圧倒的
「姉さん!?」
健がカルナダ姉さんのその行動を止めようと、手を前へと伸ばした。
俺はその手をすぐに掴み、引き留めたのだった。
「健は下がってて」
「ほたるんまで……」
なんでそんなに冷静なんだよ。
そう問いただしてやりたいという目をして、健が制止していた俺の手を無理矢理に振り払った。
「いいんだ、健。言わば、これは最終試験。蛍が私を超えないことには、この修行は完結とは到底言えない。最後まで強引なことを許してくれ」
カルナダ姉さんは妖刀・枯れ葉の切先を健へと向け、申し訳なさそうに言ったのだ。
その不器用な言葉を俺は補足しようと、口を開く。
「姉さんはあくまで分体だ、本体に影響が起こることはない。分体は消滅した時点で、それまでの記憶を本体に共有するだけだと師匠からは聞いている。そうでしょ? 姉さん」
「ああ、その通りだ。分体だからこそ、お互いに本気でぶつかり合える。さあ、時間がないさっさと始めるぞ、雨川蛍っ!!」
ブンッ、と姉さんの愛刀が鋭い音を鳴らし定位置の構えへと納まる。
やや半身状態の姿勢で、体の中央に添えるように切先を上へと向ける姉さん独特の構え。
「時間がないってどういう意味?」
先ほどの言葉に少し引っかかっていた。
戦闘を始める前に、俺はそれについて聞き返すことにした。
「時間がなかったら何だって言うんだ? 今は私を見ろ、剣を見ろ、姿勢を見ろ、目線を見ろ、重心を見ろっ! お前が目の前にしているのは……この私だぞ?」
そして――。
唐突に最終戦闘が始まったのだった。
MPの爆発を足裏に集約することによる超速度の間合い詰め。
そして、体のバランスをもMPで補う超絶難易度の操作術をいとも簡単に併用して、カルナダ姉さんはこちらに向かってきた。
「離れてろッ!」
「うん!」
俺はすぐに道中のドロップ品である短剣を取り出し、姉さんとの最初の一合を交えた。
カキンッ、という甲高い金属音と共に両者同時に刃先からMPを暴発させる。
両者の体が、爆発により後方へと吹っ飛ばされた。
「おっと、姉さんにしては結果を急いでるな」
「お前こそ」
そう言って、俺は天足の足場を使いすぐに態勢を立て直した。
同様に姉さんも地面に愛刀を突き刺し、すぐに態勢を整えた。
そして――。
「行くぞ、蛍ッ!!」
ビュン、ビュン、ビュン、と三回。
空中で軌道を変更しながら、俺へと迫ってくる。
「わざわざ掛け声どうもッ! 『鳥風・Ⅸ』ッ!!」
短剣の持っていないもう片方の手を前面へと突き出し、魔法を唱えた。
すると、俺の背後にボス部屋一面の壁を埋め尽くすほどの中型の鳥を模した白い風が出現、腕を振り下ろすと同時に一斉に姉さんに向かって飛んで行く。
「ちッ」
姉さんの舌打ちが聞こえてきた。
そして、いとも簡単に魔法が姉さんに直撃したのだった。
しかし――。
姉さんの体が、直撃と同時に枯れ葉となって崩れ落ちていくのが見えた。
同時に俺の魔法も役目を終え、消滅する。
魔法をもろに食らったはずの姉さんは、いつの間にかはるか遠くの壁に垂直に立っていたのだった。
「これでストックは残り一つだね」
「……気づいていたのか、愛刀のストックのこと」
「当り前だよ、伊達に俺はゲームをやってるわけじゃないんでね」
カルナダ姉さんの愛刀「妖刀・枯れ葉」にはいくつかの能力が備わっている。
その一つが「変わり身」、自身に起こった不利な事象を七十二時間で二回のみ書き換えることができるという、チートじみた性能である。
その内、一回分のストックを今使わせることに成功した。
いつもなら、そう簡単には成功しないはずだけど、今の姉さんはなぜか結果を焦っているような気がする。
