Epilogue~7年後の約束(1)~
――7年後。
「あっ、ンパいいところに」
冬の日。
俺は炬燵に包まり、ぐてーっと猫のように寝そべりながら朝風呂上がりのンパを見つけた。
外ではぽつりぽつりと雪が降っており、東京で年に一日あるかないかの雪降り日だった。
こんな日は久しぶりに炬燵でも籠るかと思い籠ってみたが、これがなかなかに抜け出せない悪魔の代物だった。
「――なんですか?」
バスタオルで湿った黒髪をふき取りながら、ンパはこちらを見た。
その仕草だけを見れば色っぽいはずなのに、なぜか妖艶さを感じない不思議なオーラの持ち主という事実だけが、出会って九年経っても解くことができなかった。
「なんか飲み物~」
「何がいいですか?」
ちなみにこの7年間で下手くそだった敬語は改善され、普通の敬語を使えるように成長していた。さらにいうと六年前から俺の事務所の仕事を任せている柳ちゃんの仕事の手伝いまでできるようになり、もう普通のヴァンパイアになりつつある。
いや、普通のヴァンパイアってなんだよ。
「たまにはコーラを飲んでもいいと思うんだ」
「太りますよ? ただでさえ冬は外に出たがらないのに」
「今日ぐらいいいじゃん」
「まあ、今日は特別ですからね。今持っていくので待っていてくださいね」
「ほーい」
ンパは冷蔵庫へと向かうと要望通りにコーラを取り出し、棚からは俺が愛用しているタンブラーを取り出して氷まで入れてくれた。
さすがは元メイドバイトと思いつつ、俺は徐に机の上にあったテレビのリモコンへと手を伸ばした。
適当に電源を点け、画面を見るでもなくぼけーっと音だけを聞く。
何気ない天気予報が流れると、すぐに中継映像へと切り替わった
『中継の眞淵さ~ん』
『は~い、こちら横浜赤レンガ倉庫前になります。海上に浮かぶあちらの大きな船をご覧ください! あちらが選ばれた57名のダンジョン冒険者たちを乗せる《シロアの箱舟》と名付けられた空を飛ぶ船です。すでに三か月前から世界中を飛び回り、各国からの参加者を乗せて周っていた歴史に刻まれる船だと言われています!』
その中継アナウンサーは、仕事だということを忘れているのか少し鼻息荒く熱弁するように語っていた。
しかし、今はあの船に誰も乗ってやしないただのオブジェだ。
出発は午後三時ちょうど、今はまだお昼の十二時だ。
それまで搭乗者たちは全員が日本観光を楽しんでいるところだろうし、どうせ先輩は寝坊するだろうからもう少しゆっくりでいいと思っている。
「はい、コーラですよ」
「おう、ありがとう」
そんな時、ンパが机の上に頼んでいたコーラを置いてくれた。
そのまま洗面所から持ってきていた化粧ケースをどんと炬燵の上に置き、肌のケアを始めた。化粧水やらなんやら俺にはよくわからないが、肌にペタペタと塗りたくっている。
ふと、ンパがこちらを見た。
「蛍さんもそろそろお風呂に入ってきたらどうですか? 賢人さんから出発には必ず遅れないように、と念を押して言われているんですからね」
「わかってますよ~。でも、炬燵が俺を放してくれないんだ」
「では、この炬燵はレーザーカノンで吹き飛ばしましょうか?」
「……ンパのそれは冗談に聞こえないぞ」
「冗談で言っていませんよ。本音で言ってます」
「わかった、わかったからこんな都市中でぶっ放すな。前に一度本当にぶっ放して、俺がどれだけ骨を折ったことか」
「あの時のンパは若かったのです」
「長寿なんだから、対して変わらんだろ」
俺はのっそりと起き上がり、炬燵の中で座り直した。そして持ってきてもらったコーラをぐびぐびと飲み干し、ぷはぁと盛大に声を出す。
そうしていると歌舞伎役者の顔パックをしていたンパが、ジロリと俺を睨んできた。その顔パックの種類も相まって、思わずびくりと体が反応していた。
「はいはい、入ってきますよ」
俺はむくりと起き上がり、欠伸を漏らしながらダル気に風呂場へと向かった。
風呂から上がり、リビングへと戻ってきた。
『さて、それではこのラストダンジョン攻略に選ばれたメンバーをご紹介していきましょう。今回選ばれたのは合計で57名、その内、日本人は7人も選出されているのは皆さんご存じかと思います』
リビングにある無駄に大きなテレビから、そんなアナウンサーの声が聞こえてきた。
俺はンパと同じように濡れた髪をバスタオルで拭きながら、自然と炬燵の中へと引き寄せられていく。
