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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
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IF Story:帰郷の果てに ④

本節は視点が変わります。

久瀬くぜ 一真かずま


 全身をハチの巣にされ、仁科に踏みしだかれた日高の息子は、それでもまだ息があった。


 ……やはり、まだ死ねないか。


 手で合図を送ると、兵士が涼司の両手足を床に拘束し直していく。床に埋め込まれた無数の鎖。その一部を引き出して、痛みに縮こまろうとする身体を強引に押し広げた形で固定していく。


「……はぁっ…はぁ…ひぐっ……」

 苦痛に脂汗を浮かべながらも、憎悪の篭った眼差しで睨み上げる涼司に、仁科は声を上げて嗤った。


「いいぞ。もっとだ。もっといい声で哭いてみろ! ひゃはははは!」

 傷口を足で踏み躙られ、涼司は絶叫した。


 私は内心で溜息をついた。

 仁科の残虐さに火が付いてしまったようだ。普段はあれでなかなか聡い男だが、シンシアを解放されて怒り心頭なのだろう。自らの経歴の手痛い失点になるからな。

 まぁそれは、私も同様なのだが……。


「り、涼司っ……!」

 正視しきれなくなったのだろう。思わず顔を背けた浩史に、涼司が怒気を露わにした声を絞り出した。


「おい……くそ親父……」

 すっかり形相の変わった顔から、燃えるような眼差しが浩史を見据えていた。


「眼ぇ…逸らすな……てめぇの……眼で…ぐぶっ」


 仁科に傷口を抉られ、大量の血が口から溢れる。苦悶に歪んだ表情。


「安心…しろ………てめぇも……いつか、殺して……や……」


 そこまでだった。

 体が小刻みに痙攣を始め、涼司はそれ以上何も口にすることができなくなった。

 それでも、なお。

 絶命するまでには、今しばしの時間を要するだろう。

 馴らしを受けた影響が、多分に出てしまっている。


「くっくくくっ……。専務、どうします? もう限界のようですが?」

 

 私は頷いた。事ここに至っては仕方がない。

「――やりたまえ」


 内心、浩史か仁科が、それまでに涼司を絶命させる可能性に期待していた。

 多数の細胞が死滅した後ならば。絶命したと判じられた直後にウィルスの投与を行えば。彼なら、高位のオウガとして蘇る確信があった。ある意味、生まれ変わる可能性が残されていた。


 だが、さすがは仁科か、絶命寸前のラインで仕上げてきたようだ。オウガ研究の第一人者でもあるという肩書は伊達ではないらしい。

 ゆえに予定通り、生前での高濃度ウィルス投与を行うことになる。

 そして、この実験で生き延びた者はいなかった。――シンシアを除いては。


 これで蘇る可能性はほぼ失われるだろう。

 だが、……。

 私は小さく瞑目した。

 これでよかったのかもしれない。


 合図を受けてすぐ、後ろに控えた研究員が涼司の頭部に注射針を打ち込む。

 途端にカっと見開かれる眼。瞳孔が限界まで開き、――その後に続く顛末を予想し、知らず全身が硬くなる。


「あ……ひぁっ……ああああっ!」


 想像に違わず、涼司は激しく体を痙攣させ、喉から絶叫を迸らせた。死の淵にあったとは思えないほど、激しく体をのけ反らせる。

 だが、今回はそれで終わりではなかった。


「あ…ああ……ゔあああああっ!」

 唖然とする兵士達の目の前で、涼司の体が裂け、血飛沫が舞う。


「ごふっ、がはっ……」

 まるで内部から喰い荒らす何かでも居るかように、全身から血濡れた臓器が弾け飛ぶ。

 口元からは泡まみれの血を噴き出し続け、その瞳はもはや、何も映し出していないのだろうが、少しでも苦しみから逃れようというかのように、虚空を見つめて床をずるずると這い回る。


 ……これは、まさか……。


 生きたまま高濃度ウィルスを投入する。その試みは初めてではなかった。

 だが、今までは全て即死だった。全身が破裂して終わり。5秒と保ったものはいない。それが――


「がふっ……ひぐっ……あぁ……ああぁ……!」

「……り……涼司……!」


 へたり込むようにしていた浩史が、よろめきながら涼司に手を伸ばした。つんのめるように足を踏み出し、(そば)に近づこうとして、我に返った仁科と兵士達に押さえ込まれる。


 それを視界の端に捉えながら、私も衝撃を隠し切れずにいた。

 ……これは、シンシアの時と同じなのか……?


