2-14 海上で
目を覚ますと、辺りが妙に騒がしかった。
身動きしようとして、全身を何かで拘束されていることに気づく。
……またか。
ある意味で、もう慣れっこになっちまったんだろう。ゲンナリはしたが、それ以上の感情は湧いてこなかった。
どうやら、おれは金属製の椅子か何かに全身を括り付けられているようだった。腰回りや足首、二の腕全て固定されているようで、額にもヒンヤリとした感触がある。恐らく頭部も固定されているんだろう。
顔を上げると、薄暗くて狭い空間、――貨物室のような空間の前方に、複数の兵士が集まっているのが見えた。緊張した面持ちで何かを食入るように見つめている。
ここは輸送機の中、か?
先ほどから妙な揺れを感じるのは、飛行中のためだろうか。それにしても、兵士が全員、只ならぬ雰囲気で前方に寄り集まっているのはどうしたわけだ。
『おっと、話題の検体がお目覚めのようだが?』
兵士たちが一斉に振返る。その拍子に、兵士の身体で隠れていた画面が垣間見えた。
そこに映し出されていたのは、毎度お馴染み、クソ野郎の顔で。
『やぁ矢吹。元気そうで何よりだよ』
言って仁科は、口の端に歪んだ笑みを浮かべる。
『だが、お前はもう用済みだとさ』
……。
状況が理解できない。
兵士たちはおれをジロリと一瞥してから、やおら、壁に掛けられたバックパックを次々と手に取る。それから、側面のドアを開け放った。
途端に、強風が吹き込んでくる。
バタバタという騒々しい音。輸送機のブレードが回転している音だろうが。
けど、なんで扉を?
と、思う間もなく、ドアの向こうから焦げ臭い匂いが雪崩れ込んできた。どうやら、前方から黒煙が噴き出しているらしい。
訝しんでいるうちに、兵士たちは次々と輸送機の外へダイブしていく。あっという間に狭かったはずの空間はがらんとして、おれだけが取り残された形になった。
これは、あー……。
『アッハハハハ!』
画面越しに、仁科の笑い声が響いてくる。
思わず睨むと、仁科は笑いを噛み殺すようにして言葉を続けた。
『その輸送機はあと十分ほどで爆破するようにセットされていてね。そのまま、そこに居続けたら中の人間は木端微塵、海の藻屑というわけさ。で、奴らはお前の確保を諦めて、脱出を優先したというわけだ』
――ご丁寧に説明どうも。
ある程度予想していたが、残された時間は想像以上に少なかった。
……あと十分、か。
真っ先に気になったのは、結城とあいつら、中嶋や水野たちの所在だった。
目に見える範囲には誰もいないし、あいつ等の気配も感じなかったが、何せほとんど頭を動かせない。もしも、意識を失った状態なんかで後ろにいたら――
けど、少し身動きするだけで拘束具が食い込むような感覚があって、まともに動くことができない。思わず舌打ちしていると、
『あぁ、彼女たちなら別便だよ。安心したかね?』
薄く笑うような声がした。
……それをおれに伝えて、お前に何の得がある?
にしても、
「全部、てめぇの仕込みかよ」
この輸送機は侵入者側で手配された物だろう。そこに爆発物を仕掛けた、だって?
よくもまぁ、相手を出し抜くような真似ができたもんだ。内通者でもいたんだろうか。
『我々に手を出して、無事で済むと舐めてもらっては困るからねぇ。君も、奴らの手に渡すくらいなら、という奴だよ』
――あぁそう。
おれは肩を竦めた。どっちにしろ、おれにとってはもう後がないらしい。
口惜しいのは、こいつをぶっ殺せないことか。
余裕の笑みを浮かべる仁科は忌々しかったが、同時に、どこか冷めた自分も感じていた。いや、これは、冷めたというより……
『おやぁ? 随分とつまらない顔をしているじゃないか』
鼻を鳴らす仁科に、おれは少しだけ嗤い返してやる。
「残念だったな、これ以上玩具にできなくて」
ざまぁみろという気持ちは確かにあった。けど、それ以上の感情が湧いてこなかった。
ついさっきまで、あれほど憤ったり喚いたり、……はしなかったかもしれないが、荒れ狂うような感情が渦巻いていたのに。
あいつ等を助け出して、こいつ等に復讐して。そう思っていたはずなのに、どうしてこんな気分になるんだろう。
頭のどこかが疼いたが、もうどうしようもないじゃねぇか。そんな想いの方が強かった。
ここまで追い込まれたら。こんなふうにされちまったら。
もう、おれ一人でどうにか出来るレベルを超えてる。
オウガになってもこのザマで。
……それとも、家に帰りたい?
おれが? 今のおれが?
恨みを買って報復されて、そんなおれが、こいつらを引き連れて帰るのか?
――あり得ない!
