IF Story:帰郷の果てに ⑤
浩史の妻か娘を使ってはどうか、その提案を拒絶した私に、仁科は珍しく異を唱えてきた。
「なぜです? 彼女等も今が最適な精神状態でしょう。息子に失敗した今、彼女等を使わない手はないと思いますが?」
「最適……?」
思わせぶりな仁科の言葉に、嫌な予感が這い上がる。
背後に佇む大鏡。
「貴様、まさかあそこに……!?」
当然だといわんばかりに頷かれ、憤怒の念が込み上げた。
「誰の指示だ! そんなこと、許可した覚えはない!」
仁科は皮肉げに顔を歪めた。
「何をそんなに怒っていらっしゃるんです? あなたの上ですよ、専務。確かにあなたは私の上司ですが、それより上から命じられれば、私はそちらに従いますからねぇ」
いけしゃあしゃあと宣う仁科を睨み付け、逸る足で隣の部屋に向かう。
ドアを開け放つと、惨憺たる実験場と、二人の女性の後ろ姿が見えた。
大窓越しとはいえ、磨き上げられた強化ガラスに視界を遮る要素はなく。
まして、窓に近接する椅子に括り付けられた二人には、眼前の光景が手に取るように見えただろう。ご丁寧に、実験場の音までクリアに聞こえてくる。
臍を噛む思いで彼女たちの前に立ち、その瞬間、
……――。
そこには、全てがあった。
正の対極にある感情、その全てが、その顔に刻み込まれていた。
これを全て、はじめから目の当たりにさせたのか……。
今も断続的に漏れ聞こえる、浩史の壊れた嗤い声。
それに混じるのは、声にならない慟哭。きつく猿轡を噛まされたせいで声を上げることもできず、涙と嗚咽に溺れそうになっている二人の乱れた呼吸だった。
「どうです。言った通りだったでしょう?」
仁科が兵士を伴って部屋に入って来る。小刻みに震え続ける二人をちらりと眺め、くつくつと笑いながら口を開く。
「今なら彼女達も、なかなか良い線、行けると思うんですがねぇ」
普段なら圧し潰していたかもしれない。
だが、どうしてか今日は我慢ならなかった。
「戯言を……! これ以上勝手な真似はさせんぞ!」
仁科は一瞬目を見開き、それから呆れたように肩を竦めた。
「あなたも分からない人ですね。あれだけのことをしておいて、なぜ今さら、この行為を否定なさるんです?」
仁科の言うことは正しい。このような光景、今まで幾度も目にしてきたはずだ。ましてそれを実行したのは私だ。――それでも。
「貴様の受けた命はここまでだろう。私の許可がなければ、これ以上の行為はできないはずだ」
私の答えが変わらないと悟ったのか、仁科はやれやれと溜息をついた。
「まあ、今まではね。――ですが」
そういって鼻白む。
「これほど貴重な機会をみすみす見逃そうとは、さすがに看過できないのでね」
仁科が私を据える。蛇を思わせる双眸。
「私も報告させていただきますよ。あなたの挙動が不審だとね」
「――報告?」
仁科はニヤニヤと笑みを浮かべる。
「あなたが気付いておられるかは知りませんが……。あなたはもう、ずっと以前から目をつけられていたんですよ。シンシアのことといい、あなたの動きはどうも怪しい。
いやいや、今だってそうでしょう? 失ったシンシアの代替を用意することでしか、あなたの過失を贖う道はないはずなのに、それすら避けようとは、全く」
そこでいったん言葉を区切り、幾分冷えた眼が私を見据える。
「あなたも当然ご存じのはずですよねぇ? ウィルスの相性は遺伝し得ると。確率としては決して高くないですが、極めて相性の良かった矢吹の母親と妹ですよ? 期待するなという方が難しい。まして彼女等は裏切り者を生んだ要因だ。――それでもなお、実験を行わないと?」
無言の私に、仁科はふっと嗤いを零す。
それから、腕を上げた。廊下の陰から仁科子飼いの兵士達が姿を現す。
「残念ですよ、専務」
言って、仁科は兵士に命じる。
「奴を拘束しろ」
――だが。
兵士達は動かなかった。
仁科が眉を顰める。
「おい、貴様ら……」
苛立ったように吐き捨てる。
「何をしている! これはボスからの勅令だぞ!」
だが、それでも。
兵士達は無表情で仁科を見つめた。
私は苦笑するようにして合図を送る。
「仁科を捕らえたまえ」
「なっ……!」
見る間に縛り上げられた仁科は、憤怒の表情を浮かべて兵士を睨んだ。
「貴様ら、なぜ……!」
私は思わず苦笑した。
「君は、人の上に立つような人間ではないな。部下のことをただの駒としか見ていないから、足元をすくわれるのだよ」
「何を……! 貴様は違うとでも言う気か! 貴様がこれまで部下に何をしてきたのか、忘れたわけではないだろう……!」
私は肩を竦めた。
「確かにな。――まあしかし、君よりはまし、ということではないのかね?」
笑い含みに答えてから、まだ何か言いたげにしていた仁科を連れ出すよう指示を出す。憎々し気に私を見上げる仁科の顔が、……まぁ、可愛げがあるように見えなくもない。
それから大窓の向こうに目を向けた。ぴくりとも動かない涼司の側で、浩史がいつまでも壊れた笑いを上げ続けている。
目前の妻と娘の慟哭も収まる気配はない。
それを一瞥し、私は踵を返した。
部屋を出たところで、信のおける部下に指示を出す。
彼女等を部屋に連れ戻し、しばらく決して目を離すな。そう念を押してから、実験場に向かう。
……まぁ無責任な言い方だが、彼女達なら、なんとかなるだろう。そう思った。
芯の強い目をしていた。一時的に理性を失うかもしれないが、それでも、時間をかければ回復するだろう。
問題は、浩史と涼司だった。
あのままいけば、涼司は間違いなく蘇る。その確信には思わず身体が震えた。
だが、その途上で涼司が頭部を破壊されるとは思ってもみなかった。痛恨の痛手だった。
脳を粉砕されれば、第二形態のオウガといえども活動を停止する。それが、今までの研究から得られた結論だった。
……正直に言えば、あのときの仁科の暴挙も分からないではない。あの貴重さがいか程のものか、骨身に染みて分かるからこその激怒だろう。
――いずれにせよ。
血の海に沈む涼司を見下ろし、私は唇を噛んだ。
さすがにもう、助からないか……?
未だ枯れ枝のような涼司の腕をとり、その手を握る。
力を籠めれば脆く崩れる、ということはない。私の握力ではびくともしない。
――ならば。
強く念じた。心に刻み付けるよう、魂を抉るように念を送る。
――戻って来い、涼司。私が憎いだろう? 家族を助けたいだろう?
ならば戻って、我々を殺して見せろ……!!
しかし、ついぞ、涼司の口から再び言葉が発せられることはなく、掴んだ手が握り返されることもなかった。
ただ失望の吐息が漏れた。
『自分が何をしているのか、貴様は本当に分かっているのか……!?』
苦し紛れに叫んだ仁科の言葉を思い出し、自嘲が込み上げる。
浩史の家族に何をしたのか、それは十二分に理解しているつもりだった。
息子の命を手酷いやり方で奪い、浩史には自身が殺されるより惨い仕打ちをしてみせた。
母親と妹にまで身を切るより辛い思いをさせた。特に母親……紗夜の心痛を思うと、私でさえ罪の意識を感じざるを得なかった。
だが、元より許されるなどとは思っていない。これは、分かっていてやったことなのだ。
全ては、私の復讐のために――




