3-2 思わぬ出逢い
ふと気づくと、眼下の公園ではガキどもが7~8人で遊びまわっていた。
時計を見れば、まだ17時前。遠くに見える電車の乗客も疎らだ。親父のところに向かうには、早すぎる時間だろう。
仕方なくおれは、眼下のガキどもを目で追った。特に意味なんてなかったが、動くものを見ていると、何となく落ち着く気がしたから。
今さら、ここで焦っても仕方ないよな。
そう言い聞かせながらガキどもを見ていると、ふいに脳裏に蘇ってくる姿があった。
妙にキラキラとした目でおれを見上げてきたあいつ。あいつもまた、人生を狂わされた奴の一人だったはずだけど――
*****
夕刻から深夜にかけて都心を練り歩くのは、本土に戻ってからのおれの日課になっていた。人込みに紛れて“探し物”をするには、丁度いい時間だったから。
練り歩くといっても、さすがに今の姿で出歩いていたわけじゃない。髪はヘアカラーで茶色に染め上げ、瞳の色はカラーコンタクトでどうにかした。どこに組織の目が光っているか分からないから、取り合えず昔のおれとは全く違う感じを目指してみた。この姿なら都心をフラフラしていても、そうおかしくはないだろう。
ついでに言えば、これらの軍資金は全部、他人の財布から抜き取った。
反射神経は抜群になったから、ちょっとワルそうな奴等から掠め取る技術を磨くのに、さほど時間はかからなかった。
これくらいはいいだろうって思う辺りが、もうズレているのかもしれないが。抵抗を感じたのは始めの1、2回だけで、すぐに慣れてしまった。
むしろ、ひどく抵抗を覚えたのは初めてラブホに入る時で。誰にも顔を会わせず手っ取り早く水場が使える場所を、と考えたらそこが好都合だったわけだけど。
一人でこっそり入口の扉を開ける際はドキドキして、自分でもちょっと嫌になった。罪悪感を覚える場所が違うだろう、とひどい自己嫌悪に陥ったけど。一度使えばすぐに慣れた。要は慣れか、人間ってホント怖ぇな。そう思いかけて、あぁ、おれはもう人間じゃなかった……、なんてまた下らない自己嫌悪。我ながら本当に嫌になる。
そんな感じで、手近なホテルに籠って試行錯誤した末に鏡に映ったおれを見て、結構いけるもんだなと、また別の感動を覚えてしまった。
試しに金髪にしてワックスで固めてみると、自分でも『誰だこれ』って感じで、ちょっと引きそうになったし。別にカツラだけでも良かったかと後になって思ったが、まぁ地毛を染めておいた方がより万全ってものだろう。
その頃になると、初めて出会ったときの結城も、こんな感じだったんじゃないかと今さらのように思い至った。
大方、どこかで研究員の私物を盗むとかしたんだろう。
何だか似たような道を辿っている気がして、ちょっと笑えた。
そんな具合で、その日も適当な格好をして雑踏を歩いていた時、それに気づいた。
周囲の喧騒に混じって、若い男の恫喝と悲鳴じみた拒絶の声が聞こえた。
といっても、一緒に大通りを歩いていた周囲の人間に気付く様子はない。これは、異常に良くなったおれに耳にだけ、届いているはずだったから。
声のした方向にそっと意識を集中すると、どうやら数人の男が1人の男をカツアゲしているようだった。恐らく高校生か何かだろう。
――何だよ、ただの火遊びか。
だったら勝手にやってろ、と一度は無視を決め込んだが、しつこく漏れ聞こえてくる恫喝には溜息が出た。これはさすがにおれの“探し物”にはならないだろうと、そう思うのに。
聞こえてくる声から察するに、獲物の方は果敢に抵抗を試みているようだが、逃げ出せそうもない様子で。
あー……くそ、ばかばかしい。
幼い頃の嫌な思い出が蘇ってくる。
おれが子供の頃は、こうした現場に出くわす度に大暴れしていた。止めときゃいいのに、どうしてか我を失って、大人たちに力づくで止められるまで相手を逃そうとしなかったらしい。自分が血だらけになっても気づかないくらいだから、まぁ、その後のパターンも決まっていた。
助けようとした側からも恐れられ、徹底的に避けられる。
……おれが馬鹿だったとは思うけど。
大体、今のおれがそれと同じことをすれば大惨事だ。
放っときゃいいんだ、こんなもの。そう思うのに。
『俺たち、ちょっと協力して欲しいだけなんだけどなぁ』
『そこ、通してください……!』
その頃までには、おれもだいぶん、オウガとしての特性を理解できるようになっていた。身体を大きく損壊したり、非常識な力を発揮しなければ、大抵は何とか衝動を抑え切れる。事前に腹を満たしておけば尚更だ。
そうして今は、さほど空腹でもなかった。そうならないよう、こうして日頃から”おれの獲物”を探していたんだから。
一応、本土に戻ってからしばらくは、野生動物で食い繫ごうとしてみたこともある。だけど、すぐに自覚した。これでは抑え切れない。
人を口にしない期間が長くなるほど、意識の混濁する時間が増えていく。そうして、意識のない間にしでかすことは決まっていた。
――それだけは避けたかった。
もちろん、おれのする行為に違いなんてない。
ただ、それでも。
無差別に人を襲うような真似だけはしたくはなかった。
だから、都心に出た。このバケモノじみた力を使って、おれの獲物を探すために。どうしようもない と思えた奴らを狙って喰うために。
……もちろん、分かっている。
どうしようもないなんておれの勝手な主観だ。どちらが 『どうしようもない』 かで言ったら、きっとおれの方なんだろう。
だけど、それでも。もう少しだけ足掻こうと決めたから。
だから、その胸糞悪い行為を今すぐ止めて、おれに喰われろ。その代わり、余すところなく喰ってやるから……!
