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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第1章 ハジマリの夏
5/87

1-3 夏の日

「……っ!?」


 得たいに知れない衝撃に、唐突に意識が覚醒した。

 途端に目に飛び込んできたのは、目を焼くようなまばゆい光。

 ……な……?


「ほら兄貴! いい加減に起きろ!」


 ……ん?

 耳に馴染む声。

 目を細めながら開けた視界に飛び込んできたのは、やはりというべきか、妹の彩乃あやのの姿だった。何やら仁王立ちで立っている。


 えーと??

 すぐに事態が呑み込めなかった。

 ここっておれの部屋、だよな……?


 突然、彩乃が手にした枕を投げつけてくる。

「ちょ、おまっ」


 どうやら、おれが頭を乗せていた枕を引き抜かれたらしい。それ投げつけられたのだと理解して、

「お前、驚かすなよ……!」


 早鐘を打っている胸を押さえながら抗議の声を上げたが、返ってきたのは冷たい視線。

 そのまま、これ見よがしに残りのカーテンを開け放った妹は、窓を開けながら「うわぁ」と盛大に顔をしかめた。

 窓から草いきれの混じった熱風が流れ込むたび、ショートカットの髪が小さく揺れた。

「あっついなぁ! ホント、よくこんなところで眠れるもんだ……」


 おれは溜息をついた。

 彩乃は、結構可愛い部類だと思う。おれが言うのも何だが、丸くてクリっとした目に、ふっくらとした口元。おまけに肌は見るからにもちもち。……うん、やっぱり可愛い。

 なんてことは、本人の前では口が裂けても言えないが。そんなことを言おうものなら、調子に乗るに決まっている。なにせ、中身はなかなかに小憎らしい奴だったから。


「……お前なあ、もうちょっとマシな起こし方……」

 おれの言葉を遮り、彩乃は机の上の時計を指差した。

「兄貴が寝坊しすぎなの。もう1時よ、1時。それもお昼の! 分かってる?」


 どうやら、正午を過ぎても眠りこけているおれを見かねて、わざわざ起こしにきたらしい。

「いくら夏休みだからって寝坊しすぎよ。しかもこんなところで。だから、うなされたりするんでしょう」

 うなされる?

 そう言えば、全身ぐっしょりだった。

 ……待てよ、おれ、さっきまで何か――


 猛烈な違和感が込み上げる。

 嫌な感覚が喉元にせり上がってくる。

 なのに、何も思い出せない。思い出せないのに、妙な焦燥感だけが胸を焼く。

 くそ、何だこの気分――


 思わず額に手をやったとき、

「……いてっ! おい、彩乃!」

 頭上からまた枕が降ってきた。

 見上げると、彩乃がぷりぷりとした顔で見下ろしていた。

「いいから、もう起きる! 全く、これだから大学生は……」

 このまま黙っていたら、またいつもの説教が始まっちまうだろう。

「分かった分かったよ、起きるから! けどな彩乃。おれだって、ただ遊んでるわけじゃねぇぞ。昼まで寝てるのだって、夜勤のバイトで――」


 彩乃はあっさりとおれの言葉を遮った。

「そんなこと知ってるったら。で、明日からは友達と旅行なんでしょう? ……いいなあ、こっちは受験勉強の真っ最中だって言うのに」

「……」

 それを言われると辛い。おれは、なんと答えて良いのか分からずに彩乃を見上げた。


 彩乃は高校3年生だ。おれと違って頭の出来が良いとはいえ、我が家の経済状況を考えると、国立大学にしか進学できないと思い定めている身には、受験はそれなりのプレッシャーだろう。こんな時期に、おれ一人遊びに行くことを悪いとは思っていた。


 黙ってしまったおれを見て、彩乃は小さく舌を出す。

「やだ、冗談だってば。気にしないで行ってきてよ。兄貴が友達と旅行に行くなんて珍しいんだから。……というより、あれ? 初めてなんじゃない?」

 おれは曖昧に頷いた。

「……まあな。2年生になるまで、サークルになんて入っていなかったからな」


 ああ、と彩乃は頷く。

「兄貴、バイトばっかりだったもんね。そんなに頑張らなくてもいいのにって、お母さんも言ってたよ? お小遣いぐらい出すのにって。うち、そこまでお金ないわけじゃないんだから」

