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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第1章 ハジマリの夏
16/87

1-14 急転直下

 ふと気付くと、辺りが妙に静かだった。あれほど煩かった音も止んでいる。

 重い体を引きずるようにしてドアに近づき、おれはそのまま、躊躇なく開け放った。


 ドアの外には、オウガが待ち伏せているかもしれない。それはわかっていたが、別にそれでも構わなかった。

 いずれにしろ、ここを出られなければ死ぬだけだ。それが少し遅かろうと早かろうと、大した違いがあるとは思えなかった。


 なぜか、ドアの外にオウガの姿はなかった。ただ、その痕跡を残す無数の足跡が付いているだけだった。


 …………。

 おれはしばらく惚けていたらしい。

 何度か瞬きを繰り返し、ようやく鈍った頭が状況を理解し始める。

 なぜか分からないが、どうやら危機は脱したらしい。


 とにかく、ここを出ねぇと……。


 時計を見ると、15時40分。結城の言った通りなら、後20分ほどで爆破されてしまうだろう。

 ……やべぇ、よな。

 どうにか階段に足を向けると、ふいに、結城の言葉が蘇ってくる。


『どうせ、また裏切られるだけよ』


 結局、あいつの言った通りか。

 自分の馬鹿さ加減に、つくづく呆れた。


 でも、死なねぇよ……。


 次第に気力が戻って来るのを感じる。

 こんなところで、死んだりなんかしない。

 外へ続く扉を押し開けると、突き抜けるような青空が目に染みた。


 必ず家に、帰ってやるんだ……!

 


 *



『東に進むと、30分ほどで桟橋に出るわ』


 太陽の位置から見当をつけ、おれは東を目指した。

 急がねぇと……。


 夢中で森を掻き分けると、急な斜面の縁に辿り着いた。茂みに隠れながら様子を伺ったが、辺りに人影はない。斜面の縁から眼下をそっと覗き込むと、小さな桟橋に数隻の小型船舶が停泊しているのが見えた。


 爆破まであと2分……。もしここも直撃されたら、アウトだよな。


 不思議と怖さは感じなかった。

 そうなったら、そうなっただ、という気がしていた。もし木端微塵だったら、後腐れもねぇしな、などと妙なことを考える。


 頭の線が、1本切れちまったのかもしれねぇな……。


 下らないことを考えながら、おれは斜面を降りる場所を探った。

 いずれにしろ、船を奪うにはもっと近寄る必要があった。


 **


 指定の時間を過ぎた。

 けど、何も起こらなかった。

 何度も何度も時計をのぞき込む。

 でも、10分過ぎても何も起こらなかった。

 これには焦れた。


 何かの理由で遅れているのか。……でも、何の理由で?


 斜面を降り切ってから桟橋の様子を伺ったが、やはり人気はない。結城の姿も、朝倉たちの姿も見えなかった。


 ――っ。


 あいつ等のことを考えた瞬間、全身が燃え上がった。

 頭の中が白熱して、本当に吐くかと思った。

 吐かないで済んだのは、単に吐くだけのものが腹に残っていなかったせいだろう。


 あいつ等がどうなろうと知ったことじゃない。

 知ったことじゃないが、……今は姿が見えなくてよかったと思った。

 でないと何をしでかすか、自分でも分からなかったから。


 いや、いい。もう、どうでもいいんだ……。


 おれはゆっくりと船に近づいていった。


 そうして、茂みの切れた先まで来て、おれは再度迷う羽目になった。

 この先、身を隠せるような場所はなかった。30mほど砂浜が続き、海にせり出した桟橋の向こうにモーターボートが停泊している。


 くそ、どうする……。


 もうじき爆破されるのなら、それまで待った方がいい。けど、人気のない今がチャンスだという気もした。


 あぁくそ、結城。あいつなら、どうしただろう? そもそもあいつは、ちゃんと逃げ出せのか……?


 そう思いながら、辺りをもう一度見回したとき、心臓が大きく高鳴った。

 もしかして……!

 茂みの向こうに、結城の姿を見た気がしたからだ。


 身を乗り出すようにして目を凝らすと、そこにいたのは紛れもなく結城だった。

 結城も、驚いたようにおれを見つめている。


 無事、だったんだ……!


 そう思ったら、なぜか無性に泣きたくなった。

 帰ろう結城。帰るんだ、一緒に……!


