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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第4章 混沌の向こう
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4-1 転換

本節から、第4章に入ります。

IF Storyに続き、組織の高位にいる久瀬の視点で進みます。

 芳しくない報告はすぐ耳に届いた。


 遠征隊からの報告によれば、突入から数時間で制御室まで制圧し、水野君も無事に保護したらしい。部隊の損耗率も、1割にも満たなかったという。

 ここまではそう悪くない。が、その後が思わしくなかった。


 奪還対象の結城君はただのしかばねと化しており、その傍らで発見された涼司も体組織の活動が著しく貧弱だという。回復薬を投与しても一向に目覚める気配はないらしい。


 ある程度の犠牲が出ることは覚悟していたが、想定された事態のうち、少々悪い方に傾いていた。特に懸念されたのは、涼司の精神状態だ。


 断片的ながら、捕虜から聞き出した情報によれば、中嶋君の最期は少々惨いものだったらしい。涼司もそれを何らかの形で知ったのは間違いない。

 制御室に残されていた監視カメラの映像を見る限り、彼は単独行動の末、数十人をほぼ一瞬で殲滅したようだ。戦力としては申し分ない成長ぶりだが、果たしてどこまで理性を残しているものか……。


 身体のことなら、まだ対処のしようはある。こちらの回復薬が万全ではなかったとしても、細胞が死滅しきる前なら、解毒はなんとかなるだろう。我々の方が研究は進んでいるという自負もあった。しかし、精神状態は……。


 いざとなれば、ただの木偶人形にせざるを得ないか。

 そう考え、同時にせり上がってきた不快感に、我ながら戸惑いを覚えた。



 元来、彼の存在を『今後の計画』に織り込んでいたわけではない。彼がこちらの戦力にならないケースなど、高確率であり得るシナリオだった。むしろ、抵抗勢力となる可能性の方が高く、元より消す対象の一つに過ぎないと考えていた。

 ……そのはずなのだが。



 はじめは間違いなく、ただの復讐対象だった。私の娘の命と引き換えに命を長らえた男。本来なら子供の頃に死んでいた人間。たまたま、まだ息をしているだけの歩く死人。


 彼個人にその(とが)はないと分かっていながら、彼を闇に墜としたのは他ならぬ私だ。明るい陽射しの下で生きることを許さず、その中で死ぬことも許さず、闇の中で生きることを強いた。


 だが、彼の足掻く様を観察するうちに、自身でも戸惑うような感情が芽生えたことは否定できなかった。

 若かりし頃の浩史に似ていると思った。ただの馬鹿かと思うほど甘ちゃんなところなど、まさにあいつにそっくりだった。嫌悪感を抱きこそすれ、ただの駒として扱うことに何の感慨も湧かない。そう思っていたものを。


 彼は浩史とは違った。何かが決定的に違っていた。当然、私とも。

 いつしか興味を惹かれた。なぜか彼から、目を離せなくなっていた。

 どの口がそんなことをほざくのかと言われそうだが、彼がただ破滅するような無様だけは、見たくなかった。


 頭を振って、通信機を取り上げる。

 いずれにしろ、彼の身体は復調せねばならない。

 浩史に担当させるのが適任だろう。あいつなら必ずやり遂げる。

 それはほぼ確信だった。



 ***



 だが、私の見立ては少々甘かったらしい。

 島に運び込まれた涼司は、ほとんどただの屍と化していた。敵勢力が想像以上にやってくれたらしい。これでは精神状態がどうのという前に、解毒が間に合わないかもしれない。

 内心で私はほぞを噛んだ。


 実のところ、現行組織の独り勝ちを赦さないよう、敵勢力に情報を漏らしてきたのは私だった。

 無論、情報のリーク元が漏れるようなヘマをしたつもりはない。

 あくまで、一部の人間たちがこちらの思惑通りに動くよう、環境を整えてやっただけだ。恐らく彼ら自身は、時に二重スパイとして立ち回らされていることなど、知る由もないだろう。


 そうして、機を見計らっては敵勢力を叩き、私自身の成果も積み上げる。これを繰り返しながら、組織の中での私の地位を盤石なものとしてきた。


 その先に目指していたのは、均衡した勢力の全面戦争、それによる全勢力の弱体化だ。その機に乗じて、組織を完全に手中に収めるか、完膚なきまでに壊滅させる。それが、私の立てた計画の青写真だった。


