推しに名前を呼ばれたら軽く死ねる
現場にバイクで到着すると、少し遠くの人だかりの中に新城秋の姿があった。
スタッフと何かを話しこんでいるのか、キャンプ用の椅子にちょこんと座りながら無邪気に笑っている姿が見えた。
数日前にイメージチェンジでばっさりと切ったとラジオで言っていたショートヘアがとても可愛い。
くりっとしたの瞳に、綺麗な二重の瞼。身長は低めの152センチで小柄だが、割と胸はふっくらとしていてそれもまた美しい。
そして何といっても、ここからでも耳を澄ませば聞こえてくる暴力的な愛らしい声。
どうしよう……動悸が止まってくれない。
あぁ、やばいよ。どうしよう、なんて言おうか。
目の前に憧れの声優がいる、俺のアイドルがいる――神様がいる。
それだけで俺の動揺はどんどん加速していく。
「あぁ……マジやばい。可愛すぎる」
新城秋の隣には、仲瀬リリィ様の姿もあった。
秋様とはタイプが違って、結構我の強い女性だ。スペインとミャンマー、日本のクォーターという神がかった生まれを持ち、英語とスペイン語、中国語と日本語が話せるという才女だ。
小動物的な人気を誇る秋様とはまた違って、熱狂的なファンが存在する。
俺は秋様推しだが、リリィ様に囁かれたら軽く百回は死ねる。
「――本日のメインゲストご到着でーす!!」
ロケバスがダンジョン近くの駐車場に入り、それに続くように俺もバイクで敷地内に入ったところで、スタッフの大きな声が聞こえてきた。
かなり気合の入った大声で叫んでいて、ちょっとびっくりしてしまった。
「俺がメインゲストですよ~」
誰にも聞こえないようにぼそりと呟き、俺はバイクを停車させた。
そのままバイクを駐車場に放置することはなく、盗まれないようにアイテムボックスに収納してからゆっくりとスタッフに案内されるように歩き始めた。
緊張をほぐすためにも、何度か深呼吸を重ねた。
「よし!」
気合を入れ、視線を上げる。
「はぅ!?」
振り向いた瞬間に、秋様がこちらを見ていた。
ジッと俺のことを見つめていた。これは自意識過剰なんかではなく、絶対に俺と目が合った。心臓が止まりそう……。
俺は勇気を振り絞って、もう一度視線を上げてみた。
「はぅ!?」
なんだ、あの可愛い生き物は。
俺の心臓は半分止まりかけているようだ。よくわからないリズムで鼓動を刻んでいる。
だって、仕方がないのだ。
今振り返った時、秋様とリリィ様が俺に向かって笑いかけながら手を振っていたのだから。
もう一度目線を上げる。
「はぅ!?」
ダメだ、直視できない。
太陽が近すぎると、人間は死んでしまうのだ。
何度も何度も俺は深呼吸を繰り返し、勇気を振り絞って――。
「あの~、Number1さんですか? 初めまして! 私、声優の新城秋って言います! いつもラジオを聞いてくれているって聞きました! 嬉しいです!」
突然、背後から神の声が聞こえてきた。
ドキリと胸が高鳴り、俺の心臓がバクバクと音を鳴らし始めた。
なんでだよ。
秋様は俺の警戒網すらを超えてきちゃうのか……そこらのシングル冒険者よりも強敵じゃないか。
ジャビーガなんかよりも数倍強いじゃないか。
「は……」
「は?」
俺は神に誓って何もしないと言い含め、バッと勢いよく振り返った。
そこには俺よりも頭数個分は小さい、神がいた。
「はじめまして! 今日はよろしくお願いします!」
「はい! こちらこそ! 今日をずっと楽しみにしていました」
これから俺の人生で最高の時間がやってくるらしい。
※ ※ ※
上手く返答は出来なくとも、時間が経つにつれて俺の上がり性も直ってきた。
三十分も一緒に最終打ち合わせの話を聞いていると、ようやく神の御顔を直視できるようになっていた。
だが、残念なことにスタッフの声など一ミリも俺の耳には届いてこない。秋様の「はい」というたった二文字の相槌だけが、俺の聴覚領域を支配してくるのだ。
でも、安心してほしい。
こんなことは想定内なのだ。事前に録音機を購入し、こんなこともあろうかと後で聞き返すように最高の機材を準備している。
それはすで電源がオンになっている。
そう、スタッフの言うことを一言一句――。
いや、取り繕うのは止めよう。秋様の声を録音しているのだ。
変態だなんだと罵ればいい。俺は変態だ。特に秋様のこととなると、俺は死んでも構わないと思っている。
ラストダンジョン? そんなの知ったことか。
「――では、この流れで本日はよろしくお願いします」
「は~い」
「はい!」
「Number1さん?」
「……あ、はい! 任せてください!」
やべぇ、何にも聞いていなかったよ。
内心少し冷や汗を掻いていた俺であったが、こうして神の時間――ダンジョン収録――が始まろうとしていた。
ヘマだけは絶対にしてやるもんか!
どんなモンスターでも一瞬で殺してやる!!
俺は心の中で秋様に指一本触れさせないと、強い決意を固めた。