『まずは自衛隊から一名、数々の探知系能力を操り世界屈指の探知師として知られる【湯楽涙】さんですね! そんな彼からこの番組にコメントをいただいています!』
それから「っす」という軽妙な語尾を手紙にも書くのかいと思わず突っ込みたくなるような、面白しろ表明文がつらつらと地上波の中で述べられていく。
自分はこの番組いつも見てるっすとか、頑張るっすよとか、本当にどうでもいいコメントばかりだ。完全に制作者泣かせなやつだ。
『続いて新選事務所所属のイケメンダンジョン冒険者、【飯尾綾人】さんです! 彼は7年前の選別にて、抜擢されたエルフたちに才能を認められた努力家でもあります。カルナダ様の技術を習得し、みるみるとランキングを駆け上がり、今や世界10位という強力な力の持ち主でもあります』
テレビ画面にはイケメンな笑顔を振りまく、綾人さんの写真が映し出されていた。
その後、綾人さんの自主練シーンなのか、チームメイトと戦闘訓練を行う様子が流れる。
俺自身はあまり関りがある人ではないが、賢人が非常にお世話になっていた人らしく、彼がメンバーに選ばれた時は自分のことのように賢人が喜んでいた。
『では、三人目のご紹介です。7年前、Number1の弟子として突如現れた謎の天才。その実はダンジョンに潜り始めて三か月という、異例の経歴を持つダンジョン冒険者。現在は「師匠に迷惑を掛けたくない」という思いから独立し、個人で事務所を経営するとともに、カルナダ様と共にメンバーを鍛える指南役としても活動していました【新田健】さんです。彼の愛らしい笑顔はいつ見ても癒されますよねぇ~』
アナウンサーは健の写真や戦闘映像を見て、惚れているような甘い声を出していた。
私情丸だしな件については色々と思うところがあるが、健は大人の階段を上るにつれて、あの犬っぽい笑顔が愛らしい年上女性を虜にする笑顔へと進化していた。
本当に独立してくれて良かったと思っている。
独立するその日まで、連日報道されるニュースの写真で俺の横に健のイケメンスマイルが乗る気持ちをわかっていただけるだろうか。
そんなちょっとした出来心から「健、お前はもう一人前になった」と言ってみたら、「そうだよね……うん! 今までお世話になりました!」と爽やかな返事をされた、というのが健が独立した真相である。
『続きまして四人目の紹介です。彼はもう説明するまでもないほどに有名なダンジョン冒険者ですね。ダンジョン発生から常に最前線で戦い続け、今の日本を引っ張ってきた二大英雄の一人【淡谷小太郎】さんです! 彼も7年前の選別ですぐに抜擢され、今日まで研鑽の日々をアメリカで過ごしていたようですね。今ではランキング9位になっており、子供たちのヒーローとしても人気が高い方です』
もう小太郎については説明不要といった話の流れで、小太郎の紹介が終わってしまった。
俺としては綾人さんよりも、小太郎と過ごした時間の方が長かったので、もう少し丁寧に紹介してほしいと思っていた。
この7年で小太郎とは三度も一緒にダンジョン攻略をしてきた。
内、全てのダンジョンを完全攻略し、お互いにゲームが好きという共通点からも数少ない俺の友達であった。
そんなことを考えながら、俺は消音モードでドライヤーを髪に掛けていき、濡れた髪を乾かしていく。
『さて、五人目の紹介です! これまた説明不要な人物【神竜也】さんです。世界レベルのカッコよさを持ち、日本内外合わせても女性から非常に人気の高いことで有名ですね。彼もこの7年間で着々とランキングを上げていき、初代シングル冒険者たちの一つ下である7位に就いています。龍という子供も憧れる能力を駆使し、使用能力ごとに容姿が変わる様は、本当に美しいと評価されていますよねぇ~』
アナウンサーの瞳が完全に恋している女性の目であった。
確かに竜也はカッコいいし、相談にも乗ってくれるし、「ちょっと出かけない?」と電話したらすぐに家に迎えに来てくれるし、誕生日には毎年何かを送ってくれるし、髪切ったら気が付いてくれるし、文句のないイケメンだ。
もう愚痴る要素がないほどには、イケメンだ。
認めよう、竜也はイケメンだよ。
『続きまして、六人目の紹介です! 元はガルティアで生まれ、ヴァンパイアとして育った彼女ですが、北海道奪還作戦の頃からNumber1と共に最前線で活躍し、日本国籍も無事に取得したれっきとした日本人、《雨川ンパ》さんです! 私、彼女と一度だけお会いしたことがあるのですが、思わず時が止まってしまうほどに美しかったのを今でも覚えています』
