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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第2章 それぞれの選択
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2-9 激昂

 あの動画は何だ。本当はそう問い質したかった。


「来て、矢吹!」


 おれが捕まるよう、わざと仕向けていたっていうのか? 結城が?

 思った途端、燃え滾るような熱さに息が詰まる。

 ――けど、


『逃げて!』


 あのとき、あの場所で、そう叫ぶ結城をおれは見たんだ。


「後で全部説明するから、お願い、一緒に来て!」


 そうだよ、あれは不可抗力だったんだろう。そうに決まってるじゃねぇか……!


『くくっ。果たして君は、どこまで彼女を信じられるかねぇ』


 耳朶を打つ哄笑と脳内で喚き散らす激昂。それを無視して、隙間に体を捩じり込ませる。

 これ以上、仁科の手口に嵌ってたまるか!


 あとに残される中嶋たち、それが棘のようなしこりを残したが、そんな感情も全部無理やり捻じ伏せた。

 今はとにかく脱出だ。それ以外、何も考えるんじゃねぇ!


 けれど、外への道行きも、そう簡単ではなかった。

 監視室のロックをかけられた時点で半ば予想はしていたが、途中で何度も、兵士らしき集団と遭遇した。

 その全てを、おれたちは辛うじてやり過ごした。

 銃で身体を抉られては、奴らを喰らって体を維持する。そんな状況が何度も続いた。すでに何かが麻痺しているのか、それに嫌悪する感情も湧いてこない。……湧く暇なんか、ない。


 そうしてどうにか辿り着いた外は、闇夜だった。


「こっちよ」


 ただ、そこから先は驚くほど楽だった。

 今のおれ達は夜目が聞く。蒼白く浮かび上がった山道は、少し曇った日中かと思うくらいに見通しやすくて、急な斜面も何の障害にもならなかった。


 結城の先導に従い、森を掻き分け、海を見下ろせる小高い崖の上まで辿り着き、そこでようやく、おれたちは足を止めた。


 気づけば、風が潮の匂いを吹き上げていた。

 眼下には、武装した集団を乗せているらしきタグボートが何艘も見てとれた。遠く沖合には、潜水艇らしき影まで見える。


 多少荒くなった息を整えて、おれはようやく、置き去りにしていた疑問を口にした。


「結城。そろそろ説明してくれ」


 結城の肩がびくりと跳ねた。

 その様子に、くすぶっていた苛立ちが急速にその存在を訴え始める。


「なぁ、あの映像はどういうことだ。あんた、あの時からオウガだったのか?」

「――ごめんなさい」


 開口一番がそれで、言いようのない苛立ちが膨れ上がる。

 それを必死で押さえつけながら、おれはどうにか言葉を続けた。


「なんで謝るんだよ? おれは仁科の言うことなんか信じてない。結果的にああなったっていうんなら――」


「違わない」

 ――は?

「違わないのよ……」


 風がざわりと唸りを上げた。


「それは、どういう意味だ」


 鼓動が早くなる。

 どんな仕組みで動いているのか知らないが、以前にはあり得なかった、馬鹿げた力を引き出すようになった心臓。そいつが分かりやすく早鐘を打つ。


 訊きたくない。

 聞くべきじゃない。

 そう思うのに、


「一体、どういうつもりでそんなこと――」

「あのとき、あんたはもう少しで逃げおおせるはずだった。それを仁科に見つけさせたのは私なの」


 それはまさに、仁科が指摘した可能性。

 あの画像を見れば、そうだったんじゃないかと思わせる。けど……!


「説明、しろよ」


 絞り出すように言うと、結城は眉を引き絞った。


「私が、あんたを仁科に引き渡した。そうすれば、あんたがどんな目に遭うか知っていて――」

「ちげぇ!」


 頭が沸騰する。

「それがなぜかを説明しろって言ってんだ!!」


 なぜ今更そんなことを言う。

 あんたが違うと言えば、おれは信じた。なのに!

 どうして今さら、そんなことを告げる。何が目的だってんだ!


