1-2 試行
起き出せるようになってすぐ、おれは一通り部屋の中を確認して回った。
すでに十分、確認された後なんだろう。そう思いつつ、自分でも確かめずにはいられなかった。
で、案の定、朝倉の言っていたことをただ再確認する羽目になった。
部屋には見事に何も無かった。
取っ手の無い扉は、男3人がかりで押しても引いてもビクともしない。
黒光りする大窓はおれ達の姿を映し出すだけで、外の様子を伺うこともできなかった。
「ねぇ、この窓、もしかしたらマジックミラーになっているんじゃない?」
そう言い出したのは池田だった。
部屋の中央に集まって、今後のことを話し始めた矢先の発言。
途端に、水野がひどく不安そうな顔で池田を見上げた。
「マジックミラー? それって、向こう側からはこちらが丸見えっていう鏡のことよね?」
池田が頷く。
「だったら、これは違うでしょう? この窓、別に鏡って訳じゃないもん」
子供っぽく頬を膨らませた水野に、
「……でも」
と言い淀みながら、池田は続ける。
「鏡に見えないからって、向こう側から見えない構造とは限らないんじゃない?」
妙に確信めいた物言いに、おれたちは顔を見合わせた。
「どうして、そう思った?」
皆を代弁するように朝倉が尋ねる。
その途端、池田はひどく自信のなさそうな顔をした。
「え、と、なんとなく、なんですけど……」
ごにょごにょと小さく言い淀んでから、思いきったように顔を上げる。
「でも、この窓、何だか不自然じゃありません? 単に向こう側を見せたくないのなら、何かで覆うとか、もっと簡単な方法がありそうなのに。どうしてわざわざ、こんなものを嵌め込んだのかなって思ったら……」
確かにな。
池田の発言にも一理ある、というか、『そうに違いない』とすら思ってしまったのは、どうしてか、おれも同じだった。
とにかく、この窓は何か異様なのだ。
「でも、だとしたら、誰が何のためにそんなものを?!」
ほとんど叫ぶような声は水野のもの。
朝倉が口を開きかける。
だが、それより早く口を挟んだのは今井だった。
「そんなの、おれたちを監視するために決まってんだろうが。なに言ってんだ、お前」
思わずぎょっとした。
その口調が余りにきつかったからだ。
水野も驚いたように目を見張り、それから今にも泣き出しそうな顔になった。
お前……!
内心で今井に毒づく。
もうちょっと口の利き方ってもんがあるだろうが……!
そうして、少しだけ意外に思った。
今井は確かに、自分の言動にあまり気を遣うタイプではなかったが、いつもなら女性陣には、聞いているこちらがゲンナリするほど甘い言葉を吐くのに。
「……ったく、すぐ泣きやがる。これだからオンナ――」
おいっ!
止めに入るより先に、池田が今井を睨んだ。
「今井さん! ……ああ、ほらほら! 結衣ちゃんもいちいち過剰反応しないの!」
そう言いながら、水野の肩を励ますように叩いてやる。
水野は、半泣きの顔に何とか笑顔を浮かべた。
「うん、ごめん。……もう平気」
胸をなでおろすおれの横で、
「でも、そうよね」と一人ごちるように呟いたのは中嶋だった。
「これが監視用の窓だっていうのは、当たっているかもしれないわよね……」
ちらりと中嶋に視線を送った朝倉は、小さく息を吐いてから同意するように頷く。
「そうだね、僕もそう思う」
できれば認めたくなかった、とでも言いたげな顔。
きっと朝倉のことだから、始めからそう踏んでいたんだろう。
けど、そうなると、ますます嫌な気分だった。
向こう側に誰かがいて、今この瞬間もおれ達を監視しているかもしれない。そう思うと不快だった。
不快というより、不気味で。
……いや、むしろ――
「そもそも、なんのために私たちを閉じ込めたんだろう?」
ふいに、池田がおれたちの顔を見回してくる。
「ねぇ矢吹、あんたはどう思う?」
唐突に振られて面食らった。
「何か気づいたこととかない? ……この感じってさ、前に私――……」
言い募るように言われて、さらに面食らう。
いや、おれに聞かれてもな……てか、何でおれに聞くんだよ?
