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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
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3-9 彼女たちの記憶

 結城の瞳を凝視した途端、頭の中に怒涛のような映像が流れ込む。


 なん……これ、結城の記憶か――!?



 ********************


 ――全く、芸がないんだから。


 今日もそう一人ごちる。

 すっかり、日課になってしまった深い溜息。

 だってそれくらいしか、出来ることがないんだもの。


 あの島で捕らえられ、どこかに連れて行かれた先で待っていたのは、何も変わらない日々だった。

 性懲りもなく行われる人体実験。単に、実験の行われる場所と相手が変わっただけ。


 本当に失礼しちゃう。飽きもせずに人の身体を痛めつけてきて、少しは回復したと思ったら、また全身を切り刻んでくる。

 精神的に追い詰められることの多かった以前と較べて、こちらではひたすら物理的な苦痛が与えられるだけだったけれど。やっていられない状況に変わりはなかった。


 本当にどうかしてるわ。人間のやることって、どうしてこうなわけ?


 それでも、これくらいなら耐えられた。私にはお似合いのバツだと思えたから。

 彼がなかなか姿を現さないことにだって耐えられた。元から無謀な計画であることは分かっていたもの。


 あの夏の日、オウガとして蘇った彼を助け出した後のことは、正直、余り考えていなかった。

 ええ、彼も言っていた通り。

 先のこととか未来のことなんて、本当は全然、考えられなかった。島で隠れ潜みながら日々を過ごすうちに、組織への復讐だとか、そんなことは全部、どうでもよくなりかけていたから。


 不意に沸き起こる殺意と飢餓感に我を忘れそうになって、どうにか獲物を貪って理性を保っていたけれど。本当はもう、獲物をしとめた時の恍惚感にだけ身を任せてしまいたかった。


 それでも、彼だけは。彼だけは助け出さないと。勝手に道連れにしておいて、私だけ先に消えようだなんて。それだけは絶対に、どうしてもダメなの……!


 その想いだけが辛うじて理性を繋ぎ留めていて、だからせめて、私が私でなくなる前に彼を助け出したかった。


 けれど、なかなか思うようにはいかなくて、私が彼にしたことも全部知られてしまって。

 それでもなお、『最後までおれに付き合え』なんて言ってくれた時は、本当に涙が出るかと思った。

 そんな資格、あるはずないのに。


 それでも、彼と一緒だったら何だって出来る気がしてしまった。だから、考えなしの脱出計画になんか突き合わせてしまったのかもしれない。

 ……まぁ、彼も彼で良いアイディアなんてなかったようだから、多少は大目に見てほしいところだけれど。


 でも、いくらなんでも無謀過ぎたかしらね……。


 対抗勢力の研究所に連れてこられて一月ひとつき経ち、二月ふたつき経ち、段々と日付の感覚がなくなり始めて。

 私の身体を使った実験も、途中から、何かの薬物を試されることが多くなって。

 それは物理的に身体を刻まれるよりも辛くて、悶絶するのにも疲れて果てて、何だかぼうっとすることが多くなってきた頃。


「結城さん……? 結城さん……!」


 押し殺したような声を聞いた、――気がしたけれど。

 何よもう眠いのに。もうちょっと寝かせてよね。そんな気分で気怠さに身を任せようとしたけれど、


「結城さん!」


 余りのしつこさに、いつまでもくっついていようとする瞼を無理やりこじ開けると、視界いっぱいに現れたのは、見覚えのある女性だった。


 この人……え……、ナカジマ……さん?


 私をじっと覗き込む彼女は、以前より艶っぽく見えて。

 ええと、これは……。


 意識は戻ったけれど、身体は全然言うことを聞いてくれない。視界を巡らせてみれば、私の手足は手術台に拘束されたままで。


 そういえば、最近はずっとここだったっけ……。でも、どうしてこんなところに彼女がいるの?


 訝しむように見上げると、彼女は少しだけ緊張を解いたように見えた。


「わたしが、分かる?」

『――ええ』


 上手く声を出せなくて、目を瞬くだけで問いに応える。それでも意図は伝わったようで、彼女はほっとしたような顔をした。


「もうすぐ、彼がここに来るわ。だから協力してほしいの……!」


 どこか悲痛な声。そして、彼、という単語。それが誰を意味するのか、分からないわけがなかった。


『どういうこと?』


 上手く声を出せないもどかしさに、指先がわずかに動いて、ベッドに置かれた彼女の手に触れる。その途端、大量の情報が頭の中を駆け巡った。

 欠片のような、断片のようなその情報の奔流は、それでも確かな意味を紡いだ。



 **********



 中嶋さんと水野さんも、ここに連れてこられたこと。二人は別々に軟禁され、日々尋問のような取り調べや身体検査を受けていたこと。それでもはじめは、最低限の人権は尊重されていたらしいこと。けれどそれは、ある夜を境に簡単に崩れ落ちた。


