男と教授
12年前のとあるニュースを鮮明に覚えている。
いや、もはやそれに取り憑かれていると言っても良い。
とある有名な大学の有名な教授の有名な研究室で起こった出来事は俺の人生を狂わせたのだ。
錆に汚れた灰色のつなぎを着た男は、仕事疲れからやや意識が朦朧としながらも、その事をずっと考えながら軽トラを運転していた。
当時、大学生だった俺は天狗になっていたのだ。
とあるクローン技術についての研究の1つが大成功し、世界的とまではいかないがその界隈の者達にとっては大きなニュースとなった。
それだけでなく、生物学の第一線で活躍していた教授も海外での講義の予定を中止し、日本に戻ってきたのだ。
教授には『期待の新星』だと称され、その夜は大学の休憩室で二人きりで高い酒を飲みながらその研究について話していた。
高揚し、気分の良かった俺は何でも出来る気がしていた。
その時だ。
教授にとあるテーマについての研究を勧められたのは
そのテーマとは「オリジナルと全く同じ記憶を機械に保存出来るか。」というものであった。
要するに記憶の複製に近いものだろう。
プラナリアが記憶をも再生するのを知っていた俺は出来ない事ではないのではと思っていた。
が、教授は言ったのだ。
“プラナリアでも、昆虫でも爬虫類でもなく、私がそのテーマを成功させたいのは人間なのだ“と。
さすがに恐ろしく感じた。
実際の人間を使って研究をしろということなのだ。
酔っていたとはいえ、その時ばかりは冷静であった。
馬鹿げている。無理だ。学会に追放される。
最もな正論を述べて、教授を諭そうとしたが、続けて教授は言った。
“もし何かがあれば、責任は私が取ろう。それに、この研究が成功すれば記憶障害の人々を救えるかもしれない。君にしか出来ないんだ“
『君にしかできない』
この言葉は、その瞬間に俺を酒以上に酔わせてしまった。論文を発表し、様々な学者に褒め称えられた時と同じ感覚だった。
俺は、先の事など考えず、その場で直ぐに了解してしまった。
今考えても当時の自分をぶん殴りたい。
その日から、俺と教授の二人だけの極秘の研究が進められた。
あまりにも順調に成功へと進んでいく過程に、俺はもう恐ろしさなど忘れていた。ただ欲しかったのだ。名声を。
教授がとうとう人の脳をまるごと持ってきた時も、ただの過程に過ぎないと疑念を持たなかった。
もう一度だ。あの高揚を味わえる。この研究が終われば、俺は教授をも超える学者になるのだ。世界的な学者へと百歩も千歩も近づくのだ。
あの日の夜の、僅かに残っていた冷静な自分はもうどこにもいなかった。
ただ、『自分』に溺れた『自分』がいただけだ。
この研究が実に9割実現した時、教授は俺に言った。
“ありがとう。君のおかげでこの研究はもはや成功と言っていいだろう。ところで、また高い酒が入った。あの日の様に1杯どうだい?“
成功の前夜祭といった所か。
断る理由など無かった。
“私は2分ほどレポートに書き写して置くことがある。先に開けて飲んでいてくれ“
この言葉に、何の疑いも感じない。
休憩室へ向かうと、置いてあった酒は名前しか聞いたことの無いような高いワインだった。毎日の研究づくしに頭も疲弊していた俺は今日くらい馬鹿になろうと、酔いを忘れる程に酔うまで飲んだ。
教授がいつまで経っても来ない。そんな事気にしない。あの人は仕事人なのだ。
そんな事を考えながら気づけば並んでいた数本の瓶は空になり、転がっていた。
俺も同じだ。頭の中は空っぽになり、極楽気分で眠り転がる。
翌日、俺と教授の研究は終わりを告げた。
それは成功も、失敗もしなかった。
何故か?
教授が全てを持って逃げたのだ。レポートも、道具も、研究に関わるものは全て持って姿を消した。
電話をかけても、家を尋ねてもどこにもいない。
警察に問い合わせようとしたが研究が研究なだけこちらからは出来ない。
結果、研究仲間が後から気づき警察に連絡をしたのだが彼の行方を知るものはなく、教授は行方不明となった。
俺は大学をやめた。
全てが燃え尽きたのだ。灰になった線香のように。バカバカしくなった。教授を憎む気にも、恨む気にもなれなかった。
学会のエリート道を進むはずだった俺の人生は、教授と、俺自身の手によって閉ざされた。
そして俺は今、実家の近くにあった小さな工場で働いている。
労働時間は長く、給料は安く、全てのやる気をなくしていた俺に与えられるには順当の仕事場だ。
そして仕事の一貫として、ただ朦朧と軽トラを運転していたので、前にいた少女に気づくのに遅れた。
危ないとクラクションを鳴らし、ぶつかると思った矢先、近くにいた学生が少女を抱いて土手の端に転がり、何とか事故にはならなかった。
思わず、
「アホか!んな所に立ってんじゃねぇ!」
と、声が出た。
全く、何をやってるんだ俺は。
最近はいつもこうだ。過去あった事をずっと考えてはぼうっとしている。
全てをなくして、そのうえに危うく人を殺すところだったぞ。
本当はしっかりしなければならないのに、いつからあの時のような情熱を無くしたんだ?俺は。
と様なこと考え、突然自分が轢きかけた少女の顔を思いだし、ハッとなる。
少女の顔には、見覚えがあった。
読みにくい文章ですみません。