妙に胸がざわついて、それが自分でも良く分からない。
それが無性にもどかしくて、上手く言葉を返せないことに苛立ちを覚え始めた時、
「涼司にも分からないんだろう? 僕もさ。まだ情報が少なすぎるんだ」
朝倉だった。
「そう……そうですよね」
池田の声もさすがに沈む。
場の空気が一段と重くなった気がした。
「ねぇ、これって誘拐、だよね? 身代金目的、かな……?」
次にそう言いだしたのは水野だった。
けど、身代金目的?
ありえない話ではない、と思う。
でも、金目的で誘拐するのなら、普通は子供を狙うのがセオリーじゃないだろうか。
金銭目的で大学生を、しかもこんなに大人数を一度に攫ったりするものか……?
「ねぇ、智ちゃん。裕香さんも、どう思います……?」
声をかけられた池田と中嶋は顔を見合わせ、それから朝倉に助けを求めた。
「朝倉君、どう思う?」
朝倉はちらりと視線を上げ、それから首を横に振った。
「今どき、大学生を捕まえて身代金を要求するなんて、そんな危険で手間のかかることをする奴がいるかな。……僕たちの誰かが、どこかの御曹司とでも言うならともかく」
その言葉に、今井が弾かれたように顔を上げる。
「おい、誰かいるんじゃないか? 実は、実家が大金持ちだっていう奴」
おれたちは一斉に顔を見合わせた。
……いや、それはないだろう……ないよな?
予想通り、全員が首を横に振った。
「おい、今さら隠すなよ? 別に取って食おうって訳じゃねぇんだから」
その言い方には、思わず乾いた笑いが込み上げてしまう。
それを目ざとく見つけて、今井が憤慨した顔でおれを睨んできた。
「おい矢吹。何笑ってんだよ。人が真剣に話してるってのに、その態度は何だよ? えぇ?」
……あぁ、くそ。
おれは内心で舌打ちした。単に、誰かに八つ当たりしたくて、おれに絡んできたと直感したからだ。
とっさに言い返してやりたくなったが、さすがにそれはマズイと思った。それくらいの理性はおれにだってある。
それでどうにか、言葉を呑み込む。
「いえ、スミマセン。ただ、この中の誰かが御曹司っていうのは、さすがにないんじゃねぇかなぁって……」
我ながら直球過ぎる言い訳は、火に油だったらしい。
案の定、今井はおれを睨みつけてきた。
「それぐらい俺にだって分かってるんだよ。分かってて、聞いてやってるんだ」
はぁ……?
その言い方にむかつくものを覚えながらも、おれは何とか黙って奴を見上げた。
「考えてもみろよ。金目当てじゃないってんなら、俺たちを閉じ込めた理由は何なんだよ? 殺すために閉じ込めたとでもいう気か?」
――殺す?
その言葉に、女性陣がびくりと肩を震わせる。
きっと誰しもの脳裏を掠めていたことだが、敢えて口にするのを避けてきた言葉だった。
今井は大仰に肩をすくめてみせる。
「何だよ、お前らも本当はそう思ってたんだろ? これはおれ達の誰かを、どこかのボンボンと間違えた大馬鹿野郎の仕業か、そうでなけりゃ、ゲーム感覚の誘拐だろうってな」
……は?
思わず言葉を失ったおれたちに、今井はここぞとばかりに身を乗り出してくる。
「そうさ。金目当てじゃないってんなら、これはきっと、ゲームと現実の区別がつかなくなったイカレ野郎の仕業だろ。んで、そういう奴の最終目的と言やぁ、相場は決まってる。おれたちを殺して楽しむことってわけだ」
――何言ってんだ、こいつ。
いくらなんでも、荒唐無稽すぎる。
ゲームのやりすぎはお前だろ……。
急速に不快感がこみ上げ、思わず今井を睨みつけそうになって、おれは慌てて目を瞑った。
いけねぇ、気をつけろ。
幾度となく経験したこの感覚。
ばか、落ち着け。こんなの、たいしたことじゃねぇだろ……?