「逃げて!!」


 悲鳴にも似た絶叫が頭に響いた途端、閃光が炸裂した。



 ***



 息苦しさに目を覚ますと、そこは太陽の照りつける砂浜だった。

 いつの間にか、熱砂に頬をこすり付けるようにしていたらしい。


 熱い……。

 起き上がろうとして、全身から血の気が引く。

 気付くと、おれは後ろ手に拘束され、体を何かで押さえつけられていた。


「お目覚めか、矢吹?」


 この声、まさか……。

 最も会いたくない人物が、そこに立っていた。


「仁科! どうして――」


 言い終える前に、腹に激痛が走った。

 仁科に蹴り上げられたのだと理解した途端、2撃目が襲ってきた。


「まったく、好き勝手やってくれる……」

「てめぇ! この――」


 言いかけた顔をブーツの底で踏みしだかれ、全身が燃え上がった。

 この野郎……!


「起こせ」

 兵士たちにおれを引き立たせ、仁科は小型船舶を振り仰いで口の端を吊り上げた。

「残念だったなぁ? もう少しで逃げおおせるはずだったのに」


 恐らく、おれの隠れていた辺りも爆破されたんだろう。それに巻き込まれて、気を失っているうちに研究所の奴等に見つかっちまったのか……。

 そこまで考えて、おれははっとした。


「結城はどうした!」

「――結城?」


 仁科は不快げに眉を寄せ、それから歪んだ笑みを浮かべた。


「他人の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだ?」

「答えろ! 彼女はどうしたんだ!」


 仁科は、くつくつと嗤う。

「安心したまえ。君より前に始末したよ」


 全身の産毛が逆立つかと思った。

「嘘ついてんじゃねぇ!」


 仁科は片眉を吊り上げる。


「おや? その方が彼女のためだと考えていたんじゃなかったのか?」

「勝手なこと言ってんじゃねぇぞ!」


 仁科は酷薄な笑みを浮かべた。

「心配しなくとも、次はお前の番だ」


 ふざけんな……!


 仁科の言うことなど当てにならない。だが、この場に結城がいないことは確かなようだ。なら、きっと無事なんだろう。そうに決まってる。

 そう言い聞かせるしかない自分が、どうしようもないほど歯痒かった。

 だけどちくしょう、どうすればいい……!


 この場から逃げ出す方法が思いつかなかった。

 5人の兵士と仁科に囲まれ、後ろ手に縛り上げられている。さっきの爆風で全身が軋むように痛んで、立つこともまともにできやしない。

 でも、何かあるだろう。何か他に方法が……。

 考えろ、考えろ、考えろ……!


「どうした? 逃げる算段でも立てているのか?」


 顔を上げると、仁科が歪んだ笑みを浮かべて銃を弄んでいた。

「なら、その選択肢を消してやろうか」


 次の瞬間、右太股に灼けるような激痛が走った。

 なんっ……!!


「もう一方もだ」


 左脚に走った痛みに倒れ込みそうになったが、両脇に抱えた兵士がそれを許さない。


「……ぐっ、はぁっ……」


 まるで焼け串にでも突き刺されたような気がした。

 冗談……だろ……。

 目の前が暗くなる。

 ……マジかよ……こんな……。


 耳元で仁科が笑った。

「気分はどうだ。ん?」


 前髪を掴みあげられ、おれは反射的に唾を吐いた。

 仁科が目を見開く。

 ……ざまぁみろ……。

 忌々しそうに自分の頬を拭いながら、仁科は低く笑った。


「安心しろ、小僧。貴様は楽には死なせない。ククッ、ははははは!」



 ****




 両腕を兵士たちの肩に回され、半ば引きずられるようにして、おれは森の中を連れ戻されていた。引きずった足が何かに触れる度、脳天まで貫くような激痛が走る。

 思わず呻き声を漏らすと、兵士たちが薄く笑った。


 ……やべぇ……だろ……。

 何とかしなければと思うのに、痛みのせいで思考が途切れる。 


「おれを……どうする気だ」


 傍らの兵士に問いかけてみたが、奴らは薄く笑うばかりで何も答えない。

 兵士の多くは外国人のようだが、日本人らきし奴もいる。なのに答えがないのは、言葉が通じないのか、無視されているのか。

 ……くそったれ……。


 わざわざ連れ帰るくらいだから、すぐに殺すつもりはないんだろう。またモルモットにでもする気か。人体実験されるだなんて考えただけでもおぞましかったが、生きてさえいれば何とかなる……。

 ぼんやりとそう思ったとき、頭上から声が降ってきた。


「同郷のよしみだ。お寝んねする前に、いいことを教えてやろうか」


 霞む視野の端で、兵士がニヤニヤと笑っていた。

「貴様には、最高の舞台が用意されているぜ」


 舞台……?

