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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
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3-11 狂気の海

 全身が火で炙られているみたいだった。燃え滾るような熱さに喉がひりつく。

 骨が軋む、息ができない、目の前が何も見えねぇ……。


「ははぁ、貴様はまだ人間様気どりだったか」

 

 耳障りな声が脳髄を搔き乱す。


「そいつはすでに、化け物に成り下がっていたようだけどなあ。そんな奴でも、死ぬと哀しいのか?」


 赤黒く染まった視界に、下卑た嘲笑を浮かべたる男たちが見えた。


「そいつはお前の女友達ダチも喰っちまったんだろう? いい女だったのによぉ」


 灼けるような殺意が湧いた。


『結局は貴様も同じか。ただ、殺戮を望むか』


 不意に聞こえたその声は、目の前の東洋人のものではなかった。

 視線を動かすと、彫りの深い細身の男が、険しい顔でおれを睨んでいた。


 ……何だ?

 その口から発せられた言葉は理解できない言語だった。なのに、言われたことの意味はわかる。

 けど、触れてもいない奴と? 相手がオウガでもないのに?

 まぁ何でもいいか……。


 全身が鉛のように重かった。だけど、動けないほどじゃない。

 ゆっくりと身体を起こすと、男たちがギョッとする。銃口が一斉におれを狙う。


「妙な真似は止せ。いずれにしろ貴様は終わりだ。せめて、水野って奴は助けたいんだろう?」


 東洋人の男が、恰幅のいい禿げ親父の言語を翻訳してくる。だが、耳で聞くまでもなく理解した。どうやら、連中の誰かが強く考えた思考が伝わるらしい。

 思わず笑いが込み上げた。意味の分からないこの力に対しても、相手の発言に対しても。


 ……水野か。もしあいつだけでも無事だったなら、一緒に潜入した部隊が助け出してくれるだろう。

 けど、仮にそうでなかったとしても。

 おれはもう、自分を止めようとは思っていなかった。

 頰が引き攣り、口の端が吊り上がるのが自分でもわかる。


「全員……ぶっ殺してやる…………」


 自分でも驚くほど低い声が、腹の底から漏れた。



 *****



 血と硝煙と死の臭気が充満していた。

 油と汚物の臭いに混じり、淀んだ静寂が辺りを包む。


 ……おいおい、脆過ぎだろう?


 軽く上がった息を整えながら辺りを見回すと、足元に倒れた男以外に、生物の気配はなくなっていた。正真正銘、こいつで最後だ。


 おれを罠に嵌めたくせに、こんなもんか? 手応え無さすぎじゃねぇか。


 と思っていたら、足元に倒れ込んだ男、――おれに念を送ってきた奴が最後の抵抗を試みてくる。どうやら、ウィルスの適合者だったらしい。きっと馴らしでも受けたんだろう。

 といっても、ひどく緩慢な動きで銃を握り込もうとしてきたから、そのイタさには溜息が出た。ご丁寧に待ってやる理由もなくて、手の甲を踏みつけてやると、無様な呻き声をあげて身を捩る。ミミズみたいで、ちょっと笑えた。


『貴様……!』


 息も絶え絶えに、憤怒の表情を浮かべてくる。


『これだけ殺せば満足か!?』


 頭の芯をガリガリと引っ掻かれた気がした。 

 ……満足? 満足だって……?


『いいか、これだけは覚えておけ! 我々が死しても、必ずや正義は蘇るだろう。貴様等のいいようには、決してさせん……!』


 ……は? 正義?

 笑えるセリフが聞こえた。


「まさかお前、てめぇは正義だとでも言うつもりか?」


『違うとでも? 貴様等が殺した者達、その多くに守るべき家族があり、親しき友人がいたんだ。それらを守るために我らは闘っている。神に弓引く貴様等のような化け物から、この世界を守るためにな!』


 はっ、そうかよ。それで?


「世界を守るという大義名分のためなら、何をしても構わねぇって理屈かよ。そんな詭弁は聞き飽きてんだよ!」


 自分等のことは棚上げか。てめぇ等のやってきたことも、十分に外道の所業だろうが!


『……ユウキ君のことを言っているのか? だが、彼女はすでに罪を犯し過ぎていた。だから我らは、彼女にせめてもの贖罪の機会を与えていたのだ。穢れた魂を浄化し、神の御許に少しでも近づけるようにな。これが慈悲でなくて何だと言うのだ!』


 はあ? 贖罪? 慈悲だって?

 確かにな、結城はもう真っ黒だろうさ。おれも同じだ。けどな!

 何でお前等がそんなモンを振りかざす?

 償いも贖いも、返すべき相手はお前等じゃねぇだろう! 何でお前等がそれを勝手に断罪すんだよ? てめぇ等こそ何様のつもりなんだよ!


『……それともナカジマ君のことか? 彼女は確かに気の毒だったな。だが、その彼女を喰らったのもユウキ君だ。気づかなかったのか?』


 はあ? 中嶋? おれの言ってることが通じてねぇのか?

 ……あぁそう、中途半端にしか通じねぇのか。はっ!

 で? 中嶋? 中嶋に何してくれてんだ。誰が丁重に扱うだって? 滅茶苦茶しやがって、この野郎が!!


 頭の中が白熱していく。


 喰ったのが結城? だから何だ。それがどうした! そうせざるを得ない状況に追い込んだのは、どこのどいつだ。それとも何か? それすらもおれたちのせいだって言いてぇのか?!