 だが、そう上手くは事が運ばないこともある。こちらの思惑を超えて敵勢力が力をつけてしまい、こちらが想定以上の損害を被ることも、ままあった。

 ……そもそも、数か月前に涼司と結城君を手元から奪われたのも、手痛い失態だった。失態続きが過ぎたかもしれない。


 おまけに、この計画は多数の犠牲を前提としている。道中でどれほどの人間を切り捨ててきたのか、最早いちいち気にも留めていないが、……そんなところも、唾棄すべきこの組織に、私自身がすっかり染まっている証左なのかもしれなかった。


 『組織への復讐』などというお題目を掲げてはいるが、やっていることは単なる卑劣な権謀術数だ。踏み潰してきた人間の中に、何人の新たな私を生んでいるのか分かったものではない。これで道半ばに倒れでもしたら、事態を泥沼化しただけの単なる道化だろう。最後までやり遂げたとして、私自身が巨悪の誹りは免れない。


 だが、それを否定するつもりは毛頭なかった。

 全て分かっていて始めたことだ。例え果てに待つのが破滅の連鎖でしかないとしても、始めた以上は足掻いてやろう。

 そしてそれは、お前も同じではなかったのか、涼司――


 目の前で、ただの死体かと見紛うザマを晒す青年に、我ながら理不尽な憤りを覚えていた時。

 同じく蒼白な顔で立ち尽くしていた浩史は何事かに気づいたらしい。やおら涼司の手を握りこみ、わずかに瞠目すると、私を見返して怒鳴った。


「久瀬、今すぐ研究棟を貸せ! 涼司の腹の中に解毒剤のレシピがあるらしい。すぐに取り出して解析する。そして複製だ! 私の指示に従うよう、一研いちけんの奴らを動かしてくれ!」


 強い声。久しぶりに聞く浩史の怒声と射るような眼差しに、思わず笑いが込み上げてくる。


「私に命令するとはいい度胸だな。が、いいだろう。お前の希望は叶えてやる」

 言って、背後を振り仰ぐ。

「お前たち、聞いていたな。今すぐ対応にかかってくれ」


 命じると、私の意を汲んだ腹心の部下たちが素早く行動に移っていく。細かな指示は不要だ。


 ――そう、彼らは私の貴重な戦力だった。何にも代えがたい共犯者。そこにこの二人も加わってくれれば、などというのは虫の良すぎる願いだろうか。


「その代わり、息子は必ず助けて見せろよ」


 揶揄るようにそう言うと、浩史は私をねめつけてから、横を向いて吐き捨てた。


「言われるまでもない……!」



 ****



 浩史は期待にたがわぬ働きをした。

 組織に呼び戻して数年、今ではすっかり、研究者としての感も取り戻したらしい。

 まして今回はやる気が違う。取り出したカプセルに収められていたマイクロチップの記録を読み解き、解毒剤の複製に成功するまで、丸一日もかからなかった。

 投与後から一両日後、涼司の身体は全快した。

 だが、こちらもやはりというべきか。

 目覚めた後の涼司は、明らかに以前とは様子が違っていた。


「遠征、ご苦労だったな」


 簡素なベッドと洗面台があるだけの殺風景な部屋の中で、ベッドに浅く腰かけていた涼司は、部屋に入ってきた私の言葉に冷えた目線を上げた。


 身体が復調して既に3日が経過していた。

 真っ先に行われたのは、彼と今まで通りの意思疎通が図れるかの確認だった。オウガの本能が理性を喰い潰し、ただの化け物と化している可能性は、誰しもが懸念するところだったから。

 だが、それはこちらが拍子抜けするほどあっさりと終了した。

 彼は暴れるでもなし、狂気を見せるでもなしに、こちらの会話を理解し、問いかけには簡潔な答えを返してきた。


 次に疑問視されたのは、彼の証言の信憑性だ。

 だが、こちらも特に問題のないことは、同行した隊員たちから、すぐに裏が取れた。


 並行して、理性のたがが外れていないか、何か不審な挙動はないかが注意深く観察された。

 しかし、これにも彼はひどく淡々とした反応を見せるのみだった。

 話が中嶋君や結城君の最期に及んでも、一瞬黙り込んだだけで、ほぼ感情の起伏は見られなかった。


 その様子はマジックミラー越しに私も見ていたが、以前の彼を知っているだけに、いっそ不気味に思えた。研究員の多くは安堵していたようだが、浩史はひどく強張った顔をしていた。

