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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第2章 それぞれの選択
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2-6 馴らし

 まるで大蛇に巻きつかれ、全身を締め上げられたかのような、そんな感覚。


 ……っ!

 全身がバラバラになりそうで、声が出てこない。

 そのまま意識も飛びかけた時、思いきり顔をはたかれた気がした。


「この程度で死ぬつもり? あんた、矢吹を助けたいと言ったのは、その程度の覚悟だったの?」


 あ……?

 次の瞬間。

 全ての痛みが、嘘のように引いていた。


 え……?

 理解が全く追いつかない。何とか状況を把握しようと頭を振っていると、突然、ひやりとした手に腕をぐいとつかまれた。


「ほら、立ちなさいよ。立てるでしょう?」


 見れば、何食わぬ顔で女が俺を見下ろしていた。


 ……いや、この女、たった今まで俺を殺そうとしていなかったか?

 俺の顔には、相当に困惑した表情が浮かんでいたのだろう。女は可笑しそうに笑った。


「あんたの覚悟を確かめさせてもらったのよ」


 ……覚悟?

 それは分かっていたが。

 その結果、俺を殺すことに決めたのかと思っていたが。


「違ったんですか?」


 女は小さく笑う。


「ついでに馴らしをしたのよ」

「……馴らし? 今のが?」


 訝しむように言うと、女はふぅん、と鼻を鳴らした。


「仁科もさすがに、そこまであんたを信頼してはいなかったようね」




 馴らしとは、一種の耐性を作る行為のことだ。

 死亡直後の人間にウイルスを投与するとオウガになるが、これは所謂いわゆる、失敗作しか生み出せない。第1形態と呼ばれる、本能のままに徘徊するただの化け物を生むのが関の山だ。


 これに対して、生前に少しずつウイルスを投与し、耐性を作ってから死後にウイルスを投与すると、多少は使えるオウガが生まれる。この耐性をつける行為を研究所の奴らは“馴らし”と呼び、そうして創ったオウガを第2形態と呼んでいた。


 ただ、微量投与では耐性がほとんどつかず、と言って過剰に投与すれば死に至る。おまけに、ウイルスの過剰投与で死んだ人間は、死後にウイルスを投与しても蘇らなかった。言ってみれば、変態に失敗したわけだから、それも当然なのかもしれないが。


 いずれにしても厄介なのは、この投与量の適正値には、著しい個人差があることだった。その上、適正値の許容範囲が恐ろしく狭い。そのため、いまだに安定して『兵器としてのオウガ』を生み出す方法が見出し切れずにいるらしい。

 おかげで、長期にわたって実験が継続され、かつ、過剰投与が原因で死亡する例が後を絶たないわけだが……。


 日々行われる胸糞の悪い実験が脳裏をよぎる。

 女は小さく肩を竦めた。


「ま、単なる“馴らし”のことは知っているようね。私が言ったのは、このマシなオウガを生み出す確率を少しでも上げる方法。投与量の適正範囲を少しでも広げる行為のことよ」


 ……初耳だった。

「そんなことが可能なのですか?」


 女は小さく笑う。

「簡単よ。負の感情を最大限に増幅して、身体をぎりぎりまで破壊すればいい」


 思わず、息を飲んでしまった。


「思い当たる節でもあるんじゃない?」


 まさに、その通りだったが――

「……もう少しご説明頂いても?」


 女は迷惑げな視線をよこしながらも、続けて口を開いてくれた。




「負の感情が芽生えるとき、ある種のホルモンが分泌されるのは知っている? 何の因果か、そのホルモンがウィルスの過剰な活動を抑える働きをするのよ」


 全く、とでも言いたげな口ぶり。

 まぁ嬉々として話されても、引いてしまうところだが。

 ――それにしても。

 生贄たちに対する執拗な甚振り。あれは単に、悪趣味のなせる業ではなかったということか……。


「そうしてある程度、ウィルスへの耐性がついた体はね、体組織の再生が不可欠な状態にしておくの。過剰投与による体組織の組み換えスピードを和らげるためにね。つまりは、死なない程度に体を破壊しておくってわけ」


