ハンドサインは分かりやすく、かつシンプルに
ウルグアイの海の上を飛ぶ一台のヘリコプターの姿があった。
『Hey, we’ve reached our destination!! Good luck, Japanese boys. (おい、着いたぞ!! 頑張れよ、日本人の坊主ども)』
「お、オーケー、オーケー! センキュー!」
いや……このおじさん終始何言ってるのか分かんねえ。
日本人に流暢な英語が通じるかよ。ましてや学校に碌に通っていない俺が分かるわけもない。かろうじてグッドラックって言われたのが分かったくらいだよ。
俺はとりあえず適当なこと言って、座席から立ち上がった。
すると、俺の隣の席に座っていた人物がヘリコプターの操縦者の肩に手をポンと置き、言ったのだった。
「Johnny, thank you for sending us. I hope to see you again!! (ジョニー、僕たちをここまで送ってくれてありがとう。また会えたらいいね!!)」
おい、マジかよ健……お前、英語喋れんの?
まさかの出来事で驚いていると、一緒に乗っていたウルグアイのナビゲーターがヘリコプターの扉に手を掛けた。
「いい結果を待っています、Number1!! それでは早く! 魔獣が襲ってくる前に!」
俺はその言葉に頷くと、扉の開閉と同時に凄い風圧が俺の髪を後ろへとなびかせてきた。
先に健がパラシュートなしのウェットスーツ姿で上空から飛び降りる。
それに続くように俺も手ぶらで飛び降りたのだった。
この地域には海に生息する魔獣が沢山いるらしく、稀に海面に近づいたヘリコプターを襲うことがあるようだ。
その為、安全を考慮しての上空からスカイダイブ作戦だ。
と、まあこれも俺の飛行能力有って強行突破に変わりはないが。
早速、アイに防具化を指示し、健が海に落ちる前に拾っておく。
健は安心したようで、ほっと胸を撫でおろした。
俺は徐々に落下速度を遅くしていき、水面すれすれで完全停止する。
『アイスクリスタル』
水面に人二人ほどが乗れるほどの氷の地面を作り、俺たちはそこに降りたのだった。
そして、俺はアイテムボックスからダイビング用具を一式取り出し、装着を開始した。
「それじゃあ、先に行くね!」
健はそう言って、俺が渡したゴーグルとボンベを装着し、海の中へと飛び込んでいった。
俺も準備が完了してから海の中へと飛び込んだ。
サッパーン……。
酸素よし、視界よし、フィンもよし。
海の中では健がすでにフィンを動かしながら待機していた。
俺は健にグッドサインを送り、下に潜っていくようにハンドサインを出す。
そうして、健の後に続くように海の底に見える海底神殿へとどんどん潜り進んで行く。
下に進むほど辺りの光が薄くなる。
よく海底は光の届かない世界と聞くが、今回に限ってはその心配はいらない。
すると、健がこちらに振り向き、狐のハンドサインを出してきた。
俺はそれに親指を立て返事をしてから、健よりも前に出る。
(『水月』ッ)
俺の手の平から三日月型の水刃が水中を駆け抜けるように突き進んでいく。
その先にいるのは「怪魚人」という名の二足歩行型の魔獣。青緑色の鱗が全身を覆い、口に収まりきらない牙、それに体の大きさと同じトライデントが特徴。
俺の魔法はその魔獣の首を抵抗なく、吹き飛ばした。
怪魚人の斬られた首元から紫色の血が海に滲み出るが、それはすぐに光と成って消滅し、綺麗な水へと変化する。
それを確認した俺は再び健に進むようハンドサインを出し、前後を入れ替える。
そうして、俺が魔獣を倒し、健が先陣を切って進むこと20分ほど。
ついに俺たちは海底神殿の大きなゲートへと到着した。
ゲートを潜った先には足場がなく、全く何も見えない真っ暗闇。海の中に突如現れた断崖絶壁の端っこ。
そして、目に見えるほど速い水の下方へと進む流れ。
ここが本当の入り口。このウルグアイ海底ダンジョンの始まりのゲートである。
俺は健に「俺が先に行く」とハンドサインを出した。
健はそれにゆっくりと頷く。
大丈夫、これはダンジョンに入るとき必ず起こる落下現象だ。