 俯く結城の肩を無理やりつかんで上を向かせる。

「どうして!」


 結城の顔が歪む。その唇がわなないて、


「一人で取り残されるのが、――怖かった、から」


 口の中で血の味が広がる。唇が切れたんだろう。

 自分の血だけは昔のまま、錆びた不味い味がして、ただただ、激情だけが膨れ上がる。


「私がこうなったのは、あんたに会うより、ずっと前だったのだけれど」


 きつく瞼を閉じたおれの耳に、訥々とした結城の声が割り込んできた。

「気づいた時、私は隔離棟に監禁されていたの。少し前までの、あんた達みたいに」


 惑うような、呟くような声が続く。


「私がオウガになったばかりの頃は、少し毛色の違う実験が行われていたの。私に、モルモット達の様子をつぶさに観測させて、私がどんな反応を示すか見ていたみたい。

 でも、笑っちゃうわよね? どんな反応を返せって言うの? モルモット達はみんな同じなのよ?

 我が身可愛さに、滑稽な茶番劇を繰り返す。仁科の掌の上で踊らされているとも知らずに、罵り合って、騙し合って殺し合うの。結局、ウイルスの投与に耐えきれずに死ぬか、私に食べられるかのどちらかなのにね。一体、私の何を見るって言うの!

 ……そんな頃、シンシアの呼びかけに気がついた。もちろん驚いたわ。あんな子まで、この島にいたなんて。

 それから、色々なことをシンシアから教わるようになって。少しずつだけど、力を蓄えて温存できるようになって。研究所の奴らは、シンシアと私が交信できるだなんて、夢にも思っていなかったでしょうから、私の能力の進化を見誤ったみたい。だから、彼女の助けを借りて逃げ出すことに成功したのよ」


 おれの方をちらりと見ながら、結城は続ける。


「その後は当然、追手がかかったけど。全部返り討ちにしてやったわ。島の中なら、どこにいてもシンシアと交信できたから、研究所の奴らを出し抜くのは比較的簡単だった。

 そのうち、研究所の奴らも半ば諦めたみたい。私も当時は積極的に奴らを襲ったりはしなかったから、向こうから手を出さなければ被害は少ない、とでも思ったみたい。

 それで時折、研究施設に忍び込んでは、シンシアを開放する機会を伺うようになったの。次第に、情報も集まるようになって、シンシアを解放する算段も立ち始めて。だけど、もっと協力者が欲しかったから、色々な奴を観察したわ。協力してくれるなら、モルモットでもオウガでも研究員でも構わない。もちろん兵士だって!

 でも、目にするのはやっぱり、碌でもない奴等ばかりだった。喰われても文句の言えなさそうな奴ばかり。思わず手が出そうになって、――実際に手を出したのは、捨て駒にされそうなクズに限ったつもりだけれど。そうでないと、奴等も私の捕獲に本気になっちゃうから、ってね」


 それから、小さく頭を振る。少し長く話過ぎた、そう気づいたみたいに。


「そうしてついに、機が熟したの。オウガの暴動を誘発して、シンシアを解放しようと仕掛けた。まさにその日、あんたに出会ったのよ」


 押し黙ったままのおれを見て、すぐに視線を落とす。


「はじめは、タイミングの悪いときに出てきた人間、くらいにしか思わなかったけど。でも、……あんたは少し違った。あんたは、今までに見てきたどのモルモットとも違って見えた。あんたを見ていたら、久しぶりに人間だった頃を思い出せた。だから私も、あんただけは逃がしてやろうと思ったのよ」


 剣呑なおれの気配を感じ取ったんだろう。結城は苦しそうに言葉を吐き出す。


「自分でも驚いたわ。今さら私にこんな感情が芽生えるなんて、と。でも、その気持ちに嘘はなかった。本当よ! あのときまでは……。だから、あんたと別れた後、すぐに思い直して、あんたの後を追いかけたの。こんなお人好し、誰かの手助けがなかったら、きっとすぐに死んでしまう。そう思ったから」