 他の実験体には無く、シンシアにだけあったもの。それは大幅な身体の欠損と悪感情、とりわけ憎悪の激しさだった。


 ウィルス投与の直前、死の淵にあった彼女は、憤怒と悲嘆の入り混じった鬼のような形相をして見せた。生来のあどけなさなど微塵も残されていなかった。その極秘映像を初めて目にした折は、私ですら胸を突かれたものだ。


 兵士たちによる手酷い暴行と、狂気じみた研究者による拷問紛いの実験。息を引き取る寸前のウィルス投与。苦しみ抜いたであろう時間の末に現れたのは、熱に浮かされたような血色の瞳。虚無の色を宿して、凝然と周囲を見渡す姿がそこにあった。


 これらの情報から生み出されたのが、身体の損壊レベルと悪感情を限界まで高めておけば第2形態になり得るのでは、という仮説だった。

 この仮説を立証すべく、筆舌に尽くしがたい実験が展開された。

 そうして実際に、感情の起伏がウィルスによる変態の衝撃を緩和し得ることが証明され、緩和物質の特定とその合成すら可能となりつつあった。


 だが、そこまで至ってもなお、シンシアほど稀有な存在は再現できずにいた。生来の相性という、解明しきれない壁が立ちはだかった。


 ゆえに、高濃度ウィルスの生前投与は、次第に見送られるようになっていった。実験体が使い物にならなくなる確率の方が圧倒的に高いことに加え、まだシンシアもいたからだ。

 私がこの実験島で実権を握ってからは、貴重な検体ほど、無謀な博打実験を避けるようにもしてきた。


 涼司についても同様だった。想定以上にウィルスとの相性が良かったことには驚かされたが、だからこそ、高位のオウガとするつもりだった。

 今回、その予定を切り替えざるを得なくなったのは、シンシアの解放に加えて、浩史の二度目の裏切りが発覚したためだ。幹部連中を納得させるためにも、ウィルスとの相性が極めて良い身体を使っての高濃度投与実験、それも『裏切り者への見せしめ』という要素を含んだパフォーマンスが必要となっていた。


 だが、まさか本当に、第二のシンシアになり得るか……?


