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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
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3-5 虚脱

 

 ワゴン車に押し込められて、どれくらい揺られただろう。1時間か2時間か。気づいたときには、おれはどこかの研究施設に連れ込まれていた。


 車から降ろされる際には目隠しをされていたから、外の様子はよく分からない。耳に入ってくるのは微かな滝の音と木々のざわめきばかりで、どこかの山中だろうと予想がつくだけだった。肌を灼く日差しは感じなかったから、恐らく、まだ夜なんだろう。


 目隠しを外されると、どこかで見たような殺風景な小部屋の中だった。一方の壁には大きなガラス窓が嵌め込まれ、その向こう側にも部屋が見えた。こちらより広そうだったが、ベッドに仰向けに寝かされたまま、身動きできないでいたおれには、それ以上のことは分からない。


 それからほどなくして、ぱったりと人気が途絶えた。おれを運んだ兵士はもとより、仁科も姿を消している。


 まさか、このまま放置かよ……。


 体の自由を奪われ、ただ待つだけの時間は苦痛以外の何物でもなかった。

 荒れ狂う疑念への答えも得られず、鬱屈を晴らす手段もなく、だたひたすら堂々巡りの思考に苛まれる。


 おれも組織の一員に、とか抜かしてやがったが、そんなことを受け入れると本気で思ってやがるのか。おまけに、親父が組織の一員だと……!


 灼け串にでも脳を搔き乱される気がした。

 単なる仁科の出まかせだ。そう思えたらどんなによかっただろう。

 だけど、あんな親父の姿を見せられたら――


 灼けるような慟哭が突き上げてきて、喉の奥が無様に震える。


 さすがに好き好んでやっているようには見えなかったが、本当のところは分からない。嘘だって平気でつく。さっきだって――


 ちきしょう、こんなザマを見せたら、あいつ等を悦ばせるだけなのに。

 だけどあぁ、ふざけるな、ふざけるなよ……どうして……!!



 *****




「ゆっくり休めた、とは言えないようだな」


 唐突に声がした。

 おれはベッドに腰かけたまま、重い頭を上げた。


 少し前から、体の自由はきくようになっていた。いい加減、朝になったんだろう。

 けど、気を許すと暴れ出しそうになる自分の思考を抑え込むのは、想像以上の気力が必要だった。いい加減に擦り切れそうで、正直、返事をするのも億劫だった。


 目線を上げると、窓の向こうには仁科と、いつか飛行艇で画像越しに見た男が立っていた。白髪混じりの前髪を後ろに軽く撫で付け、いかにも高級そうなスーツを着た壮年の男。相変わらず冷たい雰囲気を纏っていたが、こちらを見下ろして口の端を歪めてくる。まんまと捕まったおれに失笑したのかもしれない。


 ……は、好きに笑えよ……。


 部屋の奥には、冴えない顔をした親父もいた。白衣を羽織って、首から下げたセキュリティカードか何かを胸ポケットに無造作につっこんでいる。少なくとも、この場所に不慣れなようには見えなかった。


 猛烈な怒りが湧いた。獰猛な殺意が湧き出しかけて、……だけどすぐに霧散する。

 どうせ今さら――………


「早速だが、本題に入ろうか」


 ふいに、抑揚のない声で男が告げた。


 ――本題?

 視線を戻すと、男が怜悧な眼差しを向けていた。


「君にしてほしい仕事の件だ」


 ……仕事、とは、また変わった言い回しをしやがるな……。


「モルモットにするのは、もう止めたのかよ」


 男がふっと笑う気配がした。


「君はよく覚えていないかもしれないが、1年もの長きに渡って君を研究できたからな。必要な情報は粗方、入手できたのだよ。それよりも今の君向きの仕事ができた。まぁ、多少の訓練は受けてもらわねばならないが」