 私も浩史と同感だった。決して良い兆候とは思えなかった。

 だから私は、彼を訪ねた。彼が今後も駒となり得るか、自分自身で確かめるべく。



 *****



「……あんた直々のお越しとはな。一人か? 鏡越しの観察はもう止めたのかよ」


 私の姿を認めて、涼司は皮肉交じりの声を上げた。淡々と応対されるよりも、随分と人間らしい反応だったが。

 私は苦笑しながら、手元のイスを引き寄せる。


「君とは直に話をしてみたくなってね。ただまぁ、念のためのそれは勘弁してくれたまえよ」


 彼の手足には強化金属製の枷が嵌められ、その枷はワイヤーで壁の一端に固定されている。ある程度の自由は利くが、私の位置までは届かない仕組みだ。いざとなれば高圧電流も流れるようになっている。


「別に構わねぇよ。こういったものでもなけりゃ、不用心すぎて、反って不安になるぐらいだ」


 薄笑いを張り付けたまま、涼司が応じる。研究員に対する態度とは打って変わって、どこか軽薄な態度。無感動に応対されるのも好ましくないが、この返し方はどう見るべきか……。


「で? 何の用だ。次の仕事の話か。それとも何か? おれの様子を見に来ただけか?」


 終始、私を挑発する様子を帯びているのは、せめてもの反抗だろうか。それなら扱いやすくて良いのだが。


「仕事を続ける気はあるのかね?」

「あ?」


 涼司は鼻で嗤う仕草をする。


「おれに拒否権はないんだろ? いいぜ、またどこかをぶっ潰せって言うんなら、喜んでやってやるよ。何ならミナゴロシにだってしてやるぜ?」


 私は思わず、眉を顰めていたかもしれない。


「――本気で言っているのか」


 涼司は可笑しそうに肩を竦めて見せた。だが、目が全然笑っていない。


「ははっ、おれの正気を疑ってるんだろ? さあな、まだ正気なんじゃねぇの。試してみろよ」


 やるならやれと、むしろ、そうしてくれとでも言う態度。


「――君の望みは何だ」


「は? 望み? ………あぁ、母さんと彩乃の無事、だったかな。普通に暮らすこと、だっけ。今はどうしてんのか知らねぇが、まぁ無事なんだろ? 親父の様子を見てりゃあな」


「それ以外には?」

「……それ以外?」


 彼は明らかに不愉快そうに眉を顰めた。


「それ以外って何だ。おれに何を言わせたい? ……あぁ、お前等全員、本当は皆殺しにしてぇ、とでも言えばいいのか?」 

「……」


 これはどうだろう。果たして彼に真意を明かして、本当の意味で協力させることはできると思うか。


 私はひそかに臍を噛んだ。


 いや、今の彼はどこか危うい。

 私を憎むのはいい。憎み、憎悪し、それでも最終目標の為に、一時的にでも協力させられればベストだと思っていた。しかし――


 改めて彼に目をやる。

 全身を覆う淀んだ気配。今やその重苦しい空気がはっきりと見て取れた。

 恐らく彼は破滅したがっているのだろう。早く消えて無くなりたいと、ただそれだけを、その機会を求めているに過ぎない。


 ダメだ。これは早晩、自滅する――


「いや悪かったな。聞くまでもないことを言わせた。次の仕事は、また連絡する」


 胸中に押し寄せた僅かなざわめきを無視して立ち上がる。と、


『あんたの目的は何だ』


 ひどく低い声が聞こえた。

 見下ろすと、深く抉るような目線が私を突き刺してきた。


「目的、とは?」


『あんたは何のために、こんなことをしている。……権力か? 自分が組織の全てを牛耳ろうとでも言うつもりか』


 挑発するような言葉に反して、それまでの軽薄な色はなかった。

 しかもこれは、鼓膜を通して聞こえてきた声ではない――


 興味を覚えて、私はもう一度、腰を下ろす。

 もう少し様子を見るのも悪くなさそうだ。


「……そうだな、そういった野心もあると言ったら?」


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