あら、久しぶりね?
東京都港区にできたダンジョン――通称:みなとみらいEランクダンジョン――、現在そこからちょうど三キロ地点では自衛隊及び政界の名だたる人物、研究者が揃ってとある実験を行っていた。
このダンジョンは通常、認可の降りたダンジョン冒険者の事務所に所属する者や対魔獣戦闘の可能な自衛隊員であれば誰でも気軽に出入りすることのできる、日本の中でも特に敷居の低いダンジョンである。
そこに一人、場違いな高校生が居合わせていた。
俺だよ、俺……秋川賢人。
「それでは始めよう」
長瀬局長のその言葉で、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
いや、自分で言うのもなんだけど、蛍から又聞きした噂が嘘だった場合のことを考えると頭が痛い。あいつはこんな嘘を吐く奴ではないと分かってはいるが、それでも思考とは真逆に心臓の鼓動が加速していく。
「グギャギャッ!?!?」
拘束椅子に四肢を完全に固定され、厳重に目を隠され、体全体の自由を奪われたゴブリンが台車に乗せられ、少しずつダンジョンの入り口へと近づいて行く。
あらかじめ用意されていたパソコンの画面にはダンジョンと台車間の距離が示されており、徐々にその数字が3000000へと近づいて行く。
3000000ミリ……要するに3キロメートルだ。
3000010、3000009、3000008…………3000001。
そして――。
「ジャストッ」
そう、外人研究者が呟いたのが聞こえた。
それと全く同タイミングだった。
「グギャッ!? ギ……ッ……ッ」
ゴブリンが突如、暴れ出した。
そして、つま先からゆっくりと体を何かが蝕んでいき、消滅した。
まるで炭が崩れ落ちていくように、その体が燃え、灰となって空へと昇っていったのだ。
そう、家に帰るような暖かな光る粒子としてではなく、死を想起させる赤黒い灰となって。
「何だ……この消え方は」
再び、誰かの呟く声が聞こえた。
俺も時同じくそう思った、この消え方はどこか変だと。
しかし、その呟きはすぐに大きな歓声に掻き消された。
「「「おおっ!」」」
それはここにいる魔獣という死の恐怖をまだ知らない、大多数の声だった。
これがこの日本の上層部の現実なんだと、俺は初めて知った。
こんなにも無知な者が集まった大きな組織が、この大規模侵攻を阻止できるのかと心配になった。
推測するに。
日本という組織は、魔獣とダンジョンというイレギュラーを全て『ダンジョン対策機関』に押し付けているに過ぎないのだろう。
長瀬局長が会う度にやつれていく意味がようやく理解できた。
俺はこの時、少しばかりの未来を予見していた。
数か月後か、数年後か、はたまた十数年後か。
この国は、いずれ確実に大きな改革に乗り出すだろう。
と。
そうしてこの後も引き続き実験が行われていく。
まったく別のゴブリンの個体を同じように近づけたり、全く違う種類の魔獣で実験。また、他のダンジョンにも移動し、同じように実験を重ねた。
そして、俺……というよりも、蛍の証言は確実に実証されたのだった。
その実験結果は瞬く間に世界中へと発信され、各国が改めて作戦の変更を慌てるように実行したのだった。
だが、俺を含めた数人の研究者や自衛隊員は忘れてはいなかった。
――あの赤黒い灰は、一体何だったのだろうか。
ということを。
その中で俺だけはすぐに行動に移した。
気付いた人間に片っ端から連絡先を渡し、可能な限りの援助をするという旨を伝えて。
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実験を終えた翌日の早朝。
俺はいつもより早く学校へと赴き、担任の先生と向かい合っていた。