アナウンサーはうっとりとした表情をして、頬を朱色に染めた。
そんな時であった。
つんつん、と肩を指先で突かれた。
「蛍さん、どうしましょう」
炬燵でもっそりと包まっていたンパを見ると、両頬を手で押さえ口元をむにむにと動かしながら、嬉しそうにこちらを見ていた。
確かに俺や柳ちゃんと一緒にいると褒められることってあんまりないもんな。
大丈夫、ンパが無性じゃなかったら十分可愛いよ。
「てかさ、やっぱり雨川ンパってフルネームがいまだにしっくりこないわ。茨ンパとか、吸血ンパとか、もっとらしい名前もあったと思うよ。つーか、国籍とるのに名字を加えなくたっていいのに」
「いいじゃないですか、ンパも家族になりたかったのですよ」
「まあ、そう言われて悪い気持ちはしなかったけど……やっぱり変だわぁ」
戸籍上、ンパは俺たちと家族ということになっている。
好きでなったならいいけど、いつか家族を止めますなんて言われたらどうしようなんて考えたこともある。
けどまあ、ンパは無性だし一生結婚はしなさそうだから良しとしたのだ。
そして、悪魔のささやきが聞こえる前に俺はリモコンへと手を伸ばした。
しかし――。
「おい、ンパ返せ」
「ダメですよ、これからが良いところなんです」
ンパは俺の行動にいち早く気が付き、すかさずリモコンを取り上げたのだ。
こいつは俺の行動をこんな感じで予測して、防ごうとしてくることが多くなった。変なところで優秀なのがたまに傷だ。
『そして最後はこの人、世界第1位の日本人と言えば誰もが知っていることでしょう。【雨川蛍】さんです! 7年前のあの日まで、彼は謎に包まれていました。しかし、アマダ様が名前を呼び、ジャビーガ様が面を割ったことにより、彼の素性が世界で初めて判明しました。その中身が普通の高校生であったことは、世界を震撼させましたよね』
『ええ、当時の私も腰を抜かすほどに驚きましたよ。それに何といっても、ステータス画面を通して世界中に発信された7年前の彼の戦闘シーンですよね』
『凄かったですよね! あの当時、私は映画でも見せられているのではないかと勘繰ってしまうほどの衝撃でした。実際にあれは私たちと同じ人がやっていたことで、若干十八歳の青年であるという事実は衝撃でしたからね! いやぁ、あの夜は興奮で眠れなかったことを今でも鮮明に覚えています。私もあんなにかっこよくなれるんじゃないかって、つい想像しちゃいましたからね』
『あ~、それそれ! アマダ様の同列になれるって言葉を鵜呑みにして、もしかしたら私が……なんて何度も想像しちゃいましたよね!』
『でも、誰もがやはり彼には届きませんでしたからね』
『えぇ、世界第2位であるアリア・キャンベルさんがこんな言葉を残したことでも話題になりましたよね。「無理。あれは人間じゃない」って言ってましたよね』
『確か六年前のアメリカ模擬戦闘の名言ですよね。雨川蛍さん、対、その他全員という世界中のメディアが集まる催しで、まさかの雨川さんが全員を三秒経たずに戦闘不能にしてしまうという出来事でした』
『もはや私たちのような普通の人では、目で追うことすらできませんでしたよね。カメラのシャッタースピードすら超えていて、カメラにさえ収まっていませんでしたからね』
『あはははっ、あれは衝撃でしたね。世界各国から集まったのに、一社以外のすべてが映像を納められなかったこと自体もニュースになりましたよね。その一社も既存のカメラではなく、スキルによるカメラということでしたから』
『いや~、彼の武勇伝を語ってしまうと放送時間が全然足りなくなってしまいそうですね』
『本当にそうですね。それほど世界第1位である彼は、世界中から英雄として称えられている人物です。そして、そんな彼らが栄えあるラストダンジョン攻略のメンバーに選ばれた日本人7名です。この後、14時30分より出発式が開催されると政府より発表がありました。この番組では、このまま出発式までの歴史的瞬間を生中継させていただきます。それでは一旦CMです』
アナウンサーとゲストの芸能人が熱く俺のことについて語り合っていた。
おそらく尺を伸ばせとか、そういう指示があったに違いない。絶対にそうだと信じている。
「蛍さん、さすがです」
「頼むからそういう直球な誉め言葉はやめてくれ」
