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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第2章 それぞれの選択
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2-8 不穏

<矢吹 涼司>

 仁科の声を聴いた途端、頭が沸騰する気がした。


 てめぇだけは……!


 瞬間的に脳裏をよぎったのは、人を喰い散らかす前の狂おしさだ。

 飢えた時はいつも身体が干乾びるようで、苦しくて苦しくて、ただそこから逃れたくて、目の前のモノに手を伸ばす。ひたすら夢中で齧り付く。

 その瞬間、苦痛が嘘みたいに引いていく。頭の芯が麻痺して、全てを忘れさせてくれるような恍惚感が身体を包む。

 たまらねぇ……!


 けど、その後に待っているのは、決まって吐き気を催すような虚無感だった。

 我に返ると、目の前には血で染まった悪趣味な光景が広がっていて。砕けた骨と乱れた毛髪が床の上に散乱し、そうして何かの成れの果てが――

 ちきしょう……。


 視線をさ迷わせると、大抵は愉悦を湛えた仁科と、見知った顔の奴らが血の気の失せた顔でおれを見ていて。

 なんでまだ、お前等がいる……。


 蒼白な顔のアイツらを視界の端に捉える度に、強烈な嫌悪感と苛立ちが込み上げる。

 いっそ喰っちまえば良かったのに……!


 ――でも。

 その衝動を受け入れたら、おれはもう、おれじゃなくなる。頭のどこかでそう理解していて、わずかに残った自分の理性にしがみつく。嫌悪感にギリギリどうにかしがみ付く。

 だけどもう、それもいつまで保つのか分からなかった。

 

 喉元にせり上がってくる獣のような衝動。それに耐えて、何が何だか分からなくなって、狂気が虚無感に変わる頃には、決まって意識が闇に沈んだ。その後に目を覚ましたときは、必ず誰かを喰らった後で。 正直、何でまだこいつ等に手を出していないのか分からなかった。

 次はもう、だめかもしれない……。

 ずっとそんな恐怖を抱えてきた。


 そんな中で、目の前に現れた結城には涙が出た。

 ずっと会いたかった、お礼を言いたかった、何より無事を確認したかった。

 でも……!


 結城も、おれと同じ姿になっていた。

 頭のどこかで『もしかしたら』と思っていた。けど、アイツのことだから上手く逃げおおせたはずだと、そう言い聞かせていた。

 なのに……!


 込み上げた感情の大半は、申し訳なさと敗北感だったと思う。

 結城にまで、こんな目に遭わせてしまった。

 いや、結城のことはおれのせいじゃないかもしれない。それでも、憤りと悔しさに胸が詰まった。


 でも。

 結城は以前と変わらず、どこか飄々とした風情のままで。少しだけ救われたような思いがした。

 どこか酷薄で意味深でところは相変わらずだったが、それがまた懐かしさを呼び覚ました。結城とならどうにかなる、そう思えた矢先だった。


 仁科の声に、全身が総毛だった。


「殺してやる――!!」

「いいから! 行くわよ!」


 結城に強く肩を掴まれて我に返る。

 その顔には焦燥が色濃く見えて、それで少し頭が冷えた。


 大窓に映し出されている仁科の画像は荒い。それでも、コントロールルームのような場所に立っていることは分かった。つまり、ここからはある程度離れた場所なんだろう。

 額には血を滲ませた形跡もあって、さすがにただでは済まなかったんだろうと、そこだけは胸のすく思いがしたが。

 それでも口元には余裕綽々の笑みを浮かべていて、忌々しさに胸が灼けつく。

 だけど確かに、今はこいつに構っている場合じゃない。


 結城に促されるまま監禁室を飛び出し、そこでおれたちは、再度行く手を阻まれた。


「くっ、またロックをかけたのね……!」


 結城が扉に体当たりをかませる。おれもすぐに倣ったが、扉はびくともしない。


『そう簡単には壊れないと思うがねぇ』


 振り返ると、監視室の大窓にも、仁科の姿がくっきりと浮かび上がっていた。どうやら監禁室、監視室の両側から同じ画像が見えるらしい。

 忌々しい真似しやがって……!


 扉の破壊に使えそうなものを物色したが、監視室にも碌なものが揃っていない。

 仕方なく、監禁室に転がっていた棒を拾い上げる。おれが喰い散らかしたばかりの、誰かの骨。

 ……くそっ、知るかよ!

 力任せにドアを打ち据える。その途端、手にした骨は粉々に砕け散った。


『くくっ、まぁ焦らずに、これでも見たまえ』


 仁科の嘲笑う声。これ以上、相手をする気はなかったのに、視界の端に飛び込んできた映像に、思わず視線が吸い寄せられる。

 映し出されていたのは、誰かの腕が捩じ切られる場面。その横顔に見覚えがあった。


 ――朝倉?


