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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第1章 ハジマリの夏
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インターミッション 回想②

 おれが教室で暴れた翌日。

 教室に足を踏み入れた途端、その場が静まり返った。誰もがおれを注視し、おれの一挙手一投足を目で追ってくる。


 まぁ、大概は予想通りの反応だった。おれが席に着き、先生が来るのを待っている間、おれは衆人環視の状態だった。

 だけど、おれは敢えて気付かない振りをした。平然としていれば、すぐに過剰な反応はしなくなる。やがて、おれを居ないものとして扱ようになるだろう。

 ……それが最善の対処法だと、おれは今までの経験から学んでいたから。


 尾崎が教室に入ってきたとき、クラス中が異様な緊張感に包まれた。誰もがもの言いたげに尾崎を見上げ、しかし、実際に口を開く者はいなかった。尾崎も、何事もなかったかのように出欠を取っていく。


「矢吹」


 おれの名前が呼ばれたとき、クラス中に緊張が走った。

 誰もが固唾を呑んでおれと尾崎の様子を窺っている。

 でも、それだけだった。おれも普段通りの返事をし、そしていつもの朝が始まった。


 ただ、もちろん、全てが今まで通りというわけにはいかなかった。

 誰もが、おれと接触することを嫌がった。おれと眼を合わせることすら嫌がり、そのくせ、遠巻きにおれを見つめてはひそひそと噂話をする。

 そんなことには慣れっこだったから、おれも今さら気にしたりはしなかったが。


 当然のように、おれは一人でいることが多くなった。

 それまで教室で食べていた昼食も、外で一人で食べるようになった。

 構内の隅に生い茂る大木の根元。そこが、おれのお気に入りの場所になった。

 おれ自身、奇異の目に晒され続けるより、一人で居る方がよほど気楽だった。


 そんな中、朝倉は唯一、おれに話しかけてきた人間だった。

 それまで、取り立てて仲が良かったわけじゃない。クラスメイトではあったが、お互いに面識があるという程度のものだった。

 学級委員で成績優秀、何事にも控えめな朝倉に対して、事件を起こす前のおれは、万事いい加減な落ちこぼれ学生だ。そんなおれ達に接点がないのも、当然のことだった。

 だから、事件の後に朝倉がおれに話しかけてきたのも、当初は学級委員としての責務からにすぎない。クラスの運営上、どうしてもおれの意志を確認する必要があるときだけ、皆を代表しておれに話しかけてくる。


 だが、いつしか彼は、ことあるごとにおれに声をかけるようになった。

 ついには、おれが飯を食っている場所にまで押しかけてきた。


 正直、おれは戸惑っていた。朝倉が何を考えているのか分からなかった。

 それであるとき、たまりかねておれは尋ねた。


「お前、何でおれに構う? おれが怖くないのか」


 いつもの大木の根元。周りに人影はなかった。

 買ってきた弁当をつつきながら、朝倉はひそやかに笑った。


「別に。そんな風には感じないから」


 おれは眉を顰めた。朝倉という人間が分からなかった。

 ほぼ全ての人間がおれを腫れ物扱いする中で、朝倉だけが普通に接してくれる。おれはそれに感謝していたし、好感すら持っていた。

 だけど、こいつの心情は理解することは出来なかった。


「……朝倉。おれが言うのもなんだが、お前の評判、最近ひどいぞ。周りの奴らになんて言われてるか知らないのか?」


 おれと付き合いだしてから、朝倉までがひそひそと陰口を叩かれるようになっていた。

 朝倉はおれに脅されているだの、カツアゲされているだのという噂は、まだ可愛いげのある方だ。最近では、朝倉はおれを炊きつけて学校を乗っ取ろうとしているだの、実は朝倉は、この地区一体を牛耳る不良グループの番長なのだとか、そんな話までもが真しやかに流れ出している。

 ……もっとも、そんな与太話を信じている奴はさすがにいないだろうが。


 ただ、最近では、朝倉がどこぞでタバコを吸っているのを見ただの、構内で先輩を脅しているのを見ただの、そんな微妙に信憑性のある話まで出る始末だ。


 朝倉は、おれを見上げて可笑しそうに笑った。


「僕が実は裏番長ってやつだろう? ……きっと、やっかみじゃないかな? 僕が優秀だから」


 おれは呆れて朝倉を眺めた。

 確かに、朝倉は何でもそつなくこなす優等生で、先生方のお気に入りだった。それを妬む奴らが少なくないことも知っていた。今回のことは、そうした嫉妬がおれとの付き合いをきっかけに表面化しただけかもしれない。


 ……でも、だからって自分でそれを言うか?