 兵士は、口を哄笑の形に吊り上げた。


「処刑という名の舞台がな」


 おれを見下ろして、兵士が失笑を漏らした。

「お前、この期に及んで、自分が助かるとでも思っていたのか?」


 おれは答えなかった。答えられなかった。

 ちくしょう……結城……。

 彼女の姿の見えないことが、せめてもの救いだった。

 きっとあいつは無事なんだろう。そうでなければ、おれと一緒に連行されるはず。そう、無事に決まってる。

 祈るような気持ちで、おれは意識を手放した。

 せめて、あんただけは……。



 *****



 次に気づくと、頭上から眩しいほど強烈な光が注がれていた。

 鼻をつく消毒液の匂い。それに混じって、もう嗅ぎ慣れてしまった血の匂いが充満している。


 ……ここ、どこだ……?

 どこかで見たような気がする。

 でも、どこでだったろう……。


 頭がぼうっとして、上手く認識できない。

 ただ、どこかで狂った世界に紛れ込んでしまったんだ、そんな気がした。

 もしくは夢だ。そう、きっといつもの夢。

 ほら、早く起きないと彩乃が起こしにくる……。


 突然、頭上から冷たいものがぶちまけられた。

 なん……?


「お目覚めか?」

 目の前に、吐き目を催す顔があった。


「仁科……!」

「くくっ、では始めようか」


 おれは、仰向けに寝かされていた。

 身じろぎしようとしたが、手足が拘束されているのかビクともしない。

 何だよ、これ……。何する気だよ……!


 無数の目がおれを取り囲むように見下ろしていた。卑猥な笑いを浮かべる男たち。その向こうに『おれ』がいた。


 え……?

 よく見れば、手術台のような場所に上半身裸の『おれ』がいた。

 なに……鏡……?


「乙な趣向だろう? 自分の処刑をその目で見られるなんてな」

 ……!


「くくっ、いい顔だ。ほら、これからお前はこんな風に解体されるのさ」


 その途端、腹にちりちりとした痛みが走った。

 はっとして鏡を見ると、上半身に赤い線、が――


「ちょっと浅すぎたかな?」


 腹に焼けるような痛みが走った。

 反射的に上を見ると、ペンか何かを突き立てられた場所から血が溢れ出していた。


 ……こんなの夢だ。現実の訳がねぇ……!!


 けど、頭のどこかで分かっていた。

 間違っているのはおれの方だ。認めたくないのはおれの方だと。

 けど……!

 おれは顔を歪めた。


 何でお前がここにいる。今井……!!


 今井の手にも、ナイフが握られていた。

 思考が真っ黒に塗り潰されていく。

 お前もか……そうかよ……。


「さあ、やりたまえ」


 だが、今井は動かなかった。

 ただナイフを持ったまま、ガタガタと震えていた。


「できねぇよ……」


 仁科が笑ったように見えた。

「できない?」


 今井は、手の中のナイフを床に投げ捨てた。

「できねぇよ! こんなこと、できるわけねぇだろう!!」


 直後、兵士に殴り倒された今井の傍に、仁科はゆっくりとかがみ込む。


「意外に骨があるんだな。見直したよ」

 今井の肩を叩き、そのまま含み笑いを漏らす。

「だが、言っただろう? ここでこいつと一緒に地獄を味わうか、こいつを殺して生き残るかだと。お前なら、どちらを選ぶ?」


 そのまま、今井の体を兵士に押さえ込ませる。

「な、何を……!」

 怯える今井の指を無理やりこじ開け、そこにナイフを突きつける。


「答えは?」

「や、止め……!」


 今井はとっさに口を開き、そして縋る様におれを見つめた。

「矢吹……」

 え……?