攻撃が少し単調なんだ。
だったら、わざわざ長期戦をやる必要もない。
次の攻防で白黒つけよう。
『超級魔法・建御雷神』
俺の髪が金色に輝く。
黒のサルエルパンツに、上半身裸の素肌、そして背後に出現した金環に括られた七色の小さな和太鼓。
変化に掛かった時間は一秒にも満たなかった。
『電速・八連』
俺の体が青雷を纏い発光した。
そして――。
ポン、と青い小さな太鼓の音が響いた。
最初の攻防は姉さんの正面への最速、最短移動。
「速ッ!?」
姉さんの歪む表情が手に取るように見える。
突然の異常な高速移動に反応しきれていない姉さんへと、短剣を振りかぶった。
しかし、寸前で攻撃を躱され、手の甲に赤い線を一筋刻むまでとなったのだ。
「次ッ」
再び、ポンと音が響く。
姉さんがバックステップで躱したその斜め下に、態勢を異様に低くし着地を決め、地を這うように短剣を横薙ぎに振るう。
「お、おい、前より速くなってねぇか!?」
そう無駄口を叩きながらも、姉さんは空中で身を翻し攻撃をなんなく回避してきたのだ。
さすが姉さん、二連撃までは普通について来るか。
だけど、まだまだ。
「次ッ」
ポンと響く和太鼓の軽やかな音。
体を無理矢理に翻した姉さんの空中姿勢の死角となるすぐ背後に高速移動し、わき腹へと強烈な蹴りをした。
「がはッ」
ついにあのカルナダ姉さんを捉えた。
初めてだ。
でも、まだ続くぞ!
「次ッ」
四度目の小太鼓の音。
蹴りによって飛ばされた姉さんが着地する位置に、先回りで高速移動。
タイミングを合わせて、下から上へと蹴り上げた。
「がはッ!?」
姉さんの口から血反吐と空気が同時に吐かれた。
「次ッ」
五度目の音が鳴り響く。
俺は先回りするように天井へと移動する。
そして――。
『チャージ・オーバー』
ポンと赤い太鼓が鳴り、右手に赤い電気が急速にたまり凝縮されていく。
その時間わずか一秒にも満たないほどに、早かった。
そこで俺は苦痛の表情を浮かべる姉さんに向けて、口を開いた。
「これ全部、身代わりできますか? 『雷化・真槍』ッ!!!!」
通常よりも数倍に膨れ上がった電撃が、俺の体を巨大な赤き槍へと変化さる。
そして、上へと蹴り上げられた姉さんに逆らうように、轟音と共にぶつかった。
その寸前――。
「あはははははッ……見事だっ!」
そう高笑いしながら、姉さんは俺の攻撃に身を委ねたのだった。
大きく両手を広げ、全てを受け入れるように。
――これで最後。
と、まあ、そんな簡単にはいかないことを俺は知っている。
そうなのだ、カルナダ姉さんにはもう一つチート級の能力があるのだ。
相互位置交換を瞬時に可能とする『シャッフル』。
通常、この能力は一定空間内の生物をランダムで位置交換するのだが、姉さんに限って言えばそれを自らの意思で選択することができる。
要するに、だ。
「やっぱり演技かよ」
俺は今、自分で放った超火力の電撃攻撃を己の身でが受けることになっていたのだった。
しかし、建御雷神様の試練により俺には雷は一切効かなくなっている。
このことは、姉さんすら知らない俺だけの秘密。
最後にこうなる可能性を予測し、敢えて伏せていた情報なのだ。
先ほど俺がいた位置で口角を上げて、笑いかけてくるカルナダ姉さんが見える。
心の底からこの戦いを楽しんでいるようにも思える、不敵な笑みだった。
「まだまだぞ、蛍」
そう言って、姉さんが愛刀を上段で構え始めた。
見覚えのある構え。
以前、これにやられかけたあの技が来る。
「『舞乱れろ・妖刀、枯れ葉』ッ!!」
