ブラック・ジョーカー
――ときは数日遡り。
たった今、ほたるんが竜田姫様の試練へと向かった。
ここに残ったのは僕とカルナダ姉さんの二人だけ。
ほたるんがいないこの期間に、僕は少しでも修行の遅れを取り戻さなければならない。だから、寝ている暇すら惜しいんだ。
この後、いつもならすぐにマンツーマンの集中修行が始まる。
――はずだった。
今回はなぜか少し違った。
「…………」
いつもなら僕の首根っこ引っ張りながら修行を唐突に始めるカルナダ姉さんなんだけど、今日はどこか雰囲気が違った。
静かというか、冷静というか、何かの覚悟を決めたような佇まいをしている。
「どうしたの? なんか珍しいね」
「……そろそろ頃合いか」
ジッと、僕の瞳の奥を見透かすようにカルナダ姉さんが覗き込んできた。
本当にどうしたんだろう。
「何が頃合いなの?」
「大事な話がある、そこに座れ」
「あっうん」
僕は言われたまま、地面へと座る。
向かいにはカルナダ姉さんが胡坐をかいて、同じく地面に座った。
大事な話。
わざわざ僕と二人きりの時に話すということは、ほたるんがいる場所では話せないようなことなのだろうか。
「…………」
やっぱり妙だ。
「どうしたのさ、急に改まって」
「健はなぜここに来た? 最終的に望む願いはなんだ?」
唐突な質問。
僕は少し戸惑っていた。
なぜと聞かれると、「お金の為」という答えが究極的な理由で、最初の目標。
でも、最終的にはと聞かれると少し変わる。
「妹と一緒に長崎の家に帰るため、かな」
妹の病気を治し、一緒に長崎の家に帰りたい。さらに望んでいいのならば、父さんと母さんとも一緒に暮らしたい。
「そうか、そんな理由だったのか。健に何かをしたのか、あるいは蛍に何かを与えたのか……やっぱり、アマダ兄様の考えることは私には分からんか」
「なになに、どうしたのさ? 急に、何の話をしてるの? アマダ兄様って姉さんのお兄さんだよね?」
カルナダ姉さんが呟いたこと全て、僕の答えに噛み合っていないような言葉だった。
何かを僕に伝えたいことは分かる。だけど、遠回しに言っている感じだ。
「健は、自分が偶然ここに来たと思っているのか? ましてや蛍にはお前を育てる重大な理由もなければ、あいつは元々一匹オオカミな性格だ。わざわざお前をここに連れてくるメリットが少ない。それに……あいつ一人なら、とっくのとうにこのダンジョンは攻略されているだろう」
突然、僕を否定された気がした。
偶然ではない可能性?
確かにほたるんが僕を雇った明確な理由も知らないし、「ダンジョンに連れてってほしい」と土下座で頼み込んだのも僕だけど、なぜ許可してくれたのかは分からない。
……今思えば、分からないことだらけだ。
不可解な点も多い。
僕がここに来れた理由が、僕自身説明できない。
「偶然じゃないということは、僕がここに来たのは自分の意思じゃなくて、誰かによって仕向けられていたって言いたいの? 遠回しに言ってるけど、そういうことでしょ?」
「ああ、その通りだ。これは偶然じゃない。アマダ兄様によって仕向けられた、決められた未来の結果だ。健はここに来るように行動をさせられていたはず」
アマダ兄様に仕向けられた、僕の行動。
あるいは、ほたるんが仕向けられていた可能性。
どっちなのかは分からない。
「何でそんなことが分かるの? カルナダ姉さんはそのアマダ兄様とは会うことができないんでしょ? だとしたら、僕が本当にアマダ兄様によって差し向けられた人材かも分からないはずだ」
少し、カルナダ姉さんは考え込むように間を置いた。
「会うことはできない……だが、私にも与えられた役割がある。それはサリエスの弟子にカルナダ式MP操作術を伝授すること。そして、もう一つ……」
そこでカルナダ姉さんは、腰のポシェットから一枚の巻かれた紙を取り出し、言葉を続けた。
「……これをサリエスの弟子と共に来た人間に渡し、このアイテムを扱えるレベルまで育て上げること。これが私の真の目的であり、アマダ兄様によって頼まれた生涯最後の任務だ」
