IF Story:帰郷の果てに ②
「出ろ」
不快げな声が聞こえて、おれはのろのろと顔を上げた。
開け放たれた牢の入口に、ひどく不愉快そうな顔の兵士達が立っていた。
どうやらついて来い、ということらしい。
家から連れ出され、船倉に押し込められて、抜け出たはずの島に連れ戻されて。実験棟の地下牢に入れられてから、既に丸三日が過ぎていた。これから何が起こるのか、否が応にも想像はついた。
「早くしろ!」
緩慢な動作で立ち上がると、兵士達は再び苛立った声をあげた。
向かいの牢では、すでに理性をなくしたオウガ達が、下卑た嗤い声と罵声をあげ続けている。それに混じって、兵士達の舌打ちが聞こえた。
「いつ来てもここはひでぇなあ」
「全く、こんなところに長くいたら、こっちまでおかしくなっちまう」
牢から出たおれを眺めて、兵士達は歪んだ笑みを浮かべた。
「まぁ、お前には関係のない話だな。お前もすぐ、こいつらの仲間入りをするんだろう? 今のうちに挨拶くらい、しておけばどうだ?」
「……知るか」
小さくそう呟くと、兵士達は顔を見合わせた。大方、命乞いでもすることを期待していたんだろう。不機嫌そうに舌打ちして、おれの背中を小突いてくる。
「ほら、さっさと歩け!」
おれは促されるまま、兵士の後に続いた。今さら逃げられるとは思わなかった。
ここに連れてこられたときから、おれの両手には分厚い金属製の枷が嵌められ、足にも重い鎖が付けられている。ひきずるように歩くことしかできなかった。
***
連れてこられたのは、コンクリートで塗り固められた殺風景な部屋だった。強烈な消毒薬の臭いに混じって、もう嗅ぎなれてしまった腐臭が微かに立ち込めている。
大きさは、学生時代の音楽教室くらいだろうか。天井のやけに高い空間だった。ゆうに2階分はありそうな天井の中央には、いかにも御大層なライトやカメラが据え付けられ、そのカメラが映し出す先には、手枷のついた2本の鎖が壁から張り出している。おれは壁に背を預ける形でその手枷に繋ぎ直され、見張りの男を一人残して放置された。
十数m向こうの正面の壁に目を向ければ、黒板サイズの黒光りする大窓。ひどく薄汚れて荒んだ顔の男が見えて、おれは目を背けた。
明らかな異彩を放つそれは、例の如く、マジックミラーにでもなっているんだろう。全く、趣味の悪い……。
「君もつくづく運がなかったよな。せっかく逃げ出せたっていうのに」
研究員らしき中年の男が、不意に声を発した。鎖に繋がれたおれを見てそう呟き、自嘲気味に笑う。
「返事もなしか。……そうだよな、本当にすまないと思ってるよ」
……この男。
思わず見返してしまったおれの顔に何を感じたのか。研究員は苦しげに顔を歪めた。
「助けてほしいのか? 悪いな、そいつは僕にも無理なんだ。逆らえば命がないからな。いや、僕だっていつ同じ目に遭うか。あぁくそっ、どうして僕がこんな目に……」
そのままぶつぶつと懺悔にも似た呟きを繰り返す。
……そういうことか。
苦笑が込み上げた。ほんの僅かでも期待を抱いてしまったらしい。
そんな自分に心底笑えた。
これが夢であったら、などと女々しいことを考えるのは止めたはずだった。おれは親父に裏切られ、ここに捕らえられている。誰も助けになどこないし、逃げる手段もない。それが現実だ。
けど、十分すぎるほど分かっているはずなのに、こうしてまだ誰かが助けてくれることを期待している。
誰か? 誰かって誰だよ。……まさか親父? あいつに期待してるのか?
瞬間、吐き気のするような嫌悪感に全身が締め上げられた。行き場のない憤りが胸を焦がす。
くそっ! ばかか! 何であいつなんかに……!!
