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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第2章 それぞれの選択
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2-12 葛藤

 おれは全力で駆けた。鬱蒼とした森の奥へ、逃れたばかりの研究所に向かって。


 一人じゃない、ただそれだけで。

 誰かが傍にいる、それだけで、こんなにも――


 結城がどうしておれを嵌めたのか、今さらながらに痛感する。赦せない思いはまだどこかに燻っていたが、それでも。分かってしまう。どうしようもなく理解できてしまう。さっきまではあれほど、底なし沼に落ちたみたいに喘いでいたのに。


 あのとき、消えずに済んだことへの感謝の念も、確かにあった。こんな風になってもまだ。この世界に居られるなら。抗えるのなら。自分でどちらか選べと言われたら、おれはやっぱり、こちらを選んだだろう。


 ……どうしようもねぇな。

 救いようがないのは自分だと、本当はもう分かっている。それでも。

 意識を脚に向け直す。急げと、もっと早くと強く念じる。結城のために誰かの命を奪う。その標的を探すために。



 あのとき、眼下に見えた侵入者たちを狙えば、恐らく話は早かった。だけど、そいつらには手を出したくなかった。おれ達に報復されても文句は言えないはずだと確信できるのは、研究所の奴らだけだったから。

 やろうとしていることに違いはないし、時間をかければ、それだけ結城を待たせてしまう。

 それでも、この感情を無視したくなかった。無差別に襲うことを良しとしたら、おれは本当に、ただのバケモノに成り下がってしまう。それだけは嫌だった。

 そんなおれの考えを、結城も尊重してくれたから。『あんたらしいわね』なんて呟きながら。


 だから、脱出したばかりの研究施設を目指した。その分、全力を出した。

 正直、オウガとしての力の出し方は、まだ良く分かっていなかったけど。もっと速く、もっと急げと念じると、おれの足はどこまでも加速してくれるようだった。もしかすると、ここに来るまでの道行きは、おれの身体がまだ本調子ではないと、力を抑えてくれていたのかもしれない。


 いずれにしろ、数倍の速さで森の中を駆け戻っていたから、枝葉に体のあちこちを抉られた。でも、まるで気にならなかった。感覚としては羽毛で掠められているくらいのものだったし、すぐに治癒するような感覚もあって。まるで超人にでもなった気がして、最高に気分が高揚したけど。

 研究施設が見えて来た頃には、ひどい飢餓感に襲われた。腸を捩じ切られて、脳を掻き回されている気分になって、余りの落差に言葉が出てこなかった。


 ちくしょう。無理するとその分、代償があるってやつかよ。


 無尽蔵に使える力ではないことを、改めて自覚させられた気分になる。何せ、この飢餓感を放っておくと、狂気に根こそぎ意識を持っていかれそうになるから。それは、長い監禁生活の中で嫌になるほど身に染みていたから。


 ……やっぱり、ロクなもんじゃねぇな。

 本当は、こうしていること自体が間違っているのかもしれない。一度死んだはずの人間が好き勝手しているなんて、何かを歪めざるを得ないんだろう。本当は存在してちゃ、ならないはずなんだろう……。


 ――またどうでもいいことを考えてるな。

 おれは頭を振った。

 存在自体が間違っているのは、この施設も同じはずだ。こんな拷問まがいの人体実験を続けて、おれたちみたいなのを次々と生み出していること自体が狂ってやがる。――だから。


 遥か前方に研究施設の入口が見えた。その入口付近で、オウガと小競り合いを続けているのは、複数の兵士たち。

 そう、お前等も殺される覚悟があってここにいるはすだよな? だったら今度は、おれのターンだ……!


 **


 研究施設の入口までは、まだ1㎞くらいの距離があった。けど、木陰に潜んで目を凝らすとが急速に焦点が合って、画像がクリアに見える感覚がある。まるで望遠鏡でも見ているようで、思わず口笛を吹きたくなった。


 全く、何でもありかよ、このウィルスは。

 一瞬だけ、このウィルス開発を押し進めようとか考える奴等の気持ちが分かる気がしてしまう――いや、絶対に認めねぇけど!


 ともあれ、入口付近の混乱は長引いているようだった。どうやら、侵入者と研究所側の兵士、オウガどもが三つ巴の闘いを続けているらしい。どちらの勢力が優勢かまではすぐに判断できなかったが。仁科の野郎がシステムを乗っ取り返していたことを考えると、侵入者が内部を完全制圧するのは難しかったのかもしれない。


 いずれにしろ、警戒を強めているだろう兵士の集団を同時に狙うのは、今のおれでも分が悪いと思った。異常な怪力やスピードを出せるようになったとはいえ、訓練された複数の兵士とやり合ったら、反撃されてしまうかもしれない。怪我でもして、飢餓感に意識を持っていかれたら、さらなる隙を与えかねない。