 おれは苦笑した。

「分かってるよ。でも、夜勤の工事現場ってバイト代がいいんだぜ? それでつい……かな」

 彩乃がしかめ面をしておれを見上げる。

「でも、所詮はバイトでしょ? きちんと勤めてから稼いだ方が、ずっと効率的じゃない」

 あ、やばい。と思ったときは遅かった。

「いい? 学生は勉強が本分なの。しかも兄貴は理系! もっと勉学に勤しみたまえ!」


 おれは軽い頭痛を覚えて、額に手を当てた。

「お前、その説教グセ、大学に行く前にどうにかした方がいいぞ。一体、誰に似たんだよ……」

 彩乃は「へへぇん」とでも言うように、なぜか胸を張りながら笑う。

 いや、だから何でそこで威張るんだよ。


「でも、ずっと不思議だったのよね。今からそんなに貯めてどうする気? 何か欲しいものでもあるの?」

 ……欲しいもの?

 問われて、思わず肩をすくめた。

「いや。特に目的があってバイトしてたわけじゃねぇし……」

 いい加減なおれの答えに彩乃は苦笑する。それから、ニヤリ、とでも言いたげな笑みを浮かべた。

「ねぇ。じゃあ、そのバイト代、今日はちょっと散財しない?」

 ……は?


 いつの間にか、夢の後味の悪さはすっかり消え失せていた。



 *****



「親父、ちょっといいか?」


 それから約2時間後、おれは親父の仕事部屋を覗いていた。冷房の効いた部屋から、ひんやりした空気が流れ出してくる。


「……ああ、涼司か。なんだ?」

 親父はパソコンに向かっていた顔を上げた。


 おれの親父は、大抵は家にいた。いわゆる在宅勤務だ。

 詳しい仕事内容は知らなかったが、ホームページ作成を請け負ったり、ネット取引をしたりといった具合らしい。最近は何かと出かけることも増えていたが、基本的には日がな一日、パソコンに向かっていることが多かった。


 こんな親父も、昔は普通のサラリーマンだったらしい。けど、親父が交通事故に遭って以来、生活は一変した。

 おれがまだ、小さかった頃の話だ。当時のことは良く覚えていないが、後から聞かされた話によれば、親父は一時、歩くことさえままならなかったらしい。ここまで回復するには、長いリハビリ期間が必要で。それが会社を辞めた理由で、その後も再就職ができなかった理由と聞いていた。


 不幸中の幸いは、事故を起こした相手からの慰謝料やら保険金やらで、一家四人が生活していく分には困らなかったことだ。とはいえ、余裕のある暮らしとも言えなかった。

 そのせいだろう。親父はやがて、家でできる仕事を探しては小金を稼ぐようになっていたし、母さんも近所のパートに出ては家計の足しにしていた。……そんなこんなで、おれもつい、バイトばかりしているのかもしれなかった。