 多少憮然としながら、おれは皮肉を込めて言ってやった。


「……いいのか。せっかくの優等生の名に傷がつくぞ」


 朝倉は肩をすくめた。


「別に、言いたい奴には言わせておけばいい。そんな奴らに付き合うほど、僕は暇じゃない」


 おれはまじまじと朝倉を見返した。ひどく意外な気がした。

 ……こいつ、こんな物言いをする奴だったのか?


「……意外?」


 朝倉に問われ、おれは素直に頷いた。

 朝倉は小さく苦笑するような笑みを浮かべた。


「なぁ矢吹。お前、こんなふうに感じたことはないか? こんな狭い世界で、誰かと較べて優秀だの劣っているだの、くだらない。他に考えることはないのか?」


 半ば吐き捨てるような言葉。

 おれは戸惑いを覚えた。何と答えればいいのか分からなかった。


 朝倉は、口元に皮肉めいた笑みを刻んだ。


「僕は別に優等生でもなんでもない。そう思いたい奴が、勝手にそう言っているだけさ。……大概の奴らは、ただ自分の都合のいいように解釈しているだけだ。僕を枠に嵌めて、評価して、安心したいんだ」


 そのとき、おれは初めて気付いた。

 もしかしたら、朝倉もおれと同じなのかもしれない。

 心の奥に、何かを飼っている……。


 黙ったままのおれを見て、朝倉が苦笑しながら肩をすくめた。


「妙な話をしたかな。悪い」


 言って、弁当の空箱を袋にしまうと、制服についた芝生をはたきながら立ち上がった。


「こんなところまで押しかけて悪かったね。もう、邪魔はしないと思うから」


 そういって踵を返しかける朝倉に、おれは手元の弁当に視線を落としながら口を開いた。


「……それは仕方のないこと、なんじゃねぇか……?」


 朝倉は、怪訝な顔でおれを振り返った。

 おれは、上手くまとまらない思考をもどかしく思いながらも、たどたどしく言葉を繋ぐ。


「誰だって、自分の見たものしか分からねぇろう? だから、目の前の人間が、実は自分の思っていたような奴とは全然違う奴なのかもしれない、なんてことは滅多に考えねぇし……。考えたとしたとしたって、所詮は勝手な思い込みの範疇だ。……けど、それは仕方のないことなんじゃねぇのか?」


 朝倉は、ひどく驚いたようにおれを見つめた。少しの間、考え込むようにしてから口を開く。


「……それはつまり、人は結局、他人を理解できない。そう言いたいのか?」


 おれは首を傾けた。

 どうだろう……。

 それはちょっと違う気がした。おれが母さんたちに感じていこととは、少し違う……。


「……上手くは言えねぇけど。でも、それを知っていて、それでも相手を受け入れようとする……。そういうのが大事、なんじゃねぇのか」


 朝倉はしばらくの間、おれの言葉を咀嚼するようにしていた。

「なるほどね……」

 呟いてから、小さく笑う。


「でも驚いたな、矢吹の口からそんな科白を聞くなんて」


 揶揄するように言われて、おれは憮然としながら答えた。


「似合わねぇだろ? わかってるよ、おれだって、自分で自分が何を言っているのか、途中から分からなくなってきたぐらいだからな」

「ははっ」


 朝倉が声を上げて笑った。

 彼がこれほど楽しそうに笑うのを、おれは初めて聞いた気がした。


「なぁ、さっきの言葉、撤回してもいいかな」

「……撤回?」

「ああ。やっぱり、これからもここに押しかけていいかな、と思ってさ」


 おれは、面食らいながら朝倉を見上げた。


「……別に構わねぇけど。お前、やっぱり変わってるよな」

「矢吹ほどじゃないと思うけどね」


 間髪をおかず切り替えされ、おれたちは顔を見合わせて小さく吹き出した。


 ***


 それから半年後、2年生に進級しても、おれと朝倉は同じクラスだった。3年生になっても、それは変わらなかった。

 恐らく、偶然ではないだろう。学校側も、その方が楽だと判断したに違いなかった。朝倉を間に挟めば、教師や他の生徒達が、おれと直接、接触しなくて済む。大概の奴らは、問題児のおれと優等生の朝倉の仲に奇異の目を向けつつ、内心でほっとしていたに違いなかった。