その妖刀から溢れんばかりに、硬く鋭い枯れ葉が無数に飛び出て、まるで斬撃の雨のように俺へと迫り降ってきた。
これを無抵抗で受ければ確実に死ぬだろう。
でも、今の攻防でカルナダ姉さんは理解したはずだ。
――この攻撃では、今の雨川蛍という人間には到底届かないだろう、と。
超級魔法『稲荷の神』『建御雷神』『竜田姫』の三種類に加え、姉さんの真骨頂である『カルナダ式MP操作術』を手にした俺には、どう足掻いても叶わない。
攻撃、防御、能力、全てにおいて俺は彼女の数個上に上り詰めていたのだ。
改めて本気で戦ってみて、己の成長を実感した。
姉さんとの確かな距離を実感できた。
初めて会ったあの時、本気で戦えてよかった。
今、この時、正真正銘の本気で戦えてよかった。
自分の現在地がよく分かるから。
だから……。
あの時、通じなかったあの技で終わろう。
俺は心の中でそう決めたのだった。
『超級魔法・建御雷神様……解除』
……。
…………。
『超級魔法・稲荷の神』発動。
その瞬間、建御雷神様が体からふわりと離れていき、ミタマ様が俺の体に重なった。
そして、髪が白くなり、衣装もあの姿へと変化する。
そう、あの時と同じ姿、能力で。
「ありがとう……カルナダ姉さん、また会おう」
「ああ、そうだな」
小さくボソリと姉さんの声が聞こえてきた。
そこで俺は掌を上にいる姉さんへと向け、最後に笑いかけた。
体から爆発的に溢れ出る冷気を、姉さんがいる一点へと収束、指向性を加えてレーザーの如く撃ち放ったのだった。
今まで迫って来ていた妖刀枯れ葉の斬撃が、まるで時間が止まったかのように停止する。
そして――。
カルナダ姉さんの時間すらも止まった。
否、俺の放った冷気によって細胞レベルで凍らされたのだった。
ゆっくり、ぽつぽつと。
動かなくなった彼女の体から光の粒子が分離していき、重力に従って落ちてくる。
その体にはすでに力が入っていなく、ただただ物理法則に従っていた。
俺はすぐアイの翼を展開し、カルナダ姉さんの体を抱きかかえた。
笑顔だった。
最後まで笑顔でいてくれたのだ。
これが最後かもしれないし、最後じゃないかもしれない。
そう考えながら、俺はカルナダ・ロングエルというエルフの分体の最後を看取ったのだった。
しかし、カルナダ姉さんの愛刀「妖刀・枯れ葉」だけは消滅しなかった。
俺はそれを握り締め、
「ありがとう」
そう小さく呟いたのだった。
俺がゆっくりと地面に着地すると、健が歩み寄ってきた。
「圧倒的だったね」
その言葉には、何もできなかった自分を悔いているような意味が籠っている気がした。
俺はアイの防具変化を解き、健へと振り返る。
「うん、どれだけ精霊の力が規格外なのか、カルナダ式MP操作術が規格外なのか……凄いよな、姉さんと師匠は」
「うん、凄いよね姉さんは」
「ああ」
その時だった。
一瞬、俺の視界が暗転し、ぐらりと体が揺れた。
「大丈夫?」
「すまん、八連の副作用なんだ」
即座に健が体を支えてくれたため、俺はその場で踏ん張ることができた。
「あの姉さんを追い詰めていた魔法?」
「そうそう、超級魔法の状態であの技を使うと、速さ、予備動作、思考速度の全てが規格外になるけど、三連続以降の使用には副作用が生じるんだ。今みたいに、立ち眩みしたりとかだな」
「そうだったんだね。そういえば、あそこ見て」
突然、健がボス部屋の入り口の反対側にあった小さな扉を差して言ってきた。
振り返り、確認してみると。
「あれは……姉さんに没収されたアイテムたちか」
いつの間にかその扉が開いており、その奥には見覚えのある俺のアイテムたちが無造作に地面に転がっていたのだった。
