銭湯のおじさんがよくやるペチンッてやつ
自衛隊の基地に呼ばれた俺は再び会議室に戻ろうと、まだ戦車を見ていたいと駄々を捏ねる先輩を引きずりながら通路を歩いていた。
そして、ちょうど角を曲がった時だった。
「あっ、秋川くんちょうどいいところに」
曲がった先で上木隊員と話をしていた工藤上官が、大きな声で俺を呼び止めてきた。
この感じ、たぶん蛍と連絡を取りたいって言いたげな雰囲気だ。
本当に……蛍は間の悪いやつだな。こんなときに限って連絡取れなくなるなんて、俺の苦労も考えて欲しいもんだ。まあ、ここら辺の間の悪さは昔からそんな変わっていなけど。
そこで俺はバツの悪そうな顔を敢えて浮かべ、頬を軽く掻く仕草をした。
「その……」
「えっと、まさか……」
工藤上官が俺の表情で察してくれたようだ。右手を額に当て「またこの展開か」と言いたげな途方に暮れる目をしていた。
そうまたなんですよ。
「たぶんそのまさかであってるかと、本当に間の悪い奴ですいません」
「いや、秋川くんが謝ることじゃない。それに雨川くんは我々と協力関係にある立場であって、強制される立場ではないからね」
「そう言っていただけると肩の荷が降ります」
俺は苦い顔を浮かべながら、そう言った。
「それにしてもどうしようか、台風島の時のようにまた待つしかないかな?」
「あっ、そのことなんですけど自衛隊に『周波数調整』のスキル持ってる方いましたよね?」
「ああ、確か……機関の情報部隊に所属していたな。でも、その自衛官はまだそのスキルを扱えないどころか、扱う糸口すら見つけられていない状態だったはずだ」
「大丈夫です、そこは先輩がどうにかできるかもしれないって言ってました。ですよね? 先輩」
隣にふくれっ面で静かに立っていた先輩に、俺は視線を向ける。
「そこまで誇張して言った覚えはないけど……まあ、半々ってところよ。その『周波数調整』とかいうスキルを詳しく調べて、この目で見てみないことには私にも分からないの」
と、どうやらこの発言が工藤上官を驚かせるには十分だったらしい。
「……そ、それは本当かい? さすが天才と呼ばれる赤坂さんと言うべきかな? 私にはさっぱり何をどうするとかは理解できない範疇だよ」
「人によって得意な分野は遥か昔から違うものですよ。それよりももし成功したら、戦車一台分解してもいいですか?」
えっ!?
先輩いきなり何言ってるんですか!?
俺は慌てて我儘な先輩の口を塞いだ。
「あははっ、さすがにそれは無理かなぁ。上官程度の私じゃあどうにもできないね、まあ、聞いておくだけ聞いておこう」
「いやいや、工藤さん。先輩をそんなに甘やかさないでください! そんなに甘やかしてると、いつか本当に変な発明しちゃいますよ? 空飛ぶスーツとか、対魔獣スーツとか意味分かんないものまで作っちゃいますよ!?」
すると、先輩は目を細めてむっとした表情を俺に向けて、ごにょごにょと何かを呟いた。
「私だってスーツ以外も作りたいと思ってるのに……スーツばかり作る都合のいい女呼ばわりは止めて欲しいわ。そうね、都合のいい女であることは認めるけど……」
最後の方は何を言ってるのか聞こえないほどに小さな声で俺を睨みながら言っていたが、不満なのは分かったよ。
あと、自分で都合のいい女というのは淑女としてどんなものかと思いますよ。
「ま、まあ、とりあえずは今まで通り代理で会議は俺が参加するんで、後のことは工藤さんたちにお願いします。こっちはこっちでどうにかしてみるんで」
「そうか、それならこっちも助かるよ。でも、いいのかい? 確か秋川くんは今年の三月で高校卒業だったはずだよね?」
工藤さんの言葉で、先輩まで可哀そうな目で俺のことを見てきた。
いや、たぶん大丈夫じゃないかな?
