2-13 意外
思わず目を疑った。
遠く眼下に見えるのは、緩くウェーブのかかったくせ毛が肩口まで伸びた奴と、胸元で切りそろえられたストレートの髪を風になびかせている奴。
間違いない。あれは水野と中嶋だろう。でも、どうして?
あいつ等は無理やりこの島に連れてこられた被験者で、ただの被害者のはずだ。なのになぜ、あんな風に銃で脅されながら歩いている?
ふいに、結城から言われていたことを思い出した。
確か、研究員かモルモットに紛れて脱出すればいい、だったか。
だが、眼下にいるのは二人だけ。どう考えても紛れ込めるような集団になっていない。
――いや、待て。研究員らしき奴等も、あと数人いるのか。
他にもまだ出てくることを期待したが、森の切れた辺りから現れたのは、兵士が30人ほど。そのまま、研究員らしき数名はタグボートに載せられていく。
だが、中嶋と水野だけはヘリの発着場で、背中合わせに座り込まされていた。その周囲を兵士5人が取り囲み、数メートルの距離を開けて、さらに数十名の兵士が取り囲む。
明らかに特別扱いの待遇だった。それも悪い方の。
一体、何する気だよ?
ほどなく、傍らの飛行艇から一人の男が降り立ち、中嶋と水野にゆっくりと近づいていくのが見えた。兵士が一斉に右手を眉の横にあてて敬礼する。指揮官か何かだろう。
その男も答礼してから、中嶋と水野を見下ろす。
と、腰から小型の銃を引き抜き、改めて中嶋と水野に向けた。それから、顔を上げて何事かを叫ぶ。
――あ?
遠すぎて、何と言ったのかまでは聞こえなかった。口の動きは分かるものの、読唇術の心得なんてない。だけど、もし視力と同じなら。
おれは目を閉じ、桟橋の方角に意識を集中させてみた。途端に数多の音が騒音のように溢れ返る。一瞬めまいを覚えたが、無視して男に意識を絞ると、次第に一つの音が意味を形作っていく。
「……き、聞こ……いるか。矢吹! 近くにいるんだろう。彼女らをどうにかされたくなければ、姿を見せろ!」
――は?
瞬間的に思ったのは、ふざけんな、だった。
「5分だ。5分待つ。それまでに現れなければ、彼女たちは――」
軽い発砲音がして、地面に小さな穴が穿たれる。
「分かるだろう?」
――はあ?
無性に腹が立った。
だってそうだろう? 侵入者は比較的まともな集団じゃなかったのか。世界の警察ってヤツを気取ってるんじゃなかったのかよ。これじゃあ、やってることは仁科たちと同じじゃねぇか!
冗談じゃないと思った。
しかも、あいつ等を人質にするって? ばかじゃねぇか、おれを何だと思ってやがる。あいつ等はもう、おれのダチでも何でもねぇんだよ!
――あいつ等への感情は、正直、自分でもよく分からなかった。
もちろん、昔はただ忌々しかった。朝倉ほどではないにしろ、おれがこうなる前にあいつ等が見せた態度も、笑って許して忘れてしまえるようなものではなかった。
――でも。
おれと同じ空間に閉じ込められて。いつ喰われてもおかしくない状況に置かれて。あれがどれだけ長く続いたのか、今のおれには良く分からない。あいつ等の外見はあまり変わっていないように見えるから、さほど長い時間は経っていなかったのかもしれない。
それでも、あの時間はひどかった。もういっそ終わってくれと、全て滅茶苦茶になってしまえと、密かに願うようになっていた日々。
あいつ等にとっても、ただ終わりを待つだけの、ある意味で地獄のような時間だったはずだ。そんな無限に思えた時間を経て、結城に救い出された今ならわかる。
あいつ等がどうなってもいいだなんて、そんなふうにはもう思えねぇんだよクソやろう!
ふいに中嶋が声を上げた。
「私たちを人質にしても、意味なんてないわよ」
冷めた目で見降ろす指揮官に、気丈な顔をして言い募る。
「私たちは、彼を見捨てた側だもの。そのせいであんな姿にされたのに、彼が姿を現すはずはないでしょう!」
何言ってんだよ、中嶋……。
今さらあいつ等と、昔と同じように話せるかと言ったら、そんなのは無理だろう。あいつ等だって、こんなバケモノは願い下げのはずだ。だけど、それでも。
あいつ等がこんな風に扱われるのは、不愉快で我慢ならなかった。
くそっ、何が『おれの情報は漏れていない』だ。ダダ洩れじゃねぇか。
結城に思わず文句を言いたくなる。
でも、どうしたらいい? どうしたらあいつ等を救い出せる。
おれの反射速度に物を言わせて、兵士全員なぎ倒すか? ……いや、5、6人ならいけるかもしれないが、周囲を固めた全員を突破してあいつ等を連れ出すのは……。大体、それをしたら、結城はどうなる?