 だから、孤立した奴を狙うことにした。ジリジリとした思いで息を顰めて気配を探っていると、やがて散り始めたオウガと侵入者を追って、森に分け入っていく兵士の姿が見えた。


 ――よし。


 狙いを定め、慎重に近づいていく。と、その脇をオウガどもが通り過ぎていく。

 特に邪魔立てしない限り、今のおれは、奴らにとって路傍の石ころ程度の認識なんだろう。知ってはいたが、かつて散々苦労させられただけに、ちょっとだけ複雑な気分になる。

 

 結城がどうやってオウガどもを従えていたのか、聞いときゃ良かったかな。そんな思考も脳裏を掠めたが、聞いたところですぐに真似できるのかは分からない。

 そもそも、そんな小細工をせずとも、相手が一人なら行為自体は他愛なかった。ある程度の距離を詰めた後は、反応される前に喉笛を切り裂く。たったそれだけで良かったんだから。


 僅かな躊躇を飲み込んで腕を一振りしただけで、そいつは倒れた。倒れた拍子に、強烈な香りが鼻腔をくすぐる。

 うっ……!

 身体が痺れた。脳天を突き抜ける絶頂感に、全てがどうでもよくなりかける。無我夢中で手を伸ばしかけて、

 違う、結城に、届けねぇと――

 辛うじて自制した。

 そのつもりだった。


 気づけば、仕留めた獲物はすでに半分以下になっていた。 



 ――何やってんだ、おれは。

 吐息が零れた。 

 枝を踏む音に振り返ると、十数m離れた周囲を取り囲むようにして、オウガどもが集まり始めていた。ごくりと唾を飲むような音、すでに涎を垂らしている奴もいる。


 ……。

 オウガどもに仲間意識なんてない。ただ血の匂いに惹かれ、その肉を貪り尽くす。なのに飛びかかってこないのは、本能的に恐れているからか。

 ――今のおれを。


 低く唸ってみた。恫喝するように殺気を飛ばすと、途端にオウガどもが散っていく。余りに簡単で、余りにもあっけない動き。

 ――ふざけやがって、馬鹿どもが。

 思って、

 ――馬鹿はお前だ。

 ドロドロした思いが込み上げてくる。それでも、

 ――だからどうした。

 そう思う自分がいた。

 おかげで力は戻っただろう? 大体、急所も真っ先に突いてやったじゃねぇか。おれのときより、笑えるくらいマシだろう。

 …………。

 もう一度、深呼吸する。 

 いいから、これ以上、余計なことは考えるな。


 おれはもう一人仕留めることに専念し、結城の下へと急いだ。



 *****



 帰路のスピードは少しだけ抑えた。手にしたものを結城に渡せなくなったら、何の意味もなくなってしまう。

 それでも、可能な限り急いだ。あいつを随分、待たせてしまった気がするから。

 そう思った途端、焦燥感が募ってくる。


 もし、あいつが見つかっちまっていたら?

 今のあいつじゃ、ほとんど抵抗できないのに。それを――


 今さらのように後悔の念が込み上げてくる。頭の芯がしびれそうになった時、そこでようやく、視界の端に結城の姿が見えた。

 まだ相当な距離があったし、木々が見通しを邪魔してくれたおかげで、かなり見分け辛かったが。それでも間違いない。結城はちゃんと、そこにいてくれた。


 ひどくほっとして、だけど次の瞬間、ぎくりとしてしまう。

 茂みから垣間見えた結城はひどく苦しそうで、頭を地面にこすりつけたたま、地面を掻き毟っているように見えた。

 瞬間、やられた、という思いで胸が詰まる。


 あいつ、めちゃくちゃ我慢してたんじゃねぇか……!


 考えみれば当たり前だった。あれだけ身体を損壊させられて、それでも意識を失えなかったら、その苦痛は暴虐の限りを尽くしているはずなのに。


 平気そうにして、なんてことないような素振りでおれを送り出しやがって……!


 案の定、おれが戻ってきたと気づいた途端、結城は苦痛の表情をきれいに消し去って、何食わぬ顔でおれを出迎えた。


「思ったより早かったのね、おかげでおばあちゃんにならずに済んだわ」


 などと軽口を叩くあたりが、結城らしくて。

 胸の奥がずきりと痛んだ。

 おまけに、獲物を差し出した途端に、目の色を変えて貪りつく。取り繕う余裕すらなさそうなその姿には、本当に限界だったんだと思い知らされた気分になる。


 ごめんな……。


 口にできないその言葉を飲み込んでいると、見る間に下半身と上半身が修復されていく。切断された付近の肉片が蠢き、あり得ない速度で結合していく。

 それを見ていると、安堵すると同時に、


 人間じゃあ、ねぇよな……。


 自分たちが何者であるかを再認識させられた気分になる。もう十分に、分かっていたつもりなんだが。

 人を喰らうことで、辛うじて人の姿を保ち続けるバケモノ。

 こんなバケモノが島を出て、本当にいいのか……?