「先生、一応知っているとは思いますが、俺はダンジョン冒険者です」
「おう、知っているぞ。だが、どうした急に」
「政府からの招集につき、無期限での公休を貰いに来ました。詳しくは話せませんが」
「そうか、校長には俺から話しておこう。だが、根を詰めすぎるなよ? お前は頑張りすぎるきらいがある。例えお前が何者だろうと、俺の生徒であることは変わりない。お前の正体が何かも詮索はしないし、どんな経緯でこの学校に入学してきたのかも調べはしない。だが、一時でも俺の生徒として過ごしてきたからには、恩師より先に死ぬなんてこと許さないからな。それだけは肝に命じておいてくれよ。あとは……そうだな、学祭の委員会は代理を見つけておくから安心して行ってこい!」
先生はそう言って立ち上がり、俺の背中をドンと力強く叩いてきた。
「はい!」
俺もすぐに立ち上がり、胸が熱くなった気がした。
ここに来てからちょうど一年という短い時間だったけど、こんなにもいい先生に巡り合えて本当に良かったと思っている。
友達も増えた、いつの間にか学級委員長や学祭の委員会までやらされていたけど……。それでも楽しい思い出はたくさんできた。
俺の高校生活は今日という日を持って終了する。
今にして思えば、高校に入学したばかりの当初は想像できなかったほどに濃く、充実し、ときに殺伐とした高校生活になっていた。
約三年前、中学で一番仲の良かった蛍と同じ高校に入学した。
だけど、あいつはすぐに不登校、もといニートになった。少しだけ残念だったのも事実だが、新しい友達もたくさん増えた。
と思えば、世界にダンジョンが出現し、俺は北海道に取り残されサバイバル生活をした。
再び、蛍と出会い、この東京に生きて帰ってきた。
あの当時、俺の目の前では仲間が一人死んだ。
それが今でも頭をよぎる。魔獣と対面したとき、寝つきが悪く悪夢もたくさん見た。あの日をフラッシュバックするかのように、脳裏から離れなかった。
目の前で無残にも仲間が殺される様を。
ここに来てから、俺は工藤さんと恵の推薦もあり、通いでそのトラウマを克服しようとしてきた。
だけど、昨日ゴブリンをこの目で見たとき、その映像がフラッシュバックしなかった。
たった一回の経験だけでは判断できない。
それでも、俺はまだ戦える気がした。
少し……話が逸れたか。
俺はこの東京に来て、再び高校へと通うことになった。何故か俺はすぐにクラスメイトに歓迎され、いつの間にかまとめ役のような役割を持っていた。
でも、これはいつものこと、特に苦と思ったことはない。
こいつら、クラスメイトは確かに俺の再出発した高校生活を彩ってくれた仲間だった。
それ故に、最後を一緒に迎えられないことが少しだけ寂しい。
「――ということだ、秋川に告白しておきたいやつは今のうちにしておけよ。こんなに仕事が出来て、イケメンな奴なんてそうそういないからなー? 女子は今のうちに唾つけておけよー」
担任の先生が冗談を交えながら、朝のホームルームでクラスメイトに説明した。
「えっ? ……秋川くん本当なの?」
すると、一番前の席に座っていた眼鏡を掛けた地味っ子の原瀬さんが驚くようにそう言ってきた。
「ああ、ごめんな学祭委員途中で投げ出して」
俺はポケットからハンカチを取り出し、思わず泣きそうになっていた原瀬さんにそっと手渡しした。
「ヒューッ、さすがハンカチイケメン」
「誰がハンカチイケメンだ」
クラスのムードーメーカーからのガヤにも、俺は軽く突っ込んで対応する。
「てか、あの噂って本当なのか??」
「噂?」
俺にはそのクラスメイトが言う『噂』に一切心当たりがなかった。
悪くない噂だといいが……。
「賢人と……何だっけか。あー、そうだ一度だけ来たことある雨川ってやつ、ダンジョン冒険者なんだろ?」
「…………」
「やっぱそうなのか、すげーな」