「あと3分」
指揮官の男が、銃口を再び水野と中嶋に向ける。
乾いた発砲音がして、二人の髪の毛が飛び散った。
あぁくそっ、下らねぇことを考えてるな、おれ……。
もし、ここでおれまで捕まったら、またモルモットの日々に逆戻りだ。おれはまだいいとしても、結城まで道連れにしていい、わけがない。
――けど、
『あんたは、あんたのしたかったことをして』
あぁ、わりぃ。
おれはぎゅっと目をつむった。
今回はお前の言葉に甘える。借りにしといてくれ!
*****
急な斜面を駆け下りる。弾んだ息を整えてから、飢餓感がまだ制御下にあることを確認する。
大丈夫、これくらいならまだ抑えられる……。
おれはゆっくりと、ヘリの発着場に姿を現してやった。
と、兵士どもが一斉におれに銃口を向けてくる。だが、中嶋と水野の脇に立つ兵士の銃口だけは、片時も二人から狙いをはずさない。
――やっぱり、隙は見せてくれねぇか。
おれは、少し距離を置いたところで立ち止まった。
「お望み通り、出てきてやったぜ?」
指揮官は体格のいい壮年の男だった。間近で見ると、かなり彫りの深い顔立ちをしている。生粋の日本人ではなく、ハーフか何かかもしれない。随分と冷たい目をして見えたが、おれの顔を見て、ほんの僅かに驚いた表情を覗かせた。
「大人しく捕縛される気はあるか?」
男に問いかけられ、おれは肩を竦めた。
「まぁな。お前がそいつ等をどうするか次第だが」
ちらりと目を向けると、中嶋は目を見開いたまま、ボロボロと涙を零していた。
「どうして来たの!」
ひどく怒っているように見えた。
「もう、私たちなんて……!」
言葉尻が嗚咽になって、後はもう声にならない。
どうにも居心地が悪くて頬を掻く。
一方の水野は押し黙ったまま、なんだか、目一杯悔しそうな表情を浮かべて見えた。
……ン?
少し面喰っていると、指揮官の男が感情を伺わせない声で続ける。
「君が大人しく我々と来るなら、彼女らは丁重におもてなしさせてもらおう。色々と事情を聴くことになると思うが。全て済んだら、家族に再び会うことも叶うだろう」
思わず目を瞬いてしまった。
本当だろうか。もしそれが本当なら、そう悪い条件ではないのかもしれないが。
「保証は?」
「ないな」
平坦だが、嘲りを含んだ声音。
「そもそも、何をもって保証に足るというんだ?」
それはそうなんだが。
「もし断ったら?」
「残念だが、彼女らはここに置いていく。この島の奴らに再び捉えられたらどうなるかは、想像に難くないと思うがな」
それは確かに、嫌な想像だった。
もし、おれがこのままいなくなったら、こいつ等が今までのような生活を続けられるとは思えなかった。下手をしたら、廃棄処分になるかもしれない……。
どちらも糞喰らえな気はしたが、どちらがマシかで言えば、正直、考えるまでもなかった。
それにしても、ただ置いていく、ということは。
おれが姿を現さずとも、積極的に殺す気まではなかったということか。
「銃で脅したのは、ただのフェイクかよ」
吐き捨てるように言うと、指揮官の男は薄く笑った。
「分かりやすく脅した方が、君には効果的と聞いていたものでね。実際に出て来るとは思わなかったが。さあ、もういいだろう。大人しく我々と来てもらおうか」
脅迫めいた発言をしながら、それでも口調だけは穏やかで。
おれはもう一度、肩を竦めた。まあ仁科たちよりマシなんだろう。
そうでなきゃ困る。
「好きにしろよ」
両手を上げて降参のポーズをとってやると、すぐに結城と似たような枷をはめられる。続いて、薬物の投与やマスクでもされるのかと思いきや。
拘束された途端に、衝撃が走った。
……っ!
見れば、肩口が銃で射抜かれていた。
少し遅れて、火箸を押し当てられたような激痛が走る。
突然のことに口を利けないでいると、再び銃で腹を撃ち抜かれた。
この……野郎……!
これくらいで死にはしない。それでも、灼けるような痛みと、脳を搔き乱す激情には慣れることなんかできなくて。
何しやがる……!!
睨み上げると、続けざま銃を撃ち込まれ、暴風のような憎悪が燃え上がった。
いい度胸だ、喰らってやる!
凶暴な思考が駆け巡り、飛びかかろうとしたところで再度銃撃。
しこたま血を失い、完全に理性が飛びかけた。が、
ぎゃあああああ!
今までに味わったことのない激烈な痛みだった。
辛うじて目を開けると、身体から薄い白煙が立ち上っているのが見えた。
なに……を……。
思う先で、再度、筆舌に尽くしがたい激痛が走る。視界の端で、火花が散るのが見えた。
……電……撃……?