 目の前の画像には音がなく、少し荒い動画が繰り返し再生されている。

 アイツの胸を薙いだオウガが、床に倒れこんだアイツの腕を捩じ切って、恍惚とした顔で口に含んでいる姿が――


『どうだい? 面白いだろう?』


「矢吹、これは――!」

 結城は言葉を飲み込み、ひどく迷うような表情を浮かべた。


 …………。

 自分がどんな顔をしているのか分からなかった。


 きっと自業自得だ。そう思った。

 研究員と同じ服を着ていた。

 結城に襲われる直前、いつもの涼しい顔をしたままで、だけどその眼には暗い光が宿って見えた。仁科の下で、一体どれだけの犯罪に手を染めたのか。


 知ったことじゃない。アイツがどうなろうと、もうおれの知ったことじゃない。

 そうだろう、そのはずなのに。

 この灼けるような熱さは、何なんだ……。


『結城君はある意味、君の仇をとってくれたと言えるのかなぁ? 私にとっては損失だったが』


 仁科はそう言いながら、視線を床に向かわせる。愉悦と憐みの混じった反吐の出るような眼。その視線の先は見えなかったが――、


 ……あぁ、仁科が今いるのは、その場所なのか。


「矢吹、彼はきっとまだ……」


 なぜか弱々しい結城の声。

 おれはとっさに顔を背けた。背けちまった。

 胸が圧迫されたかのように重い。

 くそっ、どうして……。


『おやおや、どうしたのかな? 彼にはまだ、生きていて欲しかったのかなぁ?』


 ふいに切り替わった画像の先で、朝倉が血溜まりの中で転がっている姿が浮かび上がる。先ほどより少しクリアな映像。

 血を吸った白衣に塗れて、ただのモノか何かのように、ピクリとも動かない。


 ……こんなところで、アイツがあっさり、くたばるのか?


『本当に残念だよねぇ、将来有望だったのに』


 大仰な素振りに、不快の度数が振り切れそうになる。

 関係ねぇ! てめぇは殺す。殺してやるよ……!

 ただそれだけを念じて、ドアを強く打ち据える。力任せに叩きつけていると、わずかに扉が軋んでくる。


 よし! これなら……!


『まぁ、そう焦ることもないだろう? 本題はこちらなのだから』


 背後から漏れ出る光の明滅が変わる。けれど、おれは敢えて無視した。

 これ以上、お前の掌の上で踊ってたまるか……!


 なのに、すぐ傍らで息を飲む気配がして、おれは再び視線を動かしてしまった。

 結城の顔色がますます悪くなっている。

 ……。


 嫌な予感を覚えながら視線を向けると、目の覚めるような青い海と緑の大地が飛び込んできた。どこかを上空から映し出した動画らしい。ドローンか何かで撮影しているんだろう。


 これが何だと……。


 やがて、緑の濃い地上が次第に拡大していく。

 ……これ、もしかしてこの島か?


 ズームに伴い、緑の中に蠢く点が見え始め、すぐにそれは人影だと分かる。統制の取れた動きで素早く移動する十数人規模の集団と。ちりじりの動きをしている数人規模の集団がいくつかと。そこから離れて、一人だけ蛇行しながら走り抜けている人影と。

 そのままカメラは、一人の人影にズームしていく。砂浜に隣接する小さな崖の上から、木陰に隠れて桟橋の様子をじっと伺っている挙動不審の男。


 これ、おれか……!


 かなりぼやけているが、流れ落ちる汗を苛立たし気に拭っているその姿は、おれの記憶にもピタリと当てはまるものだった。


『そう、これはあの日の記録だ。わかるだろう?』


 アイツの罠に嵌まり込む予感がするのに、視線を逸らすことができない。

 くそっ……。


 相当に上空からズームしたもののようで、画像は荒いままだったが、間違いない。

 こんなものを撮ってやがったのか……!


 これでは、逃げられるはずもない。必死に隠れたつもりになっていた自分が、忌々しいことこの上ない。


「あぁそうかよ。てめぇ等の方が上手だったよ。これで満足か?」


 吐き捨てるように言って、拳でドアを殴りつける。

 さすがに骨が泣き言を上げ始めたが、構うものか。


『まあ急くなよ、本題はここからだと言っただろう?』


 知るか! てめぇの口車にはもう乗らねえよ!

 問答無用でドアを叩きつけると、仁科はやれやれといった調子で言葉を紡ぐ。


『あのとき、オウガどもの暴動でドローンとの通信は途絶えていてね。すぐには君の居場所は分からなかったんだ。この画像は後で回収したものでね』


 はっ、そうかよ。ご苦労なことだ。


『だが、あの日は誘導してくれた者がいてね』

 ――誘導?