頭が痛い。全身が寒くて重い。
――中嶋と水野なら保護されるだろう。きっと今よりマシな扱いを受けるはず。
あとは結城で、……結城を残して行くのは、
ズキリと胸が痛んだ。
けど、あいつのことだ。あいつならきっと、上手くやるさ。
もしやって行けなかったら、…………。……。
でも、これでもう襲わずに済む。いつか、あいつらまで手にかけずに済む。
その安堵感の方が強かった。
あぁちきしょう、そういうことか……。
おれはまだ、人のままでいたかったのか……。
『ほう、所詮はその程度か』
蔑む声音に目を上げると、見知らぬ男がおれを見下ろしていた。
白髪の混じった髪を後ろに軽く撫でつけ、いかにもインテリ風のスーツを着こなした壮年の男。仁科の傍らに立つその男は、ひどく冷たい眼差しでおれを見下ろしていた。
「――誰だ」
『君が本気になれば、まだそこから逃れることも可能と思うがね』
男は抑揚のない言葉を言い放つ。
――本気になれば?
「何言ってんだ」
あと僅かな時間で、この雁字搦めの拘束から逃れろって?
『多少の損壊なら君は死なない。これ以上はな。例え四肢が千切れようと、欠損した部位を再生することすら可能だろう』
唖然とするおれに、男は言い放つ。
『胴部の拘束はこちらで外しておいた。未だ残されているのは、手足と頭部の拘束のみだ。しかも、頭部の拘束は脆弱ときている。今の君ならその拘束具を外して、自分の牙で手足くらい、噛み千切れると思うがね』
――はあ?
確かに頭はわずかに動く。だが、額を固定しているらしきリング状の何かから頭を外そうと思ったら、言うほど簡単ではないだろう。
というより、噛み千切れって……!
「簡単に言ってくれるじゃねぇか」
『だからここで消えると? それほど簡単に諦めてしまえるものだったのかね、君の大事なものは』
――ああ?
何か触れられたくない場所に土足で踏み込まれた気がした。
「知ったような口をきいてんじゃねぇ……!」
対する男は、冷たい視線を返してきただけ。それが何だか、酷く胸をざわつかせた。
何だてめぇは。何なんだ。突然出てきて何を言ってやがる。
諦める? 諦めるって、おれが今までどんな思いで――……、
あぁくそ、この野郎!!
おれは目を閉じた。
このまま諦めて終わるんじゃ、余りに情けないのも確かだった。
あいつ等を助け出せてもいないのに。
こいつ等に、復讐できてもいないのに。
この野郎、ざっけんな……!!
力を込める。全身を強く圧迫されて、それでも拘束を外せる気がしなくて、だけど強引に力を入れる。入れ続ける。
嫌な音がして、額が割れる。視界が染まる。まるで全身の血が沸騰するようで、
……いってえぇ! ちくしょうが!! ああくそ、何か食わせろ!死ね殺すぞ馬鹿野郎!!!
まともな思考が出来なくなりかけたが、構いやしない。どうせここには誰も残っていない。上から目線のクソ野郎どもが見物しているだけだ。ハッ!
どうやら頭が抜けたらしい。だけどまだ何かに邪魔されていて、手足が言うことを利かない。
確か、こいつも喰い千切らなきゃならねぇんだよな……?
勢いに任せてなんとか両腕を噛み千切り、激痛を振り切って両足にも牙を立てると、ぐらりと視界が暗転した。
強烈な飢餓感とともに獲物を求めるが、辺りにその気配はなくて、明滅する視界の中で、黒い染みがじわじわと広がっていく。
……あれ……チクショウ……何……だった……け……
遠くで誰かの怒声が耳朶を打った。
『……! そのまま海に飛び込め!』
煩わしくて目線を上げると、誰かが繰り返し声を荒げていた。
『急げ! 時間がない!』
……うぜぇ………。
壊れたスピーカーか何かのようで、ただ不愉快な気分が込み上げる。
『このまま消えても本当にいいと、――お前の家族に、もう一度会いたくはないのか!』
………そん……なの、決まってる!!
『やれば出来るじゃないか』
不味い血を吐き出してから画面を睨み上げると、霞んだ視野に、薄く笑うクソどもの顔が見えて。
「あとで……後悔、すんなよ……」
這いつくばりながら前に進む。
青い空が口を開けたドアまで、あと数メートル。その少しの距離が途方もなく遠い。
あぁくそ、ちきしょう……おれの体を返しやがれ…!
くつくつと笑う気配がした。
『また君に逢えるのが愉しみだよ』
――ああ!?
もう振り返る余裕なんかない。ただ耳に届く声がひたすら愉悦を含んでいて、黙っていろと叫びたくなった。
『ちなみに、大型の海洋生物でも喰らえば少しは回復するだろう。人より効率は悪いだろうが』
……さっきから何言ってやがるんだ、こいつ等は。
眼下に、強い日差しに煌めく海が見える。
『生き延びろ!』
おれは空に向けてダイブした。
直後、爆音がして衝撃波に煽られる。
前後左右がわからなくなって、ただ光る水面が急激に近づくのを感じる。これに叩きつけられたらどうなるかなんて知らない。
けど、これで消えて、たまるかよ……!!