それにこの高校にはそこまで思い入れが……なくはないか。
「俺の予想では、たぶん今年が卒業年の学生はみんな卒業式が延期されるか、早めに行われるんじゃないですかね?」
俺がそう言うと、工藤さんがハッとしたように何かを思い出したようだ。
多分それです、工藤さん。
「そうだね、三週間後には日本の東海岸沿いは全て戦場になる。確かに卒業式云々の話ではないね、まだそこまでは頭が回っていなかったよ、ははっ」
「だから、良いんです。それに……」
「「それに??」」
「蛍がいない卒業式ってのも少し寂しいので」
俺の顔はなぜか赤く……ならないわ。
さすがに俺はノーマルだ。
というのに……。
「秋川くんは本当に雨川くん思いだねぇ」
「ダメよ、ほたるんは私のものよ」
二人はなぜか、俺をおちょくるようにそう言ってきたのだ。
「いや、俺にはちゃんと女の子で好きな人がいますから、ご心配なく」
先輩が突くようにおちょくって来ていた手を弾き返し、堂々と俺は胸を張って言った。
「えっ?? 誰、誰よアッキー!」
そんな先輩を押しのけて……。
「そんなことより工藤さんも行きますよ! もう会議が始まります!」
俺は無理矢理この不毛な会話を収束させ、「ねえ、誰なの??」とずっと言ってくる先輩を無視しながら部屋へと入っていく。
先輩と俺が席に着く頃には、自衛隊側の人たちがざわつき始めたのだった。
そして、みんな一様に俺の方に「またですか?」とあきれるような目線を向けてくるのだった。
ええ、またですとも。
みなさんもそろそろこの蛍のマイペースさに慣れてくださいね。
恐らく今後もずっと続きますから。
そう心の中で思いながら、満面の笑みでニコリと返した俺であった。
だが、蛍よ、これだけは忘れるな。
お前の財布は俺が握っているということを。
「先輩」
「どうしたの?」
「今日は帰りにひよりと恵も誘って、焼き肉でも行きますか。あっ今日は垣根無しです、誘いたい人がいればたくさん誘っておいてくださいね。俺も久しぶりにサバイバルメンバーを誘います」
もちろん支払いは、蛍のゲーム貯金から迷惑料として払いますとも。
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「――以上が、現在決定している東海岸沿いにおける主戦場及び、おおまかな作戦概要になります。質問ある方がいれば挙手でお願い致します」
一人の自衛官により、今日ここに集まったダンジョン冒険者たちに対しての作戦概要の説明が一区切りついたところだった。
しかし、その説明に全員が思わしくない表情を浮かべていた。
それはもちろん俺も、隣にいる先輩も同じだった。
そこで虎さんが手を上げた。
「質問ええか?」
「タイガー事務所の永井虎さん、質問どうぞ」
「おう、質問って言うかな……作戦に少し無理があるんじゃいないか? いや、もちろんこの大規模侵攻自体を被害ゼロで防げるとは思ってへんけど、無謀だとはすぐに思ったで」
その言葉に、この場の誰もが同じように頷く。
それもそのはずだ。
守るべき土地の広さに対して、戦闘人員が明らかに不足しているのだ。
もちろん今回この日本を主戦場として戦うのは、日本人だけじゃない。現在分かっているだけでも、アメリカ、韓国、中国、あとはヨーロッパ圏各国のダンジョン冒険者および国軍の戦力が、自国の安全を確保できる数だけ自国に残り、送り出せる最低限の戦力を日本に割いてくれるらしい。他の望みは数人のシングル冒険者が参加してくれるかもしれないということだった、これに関しては今後の交渉次第と長瀬局長が意気込んでいた。
それらを踏まえ上層部が算出した外国からの参加予測数は、およそ五千、多くても七千程度。
そこに日本の戦力を加えたとしても、明らかに戦闘員の数が足りない。
そう、戦闘員の数だけが足りないのだ。
他は十分に足りている、後方部隊、支援部隊、情報部隊など前線で戦わない戦力は全世界見渡しても余るほどだと言われているらしい。まあ、そう言えるのも国内に十分な安全圏を確保した国だけだけど。
だけどどこの国も同様に、前線で戦えるだけの対魔獣戦闘員やダンジョン冒険者が不足している。
だから……今回の防衛作戦に無茶が生じるのも必然の流れだったのだ。
今回の防衛作戦とは、西日本を丸々切り捨て、東日本を主戦場にするというものだった。
これは国同士の話し合いで決まった事柄らしく、日本は最低でも必ず東日本線上で魔獣の殲滅を行わなければならないらしい。
他の国は他の国で、絶対死守線上がいくつも存在するらしい。中国やロシアなんかは太平洋に面している面積も多く、日本以上に上層部は職務に奔走しているらしい。
