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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第3章 罪に濡れた先で
34/87

3-1 帰郷

 

 黄金色の光だった。

 眼に射し込んできたのは、まるで闇に堕ちることを拒むような陽射し。

 たまらずに視線を逸らして、その先に広がる景色に息を飲む。

 

 とうとう、おれは――

 

 薄紅色に染まり始めた街並み。

 街の中心部が見渡せる高台の公園、そこに隣接する樹林に潜みながら、おれは訳もなく胸が疼くのを感じていた。

 かつて住んでいた街。今も家族がいるはずの街。都心から電車で1時間半ほど離れたところで、少しだけさびれた雰囲気が気に入っていた。

 

 おれはついに、ここまで来ちまったんだ――

 

 

 ******

 

 

 あの夏の日、輸送機の爆破に巻き込まれるようにして海に落ちた後のことは、余りよく覚えていない。ただ、かなり長い間、波間を漂っていた気がする。その間、おれは辺りの生物を喰い散らかしていたらしい。ぼんやりとではあったが、徐々に意識の戻ることが多くなり、それにつれて、ちょっとした地獄も戻ってきた。

 

 とにかく全身が猛烈に痛んで、飢餓感に発狂しそうになった。暴れて藻掻いて、何度も溺れ死にしそうになった気がする。

 ……よくは覚えていないし、もう思い出したくもねぇけど。

 

 多分、少しでも苦痛を和らげたくて、その方法を必死で探していたんだと思う。そのうち、小さな漁船に行き当たって。

 気づいたときには、いつもの光景が広がっていた。ペンキをぶち撒けたような赤い飛沫と散乱した白い破片。

 これはもう、何の言い訳もできなかった。

 

『無差別には襲いたくない』?

 嘘つけ、このバケモノが。

 ………………。

 …………。

 ……。


 だけどもう、思い悩んだ振りをして立ち止まるのは止めた。

 どう足掻いたって、弁明したって、おれのしたことが消えるわけじゃない。

 あのとき、あの場で消えることを選ばなかった以上、どこかでこうなることは分かっていた。それが思ったより早かっただけだ。

 

 ……きっとどこかで、おれも報いを受けるんだろう。あの島でされたみたいに。

 きっと最期は碌でもない消え方をするんだろう。

 だけど、それまでは。


 おれにしかできないことを。バケモノのおれだから出来ることを。

 まずは結城やあいつ等を助け出す。それから、この“元凶”を叩き潰す。

 それまでは生き延びてやる。例えどんな存在になってでも……!

 


 そうして、どうにか辿り着いた本土は、木々が紅く色づく季節になっていた。

 

 

 ***

 

 

 1年前に崩壊したおれの世界とは違い、帰ってきた世間は、まるで何も変わらなかった。

 原因不明のウィルスが蔓延していることもなく、世間がオウガで溢れかえっていることもなく。ただ当たり前のような日常が繰り返されていた。


 正直、言いようのない憤りが込み上げてきた。

 おれたちがあんな目に遭っていたのに、こいつ等はのうのうと――

 そんな呪いの言葉が湧き出しかけた。この能天気な奴らにも思い知らせてやりたい。そんな思考が幾度も脳裏を過ぎった。


 ――でも。

 

 こんなのはただの八つ当たりだ。無関係の奴等まで地獄に引きずり込もうって? 自分のことは棚上げにして?

 そんなの、真にバケモノだろう。そんなモノになりたいのか。そんなモノになるために戻ってきたのか。違うだろ? 違うんだよな? まずはあいつ等を助け出す。おれが戻ってきたのは、そのためだよな?

 

  ――今さら、帰る場所があるだなんて思っちゃいない。

 おれはもう戻れない。そんなことは分かってる。


 中嶋や水野、あいつ等にとってもそれは同じで。あいつ等の場合は、家族に顔向けできないとか、そう言う意味じゃなかったが。

 図書館で新聞やネットニュースのログを辿ると、割と簡単にヒットした。

『火の不始末で大学生6人死亡』 

 1年前の夏の記事。小さく実名入りで掲載されていた。

 でも、それだけだった。単なる事故として片づけられ、それで世間はいつも通りに回っている。中嶋や水野までが死人扱い。この状態で、あいつ等が迂闊に家族の下に戻ったら。組織の手が伸びて、揉み消されるのがオチだろう。下手をすれば、あいつ等の家族まで巻き添えになるかもしれない。

 ――対抗組織の奴等がどうにかするとか言っていた気もするが、さすがに全て元通りというわけにはいかないだろう。

 

 でも、だからって、このままにはしておけない。

 例え元に戻れなくても、泣き寝入りなどしてやるものか。



  ……だけど実際問題、手がなかった。

 奴等を追う方法が一向に見つからなかった。奴等に気付かれず、奴等の足取りを追う手段が。

 