大都市を転々としながら、そんなことを繰り返した。
そうしていくうちに、何かが麻痺していくのをぼんやりとは感じていた。これも慣れの一種だろう。
胸糞の悪い奴らを目にする度に、気分がひどく悪くなる。
どうしてこんな奴らがいるんだ。なぜこいつらは、まだ生きている? そんな怒りすら湧いてきて。
こいつらに比べれば自分の存在の方がマシだろう、なんて思えてしまって。
喰らえば身体も喝さいを上げる。だったら何が悪いんだ、とか、そう思う自分が確かにいて。
それが日毎に高まるようで、そんな思考を否定するのにも飽きてしまって、ただルーチンのように都市を徘徊して獲物を探す。
その日も同じだった。いつものように夕刻から都心をふらついていたおれは、前回の獲物を得てから、まだ日が浅かった。だから今なら、余計な衝動に振り回されることもないはずで……あぁくそ。
どうにも、すぐそばの耳障りな会話を無視する理由が思いつけなくて、おれは仕方なく声のする裏通りへと向かった。
**
そこは、空き瓶の入ったケースやらゴミ箱やらが雑然と散らかった薄暗い路地だった。まだ日は落ち切っていないのに、その一角だけ薄闇に沈んでいる。そこに、数人のガキがいた。
とりわけ小さいのは、中央で囲まれている奴だった。まだ中学生のように見えるその少年は、涙目になりながらも、取り囲んだ一回り大きな学生たちを睨み上げていた。怯えているのは間違いないのに、一目見ただけで、まだ心の折れていない感じが伝わってくる。それが余計に周囲の男どもを苛立たせ、拳が飛ぶまでにあと何秒あるかって感じだった。
「おい、その辺でやめとけよ」
「――あぁ?」
「んだよ、てめぇ」
鼻を鳴らした学生たちが凄んできたが、大した迫力もなく、そもそもおれに対して凄むことの意味が……分かるワケねぇよなぁ。
げんなりしながら、言い放つ。
「それくらいにしておけ、って言ってんだよ」
そのまま、ターゲットだった少年に目を向ける。胸元に鞄を抱え込んで背中を丸めていた少年は、それでも瞳には生気が溢れていて、おれは少しだけ眩しく思った。
「ほら、お前はもう行けよ」
少年と学生の間に割って入り、表通りの方に顎をしゃくる。少年は戸惑いながらも、恐る恐る尋ね返してきた。
「あの、あなたは……」
「おいてめぇ! なに勝手な真似してんだよ!」
おれが余りに自然体すぎて呆気にとられていたのか、その場に突っ立っていた学生たちは、ようやくといった感じでおれの肩を掴む。そのまま遅い拳が飛んできて、おれは小さくため息をついた。
軽く上半身を逸らせてやると、勢いを殺し損ねた男の拳が壁にぶち当たり、情けない声が上がる。
「てめぇ!」
周囲の男たちがいきり立つ。今度は一斉に殴りかかってきて、おれはもう一度溜息をついた。
いちいち相手するのも面倒だ。軽く地面を蹴って飛び上がり、そのまま軽く蹴り飛ばしてやる。といっても全員、壁にぶち当たって、そのまま眼を回す程度だろう。多少の流血なんざ知ったことか。
それにしても、おれも随分と手加減を憶えたもんだ。ここまで来るには結構さ……。
昏い思考がこみ上げてくる。
お前ら、本当に感謝しろよ。次に見かけたら殺すからな……。
「……すっ、凄いんですね!!」
上ずった声を上げたのは、傍にいた少年だった。割と曲芸のように見えたのかもしれない。
おれは息を吐いてから、改めて少年にちらりと目を向ける。何か、尊敬の眼差しみたいなものを感じたけど。
ばかばかしい、それも違う……。
「いいから、もう行けよ。次は絡まれねぇよう気をつけろ」
そのまま踵を返すと、少年は転びそうな勢いで駆け寄ってきて、おれの目の前に立ち塞がった。
……おい。
「弟子にしてください!」
「はぁ!?」
「僕、憧れてたんです、貴方みたいに強い人。弟子にしてください!」
キラキラとした目でおれを見上げやがって、
……何だコイツ。おれがやばい奴だって分からないのか。
「やばい?」 少年はキョトンとする。
どうやら、独り言が口をついて出ていたらしい。
おれは苦虫を噛み潰したような顔でもしていたんだろう。
「だめ、ですか?」
