無い胸は、お湯に浮かばないんだ
第7章からは、完結後の短編集になります。
D侵略防衛戦争後の7年の空白期間に主眼を置いて投稿予定です。
何かしら告知があるときに更新していきます。
「……俺は一体、どうすればいいんだ!? なぁ、賢人。俺……もうこの世界じゃ生きていけないんだよ、きっと」
マンションの地下にある事務所のソファで、俺は頭を抱えて寝転がっていた。
傍には賢人と、機械いじりに夢中な先輩ことシロアがいた。先輩はほとぼりが冷めるまでの間、この事務所に居座る予定らしい。先輩らしいと言えば、先輩らしい行動だ。
と、そんなことはどうでもよくてだ。
俺は一体、この世界でどう生きていけばいいというのだろうか。あれもこれも全部は、ジャビーガのクソ野郎のせいだ。
せめて乳でも揉ませてくれればチャラにしてあげたと言うのに、ジャビーガの野郎はさっさとどこかに消えやがったのだ。
「……俺にも教えてくれよ。蛍ほどじゃないと言っても、行く先、行く先で……『あっ! Number1の隣にいたイケメンだ!』って指差されるんだぞ」
頼みの綱であった賢人も、今では俺と同じように頭を抱えて床で悶えている。
そんな俺と賢人を、先輩は見て見ぬフリだ。
「いいだろ。賢人はまだ『イケメン』なんて枕詞が付くんだから。俺なんてなぁ……『キャァァァァァァァァァァッ!?』が枕詞なんだぞ? なんだよ、これ。俺、そんなに嫌われてるの?」
「いや、それは単に黄色い声ってやつじゃないか?」
「賢人……お前は本当にいい友達だよ。だけど慰めの嘘はいらないぞ、キャァァァァァッァ、なんてどう考えても嫌われてるだろ。あれかな……人外野郎とでも思われちゃったのかな?」
「もう俺にもわかんねぇよ。つーか、コンビニすらまともに通えないなんて……」
「「はぁ」」
俺と賢人の不満の溜息がハモる。
D侵略防衛戦争が終わって、早くも二週間が経過していた。
俺たちはあれからも色々とあり、つい昨日ようやく家に帰れたところであった。一般人たちはすでに戦争の翌々日には自分の家に帰っていたというのに、なぜ俺たちはこうも拘束されなくてはいけなかったのだろうか。
日本政府から根掘り葉掘り話を聞かれ、ダンジョン対策機関からも根掘り葉掘り話を聞かれ、シングル冒険者たちからも根掘り葉掘り話を聞かれ……世界の重鎮たちから根掘り葉掘り話を聞かれ……。
もう嫌だ、死にたい。
と、そんなことを呟いたところでようやく解放されたわけなのだが。
「こうなるんだったらもう少し自衛隊の基地に匿われておくんだった」
「そう言うなって。俺も予測が甘かったな……まさかこんなことになるなんて」
家に帰ってきたら帰ってきたで、マンションの前には道路を埋め尽くすほどの報道陣が待ち構えていた。どこからか俺の情報を嗅ぎつけてきたのだろう。
バレるわけにもいかないので『オプティカルカモフラージュ』でこっそりと帰ってきたのだけど、碌にコンビニにも行けない。
ちょっと外で姿を現しただけで、四方八方から指を差される始末だ。
それは俺だけではなく、賢人も同じことだった。
あの場、つまりアマダの白い空間にいた人物は全員が世界中に知られた。
いや、知られてしまったのだ。顔、声、性格、ランキング……すべてをだ。
「なぁ、賢人」
「なんだよ。いい案でも思いついたのか?」
「東京はダメだ、人がゴミのように生きている。……田舎に避難しよう」
「……蛍の割にはいい案だ」
ということで、俺たちはほとぼりが冷めるまで田舎に逃げることに決めた。
この後、賢人の家族や先輩の家族も含めたD侵略防衛戦争の説明と家族会議が始まる。
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――翌日。