 あの日、島外から侵入してきた奴らは、恐らくおれが死んだと思っただろう。だが、肝心の研究所の奴等は、生き延びたと思っているはずだった。四肢を欠損したまま海に落ちたおれの体が、果たしてまともに再生するのか、再生したとしてどれほど時間を要するのか、奴等もそこまでは読めていなかったと思うが。そう思いたいが。いつか必ず戻ってくると、そう手ぐすね引いて待っているはずだった。

 

 だから、派手なことをしておれの姿を人目に晒せば、きっと奴等の方から何らかのアクションがある。そうは思っていた。だけど、それは最後の手段にしたかった。


 ようやく手に入れた自由を棄てて、相手にイニシアティブを与えるだって? そんなことをすれば、また元の状態に逆戻りだ。いくらおれでも、あんな風にモルモットにされるのは、もう二度とご免だった。


 でも、だったらどうすればいい?

 

 そのアイディアがちっとも浮かんでこなかった。

 まして相手は奴等だけじゃない。もう一つの対抗組織も、おれにとっては敵も同然だ。助けなんて期待できない。おれの生存を勘付かれるわけにもいかない。


 でも、だったら、どうすればいい!? 

 

 ――誰かに、相談したかった。

 力ならある。力なら手に入れた。

 だけどそれは、常人と較べたらの話だった。この力を熟知して、対抗する術も持っていて、それで世界だか何だかを相手どっている奴ら相手に、おれ一人で何ができる!

 

 ――せめてあいつの、結城の意見を聞きたかった。

 あいつだって、大したアイディアなんか持っていないだろう。そんなことは分かっている。それでも、声を聞きたかった。あいつの無事を確認したかった。

 ……くそ。

 あれからもう随分になる。あいつは今頃、どこでどうしているだろう……。


 結城を捕らえたのは、おれに電撃を加えてきた奴等だ。あいつ等の仲間を殺した報復、だとか言っていた。なら、結城も無事では済まないだろう。

 あいつ等にとって、おれ達はただの化け物で実験動物だ。報復という名の下に、またロクでもないことをされているんじゃないのか。

 それを思うと、胸の奥が灼けつく気がした。

 

 あいつだって、そう簡単にくたばったりはしないはず。身体を真っ二つにされたって回復するんだ。きっと大丈夫。

 そうは思っても、これほど長く待たせていることには焦燥感が募った。

 

 ……ちきしょう。

 そうして頭を抱えて、手詰まりになって頭に浮かんだのが、親父の顔だった。

 

『もう一度、家族に逢いたくはないのか』

 

 同時に脳裏を過るのは、あの日、飛空艇の中で突然現れた男から投げつけられたセリフ。この言葉はずっと、棘みたいに引っかかっていた。

 

 そもそも、あいつは誰なのか。それにはもう心当たりがあった。

 結城が言っていたじゃないか。仁科の上にもう一人いると。名前は――覚えていないが、あのとき仁科と対等以上の振舞いをしていたことを考えても、十中八九、間違いないだろう。あの男があの研究施設のトップなんだ。

 その男が、おれの家族を引き合いに出したということは。

 おれの素性は全て把握されているとみた方がいい。おれが家族に接触しようとすれば、見つかる可能は跳ね上がるだろう。家族を人質に取られる恐れだってある。普通に考えれば、接触しようとする方が馬鹿だ。それは分かっていた。

 

 ――だけどもう、他に手がなかった。

 何より、おれがちょっともう、……限界だった。

 家族に一目でいいから逢いたい。無事を確認したい。この衝動を無視することが、これ以上できそうになかった。

 

 だけどもし、これで家族まで危険な目に遭わせたら――

 万一の事態でも起こったら、完全にぶっ壊れる自信もあった。

 

 もう矛盾だらけだ。笑っちまう。笑えるほど矛盾してる。

 だけど、――……。


 そうしてぐるぐる悩んで、ギリギリのところで妥協した結論が、親父に会うことだった。

 

 母さんと彩乃にだけは、余計な心配をかけたくない。そもそも、おれがバケモノとしてこの世に居座り続けていることも、絶対に知られてはならないと思った。

 もし母さんに知られたら、『私を食べなさい』とか言いだしかねない気がしたから。『私を食べてもいいから、それで終わりにしましょう』とか、そんなセリフを言わせちまったら……

 胃の辺りがむかむかした。

 絶対にそんなセリフは聞きたくなかった。

 

 でも、親父だったら大丈夫だろう。多少は危険な目に遭わせたっていいだろう。……そういうことにさせてくれ。

 

 それで、おれは。

 それまで隠れ潜んでいた都心を抜けて、自分の住んでいた街に足を踏み入れたんだ。


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