そのとき、静かな声が耳に届いた。
「それは違うんじゃないかな」
朝倉だった。
「違うって、何が!」
「断言はできないけど。今すぐに僕たちをどうこうしようという気はないと思う」
自説をあっさりと否定され、今井が苛立ったように問い返す。
「何でだよ? なぜそんなことが言える? 単に、お前がそう思いたいだけじゃないのか?」
攻撃的な口調にも、朝倉は動じる様子がなかった。
「今すぐ殺すつもりなら、わざわざこんなところに閉じ込めたりするかな。閉じ込めただけで、拘束するわけでもなし。今は多分、様子見といったところなんだろう」
その言葉に、おれは朝倉を見返した。
「様子見?」
「そう。恐らく、オレたちの動向を見ている――」
言いながら、朝倉はちらりと窓を振り仰ぐ。
「何のために?」
中嶋が尋ねたが、朝倉はこれには返答しなかった。
「じゃあ何だ? お前はどうしろってんだよ? 何か動きがあるまで、大人しくここで待ってろとでも言うのかよ?」
今井が、拗ねた子供のような声を出した。
「おれは腹が減ったんだよ。ちくしょう、殺す気じゃないってんなら、メシぐらいだせよ!」
メシって、お前……。
呆れ返ったとき、水野がはっとしたように顔を上げた。
「そうだ、食事」
言って、池田の服を引っ張る。
「ねぇ、智ちゃん。待っていれば、そのうち誰かが食事をもって現れるんじゃない?」
「それはそうだけど……、あぁ!」
池田の声に、朝倉も微かに笑みを浮かべた。
「そうだね、その時にもう少し情報を得られるかもしれないね」
面白くなさそうにしていた今井は突然、勢いよく立ち上がる。
「よぉし、決めたぜ!」
……今度は何だよ?
半ばげんなりしながら今井を見上げると、
「ドアの前で待ち伏せしてやろうぜ? それで、誰かが入ってきたところを、ふんづかまえて締め上げてやるんだ!」
はぁ?
とっさに、それは無謀だと思った。
……その程度で、どうにかなる相手なのか?
けど、何か口を開く前に、今井がおれを名指ししてくる。
「おい矢吹と朝倉! お前らも協力しろ!」
は?
冗談じゃないと思った。
なんでこんな野郎の言うことをきかなきゃいけない?
次第に沸々とした怒りが込み上げてくる。
大体、もしこの窓が監視用のものだったらどうする気なんだ。おれ達の行動は筒抜けだって、本当に分かってるんだろうな、こいつ……。
そう言い返してやりたいのをぐっと堪えるのが精いっぱいで、到底、今井の案に乗る気にはなれなかった。けど、
「いいよ、わかった」
朝倉はあっさりと頷く。
おい、本気か?
ぎょっとしかけたおれだったけど、朝倉の目を見て納得する。
目が白けている。単に、反論するだけ馬鹿らしいと判断したんだろう。
こうなったときの朝倉は、途方もなく冷たくなることをおれは知っていた。
ちょっとだけ、今井が可哀そうになったほどだった。
ったく、仕方がねぇか……。
女性陣の不安げな視線の中、おれたちは入口に一番近いベッドに陣取ることにした。といっても、ベッドに浅く腰掛けただけだったが。
すると案の定、今度は全員でドアの前に貼り付くべきだと喚いてくる。
お前な……。
苛立つおれに気づいたのか、
「相手はいつ現れるか分からないだろう? ずっと気を張っていたら身が持たないよ」
朝倉がすかさずフォローしてくれる。その言葉に、今井も渋々不満を飲み込んだようだった。
とはいえ、じっと待つなど、やはり今井の性分には合わなかったらしい。
今井はドアとベッドの間を何度も行き来し、小一時間も経たない内にドアを蹴り付け始めた。
半ば予想していたことだが、おれは内心で溜息をついた。
いい加減にしろよ……。てめぇ、仮にも先輩だろうが。
そう言ってやりたいのを辛うじて堪える。
だが、当の今井は、まるで気にしちゃいないらしい。苛々した表情で朝倉を睨んだ。