そこで日本では、千葉より上の東海岸沿いに戦闘人員を配置する必要が出てくる。
だが、そこに無理が生じてしまう。
満遍なく均等に人員を配置できれば良かったのだが、生憎そう上手くはいかない。
そこで研究機関によってシミュレーションを行い、重要地点には人員を密に配置し、その他には最低限の戦闘人員を配置していくこととなった。
そうなると、だ。
戦闘人員の少ない場所では、死傷者が多くなることが想像に難くない。
そこには誰だって配置されたくないだろう、死ぬ可能性が一番高いのだから。
結果、辞退者が後を絶えないだろう。
そこで一人で複数を軽々相手にできる、世界ランカーをその人員過疎地帯に置くほか選択肢がない。
と、その世界ランカーとして呼ばれているのが、何を言おうここにいる面々なのだから。
混乱するのが必然の結果なのだ。
主作戦以外にも必ず実行しなければならない作戦がある。
防衛作戦と同時進行で、日本各地のダンジョンの湧き潰し作業を行わなければならないのだ。
もしこの大規模侵攻を逃れたとしても、再び地上に魔獣が蔓延ってしまったら元も子もない。これはどの国も同じく必須要項になる作戦の一つだ。
そして、日本の官僚や、自衛隊の上層部として一番重要な作戦が、一般市民の安全確保だ。
もちろん「全員俺が無傷で守ってやるぜ」なんて馬鹿な発言する奴は一人もいない。
自衛隊が考えていたのは二案、可能な限りの中国への一次避難、そして東日本の人員密地帯の後方、つまり東日本の日本海側での集団避難だった。
最初の中国への避難は、残り三週間で全員を運ぶなんてあまりに不可能だ。二年前のダンジョンが出現していない時代にはもしかしたら可能だったかもしれない。だけど今は、どこの国も資源が不足している時代、全国民を避難させられるほどの船と飛行機と燃料を用意できない。
そこで自衛隊は抽選による少数の一般市民の中国一次避難、と同時に東日本の日本海沖に集団避難させるの両方を行うことにした。
まだ決定事項ではない、こうなる可能性が一番高いという話だった。
「虎さん、無謀なのは私たちも十分承知しております。ですが、これがシミュレーションの結果一番被害が少なく済むのです」
長瀬局長が苦虫を潰した表情でそう返答した。
しかし、俺だけはこの作戦のある部分に疑問があり、ゆっくりと手を上げた。
「……発言良いですか?」
「秋川さん、どうぞ」
すぐに進行役の自衛官の人が促してくれた。
「もしかしてなんですけど皆さんは……他のダンジョンで生まれた魔獣が、他のダンジョンの周囲三キロメートルに立ち入れないという情報を知らないとか、ないですよね?」
そう、俺が疑問に思ったのは一般市民の避難場所に『ダンジョンの半径三キロ以内の地域』が入っていないことだった。
「「「はっ?」」」
その瞬間、この会議室には時が止まったかのような静寂が訪れた。
ん?
おっと、これはみんな知らなかった情報だったか。
まあ、人の命には代えられない。
それに……蛍がポロっと漏らした発言を碌に調べずに言ってしまった俺も少しだけ悪い気がする。
「その様子だと、知っていたのはうち……というかあいつだけだったみたいですね」
「そ、そうだな……秋川くん情報感謝する」
そこで長瀬局長がようやく我に返ってくれた。
「あー、いえいえ俺もあいつに聞いただけで詳しいことは知らないので。あいつ曰く、他のダンジョンで生まれた魔獣が他のダンジョンの半径三キロメートルに入ると、いきなり消滅するらしいですよ。何だっけな……阻害魔法陣がどうとか、一緒にゲームをしていた時に言っていたような気がします」
確かあれは……FPSをやっていた時だったかな。
ゲーム内で地雷を踏んだ蛍が、ボソッとこのことを呟いていたんだよな。
まあ、俺もゲームに夢中になり過ぎて、最近まで忘れてたけど。
「そ、そうか、さすがNumber1と言うべきか、当り前のように知らない情報が出てくる。…………うん、もしその情報が真実ならば一般市民の避難場所にダンジョンの半径三キロ以内を加えるとしよう。これは忙しくなりそうだ」
「あっ、一応実験はしておいてくださいね、どこまで正しいのかもよく分からないので」
「もちろんそれはこちらに任せてくれ。この情報が正しいのであれば……そうだな、作戦に大きな変更が生じるかもしれない、いやどの国もそうなるだろう。それほどに重要な情報だ」
そこで長瀬局長は、隣の工藤上官たちとごそごそと何かを話し始めた。
そして、すぐに何かを決めたような顔をして、立ち上がった。