俺の家のリビングに数人が集まっていた。残念ながら賢人の家族は犬が一匹だけ参加し、先輩の家からはマイナスドライバーだけが参加していた。家族は仕事やらなんやらで忙しかったらしい。
すでに全員が自分の事情を説明しているので、家族はすんなりと受け入れてくれている。
俺はリビングのソファに座りながら、伊達眼鏡をくいっと持ち上げる。
「――ということで、俺と賢人は一先ず田舎に避難することにしました。工藤さんにお願いして、すでに行く場所も家も買いました。質問のある者は?」
「はいはい!」
「なんだね、ンパ」
「ンパも一緒に行っていいですか!」
「ふむ……ちょうどお茶入れ係が欲しかったところだ。ンパをお茶入れ係に任命しよう」
「やったです!」
ンパは喜びのあまり、無い胸を擦り付けるように俺へと抱き着いてきた。
ずっと前から色々な場所に行ってみたいと言っていたので、今回も旅行か何かと勘違いしているのだろう。
それでも俺はあえて指摘してやらない。
「他の者は?」
「お兄ちゃん、私は?」
「ひよりは……別にどっちでもいんじゃね? そもそも俺の妹って言わない限り、キャァァァァァァァァァ、なんて言われないだろうし。こっちにいてもいいよ」
「あっそ。じゃあ私はここに残るね。田舎なんて虫ばっかでつまらないし」
ひよりはあっさりと拒否してきた。
兄としては少し残念だが、これも兄元を離れるいい経験となるだろう。そもそもひよりには学校がある。あと一週間後には再開するというのだから、ここに残るのは必然だろう。
「じゃあ、私もここに残るね。もう少しで学校も始まるし」
そう答えたのは恵だった。
恵は専門学校に合格していて、晴れて面白くもない勉学を継続するらしい。
「ん? 賢人、お前は学校いいの?」
「おう、なんか大学から連絡あって、当分の間はオンライン上での講義受講を許可してくれた。混乱を避けるために協力してほしいって言われたよ」
「まぁ……イケメンは仕方ないか」
「おい、なぜニヤニヤしている」
「いや、単に親友に大学デビューでもされたら、俺は賢人を殺すかもしれないからな。大学デビューできなくて残念だったな」
「て、てめぇ! 親友なら残念がれ!」
「嫌だねぇ~」
賢人の癪に障ったのか、こめかみに血管を浮かばせながら俺に襲い掛かってきた。
どうやら本当に大学デビューとやらをして、彼女を作りたかったらしい。
だが残念だったな、先輩が賢人を巻き込んだせいでお前の青春はまだまだ先になりそうだ。
俺は襲い掛かってきた賢人を、逆に力づくでねじ伏せ背中に馬乗りで押さえつけておく。
ふんす、ふんすと鼻息を荒々しく鳴らしている賢人だが、生憎賢人ごときじゃあ俺の拘束からは出られないだろう。
「で、先輩はどうするの? というかディールどこ行ったの?」
「ディールは買い出しに行かせたわ」
「左様ですか」
「そうね……私はもう少しここに残ろうかしら」
「了解。ちなみにパシられディールくんを貸してくれたりしない?」
「嫌よ、ディールは私のパシリだもの」
「……シロア様、蛍、俺をパシリ呼ばわりしないでほしい」
「「ディール、いたの(んだ)」」
その言葉を聞いて、ディールはあからさまに肩を落として悲しみだす。
いつも黒い服着て息を潜めているディールは、正直影が薄い。
家にいてもたまに姿を見失うくらいには、影が薄いのだ。ここ最近知った事実だが、ディールは昔からそのことを気にしているらしい。
それでも異世界の執事かと疑うほどには仕事ができるので、先輩なんかじゃなくて俺の執事になってほしいとここ最近思っている。
「そういえば賢人、高校の卒業式は出なくていいの?」
D侵略防衛戦争の影響で、卒業式が延期になったと聞く。
それを思い出し、俺は賢人に聞いてみた。
「あぁ、卒業式な……先生に来いとは言われてるんだけど」
「じゃあ、行けば? いつだっけ?」