カルナダ姉さんはそれを僕に渡そうと、腕を伸ばしてくる。
だが、僕は咄嗟にそれを拒否した。
なぜかは分からない。
ただ僕の本能が反射的にそれを受け取ることを否定したのだ。受け取ってはダメだと、心の中の何かが叫んでいる。
「ねえ、これはなに? 何かは分からないけど、受け取りたくない」
僕はいつの間にか、姉さんと距離を離すように数歩後ずさっていた。
「……たった一度だけ使える召喚術式が刻まれている。これを使えるのはカルナダ式MP操作術を会得した者のみであり、アマダ兄様以外に作れる者はいない」
「それで僕が選ばれたってわけか。で、何を召喚するの?」
「詳しくは聞かされていない、ただシロアにも対抗できる何かだと聞いている。ただ、一つ欠陥とも言える重大な問題がある」
何か。フワッとしすぎで何も分からない。
「その欠陥って? 僕の身に何かが起こるの?」
「そうだ、できれば私も健にはこれを渡したくないし、使ってほしくはない。落ち着いて聞いて欲しい」
カルナダ姉さんは一度申し訳なさそうで、泣きそうな表情を浮かべた。
そして、意を決したように僕と目を合わせて言った。
「これを使ったら最後…………使用者は輪廻の輪からはみ出し、不滅の死を神より授かる。アマダ兄様にはそう聞かされている」
「不滅の死?」
「死ぬことすら許されない、永遠の死。神に背いたことによる、神罰。アマダ兄様はそう言っていた」
本能が受け取るのを拒否している理由がようやく分かった。
使用したら、最後に待つのは「死」。
……これは、きついなぁ。
何で僕を選んだんだよ、アマダ兄様は。
今すぐ聞きたい。だけど、答えは返ってこない、姉さんも何も知らないようだ。
それにこのことを知っていて姉さんは僕を育てていたと分かった今、本当に姉さんを信じていいのかどうかわからなくなっていた。
姉さんの表情を見れば不本意であることは分かる。
だけど、「なぜ僕なんだ」という疑問が胸に突き刺さって抜けてくれない。
「……改めて確認させて。僕はこのアイテムを姉さんから渡され、いつか使うためにここに来て修行をしていた。そして、僕の運命は「死ぬ」ことで、その何かを召喚すること。そういうことだよね?」
「ああ、酷な言い方だが、そういうことだ」
「それって……」
「ただし、絶対に使えというわけではない」
え?
「絶対ではないの?」
「アマダ兄様が使用を望むパターンは三つ。一つ、蛍が危機に陥った場合。二つ、健が別の理由で死を覚悟した場合。三つ、シロアが生き延び、人類の2位から9位が全て死んだとき。これらの状況が訪れなかった場合、これは使わなくていい」
「なるほど、その三つを引かない限り、僕は生き延びられると」
「そうだ。これはある種の賭けであり、私たちの残した最後の保険だ。使うか、使わないか、それは健にゆだねるしかない。受け取るだけ、受け取ってくれないか? もちろん身勝手なことを言っ……」
「分かったよ、貰うよそれ」
言葉を被せるように、僕は姉さんの手の中からそのアイテムを取り上げた。そして、姉さんとお揃いであり、姉さんに貰った疑似アイテムボックスのポシェットの中に仕舞い込む。
でも、僕はまだ決心がついてはいなかった。
使ったら死ぬ。
これが一生頭から離れずに、一生使えないかもしれない。
それでもカルナダ姉さんが言っていることは、嘘ではないことは分かる。
僕が使わなきゃダメな状況ってのに陥ったら、使うかもしれない。
今、これを受け取るのを拒否したら、そのとき後悔するかもしれない。
後悔するのだけはもう嫌だ。
とりあえず、貰っておく。今はそれでいいと思う。少し時間を使って使用法を考えてもいいと思った。
それにほたるんがいない状況で、僕にだけ話す理由も何となくだけど分かる。
あくまで僕は『保険』。
ほたるんという世界の切り札の、保険なんだ。
ほたるんはNumber1という陽の光が照らす、『赤ジョーカー』。
正真正銘、表の切り札。
僕は陰に隠れ「死」を代償『黒ジョーカー』。
裏側の切り札。
トランプゲームにおいて、二枚のジョーカーが揃った手札は強い。