「何でそんな噂が出回ってるんだ?」
「んなもん、頭の出来が悪い俺でもすぐに分かったよ。賢人は明らかに北海道奪還作戦の間だけ休みが多かったり、寝不足みたいに学校に来ていたからな。それと……入学してきた時期が時期だったからな」
なるほど……。
そんなに分かりやすかったのか、俺。
「ま、そういうことだ。だけど、一つだけ勘違いしないでほしい。俺は……世界1位様じゃない!」
俺は笑い飛ばすように、その言葉を言い放った。
「なんだよ、もしかしたら俺のクラスに世界1位の男がいるかと思ってたじゃねぇか!」
そして、そのムードメーカーも同様に一緒に笑い飛ばしてくれた……が。
ちょっとその発言はシャレになってねぇよ。
その瞬間に、数人の女子の熱い視線が冷めていく様子が分かった。
おい、蛍。
朗報だぞ。
世界1位っていうだけで、これだけの女子が釣れるらしい。この四十人ほどしかいない狭い空間に数人もいるんだ。世界を見渡せば探し放題だろうさ。
「じゃ、落ち着いたら連絡するから……また遊ぼうぜ!」
俺は最後に笑ってクラスメイトに向かって言って、教室を一人で出た。
そして、静かな廊下を歩き、下駄箱へとたどり着いた時だった。
「あっ、白石さん」
俺は思わず、そこにいた生徒に声を掛けていた。
「秋川くん…………今日、雨川くんは登校していますか?」
「会う度会うたびに、確認しないでよ。聞かなくても分かるでしょ」
「そう……今日が学校最後の日だったから、せめて今日はと思ったのだけど。家に行ってもいい?」
「ダメです。てか、俺に付いてきても蛍とは会えないよ」
「そう……付いて行っていい?」
「だから……」
俺は呆れるように、そう言いかけた時だった。
「エリューブのスイーツ食べ放題でどう?」
「いいでしょう、すぐ行きましょう」
その言葉に反射的に応えてしまった。
が、別にいいだろう。
今、蛍の家に行ったところで誰もいないはずなのだから。
普段はニートのンパがいるのだが、最近はメイド喫茶でバイトを始めたらしい。
てか、なんでそんなことしてるんだよとは思ったが、「やってみたかったのですよ!」と言い返された。
だから、まあ……とりあえず期間限定ということで承諾した。
というか……。
あいつ秋葉文化に毒され過ぎじゃないか?
確かンパって異世界のヴァンパイアだったよな……はぁ。
俺と白石さんは、二人して上履きを下駄箱に仕舞わずに、スクールバッグへと入れ込んだ。
そして、最後の下校を学校一の美女と共に帰ることになったのだ。
「そういえば、白石さんはなんで今日が最後なの?」
「あなたと一緒よ」
その返事に俺は思わず、目を見開いた。
「そっか、白石さんもダンジョン冒険者だったんだね」
「そう、知らなかった?」
「うん。どこの事務所?」
「新選事務所よ、賢人くんは綾人先輩といつも仲良くしてるじゃない」
「知ってたんだ……」
この時、俺はなんで綾人さんは話してくれなかったのだろうと思っていた。
が、すぐに隠れてニヤニヤする綾人さんの無邪気な顔が頭に思い浮かんだ。
そうして、すれ違う人たちに多少の羨ましそうな視線を浴びながら、俺はいつもの蛍の家兼仕事場へとたどり着いた。
エレベーターに乗り込み。
「最上階なのね」
「あっ、うん。当時の俺も同じこと思ってた」
何だか慣れたこの反応も、俺は少し楽しく思っていた。
家の鍵を開け、誰もいない玄関……。
――誰の靴だ?
俺は玄関に見知らぬ男性用の靴があるのに気が付いた。
慌てて靴を脱ぎ捨て、慌てるようにリビングへと向かう。
そして、扉を開けた先には――。
「ズズズズズッ……ふむ、これが抹茶というものか。実に美味だ」
「違いますよ、ただの緑茶です」
……。
…………。
「おい、ンパ。それに…………お前はディールだな」