 思わず、呻いてしまった。


「ウイルスの過剰な働きを、細胞の変態だけでなく、再生にも振り向けさせるのね。それを複数回繰り返して、投与量と破壊の程度を高めていく。このステップを踏むことで、変態に耐えうる可能性が万に一つくらいから、百に一つくらいにまで上がったんじゃないかしら」


 女の声が、次第に愉し気な調子を帯びてくる。


「それでも、ここまで理性を維持した状態を保つには、相当に相性のいい身体でないと無理なのだけれどね」


 ……相性のいい身体、自我の残ったオウガ。

「つまり貴方も、そういう目に遭ったと?」


 女は口の端を釣り上げて嗤う。

「あんたも後2~3回同じようなことを繰り返せば、きっと死んでも少しはマシなオウガになれるわよ」


 さすがに頬が引き攣らざるを得なかった。


 つまり何だ? いずれ準備が整ったら、俺も殺して仲間にでもしようっていうのか? 冗談じゃない。

 あぁいや、選ぶ権利など無いのかもしれないが、――やはり嫌だ。ご免被る。


「なら、今死ぬ?」

「……いえ」

「なら、いいじゃない。1回慣らしをする度に、体もそれなりに強化されるのよ。死ににくくなるって訳。あんただって、矢吹を助けやすくなるんだから、願ったり叶ったりでしょう?」


 それは必ずしも間違ってはいないが。

 けど、あれだけいいように甚振られて、平気なわけがない。

 というより、確認しておきたいことが……。


「貴方、結構楽しんでいませんでした?」


 女はきょとんとして振返り、それから当然だという顔をした。


「当たり前じゃない。私、あんたには頭に来てたんだから。うっかり殺してしまわなかった分だけ、ありがたいと思いなさいよ」


 ……おい涼司、お前まさか、こんな女に好意なんて持ってないよな?



 ***



 その後、手短に互いの計画を確認し合った。

 女は結城と名乗った。


 結城は今、外部から侵入した敵対組織の破壊工作に乗じて、第1形態のオウガによる暴動を扇動しているらしい。しかも、外部からの侵入は、結城が身分を伏せて手引きしたものだという。


 よくそこまで、周到に準備できたな……。


 また、侵入者は敵対組織による集団だが、内実はこの組織とさほど変わらず、生物実験も五十歩百歩といったところらしい。とはいえ、曲がりなりにも世界の警察を標榜しているようで、モルモット達も多少は人道的に扱われているようだ。