「一体いつまで待たせる気だよ? おい、朝倉! 何かいい手はないのかよ!」
それまでずっと考え込む風情だった朝倉は、今井の言葉に顔を上げる。
「ご自慢の頭脳も、ここでは何の役にも立たないってか?」
……おい。
言われた当人でなくとも、思わずカチンとくるような言い草だった。
いい加減にしろよ、お前。
そう口を開きかけたおれの肩を、朝倉にそっと押し戻される。
「そうだね、じゃあ、試してみようか?」
今井はきょとんと朝倉を見返す。
「試すって何を?」
朝倉はちらりと視線を上げ、それから窓を指差した。
「あれをシーツで覆ってみるんだ。こちらの様子が分からなくなったら、何か動きがあるかもしれないよ?」
……なるほど。そうすれば、あれが本当に監視用の窓なのかも確かめられるしな。
今井は一瞬惚けていたが、すぐに「そうか!」と手を叩いた。
「確かに、その手があったな! くそっ、見てろよ。向こうの奴ら、泡食ってんじゃねぇぞ」
当座とはいえ、明確な目的ができたせいだろう。今井は俄然勢いづき、シーツを持って窓に向かった。
「おい中嶋! 池田と水野の3人で窓を覆ってくれ。俺たちはドアの傍に控えているからよ」
中嶋と池田は顔を見合わせ、朝倉にそっと伺うような視線を送る。けど、それでも朝倉が何も言わないのを見てとると、不承不承立ち上がった。
露骨に不安そうな水野の背中をなだめる様に叩き、池田と中嶋は指示通りにシーツを広げる。
それを見ながら、朝倉がそっとおれに囁いた。
「涼司。天井の換気口に気をつけろ」
意味が分からず朝倉を見返すと、幾分蒼ざめた顔が口早に理由を告げた。
「何か変だと思ったら、息を止めるんだ。もしかしたら、ガスが使われるかもしれない」
……ガス?
惚けた顔をしているだろうおれに、朝倉は皮肉げな笑みを浮かべた。
「そんなことをしても、大して意味は無いだろうけどね。でも、時間を稼げば、何か分かるかもしれない……」
意味をとりかねて、おれは朝倉を見返した。
それからようやく、朝倉が言わんとしていることに気づく。
――そうか。
あの大窓が監視用なら、換気口はガスの流入経路。朝倉はきっと、始めからそう疑っていたんだろう。おれ達が何か妙な真似をすれば、またあのガスを使うのではないかと懸念していた。
だから、おれたちには黙っていた。他にいい手はないかを、今までずっと考えていた。
それが結局、おれたちにこんな真似をさせたということは――、
「他に打つ手はねぇか」
朝倉はおれを振り返り、それから自嘲めいた笑みを浮かべた。
「正直、途方にくれてるよ」
……。
朝倉が弱音を吐くのを、おれは初めて聞いた気がした。
その後の顛末は、見事なほど朝倉の予想通りだった。
換気口から微かに音がしたと思った途端、次々に皆が倒れていく。
おれと朝倉は息を止め、しばらくはベッドに倒れ込んだ振りをしていた。
早く、早く姿を見せろ……!
そう心の中で念じて入口を睨んだが、扉はウンでもスンでもなかった。
……ちくしょう、もう保たねぇ……!
耐え切れずに息をした瞬間、ひどい眩暈に襲われた。
何だか、無性に腹が立った。
誰かに、いい様にあしらわれている気がして吐き気がした。
……ちきしょう……朝倉……は……。
視界が歪む。意識を保とうとすると、頭が割れそうに痛んだ。
ふと気づくと、自分の体が誰かに運ばれているような感覚を覚えた。
……ぁ……?
抵抗しようとしたが、体がまるで言うことをきかない。
せめて顔だけでも拝んでやろうと無理やり瞼をこじ開けると、いくつもの霞んだ人影が映った。
『……こい……めお……』
『……く……て……』
断片的な言葉が耳に入ったが、何かの意味を成す前に、霧散するように消えていく。泥のような眠気が、おれを引きずり込んでいく。
この……くそったれ………が………