「みなさんすいません、先ほど話した作戦は一度白紙に戻します。また改めてこちらから連絡させていただきますので、その間ダンジョンには入らないようご協力いただければ助かります。では、一度解散いたしましょう。本日は貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございました」
そう言って、この場は突然の解散となったのだった。
そして俺は……そのまま長瀬局長たちに連れられ、その実験に参加することになったのだった。
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ダンジョンのボスを倒した後のリポップ時間を利用して、俺と健は再び修行を開始していた。
俺は五感のうち視覚と聴覚を塞ぎ、その場で立ち尽くしていた。
ふぅっと一息つき、呼吸を整える。
『守りの流水』
もっと薄く、もっと広範囲に、そして静かに……波一つない水面のようにMPでこの部屋を満たす。
揺らぎは全くない。
守りの流水、カルナダ式防衛術の一つ。
自分の周囲の空間をMPで満たすことで、その揺らぎを感知し、全ての攻撃を予測する技術。
その技術が攻撃だけでなく、範囲内の筋肉の動き、目線の動き、体幹の動き……などあらゆる細かい動作を感知できるようになれば、それは感知の技術を遥かに超え、未来予測にまで到達しようとする超技術。
実際、カルナダ姉さんの守りの流水はほぼ未来予測に等しい精度である。
「始めっ!」
カルナダ姉さんの声が聞こえてきた。
それと同時に、守りの流水に不自然な揺らぎが無数に生じる。
健からの同時多発的な宝石和弓による攻撃だ。
俺はその数、方向、威力、速度を瞬時に判断し、最小の回避行動を頭の中でトレースする。
(よしっ、これで行こう)
初めに右足を後ろに引き、半身の状態になる。
すると、肌の数センチ先がヒュンと風で揺らいだ。
さらにバックステップで回避、すぐにその場で屈み、真上にジャンプ。
天足で作成した足場で、そこからさらにジャンプする…………。
それを十分以上続ける。
「そこまでっ!」
カルナダ姉さんの声が聞こえた。
と、その瞬間だった。
ヒュンと右腕目掛けて矢が飛んできた。
俺は咄嗟に回避ではなく、矢を掴んだ。
「おい、危ないって」
「いやー、ほたるんごめんね! 時間差で当てようと結構前に放ってた矢だったから、僕にはどうしようもなかったんだよね。でも、ほたるんなら余裕でしょ?」
本当にこいつは……修行を積んでいくごとに、数手先を読んで矢を放つような超絶IQ高い系の戦闘をしてくるようになっちゃって。
その犬っ子フェイスにそぐわない、秀才ぶりだ。
俺は手で掴んだ矢を握りつぶし、マスクと耳栓を取り外した。
「カルナダ姉さん、俺はもう次のステップに進んでもいいんじゃない? 目標の数キロ先はまだ無理だけど、もう五百メートルの『守りの流水』は余裕になったしさ」
「ああ、いいだろう。蛍だけは次のステップに進むか……いや、蛍、そろそろ建御雷神様のところに行ってこい。その間、少しでも蛍に追いつくように、健は私がつきっきりで扱いといてやる」
「えー……姉さんと二人きりとか想像しただけで恐ろしいんですけど」
ええー、こっちこそまだ試練とか受けたくないんですけど。
とか、言ったら殴られそうだから言わないけど。
「えっと……明日でもいい?」
「たわけ!」
ダメでした。
でも、まあ……カルナダ姉さんに教えてもらった『守りの流水』があるし、何とかなるかな?
流石にミタマ様のところみたいに一から何かやるわけじゃないと信じたい。
「はーい、せめて汗流してから試練受けてくるよ」
「仕方ない、それは許可しよう。でも、一番風呂は私だ! ふふ~ん、今日はどの温泉の入浴剤にしようかな? どれがおススメだ? 一番弟子!」
ふふっ、柄にもなくスキップなんかしちゃって。
実はカルナダ姉さんは、俺が持ち込んでいた入浴剤の虜にされていたのだ。中でも、気軽に色々な有名温泉の湯を体験できるタイプの入浴剤にハマっていた。
まあ、俺は何でもいいんだけどさ。
「うーん、昨日は箱根だったし、今日は草津のやつなんてどう? 小さい頃に一度だけ行ったことあるんだけど、硫黄がきつくて肌に突き刺さる感じが良いんだよね」
「よし、一番弟子が言うんだ、それにしてみよう」
そう言って、俺の魔法のテントの中に堂々と我が物顔で入って行く姉さん。
もう一度言っておこう、あれは俺の魔法のテントである。
それから少しして。
ペチンッ、とタオルでお尻を叩くような音が風呂場から聞こえてきたのだった。
あっ、また姉さん、俺の真似してるよ。




