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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
36/87

3-3 理解の外

 

「誰だ」


 すぐ間近から押し殺したような声がする。

 その懐かしい声音に、思わず涙が出そうになった。


 閉店間際のショッピングモールの立体駐車場、その一画で。おれは1年半ぶりに、親父の前に立っていた。



 ***


 今の街に住み着いたのは、おれが高校1年生のときだ。

 その頃から、親父は木曜日に家を空けることが多かった。普段は在宅で済む仕事を手掛けていたが、時には直接の打合せでも必要だったんだろう。

 そうして、仕事に出た日の夜は、大型のショッピングモールに立ち寄るのが習慣になっていた。おれたちへの土産とか、そんなものを手にして帰宅する。なまじ、おれ達がそれを喜んでしまったものだから、後には引けなくなったとか、そういうオチなんだろう。


 今でもその習慣を続けているかは疑問だったが、夜になっても家の駐車場は空いたままで、それでも家には灯りがともるのが見えた。車を使うのはほぼ親父に限られていたから、恐らくは以前のように仕事に出かけたんだろう。それなら、ショッピングモールに立ち寄る可能性も高いと思った。


 そんなわけで、見晴らしのいい高台からショッピングモールを見張っていると、閉店30分ほど前になって、ようやく見慣れた車が立体駐車場の入口に吸い込まれるのが見えた。運転席には親父らしき影もある。

 それを見た途端、思わずガッツポーズを決めてしまった。日がとっぷり暮れてから3時間近く待たされた身としては、愚痴の1つや2つ、口をついていたところだったから。


 逸る胸を押さえながら、駐車場に移動する。

 元々、そこまで広いモールじゃない。親父の車を探し出すのも簡単だった。

 親父の車は2階フロアの端の方に止めてあって、おれは親父の車と店の入口、その中間にある大きな柱の陰に身を潜めた。


 弾んだ息を整えながら周囲に神経を尖らせていると、ほどなくして店の入口から親父の姿が現れた。都合の良いことに、ちょうど人気は絶えていた。

 それでおれは、親父が近くに来たところで柱の陰に引きずり込む。その結果が『誰だ』という誰何すいかの声だったというわけだ。


 ***


 警戒感を露わにしながらも、親父は比較的落ち着いた様子だった。まぁこんな場所だ。相手が誰であれ、そこまで強引なことはするまいと思ったんだろう。


 一方のおれは、都心を練り歩いていた時とは違い、人相が変わって見えるような変装はしていなかった。髪は黒く染め、茶色のカラーコンタクトを入れてある。フードは目深にかぶっていたが、年恰好だけなら、おれだと分かっても良さそうなものだったけど。


 まぁ、既にいないと思われているはずの人間だ。はっきりと姿を見せなければ、分かるはずもないか。


 そう思いながらフードに手を伸ばして、そこで思わず笑ってしまった。

 手が震えていた。

 はは、全く情けねぇ……。


 親父が訝しむような顔をして身構える。

 これ以上警戒されたら厄介だ。おれは意を決して、フードをはずした。


 その後の親父の顔は、ちょっとした見ものだった。

 鳩が豆鉄砲を食らったような、まさにそんな具合でポカンと口を開けて、それから大きく数回瞬きした。


「……りょう…じ……」


 よろめいて一歩下がる。まるで幽霊でも見たかのような、蒼白な顔。

 無理もねぇか。

 そう思いながらも、そんな顔をされることに少しだけ胸が疼いた。

 だけど今は、事情を説明するのが先だろう。そう思って口を開きかけたおれは、親父が内ポケットから取り出したものに目を奪われた。

 鈍く光る金属製の塊。

 もう飽きるほど見てきたそれは、こんなところにはないはずのもので。


 何だよそれ。なぜ、そんなものを親父が持ってる?


「近づくな!」 充血した目がおれを睨んだ。「本気で撃つぞ……!」


 体が硬直した。

 何言って――


 バシュッ、と空気を切る音がして、何かが頬を掠める。

 撃ちやがった……!!

 瞬間、おれは親父の手首をひねり上げていた。


「ぐうっ……」


 親父の腕から銃が零れ落ちる。それは地面に落ちて硬い音を立てた。

 歯ぎしりする思いで睨みつけると、親父は顔を歪めながらも、どこか諦めたような顔をした。


「お前になら、仕方がないか……」

 ――ああ!? 


 頭がグラグラする。意味が分からない。意味なんか分かるかよ!

 それでも何とか問い質そうとすると、親父はぎゅっと目を閉じた。まるでおれに引き裂かれる瞬間を待っているみたいで。


 何だよこれは。何なんだよ!!

「ふざけんな!」


 込み上げた衝動をぶちまけてやりたくて、それだけは必死の思いで堪える。


「説明、しろよ」


 歯ぎしりするように恫喝すると、親父が目を見開いた。親父の瞳に化け物が映り込む。真っ赤な眼。いつの間にかコンタクトが外れていたらしい。


 くそっ、これじゃあ……!

 だけど親父は、これ以上に無いほどの驚愕の色を浮かべて見せた。


「お前、まさか……まだ意識が残ってるのか!?」


 ……!?

「何の話だ?」


 親父は焦ったようにおれの肩をつかむ。

「まだ正気なんだな? だったら、すぐにここを離れろ!」


 ……は?

「ちょ、待てよ。何言って――」

「いいから、すぐに離れろ! そうだ、後でここに連絡してこい。いいな!?」


 言って、胸元から紙とペンを取り出し、急いで何かを書きつける。それをおれの胸元に押し付け、無理やり握り込ませると、そのまま踵を返して自分の車に向かう。


 なっ……。


 話が見えない。

 けど、ただ事でないことはわかった。きっと親父は何かを知っているんだろう。

 でも、何を?

 ここは親父に従った方がいいんだろう。

 だけど、何を? 何を知ってるんだよ? ――くそったれ!


 おれは手元の紙を開いた。殴り書きされていたのは、メールアドレスに見えた。


 そうか、この手があったか。――って、こんなアドレス知らねぇし!


 そう思いながら、親父の後姿を追いかけようとして。

 その瞬間、背筋に悪寒が走った。辺りの温度が、急に数度は下がった気がした。


 まさか、これは……。


 親父も、車のノブに手をかけたまま凍り付いたように見えた。その視線が、柱の陰を見つめている。それからゆっくりと両手を上げた。


 おい、待てよ……。

 この嫌な感覚には覚えがあった。ついさっきまで、そんな気配はなかったのに。


 もう、嗅ぎつけられたのか……!


 目の前に現れたのは、最も見たくない男。

 複数の兵士を従えた仁科、だった。


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