3-4 一員
「これはこれは、無事で何よりだよ。思ったより元気そうじゃないか?」
気づけなかった……! 今のおれが気付けなかった……! 殺気を消して近くに潜んでいやがったのか?!
家族に接触すれば、組織に見つかるリスクは高まってしまう。それは承知していた。
だけど、ここまで早いなんて。親父をずっと監視していたのか? それにしたって、それで仁科まで出張ってくるのはどうしたわけだ。
そんなに暇なのかよ、てめぇはよ……!
辺りの気配を探ると、無数の殺気。
……って、ここはまだ、営業中のショッピングモールじゃなかったのかよ!
どんな手段を使ったのか知らないが、きっちり人払いでもしたらしい。
それでも、おれ一人ならまだ、ここから逃げ出すことは可能に思えた。
――けど。
兵士は顔色一つ変えずに、親父に銃口を向け続けている。きっとおれが妙な動きをすれば、躊躇なく親父に危害を加えてみせるだろう。……このくそったれが!
仁科がほくそ笑むような顔をする。
「相変わらず理解が早くて助かるよ。なら、次はすべきことは分かるだろう?」
やっぱり、家族に会いに来たのは失敗だった……!
自分の認識の甘さに反吐が出る。でも、悔やんだところでもう遅い。
ただ睨み上げることしかできないでいるおれに、二人組の兵士がゆっくりと近づいてくる。
手にしているのは、変わった形の短銃。先端が妙に細いところを見ると、針か何かを打ち出して薬物を投与する仕組みかもしれない。大方、それでおれの動きを封じようってところだろう。
「涼司! いいから逃げろ! 私に構うな!」
苦い思いで目を向けると、いつの間にか親父は両手を後ろ手に回され、がっしりと肩を抑え込まれていた。それでも親父は必死で叫ぶ。
「逃げろ! そして二度とここには来るな!」
……。
何かを知っている様子の親父。銃まで所持しているなんて、完全に想定外だった。でも、何を知っているにしろ、こいつ等と仲間ということはなさそうだ。
当たり前だ。そんなことがあってたまるか、ちくしょうめ。
ただ睨むことしかできないでいると、仁科が愉快そうに笑う。
「いやあ、君は単純で助かるねぇ」
黙れよ、くそが!
罵倒するだけコイツを喜ばせると分かっているから、辛うじて言葉を飲み込む。近づいてきた兵士がおれの傍らに立ち、首筋に銃口を押しあてる。ヒヤリとした感触。
「涼司!!」
肉を食い破る痛みとともに、全身から力が抜けた。崩れ落ちそうになったところを、兵士に抱え上げられる。
……ったく、なんでこう、意識だけは健在なんだよ……。
身体の自由は利かないのに意識だけは鮮明で、本当にくそ野郎の薬物だと思った。まるで、なすがままの獲物を甚振って、遊ぶために作られたかのような。
わざとか。絶対わざとだよな?
そのまま引きずられるようにして、仁科の傍に連れてこられる。
いつぞやのように唾を吐きかけてやりたかったが、今回はそれもできない。ただ睨むしかできないおれに、仁科は舐め回すような目を向けてきた。
「いやぁ矢吹、随分といい面構えになったじゃないか。特にその目がいいねぇ。ここまで回復するのに、どれだけ喰らった?」
……親父の前でそれを訊くか。
今の親父なら、おれがバケモノに成り下がったと知っているのかもしれないが。むしろそう考えた方が合点のいくことも多かったが、例えそうでも、家族の前で自分の罪を晒されることには、抵抗感が先に立った。
今さらだって分かってるのに。
ちらりと親父を見上げると、苦しそうに顔を歪めて、おれから視線を逸らす。
……。
ちり、と胸が疼いた。
「ふっ、まあいい。褒美にいいことを教えてやろうか」
こういうことを言い出す仁科に、碌なことを告げられた試しがない。
「要らねぇよ。さっさと消えろ」
苛立つ思いで吐き捨てると、仁科は歪んだ笑みを浮かべた。
「まあ、そう連れないことを言うなよ。お前も我々“組織”の一員になるのだから。父親同様にな」
………あ?
意味の分からないことを言われた気がした。
組織の一員? おれが? ……いや、それ以前に、
「おや、まだ気づかないのか? それとも信じたくないのかな?」
嘲笑の混じった仁科の声にも、親父は黙っているだけで。
……おい、何とか言えよ……。
「ご苦労だったな、日高。もういいぞ」
……日高?
親父を呼ぶその名前には、聞き覚えがあった。
それは確か、おれたちの昔の――
その声を合図に、兵士が親父の拘束を解く。
親父はその場に立ち尽くす。立ち尽くしたまま、黙り込みやがった。
どうしたんだよ、なぁ……。
親父は顔を深く伏せたまま、その表情は読めない、けど。
「いい演技だったぞ、日高。まさに迫真に迫るという奴だ。息子を本気で逃がそうとしているのかと思ったくらいだ」
……何、言ってんだ……。
「ほらほら、彼が混乱しているじゃないか。説明してやりたまえよ」
馴れ馴れしく仁科に肩を叩かれ、親父はその手を乱暴に振り払う。だが、
「おっと、息子の前ではいい格好がしたいのか? 誰のせいでこうなったのか、忘れたわけでもあるまいに」
……誰のせい、って……。
親父はぎゅっと拳を握りしめてから、小さく何かを呟いた。
「………す…ない」
瞬間、怖気が走った。
すまない? そう言ったのか? なぜ?!
親父のせいでおれが捕まったから? けど、親父が人質にされたのは、別に親父の責任なんかじゃねぇだろう。――なぁ!
嫌な予感に襲われる。何か触れてはならないことに触れようとしているような、そんな悪寒。
「やれやれ、これでは埒が明かないねぇ。仕方がない、詳しくは場所を移してからとしようか」
仁科は何事かを兵士に指示し、おれをワゴン車の後部座席に運び込む。
後部座席と運転席の間には仕切りがあって、無機質な造りの座席が後ろ向きに据え付けられていた。そこに鎖でガッチリと固定される。
荷台の窓は黒いシートで塗りつぶされていて、普段なら外は見えないはずだった。だけど、バックドアが開け放たれている今は、外の様子がはっきりと見て取れる。間違いなく、おれに見せるためにそうしているんだろう。
だったら見ない方がいい。
そう思うのに、目はいつの間にか親父の姿を追ってしまう。
親父は無言で自分の車に乗り込んでいた。拘束されるでもなく、強制される風でもなく。
親父……!
声が出てこなかった。
仁科はおれをチラリと見てから親父の運転席の窓ガラスを叩き、窓を開けろとジェスチャーを出す。親父が黙ってそれに従うと、おれの方を顎でしゃくった。
「日高、明日も研究所に顔を出せ。息子と専務がお待ちかねだ、いいな」
親父はただ目礼を返した。ただの一度もおれの方を振り返ることなく、そのまま車をスタートさせる。
……嘘……だろ……。
手足が氷のように冷たくなっていく。
なんで……まさか……いつから……!!
そんな思考で脳内が埋め尽くされる。胸を掻き毟りたいのに体の自由がきかなくて、ただ座席で喘ぐようにしていると、同じく後部座席に乗り込んできた仁科と目が合った。
おれを愉悦の表情で眺めているのが分かる。思わずぶち殺してやりたくなったが、それもできなくて、おれはただぎゅっと眼を閉じた。
……くそっ、くそっ、くそったれが……!!




