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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
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IF Story:帰郷の果てに ⑥

 本節まで、久瀬の視点です。

 

 浩史は私の親友だった。

 知り合ったのは会社に入ってすぐのこと。彼はベンチャー製薬会社の同期だった。


 私は当時から、世の中を斜に構えて見ていたような人間だったが、なぜか浩史とはすぐに意気投合した。あいつは青臭くて熱い奴で、私とは正反対だ。たが、嘘のない真っすぐなところが、好ましく映ってしまったのかもしれない。


 一方の会社はM&Aの波に揉まれ、あっさりと買収されては社名を変えるような状況が続いた。だが、私たちは常に高給を維持していたし、激務の中でも、あいつと成果を競い合うのは楽しかった。


 弁明するつもりは毛頭ないが、新薬開発は博打のような側面があり、当たらなければ全てを失う。ゆえに、型にはまったルールに従うだけでは、まず生き残れない。

 そんな詭弁を言い訳にして、私は反則すれすれの行為を繰り返すようになっており、周囲の者たちの些細なルール違反にも慣れてしまっていた。

 ……まぁ、赤信号くらい渡っても構わない。多少のスピード違反など可愛いもの。多少の誇張も方便のうちだろう。そんな意識だった。今となっては、どこで限界を踏み越えたのか分からない。

 行き過ぎだ、そう気づいた時には遅かった。会社が裏で軍事産業、今の『組織』と関りを持っていることに気づいた時には、もう深みに嵌り過ぎていた。


 『組織』が裏社会で急速に台頭していくにつれ、私達が間接的に関与するルール違反の数も質も、見る間に度を越していった。もはや明らかな犯罪行為だ。良心の赦す範囲を一足飛びに踏み越えられ、正直に言えば、絶句しか出てこなかった。

 手を切るべきだと思い、身を隠すことも考えたが、私達は余計なことを知り過ぎていた。なまじ出世していたのが致命傷だった。仮に警察に出頭したところで、全ての罪を被せられて口封じされただけだろう。

 もはや組織から抜けることなど、15年前のあのときですら容易ではなかった。

 なのに、あいつは先走って……!


 私は、浩史を追わざるを得なくなった。


 ばかやろうが! 逃げ切れないことなど、分かっていただろう……!


 追い詰められ、逃げ場を失った浩史は、まだ小さかった涼司を抱えて私と対峙した。投降を呼びかけても、浩史は首を横に振った。当然といえば当然だった。裏切り者には死を。それが暗黙の了解だったのだから。


 それでも、『せめて家族だけは救ってやるから。』

 そう告げるよう上司に強要された私の説得を、浩史は最終的に受け入れた。

 幼い涼司を私に託し、上層部の奴らの前に引きずり出された浩史は、当然、自身が死ぬことは覚悟していただろう。だが、組織が家族全員を抹殺するつもりだと気づき、激怒した。

 私も唖然とした。まさか、その約束すら違えるとは思わなかった。

 甘かった。当時の私たちは、余りにも甘かった。

 何とか止めさせようと思っても、まだ地位の低い私にはどうしようもなかった。


 捕らえられた浩史は、涼司とは別に監禁され、拷問紛いの取り調べを受けた。どこかに隠れ潜んだ妻と娘の居所を吐かせようとしていたのだろう。無論、浩史は口を割らなかったし、私も今度こそ手伝いはしなかった。私自身の家族をダシに脅されようと、これ以上、組織に踊らされるのはご免だった。

 だが、どうやってか、組織は浩史の妻や娘にまでその魔手を伸ばそうとし、浩史はついに我を忘れた。組織を抜け出す前に研究施設に仕込んでいた大量の爆発性の試薬。その全てを起爆させたのだ。

 混乱に乗じて、浩史は涼司を連れて逃げ出した。


 最終的にそれを見逃したのは、私だ。

 すぐに逃げ場を失った浩史と涼司を、こっそり手引きして逃がしたのは、他ならぬ私自身の選択だった。


 浩史が崩壊させた施設の中に、私の娘も囚われていたことを知ったのは、浩史がすでに身を隠した後だった。


 取り返しのつかない事態は続いた。

 私が浩史を逃がしたことに感づいた上司は、私の知らぬ間に、妻に接近した。自身はさも善人のように振舞い、私の加担している犯罪の数々を妻に耳打ちした。さらに、家族ぐるみの付き合いをしていた浩史が愛娘を殺したこと、私がその浩史をこっそり逃がしたことを告げ、妻を追い込んでいった。