「ちょうど五日後だ」
「ふーん。って、あれ? 俺に卒業式の案内なんて来てないんだけど」
「卒業できなかったんじゃないか?」
「あははっ、そんなわけ~……ないよね? えっ? だって義務教育なんでしょ? 工藤さん辺りがどうにかしてくれてると……」
シンとリビングが静まり返る。
全員が俺から目を逸らして、絶対に目を合わせようとしてくれないのだ。
自然と、冷や汗が全身から噴出してくる。
「え、嘘でしょ? ……俺、中卒なの?」
「ぷぷっ」
「あっ! おい、賢人! 笑うな!」
「ふふふふっ、いやお前もちゃんと卒業してるよ」
「じゃあなんで案内が来ないんだ!」
「「「さぁ?」」」
どうやら本当に全員が理由を知らないようだ。
本気で首を傾げて、俺の瞳を見つめてくる。
と、そんな時だった。
「あっ!」
「お? どうした、ひより」
「そういえば……」
「そういえば?」
「……卒業式には来ないでくれって、電話あったよ!」
ひよりの真面目なその言葉で、俺以外の全員が腹を抱えて笑い始めた。
「な、なんで!? 俺、なんかやった!?」
「えっとねぇ……」
ひよりが理由を思い出している間も、全員が笑いをこらえきれずに足をじたばたとさせながら、俺の反応を面白がっていた。
そこで賢人が、不意に推測を話し始める。
「お前、何やったの? 保健室の先生に手でも出したのか?」
「何もやってねぇ! そもそもほとんど学校に行ったことない!」
「じゃあ何したんだよ。生徒が卒業式に来るな、って言われるとか聞いたことないぞ」
「むー……まじで俺が何かしたのか?」
「あっ、思い出したよ! お兄ちゃん!」
「おっ?」
「マスコミ対策だって! お兄ちゃんが来ると、マスコミが騒いで普通の卒業式すら危ういとかなんとか……。本当に嫌われてるんだね」
「な、なんだよぉ~。そうならそうと言ってほしかったわ」
俺は心底安堵していた。
こうして俺は田舎に一時的な避難をすることが決定した。
残念ながら賢人は卒業式に参加することに。
(あれ? 賢人はいいのに、俺はダメなの?)
やっぱり俺は嫌われてるのかな、と思う俺であった。
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――秋田の秘湯。
「ふぅ、気持ちいぃぃ~」
戦争後ということもあり、秘湯には誰一人いなかった。
そもそもなんで俺がこんな場所に来ているのか。
それは秋田のド田舎に避難してきたからである。そこにはお爺ちゃん、お婆ちゃんしかおらず、俺のことを知る人はいなかった。
嬉しい反面、若い子がいなくて少し残念な気もする。
気分転換も兼ねて、バイクを飛ばしながらこの秘湯にやってきていた。
「なぁ、ンパ」
「なんですか~」
隣に全裸でぷかぷかと水面に浮かんでいるンパに、俺は話しかける。
残念ながらンパは無性なので、全然、全く以って男としての欲をかき立てられない、本当に不思議な生き物である。
容姿だけはこんなにも可愛くて、綺麗なのに。
「温泉はどうだ?」
「いいですぅぅぅぅ~。体の芯から包まれてる感じがするのですよ。それに自然に囲まれてる感じもして最高です」
「確かになぁ……ここ最近はゴミばかりの東京にずっと住んでいたからなぁ。お前も随分この世界に染まってきたもんだ」
「そうですねぇ~。でも、たまにですが故郷に帰りたくはなりますね」
「へぇ~。どんなところだったんだ?」
「血で染まった場所でした」
「……うん、ヴァンパイアだもんね」
想像の斜め上の回答が返ってきたことに、俺は苦笑いする。
というか、血で染まった場所とか物騒すぎる以前の問題に、鉄臭くなかったのだろうかと考える。
「知ってます?」
「何をだ?」
唐突にンパが俺に問いかけてきた。
ぷかぷかと浮かぶのは飽きたのか、口から下を秘湯に沈めながらぶくぶくと泡を吹かせて、こちらを上目遣いで見上げている。