 蘇る可能性があるのなら重畳(ちょうじょう)だ。できれば涼司を殺したくないと感じていたのは、嘘ではなかった。


 とはいえ、悶絶しながら肉塊と化していく様を長時間目の当たりにさせられるのは、私と言えども少なからず平常心が揺らいだ。


「頼む、頼むから……もう止めさせてくれ……!!」


 途中で浩史の絶叫が響いたが、それに応える者などいない。……仮に助けたいと思う者がいても、何かができる人間など、もはやこの場にはいなかっただろう。


 涼司の動きが途絶えるまで、果たしてどれほどの時間がかかったのか。

 恐らく10分にも満たなかったはずだが、体感的には1時間にも及ぶような錯覚を覚えた。

 そうして、改めて確認するまでもなく、もはや身体は原形を留めていなかった。皮と骨の残骸、その周りに一人分の血液と体液がぶちまけられ、足の踏み場もなかった。

 ただ、浩史の号泣と嗚咽だけが、辺りの静寂を搔き乱した。


 ……失敗……したのか。


 一拍の間をおいて、仁科が研究員に指示を飛ばす。

 涼司の生死を確認するよう命じられ、これ以上ないほど慄きながらも、研究員の男は血の海に足を踏み出す。涼司だったものの傍に近づく。そうして目を見張った。


「い、生きてます! こいつ、まだ生きて……!」


 私の位置からでもはっきりと視認できた。

 血の海に塗れた骨の回りから、肉片が凄まじい勢いで盛り上がっているのが見えた。


「どうします、こいつ……」


 そう言い掛けて振り返った男の首が、「ぐがっ……!」

 突然、掴まれた。

 ――涼司の手だ。


 まだ骨が露わになった枯れ枝のようなその指で、ぎりぎりと男の首を締め上げ始める。

 拘束具はすでにない。骨と肉片が散在したような状態からの再生で、そんなものはどこかに外れてしまっていた。


「なっ、このっ……!」


 逃れようと、男が涼司の腕を掴む。握り締めた掌の端から、再生しかけた肉片がぶちぶちと潰れ、床に落ちていくのが見えた。


「引き離せ!」


 傍らの兵士を向かわせたが、その細い腕は数人がかりでも全く引き剥がせないらしい。括り上げられた男は口から泡を吹き、目を剥き始めた。


「この、バケモノが!」

 業を煮やしたらしき兵士の一人が腰の銃に手を伸ばす。


「ばかっ……止めろ!!」


 仁科が止める間もなかった。兵士は涼司の頭に狙いを定め、躊躇なくその引き金を引いた。


 頭の半分を吹き飛ばされ、涼司はその場に崩れ落ちる。

 解放されて激しく咳き込む男。

 それを気遣うようにした兵士を、仁科は憤怒の形相で睨みつけた。


「この……馬鹿どもが!」

「ですが、あのままではこいつが――」


 仁科は銃口を兵士の胸に向けた。「死ね」


 銃声が響き、はっと顔を上げた研究員の顔にも、仁科は銃を突きつける。


「止めろ! これ以上……!」


 私の静止にも構わず、仁科は引き金を引く。

 辺りを包む静寂。

 思わず吐息が零れた。


 ……醜態だな。

 何を勝手な真似を、と仁科を処断してやりたかった。

 だが、仁科は部下とはいえ、私とは別の一派に属する人間だ。明確な裏切り行為でもない限り、私の一存で処罰することは不可能、ではないが、余計な軋轢を生みたくはなかった。――今は、まだ。


 それで、瞬きをするだけで頭を切り替える。

「……失敗したのか?」


 そう尋ねると、仁科は無言のまま涼司を見下ろし、再生しかけた身体を脚でぞんざいに引き倒す。そのまま力なく転がった姿を見て、仁科は忌々し気に吐き捨てた。

「そのようですな」


 確かに、な……。

 この位置からでも十分に見てとれた。

 至近距離から頭の半分を吹き飛ばされ、無残に潰れた顔から、カっと見開かれた目が虚空を見つめていた。


「……りょ……じぃ……」


 言葉にならない音を漏らしたのは浩史だ。よろけるように涼司に辿り着き、そのまま震える手で顔をさする。途端にぐちゃりと濡めった音がして、その手から血と肉片が滴り落ちた。


「う……ああああぁっ!!」


 さすがに理性が吹き飛んだか。浩史は落ちていた銃を掴み、自身の頭に向ける。

 だが、傷を負った動きは遅かった。その引き金を引かせる前に、浩司の腕を射抜く。


「は…はは……ははははは!」


 血の海に倒れ込み、狂ったように笑う浩史を煩わし気に見下ろしながら、仁科は私を振り仰いだ。


「こいつも、もう使い物にならないのでは?」

「……かもしれん」


 私は浩史を見下ろし、それからもう一度、涼司に視線を向けた。

「彼は、もう蘇生しないのか?」


 仁科は、彼にしては心底口惜しそうに顔を歪ませた。


「なんとも言えませんが、その可能性は高いでしょうな。通常であれば、脳を吹き飛ばされれば活動を停止しますから」

「――そうか」


 結局、ただ惨い死を与えただけだったか。

 そう思うと、胸に苦い思いが込み上げる。

 自身が成したことだとは百も承知していたが。


「どうします? 妻か娘を使いますか?」


 その選択肢を持ち出されたことに、我ながら嫌悪感を覚える。だが、

「いや」

 とだけ答え、私は浩史にちらりと視線を投げた。

 止め処なく涙を零しながら、ケタケタと笑い続ける浩史。

 ……胸がわずかにざわめいた。


「とにかく、日高を連れ出せ。あとはこいつ次第と言っておこうか」


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