「うん、最初からほたるんに倒されることを決めていたって感じだね」
そうして二人だけになったこの空間で、俺たち二人はただひたすらにアイテムの回収作業を始めたのだった。
懐かしのゴブリン肉、霜降り肉、はじめてシリーズの武器たち……エトセトラ。
これらは初めて姉さんと出会った時に没収された物。それ以降に入手した短剣やアイテムは没収されていなかったので、俺のアイテムボックス内にある。
しかし、見覚えのないアイテムまでいくつかあったのだった。
恐らく姉さんの所有物なのだろう。
攻略報酬。
そうだと判断した俺は、健と分けることにしたのだった。
「さすがにアイテムボックスを整理するかな」
そう呟き、いる物といらない物を分け始めて数分後のことだった。
「ほたるん! これ!」
そう言って、健が一枚の紙を持ってきたのだ。
その文字自体は読むことができなかったため、すぐに言語変換メガネを地面から拾い上げ内容を確認する。
そこにはこんなこと書かれていた。
『数日前、アマダ兄様から秘密裏の暗号通信があった。どうやら地上でシロアが目覚め、動き出したようだ。恐らく強情な私のことだ、最後に我儘を言ってお前たちと戦ったに違いない。すまんが、すぐに地上へと戻ってくれ、何かしら大きなことが動き出しているはずだ。あとは頼んだぞ、愛弟子ども』
どうやらアマダ兄様とやらと、いつの日か連絡を取っていたようだな。
俺は一字一句、解釈違いがないかを読み込み始めた。
しかし、あのカルナダ姉さんのことだ。
下手にややこしい文章を書くとも思えないので、俺はその文面のまま意味を捉えることにした。
「よし、すぐに戻ろう」
「うん、行こう!」
そうして、俺と健の二人はいつの間にか現れていた帰還用の赤い魔法陣へと足を踏み入れる。
徐々に視界がホワイトアウトしていった。
視界が戻ると、俺たちはウルグアイ海底ダンジョン近くにある砂浜に立っていることに気が付いた。
そして、そこにはあの人物がいたのだった。
「良かった! Number1お待ちしておりましたよ!!」
柳ちゃん。
日本の自衛隊員であり、貴重なアイテムボックス持ちとして、北海道奪還作戦の途中から俺に色々と迫ってきた女性が待ち構えていたのだった。
「お、お久しぶりです、柳さん」
「お久しぶりです!」
元気よく敬礼で返してくれた柳ちゃん。
その光景に思わず、小さな笑いが隣の健の口から聞こえてきた。
「柳さん、僕もいますよ?」
悪戯に笑うような表情で、健がそう言ったのだ。
どうやら知り合いらしい。
「お、おお? …………どゆこと? なんで健ちゃんがNumber1と一緒にいるの?」
理解できていない、といった様子で頭から疑問符かが消えない様子だ。
「そんなことよりも、何か訳あってここで待ってたんじゃないんですか?」
そこで健が助け舟を出してあげる。
「ああ、そうです! 大変です! 日本がヤバイです!」
「いや、全く意味わからんけど」
柳ちゃんのあまりの語彙力の無さに、俺は思わずツッコんでいた。
「何がヤバイの?」
健が優しく助け舟を出してあげた。
「あー、えっと、えっとですね……世界規模で魔獣の大群が襲ってきてるんです!」
なるほど。
これがカルナダ姉さんが早く地上に戻れと言っていた理由か。
そして、シロアというやつが動き出した理由でもあるわけか。
「それはいつ?」
「もう始まってます!!」
――2022年7月18日18時35分。
世界中の誰もが待ちに待った、世界1位の称号を持つ男がウルグアイ海底ダンジョンから地上に帰還した日時である。