 夜の寂しさに一人震えていた彼女を、あるとき突然、複数人の男が襲った。若い研究員と兵士たち。

 突然の凌辱に混乱したまま朝を迎えた彼女を、その有様を目撃したはずの世話役の老婦人は、溜息をついて黙殺した。

 しかも、屈辱と辱めはその夜だけで終わらなかった。あっという間に頻度が上がり、やがて彼女は、幾度となく手首にガラスの破片をあてがうようになっていく。


 それでも彼女は、顔を上げた。

 どうしてこのまま死ねるだろう。どうせ死ぬなら、死ぬ気なら、その前にできることがあるはずでしょう……?


 やがて彼女は、自ら男たちを誘うようになった。次第に、相手の望む女を演じ分けることが上手くなり、一人ずつ部屋に誘っては、男たちの繰り言を聴き、仕事の成果を自慢させるようになっていく。


 消息不明だった矢吹が発見され、どうしてか組織の一員になったらしいことも。

 彼らが、この研究施設に攻め入ろうと計画していることも。

 生け捕りにしたオウガを実験台にして、この組織が対オウガ薬の完成にまで漕ぎつけようとしていることも。

 全部全部、手に入れた。一人の男からもたらされる情報は断片的でも、繋ぎ合わせれば全体を掴むのは容易なこと。わたしが片言の英語しか解さない色情狂と油断しているなら、なおのこと……!


 今しかないと思った。今、この時のために私はこうしてきたのだと。

 だから、研究員の一人を上手く言いくるめてここまで来た。今はまだ、結城さんの様子を見に来たにすぎないけれど。彼女が協力者になり得るのか、それを確かめるために――



 **********



 中嶋さんの身体に触れて、彼女の記憶が、感情の波が私の中に入り込む。

 彼女の記憶を第三者的に観測したのか、まるで自分が中嶋さんになっていたのかすら、曖昧でぐちゃぐちゃになりかけて。


 余りの感覚に驚いて手を離すと、彼女も私を驚愕の表情で見下ろしていた。もしかしたら中嶋さんにも、何某(なにがし)かの私の記憶が垣間見えたのかもしれない。ただお互いに絶句して、その顔を見つめ合う。


「ええと、状況の説明は省いても大丈夫、なのかしら……」


 先に我に返ったのは、中嶋さんだった。私はただ、目線でだけ同意を伝える。

 上手く声を出せなかったせいだけれど、例え口がきけたとしても、言葉なんか出てこなかった。

 こんなの、動悸が収まらない。

 知りたくない、知るんじゃなかった。こんな彼女の、悲痛な決意は。


「嫌だわ、余計な手間が省けたのはいいけれど、すごく恥ずかしいわね、これ……」


 横を向いた中嶋さんのシャツの胸元から、豊満な胸が垣間見える。

 女の私から見ても、爛れそうなほどの色香が漂ってきて。以前に見た時は、青臭い生娘がいるだけだったのに。それが、こんな――


 胸が苦しくなった。この2~3歳年下の娘が辿った数奇な運命に。彼女がひたすら破滅に突き進んで見えたことに。それをただ一人のために踏みとどまっているのが、痛いほど伝わってきて。

 見上げた視線に、彼女は少しだけ苦笑するような顔をする。


「また来るわ。その時が来たら、貴方の助けがきっと必要になるから。だから今日は、心づもりだけお願いするつもりで来たの」


 何だか振り切るように、どこか逞しい雰囲気すら漂わせながら彼女は告げる。


 今の自分に何ができるのかという思いはあったけれど、彼女の決意を無碍には出来ないと思った。それが、どれほど危うい行為の上に成り立っていたとしても。何よりあいつを、矢吹を助けたい、その狂おしいほどの情念は同じだという確信があったから。


 もちろん、任せてよね。貴方にばかり活躍はさせないわよ……!


 私が微かに頷くと、彼女は満足げに笑って「それから」と言い添えた。


「もう一つお願いなのだけれど。わたしのことは裕香(ゆうか)って呼んでくれる? 『中嶋さん』じゃあ、なんだか余所余所しいから」


「……なら、私は真帆(まほ)でいいわ」


 なんとか声を絞り出すと、中嶋さん――裕香は艶っぽく微笑んだ。


「よろしくね、真帆さん」


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