2-11 自覚
<矢吹 涼司>
言うだけ言って、おれは少しだけ頭が冷えるのを感じていた。
結城は気圧された表情を浮かべたまま、戸惑う色を見せている。月明りに照らされた顔は血でべっとりと汚れているのに、それでも何だか綺麗に見えて。
先ほどまで荒れ狂っていた激情が、嘘のように引いていく。
もちろん、わだかまりのようなものは、まだ強くその存在を主張していたが、それでも。
ずっと抑えつけて、我慢に我慢を重ねてきた衝動。思う様に引き裂いて、殺しちまったんじゃないかと思うほど滅茶苦茶にして。それでも、結城は消えずに目の前にいてくれた。
幾度となく腹立たしい言葉を繰り返してくれたが、それでも、結城は結城でいてくれた。そのおかげで、こうして我に返れた気もする。
結局、お互い様なんだろう。
そんな風に思えるほどには、落ち着いた自分を感じていた。許せる、とまでは口にできそうになかったが。おれがした行為も、相当なものだという自覚はあった。だから――、
「最後までおれに付き合え。それでチャラにしてやる」
改めてそう告げると、結城は今度こそ真っすぐにおれを見上げてきた。どこか気弱げだった瞳が、強い光を帯びてくる。
それでこそ結城だ。
そう思った。
そっちのお前の方が、ずっといい――
「わかったわ。あんたがそう望んでくれるなら」
そう言ってから、でも、と結城は思案げな顔をする。
「これからどうするの?」
――これから?
その問いに、頭が一瞬、真っ白になった。
――これからって、え?
***
改めて周囲を見回したが、辺りに人影はなく、ドローンで監視されている気配もない。あの仁科と言えど、さすがに敵対勢力の対応に手一杯ということだろう。それはそれで良いんだが。
遠く眼下に接岸されたタグボート周辺は、何やら少し慌ただしかった。何か進展でもあったらしい。
「お前は、どうするつもりだったんだ」
眼下を見下ろしながら、そう問い質す。
「お前の計画を聞かせろ。それに乗っかれるようなら、その案でいきてぇから」
これを言わされるのは、少しだけ辛いものがあったが。ここまで来てつまらない意地を張っていても仕方ない。
と思っていたら、案の定、結城が呆れた色を浮かべてきた。
「豪語しておいて、結局それ?」
「いやだって、仕方がねぇだろう。突然、こんなところに連れ出されたって。というより、ずっと閉じ込められてて、勝手なんて分からねぇんだよ!」
何も間違ったことは言ってねぇぞ!
そう思う一方で、格好のつかないことを口走っている自覚もあった。
……ああくそ、何でこんな気分にならなきゃいけない?
「大体、こういう時の参謀役は、いつもアイツだったんだか――」
言いかけて、言葉を呑み込む。
あいつが、あいつに、何だって――?
あいつのことを考えた途端、鉛でも飲み込んだような気分になる。
あいつのことは今も許せないはずで、なのにあいつを頼るような真似を――
それにあいつはもう――
結城にしては遠慮がちな声が聞こえた。
「あの、矢吹」
視線を向けると、結城はひどく言いづらそうにしながら、
「彼はまだ生きている、かも」
そう言った。
思わず見返すと、結城はどこか居心地が悪そうにしながらも、手短に説明を始めた。
朝倉の本意と、裏切りの追及を躱す小細工のことを。それらを、仁科の前で告げることはできなかったことを。
ただ、あの時の動画には音声のなかったことが気にかかる、とも言い添えてきた。だから、全てばれている可能性もあると、そう付け加えて。
なんだか、胸の奥がモヤモヤした。
――正直、朝倉の真意がどこにあるのかなんて、考えたくもなかった。
あいつは本当にソツがなくて、その場を凌ぐつもりで嘘を言った可能性も十分にある。大体、目の前で自分を殺そうとしている相手を前に、本音を晒す馬鹿がどこにいる。
と、そこまで考えて、ひどい違和感に襲われた。
これは詭弁だと、自分でも分かっていたから。
あのとき、一緒に地下牢に閉じ込められていた数週間。
あいつも次第におかしくなっているのは、すぐに分かった。
全て諦めたみたいな目をしやがって、いつ、おれに殺されても仕方がないといった風情で。というより、おれに殺されたがっている気さえした。
挙句の果てに出ていくときにも、おれを挑発するような態度で。やるなら殺れと、そうぬかしやがった。
――いい度胸だ、喰い殺してやる!
――ざっけんな、誰が思い通りになんか、してやるもんかよ!!