 巧妙な詐欺師の手口だ。真実を織り交ぜた大量の嘘を吹き込まれ、まだ娘を失った痛手からも立ち直っていなかった妻は、私を責め立てた。

 妻にまともな弁明もできず、開き直るほどの厚顔さも持てず、口惜しさで破裂しそうになっていた私には、妻を労わることが出来なかった。

 ……全く、嗤いしか出てこない。


 それから妻とは何度となく口論を繰り返した。お互い、精神的に追い詰められ、半分、病んでいたかもしれない。

 それでも、私には仕事があった。仕事の全てが犯罪行為だったわけでもなく、まともな活動もあった。逃げ場があった。

 妻はそれを持たなかった。


 ……いや。

 恐らく妻は、それでも、私に歩み寄ろうとしてくれた。

 怒りと哀しみに押し潰され、壊れそうになりながらも、それでも私を赦し、日のあたる場所を共に探そうとしてくれていた。

 彼女はそう言う人だ。私はそれを知っていた。誰よりも知っていたはずなのに。

 当時の私には、彼女の気持ちに想いを馳せることが最後までできなかった。


 結局、上司の最後の嘘が引き金となり、彼女は自殺した。


 今振り返ると笑ってしまうが、私も一時は、後を追おうかとさえ考えたことがある。失って初めて気づく、というやつだろうか。あるいは、ただの気の迷いだったのかもしれないが。


 それでも、自身のせいで身近な人間が何度も死ぬのは。物言わぬ冷たいむくろになっている様を何度も目の当たりにさせられるのは、少々堪えた。

 頭の半分が陥没して血濡れた娘の顔、それをさすったところで目を覚ますのが当時の私の常だったが。

 その後しばらくは、虚ろな瞳で赤く染まった湯船を漂う彼女の姿まで、脳裏にこびり付いて離れなくなった。


 眠っていても目を開けても視野が紅く染まるのに倦んできた頃。ビルの屋上から、遥か下方の車の流れを眺めながら、弾け飛んだ己の姿を思い描き、これで少しは胸がすくかと足を踏み出しかけたとき。

 そこでようやく違和感に気付いた。

 何かがおかしい。何かが私を嵌めようとしている――


 それで、真実を求めた。

 私の死が誰かを喜ばせるのなら、もう少し抗ってやろう。

 そう思った。

 誰が思い通りになどやってやるものか。

 私を陥れたこと、後悔させてやる――


 それまで忌避していた行為を行うことにも、一切の躊躇いが無くなった。その頃には、組織内でそれなりの立場になっており、動きやすくなっていたことも幸いした。

 そうして探り出した真実に。

 もはや大して心動かされることはないだろうと思っていた私は、再度、打ちのめされる羽目になった。


 上司にこれほど遠まわしに追い込まれたのは、自分がいつの間にか、上司の弱点にあたる証拠を押さえていた為だった。上司は、それを消し去ろうしようと暗躍していた。ただそれだけ、そんなもののために彼女は死んだ。

 その証拠は以前、浩史から託されたもの。こんなくだらないものの為に……!


 浩史のせいだと思った。

 私が全てを失ったのは、あいつのせいだと。

 ……いや違う。浩史の責任ではない。そんなことは分かっていた。

 この組織だ。全ては、この組織が元凶だ。

 そんなこと、誰でも分かる論理だった。


 だが、浩史はこうした顛末の一切を知らなかった。

 私が家族を奪われ、痛みを抱えている間も、あいつはのうのうと過ごしているに違いないのだ。家族との温かな時間を……!


 初めて、あいつが憎いと思った。

 娘を殺されたのも、彼女が死んだのも、あいつだけ組織から逃れ得たのも、一つ一つなら、私の選択の結果だと飲み下すことはできた。

 だが、全てが重なってしまった。あいつだけが何一つ失わず、幸せな時間を謳歌しているのだと思うと、胸を焦がすような憎悪が込み上げた。


 思い知らせてやろうと思った。

 私から何もかもを奪っていった奴ら。

 その全てに復讐してやる……!