 …………。


「あの研究棟まで来て、研究棟がオウガに襲撃されているのを見て。あんただけが一人取り残されたことは、気配ですぐに分かった。正直、言わんこっちゃないと思った。だから、第1形態のオウガどもを下がらせたのよ。あんただけは逃がしてやらなきゃ、そう思って」


 ……あのとき、オウガどもが消えていたのは、そういうことか――


「でも、あんたが桟橋に向かうにつれて、急に怖くなった。あんたが無事に逃げ延びたなら、その後は? 私はまた、たった一人。

 今まではシンシアがいたわ。いてくれた。でも、彼女はもう―――

 他のオウガはシンシアの力の余波で私に従うけれど、ただそれだけ。まともに意思疎通なんかできない。そんな中で、私一人。たった一人で仁科たちを相手にしなければならないと思うと、怖かった。だから仲間が欲しかった。あなたに、仲間になってもらいたかった……!! 」


 後はもう、言葉にならないのか、その場にただ崩れ落ちる。

 …………。


『仲間が欲しい』


 結城があの時からオウガだったというのなら、その思いは分かる。分かっちまう。けどな……?


 泣き崩れた結城に、かける言葉が出てこない。

 こいつのせいじゃない。

 そう思うのに、それを口にすることができない。


 こいつが、おれを――


 結城に何かされなくても、きっと自分は死んだだろう。

 それも分かっていた。もっと早くに。結城の言うとおりに。

 あれほど逃げ回ることは叶わず、シンシアに辿り着くことさえできずに、きっとオウガどもの餌になっていた。結城に助けられていたから、ぎりぎりまで生き残れたんだ。

 それでも。


 お前が、おれを――


 今まで信じていただけに、裏切られたような思いが全身を締め上げた。

 沸々とした昏い感情が、身体中を這いずり始める。


 どうしてだよ! どうしておれを売った!!


 その答えもわかっているのに、意味のない問いを繰り返す。

 おかげでおれがどんな目に――

 呪いの言葉が口を突いて出そうになって、おれはぎゅっと唇を噛んだ。


 結城のせいだ。

 いや違う。こいつが悪いんじゃない……。

 違わねぇ! 最後に梯子をはずしやがったのは、こいつなんだろう!


 割れそうな思考に頭を抱える。灼けつくような衝動が頭の中を埋め尽くす。

 殺しちまえよ……。


 獰猛な欲求が頭をもたげ、堪えようとするおれの耳元で甘い言葉を囁いた。

 何を躊躇う? 殺しちまえよ。引き裂いちまえ、全部皆殺しにしちまえばいい!!

 ――黙れ!!!


 少しでも気を緩めると自分で自分が制御できなくなりそうで、骨が折れると思うくらい強く身体を抱え込む。

 頼むからテメェは失せろ。どっか行け……!!


「逃げて……」


 ――あ?

 耳障りな言葉に顔を上げると、結城が泣き濡れた顔でおれを見ていた。


「逃げて……」


 頭の奥が灼けた。

 ――今さら何言ってんだ。逃げて、だと? どの口がそれを言うんだ……。


 視界が黒く、赤黒く染まっていく。

 黙れよ……これ以上何もしゃべるな……。


「私を殺して……逃げて……」


 ぎりぎりと奥歯を噛み締める。


「せめて、あなただけでも逃げ延びて……」


 ふざけるな……っ!!

 おれは吼えた。耐え切れなかった。

 結城に飛び掛り、その胸倉を掴み上げる。


「遅え! 今さらもう遅えよ!!」


 叫んで、結城の顔を殴りつけた。何度も、何度も。

 みるみる顔が歪んでいく。


 ごめんなさい……ごめ……なさい……。


 その口を黙らせてやりたいのに、いつまでも要らない言葉を吐き出してくる。神経を逆撫でされる。


「黙れよ……!!」


 これ以上何も聞きたくなくて、絶叫する結城に構わず、その腹を乱暴に掻き開いた。


「くそぉ! どうしてだ、どうしてだよ……!!」


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