 加えて、結城や涼司ほど理性を残し続けているオウガは、他に存在する様子はないという――


 そこまで話を聞いて、俺はこのまま結城の計画に乗ることにした。全てを鵜呑みにして良いかは賭けだが、どの道、他に手などない。

 ただ、涼司の救出までは良いとして、その後はどうするつもりなのか。


「貴方はこれから、どうするんです?」

 そう尋ねると、


「もちろん、矢吹を脱出させるのよ」

 何を当たり前な、とでも言いたげな声が返ってくる。


「いえ、その後は? この島から出るのでしょう。どこへ向かうつもりなんです?」


 せわしなくコンソールパネルに指を走らせていた結城は、振返りもせずに答える。

「さぁ、どうしようかしらね」


 その声には抑揚がなく、本音のようにも、俺にはまだ話せない、というようにも聞こえた。

 俺は質問の角度を変えた。


「あいつの牢には他に二人、監禁されています。こいつらは……」


 結城は肩を竦めた。

「好きにすれば」


 喰い殺す、と言われなかった分だけ、ましかもしれない。

 これはさすがに無理だろうなと思いつつ、訊くだけ訊いてみる。


「一緒に連れ出して、敵対組織に預けてもらうなんてことは……、できませんよね」

「あんた、馬鹿なの?」


 にべもない返答だった。まぁ、想像の範疇だったが。

「分かりました、それはこっちでどうにかします」


 涼司の牢に繋がる最短ルートを確立し終えたことを見計らってから、俺は姿勢を正した。


「じゃあ――涼司を頼みます」

 頭を下げると、軽く息を飲む気配があった。

 改めて顔を上げると、ひどく怖い顔が俺を睨んでいた。


「あんたは、来ないのね」


 俺は笑って見せた。


「今さらあいつに合わせる顔もないですし、ここを出て行く場所なんかないですしね。ましてや、自首する気など毛頭ありませんし」


 自首などしようものなら、即刻、組織の手が回って殺されるだけだろうが。


「まぁ、上手く立ち回ってみますよ。どこまできるか分かりませんが」


 行き当たりばったりだが仕方ない。リスクなく活路は拓けない、といことだろう。

 そう自嘲気味に一人ごちた時、胸に鋭い痛みが走った。


 ……なんっ……

 目の前が深紅に染まる。


「これは餞別よ」


 ジンジンと熱をもった胸の辺りから、生温かいものが身体を伝っていく。


 ……これ、俺の血か……。


 頭が朦朧としてくる。

 が、その後に襲ってきた激烈な痛みに、再び意識が覚醒した。

 まるで左腕をねじ切られるような痛み。


 いや、これは――

 ような、ではなく、本当に。

 結城は本当に、捩じ切った俺の腕に齧り付いていた。


「……っ!!」


 痛みと衝撃で頭がよく回らない。

 前後の繋がりが理解できない。

 何で?

 なぜこうなる?

 だってさっきまで、普通に話して――


「あんたは脅されて、システムを不正使用した。 その後、喰い殺された。――と思ったら、過去の被検体としての恩恵で、偶然で生き延びていた、っていう筋書きはどう?」


 いつの間にか、俺は床に倒れこんでいたらしい。ひとしきり肉を貪ったらしき結城が、満足げに骨を舐め上げていた。

 赤く染まった視界の中、愉悦の表情を浮かべる結城はひどく恍惚として見えて。


「もう一度ウイルスを投与すると粗方の傷が治ってしまうから、しないわよ。大丈夫、そのぐらいなら死にはしないわ。多分ね」


 ……そういう……ことか……。

 あっという間に痛覚は麻痺したらしく、ただひたすら寒気を覚える。


 いやこれ、やっぱり死ぬんじゃないか……。

 そう思いながらも、俺は何とか言葉を紡いだ。


「お気遣い……どうも――」


 言った途端に、喉の奥から錆臭いものが込み上げる。

 ひとしきり悶絶して、それでようやく息苦しさから解放される。目を閉じる。


 ……まぁ、いいか……とにかく眠い……。


「もし、あんたが昔からそんな風だったら」


 結城の声が、ぽつりと落ちた。

「矢吹はまだ、生きていられたかもしれないわね……」


 その一言は、思っていた以上に俺の胸を抉った。

 目を見開き、すでに結城の姿が視界から消えていることに気づく。

 行き場を失った激情がじわりと全身を満たしていく。


 もし俺が昔からこうだったなら、涼司はきっと生きていた。

 その可能性は、誰よりも俺が感じていたことだった。


 俺があいつを殺した。その思いが、どうしても拭えなかった。

 俺だけのせいとは言わないが、俺が裏切らなければ、という思いは片時も頭を離れなかった。まして、それを第3者に指摘されると、どうしようもないほど胸が疼いた。


 やり直せるものなら、やり直したい。もしも、やり直せるのなら。あの日、あの場所に戻れるのなら。例え俺が死んでも、あいつには生きていて欲しかった。

 あのときには、絶対にそんな未来は選べなかったのに……!


 それでも願ってしまう。

 もしも、あいつが生きていてくれたら――


 いや違う。

 そんな妄想に意味はない。

 そんな奇跡は起こらない。

 だから。

 俺は生きて、生き足掻いて、そして必ず――……


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