まるで捨てられた子犬のような顔を向けてくる。なんとなく、こいつがカツアゲの対象にされた理由が分かる気がした。
いや、こいつが悪いわけじゃないんだが。
「――他をあたれ」
にべもないおれの返事にしょんぼり肩を落としたかと思ったら、すぐさま切り替えたような笑顔を浮かべてくる。
「でもでも! その気になったら、また声をかけてくださいね! 絶対ですよ!」
……なんつー前向きな奴だろう。ある意味、呆れる……。
「ていうかお前、どこの誰だよ。声かけろって」
思わずそう返してしまうと、
「僕、池田って言います。池田ユウキ。この地区の月島中学校に通ってます!」
……。
懐かしい単語が聞こえて、おれは思わず少年を見返した。
「あ、ユウキって、勇ましいの勇に、樹木の樹って書きます。2年生です!」
……いや、そっちじゃなくて。
どことなく、おれの見知った奴に似ている気がして、
「お前、姉貴はいるか?」
気づけば、そんなことを口走っていた。
途端に、少年の顔が曇った気がした。
「います、――いました」
絞り出された声に、ざわりとする。
なぜ過去形を。
「でも去年、亡くなりました。……山火事に巻き込まれて」
……いや、まさか……
「池田智子?」
「知ってるんですか!? もしかして、姉ちゃんの知り合いですか?!」
絶句した。こんな偶然、あっていいのか。
――いや、それより。
どうしても聞きたいことがあった。ずっと知りたくて、だけどずっと、詳細を確かめられずにいたこと。
「お前は、お前の家族は、無事なのか?」
少年は首を傾ける。
「家族? え、と……。母ちゃんはすごく、ちょっと見てられなかったけど……。でも、妹もいるし、」
素直に心情を吐露してくる。初対面の相手に、いきなり全てプライベートを暴露するのはどうかと思うが、それでも。
じっと見返していると、彼は意を決したように宣言した。
「だから今度は、僕が姉ちゃんみたく皆を守らきゃって。だから、僕がもっと強く、」
いつの間にか、おれは少年の頭をかき混ぜていた。
「ちょっ、お兄さん!」
さすがにぎょっとしたのか、抗議の声を上げてきたけど。
「お前になら、きっと出来るさ」
そう言った途端に目を輝かせてくる。
「ホントですか? なら、弟子にし――」
「それはない」
もう一度ポンと頭を叩いてやる。
ふいに目頭が熱くなって、慌てて身を翻す。
懐かしい名前を聞いた。池田智子。こんなところで、再び耳にするなんて。
ショートカットの髪に、快活な笑顔がトレードマークの。
あいつには助けられた。
始まりの夏、あの場所で監禁されていたとき、あいつの気遣いと明るさには、何度も救われた。あいつには生きていて欲しかった。あいつが一番、生きて帰るべきだった。なのに――
あのとき、おれは何もできなかった。
悔しかった。口惜しかった。今のおれなら、きっとあいつを助けてやれたのに……!
言っても仕方の無いことを考えてしまう。
それでも、あいつの血縁が。あいつの家族が、今もこうしてちゃんと暮らしていたことに、ほんのわずかに救われる気がした。
今は幼さが目に付くこいつも、もう少し成長したら、きっと姉のようになれるだろう。誰かを勇気づけられるような奴に、――その名の通りに。
「元気でやれよ」
角を曲がる前にもう一度だけ振り返ると、口をへの字に曲げて不服の意を表している少年が目に入る。それが何だか可笑しくて、おれはひらひらと手を振った。
そうして今度こそ、その場から姿を消す。
――本音に言えば、それまでは親父に会うのが少しだけ怖かった。
今のおれでも受け入れてくれるのか、正直に言えば怖かった。
でも、きっと大丈夫だ。
思いかけず池田の弟に逢って、そんなふうに思えてしまって。少しだけ胸の奥が温かくなった。
*****
眼下の公園に目を向けると、いつの間にか、ガキどもの数が随分と減っている。
小さな子供がまた一人、母親の手にひかれて帰っていく。
帰る家のある奴はいい――
沸き上がる感傷に、おれはちょっと笑ってしまう。
地面に長く伸びる影。じき日が落ちる。魔物の潜む夜が来る。
――おれの時間だ。