 仁科が力を込める。


「ぎゃあああぁ!!」

 今井がその場にくず折れる。


「騒ぐな騒ぐな、その程度で死にはしないさ」

 仁科は乱暴に今井の身体を引き立たせる。

 指が切り落とされた腕を台に押さえつけ、今度はその腕にナイフをあてた。


「だが、腕を落とせばどうなるかな?」


 今井は蒼白になった。

「止めろ、止めてくれ。頼む……!」

「なら、そいつを殺すのか?」


 びくりと肩を震わせ、今井は小さく頷いた。


 ……。

 おれは目を閉じた。全てが馬鹿馬鹿しく思えた。

 だってそうだろう? こんなふざけた茶番があるか?

 もういい、わかった、もう沢山だ。だからさっさと目を覚ましやがれ……!


「どうだ? 矢吹。何か言い残すことはあるか? 恨み言くらいなら聞いてやるぞ?」


 おれは仁科を見上げ、それから視線を逸らせた。

 もう、どうでもよかった。

 ただ、この茶番をさっさと終わらせて欲しかった。

 ――それでも。


 ごめん、母さん。

 その思いだけが、痛切に胸に迫った。

 こんなところで殺されてしまうのが、どうしようもなく悔しかった。


 今まで、散々迷惑をかけてきた。迷惑をかけるだけかけて、その結果がこのザマか?

 そう思ったら、涙が零れた。

 おれのせいで、ずっと苦労させたのに。 

 なのにちきしょう、こんなところで、おれは……!


「ごめん……ごめん……」


 一瞬、自分の思考が口を付いて出たのかと思った。

 けど、それは今井のもので。

 血と涙でぐちゃぐちゃになった今井の口から、呟くように同じ言葉が繰り返されていた。


 おれは目を閉じた。

 これ以上、見たくなかった。聞きたくなんかなかった。

 これは夢だ。……夢なんだ。


 灼けるような激痛が走る。


 『あんた、死ぬわよ』

 『死なねぇよ』


 脳裏に結城との会話が蘇る。

 お前が正しいよ、結城。全部、お前の言う通りだったよ。


 刃が振り下ろされる度に、灼けるような痛みが貫く。意識が遠のく。

 その度に水をぶちまけられる。

 全身が熱い。

 熱くて痛くて、息ができない。

 もういいだろ? もう殺せよ……もう……十分だろ……


 そのまま意識を手放しかけたとき、


「おい、その程度か? お楽しみはこれからだぞ?」


 裂かれた腹に猛烈な違和感を覚えて、おれは目を見開いた。

 なん……?


 霞んだ視界に、腹に突き立った腕が目に入る。

 な……。


「ほら、こんなのはどうだ?」


 込み上げたのは、言葉にならないおぞましさ。

 やめろ……やメロやめろヤメロおぉ!!


 もう、自分が何を叫んでいるのか分からなかった。

 ただ、内臓をかき乱される圧倒的な嫌悪感におれは絶叫した。

 この苦痛から逃れられるものなら、なんにでもすがりたい気がした。


 やめろ、やめてくれ……! もうやめろおおぉおぉっ!


 そのとき、乾いた音とともにおれの顔に何かが飛び散った。

 驚いたように目を見張る今井の顔。


 な……?

 一瞬、全ての痛みを忘れた。

 今井が、目の前で口から泡を吹き出していた。

 何で……今井まで……?


 その途端、赤黒いものを突きつけられる。

 仁科が頭上で何かを喋っている。

 その言葉は聞き取れなかったが、目の前のものが何かは分かった。

 分かったが、感情がそれを受け入れなかった。


 ……これは……今井の……。


 憎悪が全身に広がっていく。

 許さ……ねぇ……。


 続けざま、それを口に押し込まれる。

 息が……できな……!


 空気を求めて、本能がそれを噛み潰す。

 その瞬間、口の中に生臭い味が広がった。

 ……っ!!


 爆発しそうになったとき、おれの腹からも何かが引きずり出され、そいつを口に押し込まれる。


「自分の……味わうのも乙だろう?」


 突き抜けるような憎悪が全身を締め上げた。

 恐怖も苦痛も、全て忘れさせるほどの憎悪だけが膨れ上がっていく。


 ゆるさねぇ……! てめぇだけはゆるさねぇ……!! カナラず、おれがコロしてやる……!!!


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