「ンパのファンクラブの存在ですよ」
「そんなものあるのか。……ファンクラブだと!?」
ざぱぁ、と俺は勢いよく立ち上がって驚く。
その行動にびくりと体を反応させたンパが、思わずお湯の中に転がった。慌てて水面に浮かび上がり、髪をかき上げながらこちらを見る。
「び、びっくりしたぁ」
「あぁ、ごめん。……で、今なんて言った?」
「記憶喪失ですか? ンパのファンクラブですよ、ファンクラブ」
「……頭でも打ったのか?」
「うわぁ、ひどいです! これでもンパは人気者なのですよ!」
「い、いつからだ?」
「つい最近です。エゴサしてみたら出てきました。どうやらンパのレーザーカノンに魅了された同志たちが立ち上げたようですね」
「エ、エゴサ……お前、勇者だな」
まさかンパの口からエゴサなんていう単語が出てくるとは思わず、俺はぽかんと口を開き唖然とする。
「あと、ンパの可愛さが世間に浸透してきたというところですかね」
「さらっと凄いこと言ったな、無性のくせに」
「知らなければ、人間なんて盲目な生き物なのですよ」
「格言っぽく言うな」
なんだかンパの度胸の凄さに、俺は少し呆気に取られていた。
そうしてンパと俺の微妙な温泉も終え、湯船から出ようとした時だった。
プルルルルルッ、と傍に置いてあった乾いた桶に入れておいたスマホが鳴った。
「ん?」
緊急の時以外は連絡してこないように周囲には言っていたので、よっぽどのことだろうと俺もすぐに着信に応答した。
「もしもーし」
『おう、蛍か』
「その声は……なんだ賢人か」
『なんだ、とはなんだ』
「で? 何用ですか?」
『できるだけ早くに帰ってこい』
「絶対に拒否する。まだ秋田に来て三日目だぞ? 東京のごみには染まりたくない」
『……いいか、蛍。落ち着いて俺の話を聞くんだ』
「な、なんだよ……急に」
『webテレビの案件だが、出演依頼が来た』
「なんだよ、そんなことか。基本、断るように言ってただろ。面倒くさい」
『待て待て、早まるな。これを聞いても同じことが言えるか?』
「ん? なんだよ」
『新城秋が出演者名簿に載っていた』
その神聖な、神の名前を聞いた瞬間――俺は勢いよく立ち上がった。
新城秋。
俺の聖母にして、神様にして、人類史上最高の声優様である。ライヴにも、握手会にも、イベントにも何度も何度も参加した。
正真正銘、俺は彼女の大ファンである。
「よし、今すぐ帰ろう。何時間後だ?」
『早まるな、早まるな。まだ二週間も後の話だ』
「賢人の力で二時間後にして」
『無理を言うな。じゃあ出演承諾でいいんだな?』
「むしろ出資してもいい」
『前のめり過ぎるだろ』
「これを前のめりせずにいられるか!?」
『はいはい、じゃあ承諾しておくよ。にしてもこんな番組がNumber1の初出演番組になるとはな、世間もびっくりだろうよ』
「よし、俺が出資してゴールデンまで引き上げよう」
『無理言うな』
こうして俺は神様との共演が決まった。
小さなweb番組の、30分程度の番組だ。
いつもいつも俺はその番組を欠かさずに見ている。もちろん新城秋様が出演している番組だからである。
メインは新城秋と仲瀬マリィという、人気声優の二人。
まさか、こんな小さな番組がNumber1の初出演番組になるとは、誰もが予想していない。
「でも、そんなの関係あるかぁぁぁぁぁ! 待っててください、新城秋様! 私はあなたに会いに行きます! 今すぐに!」
俺の咆哮は、秋田の清閑な森の中へと掻き消えていく。
「ということで、帰るぞンパ!」
「はいなのです! ンパも新城秋に会いたいのですよ!」
「おう、俺のマネージャーとして参加するといい」
「はい!」
俺とンパは、三日という短い期間だったが秋田を満喫したのであった。