 3年前、所在が割れて久しぶりに顔を見た浩史は、驚くほど昔と変わらなかった。込み上げる懐かしさと同時に、全身を掻き毟ってやりたいほどの憎しみを覚えた。変わらずにいられた、そのことが指し示す事実に黒い衝動が湧き起こった。


 まずは私と同じ苦しみを与えてやろう。

 その思いから、あいつの息子を奪った。自分のせいで死んでいく家族を、目の前に突きつけてやりたかった。


 そして、その結果がこれか……。


 自分の論理に、一欠けらの正義もないことは分かっていた。どのような目に遭おうと、それで浩史を、まして罪の無い涼司を、こんな目に遭わせて良い理由などあるわけがない。だが、頭で分かっていても駄目だった。


 せめて浩史の所在が割れずに済めば、それでも手出しせずに済んだかもしれない。復讐してやろうとは考えていたが、あくまでも組織が先だ。浩史など二の次だった。


 だが、見つけてしまった。それまでは名前も変え、隠れ潜むように各地を転々としていたようだが、なぜか長居している場所があった。涼司がひと騒ぎ起こした場所にも関わらず、だ。

 そして、目の当たりにしてしまった。

 やはり浩史は、家族に囲まれて温かな時間を過ごしていた。それなりの苦労はあったようだが、私から見れば、憎しみしか掻き立てられない温もりだった。もはや何の復讐もせず、組織の目からもう一度匿ってやることなど、出来るはずもなかった。


 だが、彼らには、おつりが来るほどの仕打ちをしてしまったな……。


 これで、浩史に対する私の復讐は終わった。これ以上、浩史を責めるどんな理由も見当たらなかった。


 もう彼らを自由にしてやろうか。

 そんな思考も脳裏を掠める。

 だが、今は――


 まだ組織への復讐は終わっていない。むしろ、始まったばかりだった。想定以上に早く、反旗を翻してしまった。それだけに、やり遂げるには今や、涼司と浩史の力が不可欠に思えた。

 特に涼司だ。頭部を破壊される前に垣間見せた、あの異常な回復力と腕力には驚かされた。あれは、今までのオウガの常識を超えている。

 あの力を強化できれば、あるいは――


 そこまで考えて、自嘲が込み上げて来た。

 いつのまにか、立場がすっかり逆転しているな。


 今や、私は浩史と涼司の復讐の対象だろう。それも、筆頭に挙げられるほどの。


 だが、それでいい。組織を潰すためなら、どれほど恨まれようと構わない。どんな手を使ってでも組織を叩き潰す。それさえ終われば、後は好きにしてくれて構わない。私を殺してくれるのなら、むしろそれは願ったりだった。


 ……きっとこれも、勝手な言い分だろう。

 だが、それでも今は――


「戻って来い! そして私を殺してみるがいい! ――涼司!!」


 虚空を見つめたままの涼司の頬を打ち、一喝する。

 僅かに、涼司の瞳が動いた気がした。


 ……っ!

 慌てて涼司の落ち窪んだ眼窩を覗き込む。

 今度は、はっきりと瞳が動いた。私を睨み、半分潰れた顔に、わずかな薄笑いを張り付けている。

 思わず顔が上気する。


 はは、戻ってきたか……!

 ならば後は、――


 立ち上がり、壊れたままの浩史の胸倉を掴んだ。狂ったように笑い続ける浩史の頬を2、3発殴ってやる。


「おい、仕事だ!」


 いまだ焦点の合わない瞳を涼司に向かせる。


「いつまでも呆けている場合じゃない。よく見ろ、浩史! お前の息子はまだ生きているぞ! さっさと全快させてみせろ!」 


 さあ、全てはこれからだ。

 組織の中枢に、目にものを見せてやろう……!


 IF Storyはここで終わりです。

 次の節から、本編に戻ります。

 本編も、同じ過去を抱えた者たちです。彼らが織り成す行く末、見届けてやってください。

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