まともな思考も覚束ない頭で、その可能性に思い至る。微かに頭を動かすと、枷を嵌められた手首の辺りが、赤黒く焼け爛れているのが見えた。
この……野郎……っ!
思いかけて、三度目の激痛。
視界がくらむ。意識が遠くなった。
そこに降ってくる冷徹な声。
「貴様が施設から逃げ出す際に襲った者の中にはな、」
おれが辛うじて意識を繋いでいることを確かめてから、言葉を続ける。
「我々の仲間もいたのだよ。ちょうど3名だ。この意味が分かるだろう?」
霞む目を上げると、冷たい視線が突き刺さる。
「そう、これはほんのお礼さ。二目と見られぬよう喰らってくれた、我々の仲間に対するな」
言われたことの意味は分かった。これは報復と、そういうわけか。
ふいに、嗤いが込み上げてきた。
そうか、忘れてたよ。おれはもうバケモノだったな。気分が高揚して忘れちまってた。
つまりアレだろ。おれがしたことの責任はとれってことだよな?
いいぜ、いいぜぇ? やられたらやり返す。お互い様ってことだろう? だったら、おれがてめぇらぶっ殺しても、いいんだよなぁ!!
凶暴な思考に塗りつぶされる。
こんな拘束、ぶち切ってやる!
そのときだった。
「ふんっ!」
「ぐぉっ」
この場にそぐわない妙な声と、くぐもった男の声。
――あ?
目の前には、全く想定外の絵ずらが展開していた。
――……水野?
兵士の傍で大人しく体を硬直させていたはずの水野の頭が、兵士の顎を突き上げていた。恐らく、急に立ち上がった勢いで頭突きしたんだろう、が。
「矢吹君にひどいことしないで!」
頭突きされた兵士はよろめいたたま、虚を突かれた様子で茫然と水野を見やる。
「彼が悪いんじゃ、ない!」
兵士は我に返ったように顎をさすり、それから顔を紅潮させた。
「貴様……!」
そのまま水野に掴みかかろうとして、
「そこまでだ」
止めたのは指揮官の男だった。
「ですが大尉!」
「勝手な真似をするな。命令に叛く気か?」
兵士は言葉を飲み込み、口惜しそうに腕を下ろす。
おれは、あっけにとられてその様を見ていた。
水野が? なんで?
長い間ずっと、小さく歌うだけだった水野。あどけない子供みたいに、ただ中嶋の後をついて回っていた彼女が。彼女はもう、精神を病んでいたんじゃなかったのか。
これは何だ? 何が起こってる?
中嶋も驚きすぎて、口が利けないようだった。
水野は燃えるような瞳で兵士たちを睨み上げて、それから、おれを振り返った。
一瞬、眉を引き絞ったのは、おれの姿が見るに堪えなかったのか。
それから鈴のような声で、でもはっきりと告げた。
「負けちゃわないで」
――え?
「負けないで、生き抜いて。そしていつか」
言って笑う。
「わたしを食べても、いいからね」
おれは声も出せずに水野を見上げた。
理解できない言動。以前の水野からは想像もつかない変わりよう。
いっそ怖いくらいなのに、強い光を帯びた水野に、なぜか目が離せなくて。
いつの間にか、狂気はどこかに霧散していた。絶え間ない頭痛と飢えは脳裏を焦がし続けていたが、それでも、頭の奥は妙に冷静で。
「お前、大丈夫か」
思わず零れ出た言葉は、我ながら気の利いたセリフとは思えなかったが、
「もうっ! 失礼だな!」
憤慨したような顔で可憐な声を出されて、おれはますます混乱した。
「……水野、だよな、お前……」
その先の言葉が続かないでいると、水野は再び口を開きかける。
だが、兵士どもに有無を言わさず連れていかれそうになって、精いっぱいの声を張った。
「わたしたちは大丈夫! だからもう、無茶はしないで!」
身を捩るようにして声を上げる。
「智ちゃんなら、きっとそう言うから!」
中嶋も我に返ったような様子で、水野に負けじと声を張り上げた。
「涼司君ごめんね、でもありがとう! 私たちなら大丈夫だから! だから――!」
…………。
どう反応していいのか分からない。
言葉なんか出てこない。
何も言えないまま、ただ彼女たちがタグボートに載せられて小さくなっていく姿を見送っていると、指揮官の男は苦笑交じりに呟いた。
「なかなか、健気な娘たちじゃないか」
いつの間にか、何かの薬物を投与されていたのか、気づくと一人では体を動かすこともできなくなっていた。意識も次第に曖昧になってくる。
霞む視野の端で指揮官を睨みながら、おれはどうにか吐き捨てた。
「あいつ等に、妙な真似はするなよ」
指揮官の男は、ただ肩を竦めた。
「貴様が大人しく協力する限りはな」
協力……? ここまでしておいて、協力だって……?
男はおれを一瞥し、それから踵を返した。
「連れていけ」