 だが、バイトの理由にそんなことを口走ろうものなら、親父たちに渋い顔をされることは目に見えている。『余計な心配は、お前が一人前になってからで充分だ』と。

 ……全く、彩乃の言う通りに違いなかった。


 そんなことを思いながら部屋に入ると、

「うわっ。この部屋、よく冷えてんなぁ」

 全身を冷気で包まれ、思わず身震いしてしまう。

 つい先ほどまで、うだるような炎天下を駆けずり回っていただけに、生き返る心地がした。


「……悪いな。おれだけ涼んでいて」

 どこか申し訳なさそうな親父に、チリ、と胸が疼く。

 ……パソコンが壊れたら元も子もねぇんだから、いいんだよ、そんなことは。

 わずかな苛立ちを覚えながらも、おれは何とか、素知らぬ顔で話を進めた。


「なぁ親父。うちの物置にバーベキューセットってあっただろ? それ、2、3日借りてもいいか?」

 親父は目を瞬いた。

「バーベキューセット? そういえば、そんなものもあったな」

 少しだけ懐かしそうに目を細める。

「別に構わんよ。……旅行先で使うんだろう?」

 おれは頷く。

「昨日、朝倉から電話があってさ。貸し別荘でそいつを借りると、それなりの値段がするんだと。だから、もし誰かが持っているなら、持参しようって話になって」

 そうか、と頷いた後、親父は首を傾けた。

「朝倉? おまえと一緒に行く友人か?」

「ああ」

 答えてから、おれは今まで、朝倉の名前を口にしたことがなかったことを思い出した。

「高校のときからのダチだよ」

 その言葉に、親父はどこか意外そうにおれを見上げる。

「お前にも、そんな友人がいたんだな……」


 ざわりと胸の奥が疼いた。


「涼司?」

 不意に黙り込んだおれを見て、親父は首をかしげる。

「どうかしたのか?」

「――いや」


 小さく答えて、おれは顔を背けた。

 まずい、と思った。

 しばらく忘れていた感覚が沸き起こる。

 くそ、なんで……。


 親父はわずかに眉を顰めたが、それ以上は何も聞かないでいてくれた。

 正直、それが一番ありがたい。だから、おれも何でもない振りで口を開いた。話題を変えるつもりだった。

 なのに、おれの口をついて出てきたのは全く逆の言葉で。


「おれにダチがいたら、おかしいか」


 親父が、はっとしたように息を飲む。おれも自分でぎょっとした。

 何言ってんだ、おれは。

 そう思うのに、おれの口は止まらなかった。

「おれにダチがいたら、おかしいかよ」


「――涼司」


 ああ、くそっ……。

 なぜだか、無償に苛ついてきた。

 なぜ、こんなことで苛つくのか分からなくて、それがますます神経を逆なでする。

 ちくしょう、何だってんだよ……。

 思わず頭を掻き毟ったとき、親父が立ち上がる。

「涼司」


 ああ、だめだ、やばい――


「悪い、ちょっと」

 そう言ってきびすを返そうとした。

 こんなときは場を外すに限る。さっさと部屋を出るつもりだった。


 なのに、部屋を出ようとしたところで、ぎゅっと手首を掴まれる。

 なっ……?

 おれは驚いて振り返った。

 いつもなら、こんなときは放っておいてくれるのに。


「……あ、いや、悪い」

 親父も、我に返ったように手を離す。それから、ぎこちない笑いを浮かべた。

「なあ、涼司」

 迷うように口を開く。

「……今、少し話せないか……?」


 おれは目を見張り、それから顔を背けた。

 親父の行動に驚いたせいで、わずかに冷静になった自分を感じていた。

 でも、口を開くのは怖かった。また、妙なことを口走りそうな気がして。


 そのとき、階段から顔を覗かせた人影――

 彩乃だった。

「ねぇ、どうかした?」

 気遣わしげな表情でおれと親父を交互に見つめる。


「何でもない。ちょっとその、久々に、熱くなりかけただけで、……」

 もごもごと答えたおれを、彩乃が見上げる。

 それから親父の方をちらりと見て、気を取り直したように頷いた。

「そっか。……で? 兄貴、今日の件はもう話したの?」

 ……あ。

「いや、まだだ。……悪ぃ」


 歯切れの悪いおれを見て、彩乃はとててっと駆け寄ってくると、軽くおれを小突いた。

「なら、早いとこ話を済ませて、下に降りてきてよ? 早くしないとお母さんが帰ってきちゃう。あたし一人じゃ、手に余るんだからね?」


 お前は……また……。


 とっさに胸に込み上げてきたものがあって、だけどそれをどうにか無視して苦笑いを浮かべると、彩乃はくすりと笑って、何事もなかったのように階下へと降りていく。

 その姿を見送りながら、おれは息苦しさに胸を押さえた。

 ……こんなだから、おれは……。


 これが理由だった。

 おれに長い間、友人と呼べる相手がいなかった理由。

 何を逆切れしそうになっているのかと、自分でも不思議に思う。

 けど、それでも――


「……で?」

 おれはどうにか口を開く。

「話って、何?」

 つっけんどんに、それだけ言うのが精一杯だった。


 *

 *

 *


 そこまで話し終えたとき、おれは背後に気配を感じて振り返った。

「彩乃……?」


 部屋の入り口で、彩乃が腰に手を当てておれを睨んでいた。

 はっとして時計を見ると、すでに4時半を回っている。4時半!?