ギリギリと歯を食いしばり、鎖を鳴らして研究員を怯えさせ、……その意味のない行為には力が抜けた。
はは……情けねぇ……。おれはこんなに情けねぇ奴だったのか……。
そのとき、扉が開いた。
ぞろぞろと男達が入ってくる。
仁科と白衣姿の研究員に兵士たち、見慣れない背広姿の男と、俯き加減にした……親父。
物々しい出で立ちの集団に、薄笑いが込み上げた。
こいつ等がおれの処刑人って訳か。全く、とことん趣味が悪いぜ……。
***
「すでに察しているとは思うがね。君には、これからある実験に協力してもらうことになる」
見慣れない壮年の男がそう宣告してくる。仁科さえ一定の敬意を払っている様子を見ると、
「あんたがここの責任者か」
そう尋ねると、小さく笑うような回答が返ってきた。
「久瀬という。君の父親とは古い友人でね」
思わず頬がひくついた。
……友人? へぇ、結構な友人がいたもんだな。
「――で? 責任者のあんたがここにいるってことは、この実験はそれなりに重要らしいな?」
久瀬は小さく笑った。
「どんな実験か、一応説明しておこうかね?」
おれは肩を竦めた。
「重要な割にギャラリーがそう多くないってことは……。そうだな、おれが開放しちまったシンシアの代わりにするとか、そんなところじゃねぇのか」
久瀬は愉快そうに肩を揺らした。
もしかして当たらずと言えど遠からず、だったんだろうか。
「君は短気で粗野なだけの男だと聞いていたがね。我々は君を見くびりすぎていたらしい。シンシアを開放されてしまったことと言い、残念だよ、殺すには惜しい男だ」
意外だったのは、声に嘲るような色がなかったことだ。おれは少しだけ戸惑い、それから歪んだ笑みを返してやった。
「結構な評価、痛み入るぜ」
ふっと笑ってから、久瀬は親父に向き直る。
「さて、浩史。君には償いをしてもらわねばならない」
そう言って、短銃を差し出す。
「これで、君の息子を殺したまえ」
茫然と見つめる親父に、久瀬は皮肉げな笑みを浮かべた。
「せめて、君の目に触れないところで進めてやりたかったんだがね。これは我々を裏切ろうとした報いだよ」
拳を震わせて俯いた親父に、久瀬は目を細める。そのまま畳み掛けるように言葉を紡いだ。
「嫌なら、君の妻と娘にも協力願うことになるが?」
「……っ!」
久瀬は苦笑を浮かべた。
おれから見ても、親父の目には一瞬、気圧されるほどの殺気が籠っていた。
「できれば、私もこんな真似はしたくないのだがね。君の罪は、君一人では到底、贖い切れないのだよ。おまけに、そこの彼には我々も随分と手痛い損失を被ったものでね。さすがは君の息子、とでも言っておこうか」
「……シンシアのことか……」
低く唸るようにした親父に、仁科が会話に割り込んでくる。
「こいつには随分と煮え湯を飲まされたからねぇ。いいか日高。息子を楽に死なせようなんて考えるなよ? じわじわと嬲り殺しにしてもらおう。くくっ、はははは!」
いつにも増して残忍な笑い。
……全く、やってられねぇよ。
「りょ、涼司……?」
気づくと、おれは嗤っていたらしい。ぎょっとしたような視線が交錯する。
それが可笑しくて、さらにひとしきり笑ってやってから、吐き捨てるように告げた。
「やれよ、親父。おれを殺せよ」
親父が引きつった顔でおれを見返してくる。
「……お前、何言って……」
その弱々しい声にイライラする。
「今さらなんだろう!? えぇ!?」
怒鳴りつけると、親父はビクリと肩を震わせた。
それでもまだ逡巡するような真似しやがって。もう一度怒鳴りつけてやろうかと思ったとき、震える手が銃口を握る。
……はっ、やれよ。さぁやってみろ!!
なのに親父は、銃口を自分に頭に向けて、
――おいっ!!
銃声が響く。
気づくと、親父の右手からボタボタと血が滴り落ちていた。
「自殺でもするつもりだったのか?」
静かだが、苛立ちを滲ませた声。
親父の右手を掠め撃ったのは、久瀬の傍に控えた兵士のようだった。
右手を抑えながら俯いた親父に、久瀬は歪んだ笑みを浮かべる。
「さすがに、自分の手で息子を殺すのは忍びなかったかね?」
「久瀬……! おれをモルモットにすれば十分だろう! これ以上、家族に手を出さないでくれ……!」
久瀬は溜息をついた。
「何度言えば分かるのかな? 私は、君の研究能力を高く評価しているんだよ。だが、君があくまでも協力しないと言うのなら仕方がない。本意ではないが、君の妻と娘にも贖ってもらうことにしよう」
「久瀬……!!」
親父は弾かれたように顔を上げた。
「それ……だけは……」
言って、地面に膝をつく。そのまま額を床にこすりつけた。
「頼む、それだけは許してくれ……!」
冷ややかな久瀬の視線。
「……君は昔から困った奴だな。それなら、息子を殺す方を選ぶのか?」
久瀬の言葉に、親父は一層大きく体を震わせ、やがて弱々しく頷いた。
…………。
惨めで憐れで、どうしようもないほど情けない親父の姿。
嫌悪感しか湧いてこなかった。
でも、…………。
久瀬がおれに視線を投げてくる。
「一応、君にも言っておこうか。もしも君に、母親と妹の身を案じる思いが残っているのなら、馬鹿なことは考えないことだよ」
――馬鹿なこと?
今さらおれに何ができるとも思っていないだろうに、そんなことを言う。それに何の意味があるのか。
……ああ、舌を噛んで自殺するような真似をするなとか、そういうことを言いたいのか?
なら安心しろよ。そんなことはしない。
「てめぇらの勝ちだ。好きにしろ。――けどな」
眦が裂けるかと思うくらい睨み据えて、腹の底から恫喝する。
「憶えておけよ。おれを蘇らせたら、いつか必ず後悔させてやる……。てめぇら全員、必ずぶっ殺してやるからな……!!」
久瀬が満足げに笑った気がして、おれの中の憎悪に火が灯る。
涼しい顔をしていられるのも、今の内だ……!