着地は安全になると分かっている、それにこのダンジョン経験者からもたくさん話を聞いた。落ちつくんだ、俺よ。
そう分かってはいるものの、俺の心臓はどんどんと高鳴っていく。
それもそのはずだ。
水中だと保険の飛行スキルが使えない。天足も今は履いておらず、足にフィンを付けている状態だ。
最初にこのダンジョンを発見し、落ちていったものはどんな心境で落ちていったのだろうか。
俺と同じように死を覚悟したのだろうか。
まあ、そんなことは今はどうでもいい。
一歩、たった一歩踏み出すだけでいいんだ。
俺は勇気を振り絞り、右足を地面から離し、左足で前へとジャンプする。
その瞬間だった。
体が何かに引っ張られていくように、下へ下へと吸い込まれていった。
もの凄い速さだ。
すれ違って見える水流の外を泳いでいる魚がまるで瞬間移動したと錯覚するほどの速度で下へとどんどん落ちていく。
それでも俺の体はぐるぐると上下が分からなくなるほどにはなっていなかった。
体幹に力を入れ、超バランス感覚のスキルを常に意識することで幸いにも平静を保っていられたのだった。
もし上下左右も分からないほどに、ぐちゃぐちゃになっていたらと考えると怖い。水流とはそういう物だと経験者からは聞いていた。
海を舐めてはいけない……と。
そう考えながらも、耐え続けていた時だった。
下方向から上に向かってくる水流が徐々に足元から感じるようになったのだ。
それは俺の体を確実に減速させてくれた。
そして、ようやく俺は本当の海の底……ダンジョンの始まりへと到着したのだった。
そこは一見ただの海の底にしか見えない。
泳ぐ魚も海草も白い砂も大きな岩も……どれもが俺を安心させてくれる。
すると、健も俺の後に続くようにこの場所、本当の海底へと無事に辿り着いたのだった。
その表情はゴーグルで良くは分からないが、いつもよりも青白く感じる。
まあ、気のせいだろう。
年上のはずの俺を「ほたるん」なんて、先輩と同じあだ名をつけて呼ぶくらいだからな。
特に俺は後輩先輩を意識したことがない……というか、経験がないため気にしてはいないのだが。
早速、俺は健に向かって進むようにハンドサインを出す。
健はそれで動き出す。
しかし、その動作は先ほどよりもぎこちなかった。
腰が抜けているのか、震えているのか。
だが、確実に健は怖がっていた。何かに恐れているような感じだった。
まあ、初のダンジョンだ仕方ないだろう。
俺も健に続くように、進んで行く。
目指す先はここから約100メートルほど進んだ先にある、ダンジョンへと入る砂浜に隠された階段。
健の後姿は海の中だと、いつもよりも頼もしく感じる。
健を連れてきた理由はいくつかあるが、一番大きな理由は健が連れて行ってくれと頼んできたからだろう。
もちろん最初は断ろうと思ったが、健は初めて俺のチームに入ってくれた戦闘を希望する仲間。だから、せめて最初だけでも一緒にダンジョンに入って色々と教えてあげようと思った。
ダンジョンに入った者の死亡率が一番高いのは、初めの三日間だと聞いている。
そこを生き抜けた者は大体、強くなって帰ってくるらしい。だから、最低でも三日。それか健の頑張り次第では俺に付いてこれる限界までダンジョンに一緒に潜る。そして、無理だと判断したらすぐにリコリスラジアータのアイテムで日本へと帰らせる予定だ。
まあ……本音を言うと、低階層帯の魔獣を倒すのも面倒くさいってのもある。というか、九割はそうかも。
考えても見て欲しい、レベル百に到達しようとしている物語終盤でちまちまとスライムを好んで倒すゲーマーがどこにいるというのだろうか。
もしそうしなければならない状況だというのならば、せめて利益を。この場合は仲間のレベルアップを兼ねた引率として利用してやろうではないか、という話だ。
まあ、あくまで例え話。俺がレベル100なのかも、本当に経験値的なものが美味しくないのかも、全ては根拠のないもの。俺の体感と経験でしか事は語っていないのであしからず。
それに健は武器を渡してからは毎日毎日、少しでも時間が空けば家へと来て訓練を重ねていた。稀に自衛隊の基地に訪れ、誰かに師事を受けている様子だった。