 この先もずっと、理性を保ち続けられる保証なんてない。飢えたら、追い詰められたら、無差別に手を出してしまうんじゃねぇのか。さっきだって、あんなに簡単に――

 だからといって、ただ朽ちるのを待つ、なんて真似が出来ないのも事実だった。

 ああくそっ、いつもおれは……!


 生じた迷いは、けれど、立ち上がった結城を見て消失する。

 結城は一通り顔をぬぐってから、


「ありがとう、おかげで生き返ったわ」

 そう言って、嬉しそうに笑う。

「これでまた、一緒にいけるわね」


 まっすぐにおれを見て。

 さぁ、何でも来いとでもいうように。


 渦巻いていた暗い思考が、潮を引いたように霧散していく。

 代わりに、こいつを守りたい、こいつの期待に応えてやりたい、そんな思いが押し寄せてきて。

 おれも大きく頷き返していた。



 *****



 回復を終えてから、おれ達は改めて眼下の侵入者集団に目を向けた。

 どこか張り詰めた様子の見張りの動き。一部の隙も無い、わけじゃないんだろうけど、


「わざと捕まるって、難しそうだな……」


 つい、そんな弱音を吐いてしまった。

 さっきまでの決意はどこに行った、そう言われても仕方がねぇけど。


 単体であれば、おれたちは相当に規格外な強さをもっている。それははっきりと自覚した。

 ろくに訓練を受けていないおれでさえ、兵士との単純な力量差は圧倒的だった。何しろ反射速度が違う。ある程度の損壊なら耐えられる。血肉を口にすれば、多少の怪我なら瞬時に治る。

 もし、こんな能力を持った兵士を大量に抱えてゲリラ戦にでも持ち込まれた日には、対抗する方はたまったものではないだろう。――圧倒的火力で焼き尽くせば別だろうが。


「力を抑えながら攻撃しろってことだよな。うーん、どうすりゃ自然に見えるか」

 というより、そんなに上手く制御できるか?


「あんた、腹芸は得意そうじゃないものね。大丈夫よ、捕まるのは私がやるから。あんたはどこかに隠れていて、隙を見て忍び込んでくれればいいから」


 あっけなくそう言われて、おれは面食らった。

 お前が捕まる前提だったのか?


「いや、捕まったら何されるか分からねぇだろう。囮はおれがやるよ。第一、お前が自由に動けた方が色々と上手くやれそうだしな」


 こういうことを言うのはどうかとも思ったが、きっと結城の方が上手く立ち回れる。

 ――そう思ったのに、


「私は顔が割れているから、だめよ。所在不明だと警戒されるわ。その点、あんたはまだ名が売れていない。だから、あんたがこっそりと忍び込む方が成功する確率が高いのよ」


 その言い分はそれなりに理に適っている気がして、おれはしぶしぶ了承してしまった。

 で、確かに、結城は上手いことやっていた。

 弱って追い詰められたふりをしてから捕縛されて。

 そこまではいいんだが。


 結城なら多少、手荒な真似をされても大丈夫。そう頭では分かっていても、彼女が痛めつけられる様を見ていると激高しそうになった。事前に、結城にくどくど言い含められていなければ、危なかったろう。

 ともあれ、捕縛されてすぐに何かの薬物でも投与されたのか、ぐったりとした様子で手足を頑丈な枷で拘束されて。噛みつかれるのを防止するためか、頭にもすっぽりと金属製のマスクを被せられて。

 芝居だとわかっていても、心中穏やかではいられなかった。


 おまけにその枷、どうやって外すんだよ。鍵がなきゃ、絶対無理だろ!


 結城をいいようにされて苛立つ気持ちと、難易度が上っていくことへの焦り。そんな沸騰しそうな感情をなんとか自制しながら睨んでいると、結城の姿は小型の飛行艇に吸い込まれた。


 くそっ、おまけにそのパターンかよ!


 せめて潜水艇であってくれたら、まだ隠れ潜む余地は多そうだったが……。飛行艇の定員はせいぜい数名程度に見えた。


 あれに忍び込むのは、無理じゃねぇ?

 誰かに成り代わって忍び込む、というのもなかなか厳しいものがある。


 やっぱりこの計画、無茶の塊じゃねぇか!

 思わず弱音を吐きそうになったが、あぁくそっ、やるしかないんだろう。いざとなったら、離陸直前に車輪にでも飛び移るか。バレちまうかな。どうだろう……。


 そんなことを考えながら、どうにか活路を見出そうとしていたとき。見知った人影を見た気がして、おれは目を瞬いた。

 森が切れた辺りで、手首を拘束され、銃口を背に突き付けられながら歩く女性の姿が見えた。


 それは二人、居て。

 俯きがちにしていたから、崖上からは、目を凝らしてもその顔までは見えない。

 けれど、それは長い時を同じ空間で過ごした奴等、――中嶋と水野の姿に見えた。


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