って、導いてきたつもりだったが。
彼の精神が蝕まれていくのが早いか、力をつけるのが先か。
随分と前から、これは少々、分の悪い賭けだと気づいていた。
だが、彼のことになると、つい甘い判断をする癖が抜けなかったようだ。
全く、私としたことが……。
ここは隔離棟とは別に設けた特別区域の地下施設だ。彼と対峙するにあたって、完全な人払いをしていた。
私と接触したことはもとより、その内容を仁科や他の者には知られたくなくて、証拠となりうる通常の警備システム全てを解除していた。彼を拘束する戒めと、無力化する機能さえ万全を期していれば支障はないだろうと、そう考えていたのだが。今の彼は、それすらも容易に破るというのか。
異常に気付いた私の部下が駆け付ける頃には、全て終わっているだろう。腹を割って彼と対峙したいと思ったことが、完全に裏目に出たようだ。
……いや。
彼は確かに、真の協力者になりかけていた。その意志は本物だった。
だが見誤った。彼は既に、自分自身でも制御できないほど、どこかが決壊していたのだ。
……きっかけは最早、言うまでもない。
彼女たちだ。やはりあそこで、彼女たちを失ったのが痛烈な痛手だった。
彼にしてみれば、信じていたはずの父親から裏切られ、その痛手も回復しきっていない中で、守りたいものを一度に失ったのだ。
母親と妹にはまだ父親がいる。だが、結城君と中嶋君を助けられるのは、恐らく彼しかいなかった。
なのに、助けられなかった。
むしろ、彼のせいで命を落とした。
私が娘と妻を失った直後と、似たようなものだったのかもしれない。
何のために人を殺めてまで生き延びたのか、その意義を見失ったのだろう。
そうして彼は、浩史の息子だ。私とは違い、本来、非情にはなり切れない人間だ。その彼が守るべき対象を失ったなら、自分の存在を赦すことができなくなったとしても、何らおかしなことではなかった。
それを見抜けず、彼に地獄を見せ続けた、これは私の業が生んだ当然の帰結か――
「地べたに這いつくばらされちゃあ、言葉も出ねぇのか? なぁおい、普段は遥か高みからおれたちを見下ろしてやがったボス様はよぉ!」
ただ苦笑する他なかった。
果たして彼は、今の自分の状態に自覚があるのだろうか。
ここで己の命が潰えることはわかっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「君の願いは、果たして正気の君から出てきたものかな?」
「……何が言いたい」
「君はすでに、正気と狂気の境を失くしている。全て壊してやりたいというのは、君の狂気から出てきたものではないのかね?」
全て壊滅させてやりたいというのは、私と同じ願いだ。その結果、周囲が焦土と化すのも同じだろう。
だが、今の彼は、自身をも巻き込みながら、広範囲に破壊を振りまくバケモノと化している。
それでも、せめて最後まで想いを遂げられれば良いのだが、恐らくは――
涼司は一瞬目を見張り、そして嗤い声を上げた。
「あっはははははあ!」
顔を歪める彼は、まさに悪鬼の形相、羅刹の双眸。
「久瀬さんよ、あんたはきっと正しいぜ。おれはもう、とっくに狂ってるんでな!」
苦痛と絶望と悲嘆の中で揺らめく焔のような憎悪が、やけに印象的だと思った。
「好きにしたまえ。君の勝ちだ……」
涼司は嗤いながら、私の胸を抉った。
――はずだった。
「させない!」