そんな姿を毎日、ゲームばっかりしている俺が見れば少しは応援したくなるものだろう。
そして、最後の理由は健がスキューバダイビングの資格。というか、指導できるほどの技術を有していたからだろう。
なんと健は長崎の離島出身で、家族でスキューバダイビングのレジャー施設を経営していたらしい。その為、健も自然と上手くなったのだとか。
こんなにも海に潜るのに打ってつけの先導者がいるのだ。役に立ってもらわなくては困る。
それに俺がこんなにスムーズに泳げるようになったのも健の指導のおかげだ。
一応……資格も取ったよ。
取らなくても良かったのだが、せっかく頑張って習得したんだ。何かしらの形として手元に残しておきたいと思うのは変だろうか。
いや、変じゃない。至極まっとうなことだ。
と、ふいに健が歩く足を止めた。
そして、振り返った健は何かを発見したようなキラキラした目をしていた。
指さす先を見てみると。
そこには砂浜と全く色が同じ素材で作られた、海底のさらに下へと続く整備された階段があったのだ。
俺はつい喜びで通常よりも多く、息を吸い込み吐き出してしまった。
ああ、勿体ない。貴重な酸素なのに。
そこで俺は酸素の残量を確認すると、練習していた時よりも……資格受験のときよりも残量の減りが早いことに気が付いた。
どうやら俺は今まで以上に緊張していて、いつもよりも呼吸の量とタイミングが早くなっていたようだ。
しかし、ダンジョンはもう目の前。
俺と健は足早にその階段へと向かう。
そこで俺は再び健に「俺が先に行く」とハンドサインを出し、先陣を切る。
階段を一段一段ではなく、水中のため数段飛ばしで降りていく。
すると、階段の一番下は行き止まりだった。
あれ? 確か話ではここにダンジョンがあると聞いていたんだが……。
などと考えていると、健が俺の肩をトントンと叩いてきた。
後ろを振り向くと、健は上の方向を指さして笑っていた。
俺は言うとおりに上を振り向く。
そこからは水面に揺れる黄色い光が揺らいでいたのだ。
そうか! この上に空間があったのか!
俺はその場でジャンプすると、健が俺の足を押すように持ち上げてくれた。
バシャンッ。
俺の体はそこから浮力ではなく、重力が圧し掛かってきた。
ついに本物のダンジョンへと到着したのだった。
視界には空気のある空間が広がっていた。
砂色の壁に、そこに埋め込まれた青く発光する苔。
懐かしいな、この感じ……。
そうこの光景は最初のダンジョンと同じような造りをしている洞窟型のダンジョンだった。違うと言えば壁の色。ここは海にあるからなのか、砂色の壁がずっと先まで広がっている様子だった。
すると、少し遅れて健が海面へと浮上してきた。
俺と健は同時にボンベとゴーグルを取り外した。
「ほたるん……ここが目的のダンジョンっぽいね」
「ああ、それに……俺の探していたダンジョンの可能性が高くなったよ」
そう言って、俺達は陸……というかダンジョンの土に海から上がった。
俺は早速、ボンベを下ろし、ウェットスーツを脱ぎ始める。
「おい、健どうした? そんなに呆けて」
そん中、健はそのビショビショのウェットスーツを着てボンベを背負ったまま、ダンジョンの先をずっと見つめていた。
「いや、本当に僕、ここまで来ちゃったんだなって。まさかこんなにも早くダンジョンに来れるなんて思ってなくて、少し感動しちゃった」
「まあ、分かるよ。その光る苔とか謎過ぎる物体だもんな。洞窟なのに、昼と変わらないくらいに明るいとか意味わからないよな」
「まあ、そうなんだけど。それよりもここが僕たちの世界を狂わせた何かなんだと考えると、面白いなって思っちゃう。あんまり魔獣にはいい思い出はないけど、なんだか不思議だね」
健はそう言って、笑った。
面白い……か。
健は俺が思っていたよりも、肝の据わった人間なのかもしれないな。
いつもはへらへらと可愛い子犬って感じだけど。
「感動するのはいいけど、早く脱げよ? 風邪ひくぞ。看病するなんて御免だからな」
「うん!」
そうして、俺達は無事に海を経由して、ウルグアイ海底ダンジョン。そのスタート地点に立ったのだった。