「本当に不思議ですよね。これほど世界中で、それこそ息を吐くように褒められているはずの蛍さんが褒められるのが苦手ってこと」
「……何か褒められると顔が熱くなるんだよ」
「まあ、そういうことも好きですよ」
「無性のンパに言われてもなんとも思わない件について。そして、これをこの7年間で何度言ったことか」
昔に聞いたことだが、無性故に異性を「好き」になるという感情は湧かないらしい。
強いていうなら、人として興味があるか、ないか、という感情が好きという感情に似ているということであった。
ちなみに、俺の血は美味しいらしい。昔ちょろっと吸われたことがあったんだけど、「お寿司の味がします」って言われた。たぶんその頃、朝に焼き魚を食べるのにハマっていたからだと思う。
と、ンパとどうでもいい会話をしていた。
その時だった。
ガチャガチャと玄関先から鍵を開ける音が聞こえてきた。
俺とンパは特に迎えに行くでもなく、リビングで寛ぐ。
「お兄ちゃん、ただいま~」
「おう、ひよりか。今日は仕事休みか?」
「うん、さすがに今日は休みももらってきたよ」
そう言うや否や、ふぅと息を吐きながら当たり前のように炬燵の中へと入ってくる。
そして、机の上に置いてあったみかんへと手を伸ばした。
ひよりは高校卒業後、無事に国立の医学部へと進学し医者への道を着実に歩み続けてきた。
その後、国家試験も無事に合格し、今年から晴れて医者として病院で働き始めたのだ。
ひよりが働いているのは、ダンジョン付近に新設された病院で二十四時間ダンジョンからの負傷者を治療できるような場所へと就職した。
有言実行な妹を自慢に思うと同時に、そろそろ彼氏を作って俺を安心させてほしいと思う兄であった。
ひよりにとっての父さんや母さんの代わりは、もう俺しかいないのだから。
「彼氏は?」
「ん? いないよ~、忙しいもん」
「そっか、俺が帰ってこなかったらちゃんと恵パパとママに紹介するんだぞ」
「何言ってるのさ、人外兵器が死ぬわけないじゃん」
「はいはい、お前の兄は人外兵器ですよぉ~」
こんなやり取りもひよりにとっては心配の裏返しなのだ。
まあ、心配するのも当たり前だろう。例え兄弟が世界で一番強くても、死地に赴くような仕事をさせたいとは思わない。
でも、世界の期待を背負っている兄に対し、それを口にするわけにもいかない。
俺は普通に過ごし始めたひよりを見て、自分の部屋へと向かった。
そして、一つの袋を手に持って再び炬燵へと舞い戻ってくる。
ひよりはテレビを見ているようでこちらは見ていなかった。
「ひより、これが俺の形見な。捨てないで持っておけよ」
「え? なにこれ?」
俺がそう言って渡したのは、何の変哲もない紙袋だった。
「あぁ、形見は嘘な。そういえば就職祝い渡してなかったなぁ~、と思ってさ」
「開けていい?」
「もちろん」
ひよりは驚きつつも、徐にプレゼントの梱包を剥いでいく。
そういえば俺がひよりに何かをプレゼントするのは人生で初めてかもしれない。
それでもさすがに今日は何かを渡さなきゃならないと思って、事前に買っておいたのだ。
これでも自分で選んで自分で買ったので、割と頑張った。
そうして梱包の中から出てきたのは、一つの腕時計と小さく丸まった紙であった。
「あっ、可愛い時計……いいの?」
「おう、就職祝いには時計が一番だって店員さんに聞いたから間違いない」
「あははは、ありがとう。……それでこっちは何?」
「あ~、それな。結構、兄は頑張ったんだぞ。とりあえず開いてみろ」
「う、うん」
ひよりは少し動揺しつつも、粘着力弱めのノリで留められていた巻物のような紙をひらりと開いていく。
その内容を見て、ひよりはぎょっと目を見開いた。
「ちょっ!? お兄ちゃん!?」
「凄いだろ~。世界でも俺だけが渡せるプレゼントだぞ~」
「これのどこがプレゼントなのよ! 魔法スクロールでしょ、これ! それも……」
「おう、『回復魔法』の書だな。それがあればお前の夢も叶いやすくなるだろ?」
「……うん、そうだよね。わかった、これは私が使う」
「おう、そうしておけ」
「ありがと、お兄ちゃん」
「いいお兄ちゃんを持ったな、誇らしく思え。あと彼氏ができたら俺が面接するからな、できちゃった婚だけは許さないぞ」
「はいはい」
その後も俺たちは兄弟らしく、他愛もない会話をしながら残り少ない時間を過ごしていく。