 朝倉のおかげか、おれもその後は、たいした波風を立てずに済んだ。

 おれが爆発しそうになると、いつのまにか、朝倉がそれとなくフォローしてくれるようになっていた。

 そうした朝倉の勘のよさと機転に、おれは内心で舌を巻いた。感情を読まれているようで悔しいと思うことがなかったわけじゃないが、それ以上におれは朝倉に感謝していた。

 何より、おれはあいつが好きだった。


 話をする度、おれと朝倉は同じものの見方をすることが多いことに気付いた。もちろん、意見が全く違うと感じることもある。けど、普段は滅多に違和感を覚えなかった。


 それは、ひどく不思議な感覚だった。

 おれはそれまで、外で一人だろうが、別段寂しいなどと感じたことはなかった。学校での居心地の悪さだけはどうしようもなかったが、それでも、それだけだと思っていた。

 けれど、朝倉に出会って気づかされた。おれはずっと、自分を理解してくれる友人が欲しかったんだと……。



 3年生の夏になり、朝倉が難関国立大学を目指すと言ったとき、おれはひどく落胆したのを覚えている。これで、朝倉ともお別れだと思った。おれの学力では到底、その大学に入ることは難しかったから。


 ちなみに、高校生になったばかりの頃は、高校を出たらすぐに働こうと考えていた。けれど、その考えを両親に漏らした途端、強い反対にあった。やりたいことがあるのなら別だが、そうでないのなら大学に行けと言われた。驚くほど強い調子で怒鳴られたのは、我が家の経済状況を考えて大学進学を断念しようとした気持ちを見抜かれたせいだろう。親父たちにしてみれば、子供に金の心配をさせるなど、プライド(?)が許さないのかもしれなかった。

 ……もっとも、もし私立大学に進むなら、奨学金を取れる成績で入学しろよ、とはしっかり念を押されたが。


 親父たちに言われるまでもなく、おれも本当は大学に進んでみたかった。とりたてて勉強が好きなわけではなかったが、化学の授業は何となく面白いと感じていたし、大学というものに興味があった。だから、始めは地元の国立大学への進学を考えていた。それに対して、朝倉はかなりの難関校を受けるといってきたのだ。


 考えてみれば、朝倉は全国模試でも常にトップ10に入るような秀才、彼にとって、その大学は当然合格圏内だ。一方のおれは、下から数えた方が早いような成績。到底、朝倉の目指す難関校には行けない。おれが当初目指していた大学さえ、合格ラインすれすれといったところなのだから。


 だが、そんなおれの学力を知っているにも関わらず、朝倉はおれを誘った。お前も一緒に受験しないかと。

 おれの心は揺れた。できれば、もっとこいつと一緒にいたい、同じ大学に進んでみたかった。


 それに、おれ自身も、朝倉の志望する大学に惹かれるものを感じていた。どことなくエネルギーがあると思った。勝手な思い込みかもしれないが、雰囲気がおれに合っている気がした。

 それで、おれはその難関校への受験を決意した。


 決意したその日から、猛勉強した。私立に進学する気はなかったから、その国立大学に落ちれば即、浪人を意味する。それはそれでまずいと思っていたから、必死に勉強した。


 ……けど、いかんせん頭の出来がよくなかった。3年生の夏になってから勉強しても遅かった。

 3月下旬、後期試験の不合格通知を前に、さすがにこれからどうしようかと途方にくれていたとき、朝倉から電話がかかってきた。来年、また挑戦しないか。お前さえ良ければ勉強に付き合うからと。


 その申し出に驚きながらも、おれは内心、ひどくうれしかったことを思い出す。その、押し付けではない純粋な好意が、言葉にできないほどうれしかった。


 おれはすぐにその申し出を受け、浪人生活に突入した。予備校の類には一切行かなかった。朝倉の家庭教師さえあれば充分だった。


 おれはしばしば、朝倉と市内の図書館で勉強した。ときには、大学の図書館や空き講義室に紛れ込んだこともある。そのおかげで、次の春には、朝倉と同じキャンパスに通うことができたんだ。



 *****



 そこまで話し終えたとき、彩乃が顔をのぞかせた。

 それから、母さんの誕生日を忘れていた親父が、彩乃にこってりと絞られて。


 そんな全てを思い出す。

 夢うつつの中、じんわりと体を蝕む苦痛の中で、あの懐かしい夏の日を。

 あの、泣きたくなるほどの暖かさを。


 ……あぁ。

 願ってしまう。祈ってしまう。


 戻りたい、帰りたい。

 あの暖かい家に帰りたい。


 でも。

 おれはもう――……


次から、第2章に入ります。

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