 確かに、監禁されていた1年間は記憶が飛び飛びだった。ずっとあの部屋にいたのかと思っていたが、案外違ったのかもしれない。

 そういえば時折、中嶋たちの姿が見えないこともあったし。言い様に身体を弄られていたというわけか。……くそっ、ふざけやがって。

 沸々と込み上げてくるものはあったが、それよりも全身を襲う虚脱感の方がひどくて、目を閉じるだけで昏い衝動が消えていく。消えたことに、自分でも驚いた。


「――仕事内容に予想はつくかな?」


 気づくと、探りを入れるような視線がおれを見据えていた。


 何だよ、あんたの期待通りの反応じゃなかったのか? だとしたら、ざまぁ見ろだな。

 ちらりとそんな思考も脳裏を掠めたが、それもすぐにどうでも良くなる。

 ……で、仕事、な。


「つまりは、人殺しの手伝いをしろってか」


 投げやりに言うと、鼻で笑う気配がした。確認するまでもなく仁科だ。


「今さら忌避することでもないだろう? 隠れ潜んでいる間、どれほど喰らった?」

「……似たようなもんだろう、って?」


 一緒にするんじゃねぇ。

 そう言い返してやりたかったが、さすがにそれはできなかった。

 罪のない奴を殺したことがあるのも事実だ。その意味ではコイツ等とそう変わらないのかもしれない。

 でも、だからって、人殺しの道具になることをすんなり承服できるはずもなかった。

 ――だけど、


「おれに、拒否権なんてあるのか」


 呟くように言うと、男は片眉を上げた。


「あんたら、オウガの研究をしてるんだろう? だったら、おれを自由に使役する方法だって掴んでるんじゃないのか。なら、好きにすればいいだろう」


 目の前の男も、仁科も親父も応えない。


「それとも何か? おれの反応を見て愉しむほど暇なのか?」


 おれの身体の自由を奪い、意識だけを残す薬物を開発してるんだ。逆に意識だけを奪って、身体を自由に操る方法だって、とっくに編み出しているのかもしれない。

 けど、恐らくこれは……。


「随分と回りくどい聞き方をするじゃないか」


 感情を読み取りにくい端正な顔に、やや不愉快な色が浮かんでいた。


「これはまだ出来ない、ってことでいいんだな」


 薄く笑ってやったが、男はすでに無表情に戻っていた。


「さてね、まあ制約があることは認めよう。それで何を訊きたい? 無駄話は嫌いでな」


 さすがに、会話の主導権をすんなり握らせるつもりはないらしい。

 それでも、この分だと案外、おれの訊きたいことはあっさりと提示するつもりで来たのかもしれない。

 それでおれは、


「おれをどうやって従わせるつもりか、まずはその条件を言ってみろ」


 男の視線がこちらを値踏みするように細められる。

 が、すぐに造作もないといった顔で口を開いた。


「従わないのなら、君の母親と妹を殺すだけだ。もちろん、オウガの実験体としてな。これが楽な死に様でないことは、君が一番よく分かっているだろう」


 ――……随分とはっきり言ってくれる。

 でも、だとするなら、二人とも今は無事ってことでいいんだよな?

 母さんまで組織の人間だとか、そんな馬鹿げたことはないんだよな……?


「止めろ!」


 突然、声を荒げたのは親父だった。


「そんな真似はさせない! させないぞ、久瀬(くぜ)……!」


 男に掴みかかろうとして、すぐに周囲の兵士に抑え込まれる。それでも親父は、燃え上がるような眼で男を睨んでいた。もしも視線だけで人を殺せるのなら、確実に息の根を止めている。そんな眼光だった。


 その瞬間、ほんの少しだけ、圧し潰されそうな息苦しさが薄れた気がした。

 おれを支えていた何かが、足元から崩壊しないで済んだことに。今まで過ごした時間の全てが、裏切られたわけではなかったことに。

 ただ、今はそれよりも――


「いいのかよ? 母さんたちにまで手を出したら、親父に対する人質がいなくなるんじゃないのか。そうやって、今まで親父を従わせていたんだろ?」


 そういうこと、なんだよな……?

 男 ――久瀬は親父から視線を戻し、おれを見下ろす。

 凍えるほど冷たい目だった。


「仮にそうだとしても、抑止力にはならないな」


 黙って見返すと、「無駄な手間は嫌いなんだがね」そう断ってから、久瀬は続ける。


「我々に従わないのなら、君の目の前で一人ずつ被検体になってもらうだけだ。それでも従わないのなら、そのときは全員を殺す。日高は実に優秀な研究者の一人だが、後継も順調に育っているからな。代わりはいる、ということだよ。……あぁ、君の自意識も消す。念願通りにな」


 従わなければ無駄死にする、と言いたいわけだ。おれたちはそこまで特別扱いされているわけじゃないらしい。実際、この男なら冷酷にやってのけるだろう。そう信じさせる何かがあった。


「で? 聞きたいことはそれだけか?」


 おれは拳を握り込んだ。

 もう一つ……。

 訊きたいことは山ほどあったが、どうしても確認したいことは、これだった。


「おれがモルモットにされたのは、偶然じゃなかったんだな」


 おれが今もこうして自我を保っているのは、ある意味で奇跡なんだろう。一歩間違えれば、とっくに消えるか、手の付けられないバケモノになっていたはず。間違いなく、はじめは使い捨て同然の駒だったんだろう。

 

 と、低く笑う気配がした。


「そう、始めから君が狙いだ。君は日高に対する制裁の対象だった。正直、ここまで貴重なサンプルになるとは、我々も想定していなくてね」


 ――制裁って……


「何の制裁か、気になるか?」


 当たり前だろうが。

「聞いたら答えてくれるのか?」


 久瀬は冷えた眼光を親父に向けた。


「裏切りだよ。日高は組織を無断で抜けようとした裏切り者だ。本来なら発見され次第、殺処分となるところだが、私は日高の研究能力を買っていたものでね。特別に家族一人を差し出すだけで赦すことにした」


 家族一人……。

 胸の中に苦い思いが広がる。差し出す、というその言葉の意味も……。


「もう分るだろう? 君を生贄に選んだのは、父親だ」


 奥歯が割れたかもしれない。口の中で不味い血の味がした。


 おれを選ぶのは当然だ。もし母さんや彩乃を選んでいやがったら、親父をぶっ殺しているところだった。

 ――でも。

 今は親父の顔を見たくなかった。見たらきっと、おれは自分で自分を止められない。


 だって、そうだろう? おれが助かる可能性なんて、どこにもなかったんだから……!


 全ては仕組まれていた。殺されることは決まっていた。おれがどれだけ足掻こうと、例え何かの運命が変わって、おれが無事に家に辿り着いても。おれは結局、殺されることになっていたんだ。親父の手によって……!


 おれもばかだよ……。


 あのときの自分の抵抗の全てが、ばかばかしく思えた。朝倉や今井、あいつ等を罵って責めたことすら滑稽だった。

 全部、おれのせいだったのに。おれがあいつ等を巻き込んで、人生を狂わせた。そのおれが責める資格なんて、あるはずもなかったのに……!


 ただ苦しくて訳の分からない絶叫が喉をついて出そうになって、自分の体を押さえこむ。


「……ははっ……」


 あぁだめだ。慣れない交渉もどきまでして、必死に堪えてきたのに。

 視界が歪む。こいつ等にこんな姿を見られたくて、ずっと耐えてきたのに。


 ふざけんな……ふざけんなよ……ふざけてんじゃねぇよちくしょうが……!! 


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