 

『そう。君のことだよ、結城君』


 ――は?

 言っていることの意味が分からず、反射的に結城を振り返る。

 ふざけたことを抜かす仁科を黙らせてほしくて見下ろした顔は、なぜかひどく強張っていた。


『あのとき、我々は君たちよりも脱走したオウガを優先して追っていてね。君たちの捜索など二の次だったのだよ。地の利もない君たちが島から出られるはずのないことは分かっていたからねぇ。誰かの手助けでもなければ』


 言って、結城をちらりと見やる。


『あのとき我々は、ただ厄介なオウガの追跡を行っていたのさ。――そう、君のことだよ、結城君』


 結城は先ほどから固まったままで、その瞳が惑うように揺れている。

 ――結城?


 なぜか口元が震えていて、そんな姿は見たくなくて、おれは代弁するように言ってやった。


「何言ってんだ。結城はあのとき、まだ人間だっただろう」


 そんな結城が、どうしてオウガを誘導できる?

 そのときおれは、一つの可能性に思い至った。


「あぁそうか。逃げていたら、オウガどもが後を追ってきたんだな。それを指して、誘導といっているわけか」

 きっと結城のことだから、それに罪の意識を感じて、とか、そんなところだろう。


 けれど仁科は、ニンマリとその答えを否定する。

『違うんだな、これが。何せ、結城君はあのときすでにオウガだったのだから』


 ――は?

 言われたことの意味が分からず、おれはただ目を瞬いた。

 オウガ? 結城が? あのときから?


「何、馬鹿なことを言ってるんだ」 そう一笑に付してやったのに、

『これを見たまえ』


 視線の先で一つの画像が拡大していく。オウガの群れの中で、逃げまどっているように見えた結城。

 ……いや、これは……。


 結城は、オウガの群れの中でも、凛と立っているように見えた。

 オウガも結城に危害を加える様子はなく、ただ時折、雷にでも打たれたかのように結城を振り仰ぐ。結城も何かを叫ぶように腕を振る。その方向に、オウガ達が移動していく。


 これは、まるで……。


 まるで結城の指示に、オウガ達が従っているように見えた。

 結城が行き先を指し示し、その示す先にあるのは、桟橋――


 無言のまま結城に視線を向けると、彼女は小刻みに震えていた。


「やめ……て……」


 口から漏れ出た声は掠れていて。


 違うだろう? 何か理由があるんだろう? ――なあ!


「早く、早く出ましょう……?」


 結城が我に返ったようにドアに取りつく。

 何だよ、おい……。何か理由があるなら、ちゃんと説明してくれよ。


「結城!」


 怒鳴ると、結城がゆるゆると首を振った。

「ちがうの……」


 違う? 何が?


「そんなつもりじゃ……」


 あぁそうだよな。疑ったりなんてしてねぇよ。だから、そんなに不安そうにしてんじゃねぇよ!


 いつもの結城からは程遠い姿に、無性にイラつく。

 だって考えてもみろ。例えあのとき、結城がすでにオウガだったとしても、

 ―― オウガ? あのときから?


 例えオウガだったとしても、何か理由があるんだろう。

 ―― 今と外見が違うじゃないか。一体どうなってやがる。


 あぁ、頭が混乱する。

 違う、いやそう、理由だよ。

 桟橋には守備の兵士がいるはずだろう。だから戦力を連れて行った。そう考えれば、何の不思議もないだろう。


 ―― なら、なんでそう言わない? なんでおれの方に、一直線に進んでるんだよ……!


 そう思う先で、画像が激しく震えた。

 結城が何かを投げつけたらしい。けど、画像は少しぶれただけで。


『まぁ、落ち着いて見ていたまえよ。この先が決定的だ、そうだろう?』

「黙れ!!」


 まるで発狂するかのような罵声。


『そんなに知られたくないのかねぇ?』

 嘲るような仁科の声音。

『まぁそれもそうか、何せ君は――』

「黙れえぇ!」


 画像の映像は続いていく、

 いつの間にか、カメラは地上から大きく離れ、別の集団をとらえ始めていた。

 統制の取れた集団。間違いなく兵士達だろう。

 その集団は何かに気づいた様子で突然、移動の足を止めた。見る間にオウガどもが散っていく。

 だが、兵士達はそれを気にする風もなく、別の目標へと近づいていく。


 おれは呻いた。


 兵士達は木陰に潜んだおれに気づき、密かに輪を縮めてきていた。

 その様子を少し離れたところから見つめている、一つの陰影。

 髪の長い、これは、間違いなく――


 画像の中で閃光が爆ぜるのと、衝撃が空気を震わせるのは同時だった。

 振返ると、ドアが歪んで、外に抜け出る小さな隙間ができていた。

 結城が泣きそうな顔でおれを見る。


「矢吹、来て!」


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