『神の与え給うた試練に屈して泣き言か? 理不尽な運命に晒されているのは、貴様らだけではないぞ。それを嘆き恨んで、他者を巻き添えに破滅するなど、加護を失って当然ではないか!』


 は! 神サマ! またしても神サマか!


「そんなヤツいねぇ。いたとしたって、そいつは何にしねぇロクデナシだ! だから自分等でどうにかしてんだよ! あいつ等だって……!」


『どこまでも自分本意か。世界の在り様に思いを馳せることも出来ぬとは。――やはり貴様はただの屑だな』


 うけた。笑えた。

 世界のありよう?! 何だよそれは、神サマのお仲間か?

 知ったことかよ。周りの奴らだけで手一杯だよ。しかもそうだよ、それすら守りきれてねぇよ! そんな野郎が世界だって!?


『負け犬の遠吠えにしか聞こえんな。――いや、ただのガキの癇癪か』


 頭の奥が灼き切れる気がした。


『こんな奴らに恩寵が与えられようとは。だが、我らは必ずやこの苦難を乗り越えて見せよう。貴様らごときに、』


 ああああぁあ! だから許せねぇんだよ。こんなことを続けている全てがなぁ!!


 突き出した腕は、男の腹を抉っていた。男の口から血が溢れ、そのまますぐに動かなくなる。その脆さにはひたすら笑えた。


『キサマ……は……腐った果実だ。この世界を歪ませる……』


 あぁ? まだ生きていたのか。……で、なに? 腐った果実? 面白いことを言いやがるな。そうさ、おれはもう――


 突然、視界が暗転した。前触れもなく、いきなり全身から力が抜ける。


『はは! 我らの勝利だ……!』


 気づけば、すぐ傍に男の歪んだ笑みがあって、その目から徐々に光が消えていく。

 ……ちっ、言い逃げかよ。


 突然、重力が何十倍にでもなった気がした。見えない壁に押し潰されてでもいるかようで、呼吸すら覚束ない。

 息する資格もねぇってことかよ、上等じゃねぇか……。


 周囲を見回すと、そこかしこで火の手が上がっているのが見えた。辺りに異様な臭いが充満していく。

 ……このままじゃあ………くそっ。


 踏みしめようとした端から力が抜けていく。視界が霞む。この状況には覚えがあった。

 ざけんじゃねぇぞ……。


 だから、おれは気力の限り嚙みついた。目の前の男を引き裂いて、噛み千切っては強引に嚥下する。

 そうして少しだけ戻った力で、手近な餌を無理やり口に押し込んだ。それで何とか立ち上がる。

 だけど、少しでも気を許すと、飲み下した端から吐き出しそうで。

 オウガとしての力が消えかかっているんだろう。こんなときにふざけやがって。


 ――だけど本当は。


 嘔吐を繰り返しながら、強引に咀嚼する。


 ――本当は、分かっていた。……間違っているのは、おれの方だと。


 結城を抱えて、引きずるように階段を辿る。ひどく長い、暗い洞穴。

 途中で何度も転びそうになりながら、それでもどうにか入口にまで辿り着く。一見して倉庫に偽装された、変哲のない鉄扉。

 力を込めて押し開けると、厳寒の外はいつの間にか吹雪になっていた。 

 一面の白。白くけぶった別世界。


 本当はこんな世界、ぐちゃぐちゃに染め上げてやりたかった。

 叩き割り、ぶち撒けて、すり潰してやりたかった。

 ――おれの頭を、スイカみたいに。


 だけど今、消えてしまったら。

 あいつ等の想いも全部、無駄になってしまう気がして。

 何の意味もなかったと、そう証明してしまうような気がして。

 それだけは嫌だった。それだけは我慢ならない。

 だからおれは、這うようにして前に出た。一歩ずつ、もっと離れろ、でないときっと、


 そこでついに爆風がきた。

 煽られて宙を舞い、雪の上に投げ飛ばされる。

 交戦中に使っていた火薬に火が付いたんだろう。

 というより、全滅した場合に備えて、わざと火をつけたのかもしれない。おれの反応が早すぎて、中途半端にしか仕込めなかったようだが。それでまんまと、おれを逃がした。


 ……はは、ざまぁみろ。


 倒れ込んだ雪の中で、一人ごちる。

 お前等なんかに、消されてたまるか。なぁ結城?


 結城ももう、何も言わない。

 全身穴だらけで、あちこちが紫色になっていたけど。

 それでもやっぱり、綺麗だと思った。中にいるはずの中嶋と相まって、漂う色気に息が詰まった。

 もう睫毛一つ動いちゃくれねぇけど。

 固く閉じられた瞼の上で、長い睫毛の先にも雪が降り積もる。


 お前ら、ホントに見る目ねぇよな。おれなんか助けようとするから、こんなさ……。


 本当はもう分かっていた。

 自分がただの薄汚れた人殺しにすぎないことも。

 とっくに壊れかけていることも。

 おれの存在が世間にバレたら、世界中がおれを罵り、消えろと願うだろうことも。

 だけど、それでも。


 あいつ等から向けられた好意は、……うれしかった。

 胸の奥が熱くなって、苦しくなって焼け付きそうで、自分はとっくの昔に化け物に成り下がったと、そんなことも忘れちまうほどうれしかった。だから。


 あいつ等の生きた証を、無意味なものにしたくなかった。

 例えバケモノでも、悪魔でも、世界中の全てがおれを否定して、怨嗟の声を振り撒いても。

 ……何よりおれが、おれ自身を赦せなくても。


 今は、まだ。あと少しだけ――……



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