3-7 急襲
月のない夜だった。
荒涼とした樹木が聳え立ち、凍てつく風が吹き荒ぶ。
ここは欧州の山中だ。辺りはすっかり夜の闇に沈んでいるが、おれの目には雪にけぶった寒々しい景観が見て取れた。
「Fire!」
イヤホンから聞こえた合図に、リモコンのスイッチを押す。と、前方で閃光が弾けた。
仰ぎ見れば、高さ20mはあろうかという無機質な外壁に、数人は通れるような大穴が開いていた。おれが先ほど設置した爆薬が上手く突破口を開いたようだ。
辺りには暴風が渦を巻き、輻射熱が容赦なく全身を炙ってくる。
でも、今のおれなら問題はない……。
「Rush!」
おれは力の限り跳躍した。見る間に壁が眼下に流れ、眼前に窓が迫る。
ここからが本番だ。
おれは両手に持った槌を突き立て、上昇の勢いを殺してやった。反動で身体が大きく反りあがる。その勢いに乗せて、今度は渾身の力を込めて窓を蹴り抜く。
バリィン
鈍い音がして窓が砕け、そのまま部屋に転がり込む。銃声と火花が散ったが、おれの動きの方が速い。身を低くしたまま室内を駆け抜け、壁を蹴って腕を薙ぐ。
パパパパパン!
連射銃が明後日の方向を撃ち尽くす音を最後に、辺りはすぐに静まり返った。
「クリア」
短く成功を伝えると、
「Roger. Go, go, go!!」
無線からの短い応答。
眼下を見れば、“仲間達”が壁を抜け、施設に雪崩れ込むところだった。どうやら上手くいったらしい。
――ここまでは計画通りだ。
高揚する意識を抑えて、周囲を見渡す。
ここは敵地の真っ只中、欧州の山中にある研究施設の一つだった。その敷地を取り巻くように建造された高い外壁と、幾つもの見張り台。それが今まで外部の侵入を阻んできた。それだけに、見張り台の一つでも潰すことができれば隙が生まれる。その隙を作るのが、今回のおれの任務の一つだった。
おれが切込み隊長役で、数十人規模の戦闘員がおれのフォローと攪乱役。さすがに1ヶ月かそこらの訓練だけでは、おれの練度にも限界がある。だから、今回はおれの身体能力に物を言わせた作戦が立てられていた。それでもかなりの成果を出せたんだから、全くもってオウガの戦力は馬鹿にできない。
今さらながら、おれの自意識を残したまま、兵士として使おうとした理由が分かった気がした。自我を奪われれば、命令に絶対服従の人形は出来上がるのかもしれないが、細かい融通など聞かないんだろう。臨機応変さが求められる今回のような単独任務など、論外に違いない。
まぁ、今のおれに他の奴らとの連携を求められても困るんだが……。
幸いなことに、端からそれは作戦に織り込まれていなかった。この後の作戦全てだ。こうなってくると、単なる練度の問題だけではなかったのかもしれないが。
おれが壊れて味方まで全滅させることのないようにという、そんな意図もあるかもしれない。あるいは、おれの食事を味方に見せないようにするためか……。
案の定、ちょっとまずい感じになりかけてきた。飢餓感に視界が揺らぐ。一度に力を使い過ぎたのかもしれない。
荒い息を整えながら、すぐさまエネルギーの補給にかかる。無差別に倒した奴らを口に運べば、思考もクリアになってくる。
敵への尊厳? 好悪なんて関係がない。そんなものに思考は避けない。
――文字通りの化け物だよな……。
頭のどこかで自嘲の念がこみ上げたが、それ以上は敢えて無視した。
今はいい。今はせいぜい、この力を利用してやる……。
胸ポケットに手を伸ばし、忍ばせていた小型爆弾をつまみ出す。それを突入部とは反対側の、敷地内部を見下ろせる強化ガラスに取り付ける。腕時計に目を落とせば、そろそろ予定時刻のはずだ。
……よし、3、2、1、時間だ。
起爆に合わせて跳躍する。外壁の敷地内、その中央に聳え立つ4階建ての建物目掛けて空を飛ぶ。
――待ってろ、お前ら。助けに来たぜ……!