 ……まずい。

 すぐに階下に行くといってから、軽く1時間近く経っている。

「いや、これはその……」

 言い訳しかけたおれは、彩乃に睨まれて口を閉じた。

 怒った彩乃はけっこう怖い。

「で、兄貴。今日の予定、もうお父さんには話したの?」

「――あ」

 思わず冷や汗を浮かべたおれに、彩乃はため息をついた。

「いいわ、あたしから言うから。兄貴は先に下に行ってて。下ごしらえの終わった食材を運んで、テーブルのセッティングをすること!」


 本格的なお怒りモードに入っている。

 こうなったら、何も逆らわないようにするのが一番だろう。うん、ちょうど頃合いだしな。


 けど、

「……セッティング?」

 彩乃の言葉尻を捕らえて、声を上げたのは親父だった。

「これから、何かするのか?」

 彩乃は得意げな顔で頷いた。

「うん。お母さんが帰ってきたら、バーベキューをしようと思って」

 親父は目を瞬いた。

「バーベキュー? 今から?」

「そう。下準備はほとんど済ませたから、後は焼くだけよ。すごいでしょう?」

 小さな胸を自慢げに張る彩乃に、親父は目を白黒させた。

「あぁ、……でも、何だって急に?」

「兄貴がバーベキューセットを持っていくって聞いて、急に懐かしくなっちゃって。あたしもやりたいって思ったの。それに、今日はお母さんの誕生日でしょ? 驚かせるにはちょうどいいんじゃないかと思って」

 親父は、一瞬きょとんとした。

 それから、真剣な顔で即座に頷く。

「バーベキューか。ああ、すごくいいね」

 ナイスアイディアと言わんばかりに、凛々しい顔つきをしてみせる。

 彩乃は顔をしかめた。

 そりゃそうだ。おれから見ても空々しさ満点だからな。


「もしかしてお父さん、お母さんの誕生日、忘れてたの……?」


 親父は目に見えてぎくりとした。

 それから、慄いたようにおれに視線を移す。哀れっぽい顔で、おれに助けを求めているのがわかる。

 けど、おれを見たって知るもんか。忘れていた親父が悪い。


 おれは彩乃の怒りの矛先が変わったのをいいことに、敵前逃亡を決めた。

「じゃ、おれは先に下に行ってるから!」

 後はよろしく、とばかりにそそくさと部屋を後にする。


 それから、彩乃と親父が階下に下りてくるまでには、また少し時間がかかった。

 それが、親父がこってりと彩乃に絞られていたせいなのか、それとも……親父がおれの話を彩乃に伝えていたせいなのかは分からない。



 *****



 仕事から帰ってきた母さんは、庭の様子を見て目を丸くした。

 母さん自身も、自分の誕生日のことはすっかり忘れていたらしい。

 突然のことに驚きながらも、母さんはとても喜んでくれた。傍から見ても分かるほど、……というか、誰がどう見たって間違いようもないほど、心底うれしそうだった。


 で、バーベキューの串を握り締めながら、感極まったのかボロボロ涙を零したのは親父の方だった。

 もともと涙もろい方だとは思っていたが、『こんな家族を持っておれは幸せだ』 とか、臆面もなくクサイ科白を吐くものだから、おれたちは身の置き場に困ってしまった。

 全く、どうしてそんな科白を……。


 何も言えないおれを他所に、彩乃は苦笑しながらも、親父を散々からかってその場を盛り上げ、母さんもころころと笑い続けた。

 ……けど、やっぱり。

 アルコールが入っていたせいだろう。身体が程よく火照るのを感じながら、おれは馬鹿みたいに思っていた。

 こういうのって、いいよな、と。

 皆で笑えるのが何よりうれしい。

 そして、そんなふうに思えるのは……。


 かつて親父とおれを襲った不幸の分だけ、今の幸せを余計に感じ取れるのかもしれない。

 だとしたら、おれはある意味、恵まれてるのかもな……。

 そんなふうに思って、おれは苦笑した。

 おれも親父のこと、馬鹿にできねぇや。


 涙を拭き拭き、馬鹿騒ぎをしている親父を出汁に、その日のささやかな祭りはあっという間に過ぎていった。

 これからもこんな日々が続く。そう信じて、疑うことなんかできずに――


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