あの時の感情が蘇りかけて、胸の奥がひどく疼いた。
結城に聞いた話があいつの本心だとしても、はいそうですかと、容易く受け入れられるものじゃなかった。
そんな簡単な話じゃない。
そんなに単純には認められない。
だから、
「お前はあのとき、あいつを殺したわけじゃないんだな」
「ええ。――……」
そう言いながらも、結城は自信のなさそうな顔をした。
「そう……なんだけど。もしかしたら、力加減を間違えたかも……」
力加減?
「彼、ウィルスに対する耐性がついてきているように見えたから、ちょっとやりすぎたかも」
やりすぎ、って……。
結城はバツの悪そうな顔をする。
「あのとき、小腹がすいていたし。もしかして本当に殺しちゃったのかも……」
おれの目が怖かったのか、結城は慌てて言い添えた。
「結局、全部ばれてて、その後で殺されたのかもしれないけど!」
――どっちにしろ、全部あいつが死んでる前提かよ。
脱力しかけたおれをよそに、結城は悩まし気な表情を浮かべた。
苛立たし気に、憎々し気に、どこか不安げに、呟くように言い捨てる。
「仁科はああ見えて、本当に腹立たしいほど如才ないから。ただ陰湿で、残虐なだけのようでいて、抜け目なく采配してくる。そんなあいつが、あんな中途半端な映像を見せてきたのには、きっと何か裏があるんだわ……」
――裏。
ざわつく感情を堪えていたおれは、続く言葉にさらに嫌な気分にさせられた。
「あいつがここのNo.2というのだから、この組織の厄介さには、ほとほと嫌気が刺すわね……」
それは、おれにとっても少し意外な言葉だった。
「あいつ、ここのトップじゃなかったのか?」
いつも偉そうに研究員や兵士を従えているから、一番上なのかと思っていたが。
「現場のトップではあるかもしれないけれど。まだ上がいるのよ、本当はね。ほとんど姿を見たことはないけれど、確か久瀬、とか言ったわ。恐ろしく怜悧な男よ、仁科以上にね」
あいつ以上に?
そんな奴とも殺り合わないといけないのか。そう思うと、ひどく苦いものが込み上げてくる。
だけどまぁ、結城の言いたいことには察しがついた。
「だから、そいつ等には全部ばれていて、あいつがあのまま殺されたのかもしれないって?」
「ええ」
悔しそうにそう答えてから、結城はすぐに取りなすように言葉を繋ぐ。
「でも、きっと大丈夫よ」
異常なまでに明るい声に、
――大丈夫って、何が?
「あそこで死んでいたとしても。きっと今頃、オウガにされているから!」
一瞬、言葉を返せなかった。
まるで死んでも大したことじゃないと、オウガにさえなれればいいとでも言うようで。
結局それも、仲間を増やしたいってやつかよ!
思わず本気で結城の胸倉をつかみ上げかけて、
「ただ、あの程度の相性だと、蘇っても自我はあんまり残せないと思うのだけれど……」
本気で惜しむような声に、溜息が出た。
結城はちょっと、いやかなり、何かのタガが外れちまってる気がした。前々から思っていたが、人の生死にさほど情感を持ち合わせてはいないように見えた。
――けど、これは仕方のないこと、なのかもしれない。
結城はもうずっと前から、オウガとして生きてきたというのだから。
……多分、傷つけられて苦しめられて、泣き叫んでも誰も助けてくれなくて。
今はどこか吹っ切れているようだが、ここに至るまでのこいつの心境なんか、本当の意味でおれに推し量れるものじゃないのかもしれない。
大体、今のおれに結城を責める資格があるのか?