*****
忍び込んだ施設の上層階は、拍子抜けするほど抵抗が少なかった。いたのは、震え上がった無抵抗の研究員ばかり。おれは舌打ちしながら、次々に扉を蹴破った。
潜入工作員から事前にもたらされた情報は、主要施設の位置関係とラフな構造のみだった。
外壁内部は東京ドーム2、3個分の広さがあって、今いる中央の建物はサッカーコートほどの敷地面積を有している。といっても、全てが建屋というわけではなく、中庭を囲うようなロの字型の造り。
そこまでは分かっていたが、各施設の内部情報までは不明で、あいつ等がどこに監禁されているかも一切不明。その場で探るより他になかった。
それで急いで上層階を見て回ったが、執務室や会議室の類だけ。中庭に面した窓から向かいの建物を見た限りでも、地上階は全て似た造りに見えた。
――本命は地下ってことか。
そう判断して中庭に飛び降りる。これも事前に擦り合わせた計画のうちだった。探索未了の部屋の最終確認は、後から上がってくる兵士たちに任せればいい。
だけど、地上階で合流した兵士によれば、地下にもあいつ等はいなかったらしい。
てっきりここだと思っていたのに。この施設以外は、大したことのない建物が点在しているだけに見えたのに。
部隊長を振り仰ぐと、いかにも百選練磨そうなガタイのいいその男も、応戦してくる敵勢力の激しさに苦戦を強いられているようだった。
確かに、ここで迂闊に建物から飛び出せば、銃弾や爆撃の餌食にされかねない。といって、次第に数を増してくるこいつ等を一掃してから結城たちを探し出そうと思ったら、さすがに時間を取られ過ぎてしまうだろう。
くそっ、その隙に逃げられでもしたらどうする……!
焦燥感に全身を締め上げられる。
それでも、勝手な行動は命とりだと、そう叩きこまれているだけに、イライラしながら臍を噛む。
おれ一人ならどうなろうと構わない。でも、おれのせいで結城や中嶋たちまでペナルティを喰らったら元も子もない……!
と、そこへ、
「お前は別行動だ。ターゲットを探し出せ」
日本語を解する仲間から無線で指示が飛ぶ。
どうやら、再度の単独行動が許されたらしい。確かにおれ一人なら、銃弾の雨でも何でも、ある程度躱して動き回れるだろう。多少、銃弾を喰らったところで支障もない。
話が早くて助かるぜ……!
おれは夜陰に乗じて、激戦区から離脱した。
どこだ、結城……! いるならおれに合図してくれ……!
*****
夜の闇は、今のおれには好都合だった。常人にとっては暗闇だろうと、ほんのわずかな明度があれば、物の形がくっきりと浮かび上がって見えたから。
あちこちから散発的に降ってくる銃弾の雨を躱しつつ、疑わしい気配を探して回れば、次第に候補は限られてくる。雪のせいで足を取られやすいのには辟易したが、建物の壁を蹴って跳躍を繰り返せば、それなりに動き回れた。
そうしてふと、小さな倉庫に目が向いた。寮と思しき二階建ての建物の群れ、その片隅にコンクリ固めの小さな建屋があった。ゴミ捨て用の小さな倉庫にしか見えないそれが、何だか妙におれの目を惹いた。
……ここ、か?
金属製の引き戸がなぜか、空きっぱなしになっていた。
いつの間にか、周囲からは銃弾の雨も止んでいた。暗闇の中、高速で動き回るおれの動きを見失ったのか。
おれもおれで、さすがに息が上がっていたから、正直言って助かった。飢餓感に、脳髄を鷲掴みにされかけていた。
ちきしょう、これがなければな……。
見張り台の死角になる位置を確かめながら、おれは腰のポーチに手を伸ばす。携帯食を取り出して食み、少しだけ息を吐く。
組織謹製の高カロリー食。製法なんて聞いていないが、おそらく禄でもないものだろう。だけど、今のおれにそれを責める資格などない。あるはずもない。
オウガなんて存在が、歪過ぎて狂ってやがるな……。
独り言ちて頭を振る。怪しい倉庫に目を向け直す。
やっぱりここだ、ここにいる。
待ってろ結城。遅くなったが迎えに来たぜ……!