思って、溜息がこぼれる。
おれだってもう、随分と慣れちまったんじゃねぇのか。
見知った奴らはともかくとして。初対面の奴らを糧にすることを、おれはもう、仕方がないと割り切れるようになっちまったんじゃねぇのか……。
「矢吹……?」
気づけば、結城がどこか申し訳なさそうな顔をしておれを見ていた。また何か悪いことを言ってしまったのかと、そんな風におれを見上げる。
おれはぎゅっと目をつむった。
いや、今はいい。多分、あいつは生きているさ。
根拠などないが、そう思った。
生きている、の意味はもう、自分にはよく分からなくなっていたが。
あいつのことだ。自我を失くすようなことにはなっていないだろう。どんな形であれ、きっとまたどこかで顔を合わせる。――そうに決まってる。
そのときに、きっちり礼をさせてやるさ。
この話はそこで打ち切り、おれは今度こそ、結城の当初の計画を聞き出した。
おれを助け出した手腕だ。大いに期待できると思っていたんだが。
それはお世辞にも、考え抜かれた計画とは思えなかった。正直、おれを牢から連れ出した後のことは、碌に考えていなかったとしか思えない。だって、こんな塩梅なんだぜ。
まず、敵勢力のヘリか船を強奪する。
と見せかけて、一人はわざと捕まってみせる。敵勢力は貴重なオウガ(おれか結城のことらしい)を島外に連れ出そうとするはずだから、それをそのまま利用する。
残る一人は、研究員かモルモットに化けて島外に出る。例え拘束されても、自我を残す特殊なオウガとさえバレていなければ、隙を見て逃げ出すのは容易なはずだから。島外に出たところで、捕虜にされたもう一人のオウガを助け出せばいいと、そんな計画だった、けど。
この計画はかなりアバウトな上に、
「お前これ、一人だと成り立たない計画じゃねぇか!」
噛みつくように言うと、結城はきょとんとした顔をする。
「なのにお前、おれ一人で逃げろだなんて言ったのか! どうやったら、この島から抜け出せると思ってたんだ!」
言われて、結城は「あぁ」と頷いてから小さく舌を出した。
「あんたなら、どうにかしてしまうんじゃないかと思って」
んなわけあるか!
言いかけて、おれは脱力した。
何だろう、この感覚。何か小憎たらしくて憎めない、妹の彩乃を思い出すかのような、
――失敗した。
迂闊に思い出してしまって、唇を噛む。
彩乃は、母さんは、親父は、今頃どうしているだろう。
おれが消えて、死んだと思って、その後は――?
思い出した途端、狂おしいまでの懐かしさに息が詰まった。
帰りたい。もう一度会いたい。
だけど、今のおれが今さら会えるはずもなくて。
むしろ、こんな化け物になっちまっただなんて、絶対に知られるわけにはいかない。
そんなこと、分かりきっているはずのに、それでも一目会って謝りたくて――
「大丈夫……?」
おれの頬に、そっと触れるものがあった。
「本当は、どうしたいの……?」
気づくと、頬を伝う熱を結城がぬぐってくれていた。
「あんたは、あんたのしたかったことをして? 私はそれについていくから。あんたがもういいと、そう言うまで――」
おれの目がおかしくなったのかもしれない。
結城は一番、きれいな顔をして見えた。
「悪ぃ、もう平気だ」
「……そう?」
結城は気遣わし気に優しく笑う。色の抜けた髪が月明かりで銀色に輝いて、緋色の瞳が吸い込まれるような色をしていて。
くらっと来た。
おれもだいぶん、狂っているんだろう。こんなときなのに――
結城は小首をかしげながらも、おれが落ち着いたのを見て取ったらしい。
「じゃあ、後は手筈通りに」
言って、少しだけ申し訳なさそうに言い添える。
「その前に、悪いんだけど。誰か、連れてきてくれない?」
困ったように笑う。多分、おれが良く思わないのを察してだろう。
「せめて誰か一人食べないと、何もできそうにないから……」
思わず自分を殴ってやりたくなった。
結城をこんな風にしたのはおれなのに、その結城に気遣わせるなんて。
それでも、胸の奥はざわついた。
自分が依頼されたことに。これからしようとしていることに。
『誰かに無理やり食べさせられた』『抗いがたい衝動だった』
そんな言い訳はもう通用しない。今度は明確に、自分の意志で人を殺そうとしている
胸の奥が疼く。
破壊の衝動に喝采を上げる自分と、それに嫌悪する自分がいて。どちらも本心だと感じるから、この焦燥にも似た疼きは、しばらく止みそうになかった。
だけど多分、これでいいんだろう。これに完全に慣れてしまったら、きっともう、ここに居ていい理由がなくなってしまうから。
……おれの今の状態を伝えるつもりも、ましてや会いに行くつもりもなかったが、母さんたちに顔向けできない真似はしたくなかった。もう遅いかもしれないが。
――赦しを得たいわけじゃない。
今さら、誰かの赦しを得たいと考えたわけじゃない。
それでも、おれがこれからやろうとしていることは。
ただぶっ壊して、ぶっ潰して、全て終わりにしてやりたいと願うのは、単なる復讐心からだと、そう思いたくは無くなっていた。
「大丈夫だ、行ってくる。ちょっと待ってろ」
そう短く伝えて立ち上がると、結城は小さく微笑んだ。
「ええ、待ってる」
おれは唇を噛みしめた。
あぁ、そうだ。自覚した。
おれはこいつも、救いたいんだ――




