異世界の思想は物騒なんだよ。怖いわ。
「貴様……自分が今何をしたのか分かっているのか?」
ジャビーガは完全に復活していた。
傷口もすでに塞がり、痛みや後遺症なんかもなさそうだ。かなり血は流れ出てしまったが、元々血を操る能力を使っていたし、まあ大丈夫なのだろう。
ジャビーガはゆっくりと俺の方へと向き直り、戦意のない純粋な瞳を向けてきた。
敵として見ていたジャビーガではなく、目の前に立っているのが一人の女性かと思うと、意外に綺麗な人だなぁと思ってしまう。
「もちろんわかってるよ。ようやく話を聞いてくれそうで良かった。絶対、戦闘中に話してもまともに聞いてくれなさそうだったし」
俺は笑いながらそう答えた。
そんな俺がさぞ奇妙な者にでも見えたのだろう。
ジャビーガの瞳の奥には、動揺の炎が揺らいでいるように見えた。
「……何を考えている?」
絞り出したようにジャビーガは聞いてきた。
その様子からもすでに戦闘の意志は失せているように見える。もし戦意がまだあるならば、ただ俺を殺したいだけならば、すでに戦いが始まっているだろう。
しかし、目の前にいる角が取れたようなジャビーガは、俺の考えを推し量ろうとしているように見える。
俺もほんの少し警戒を解いて、ずっと考えていたことを話すことにした。
「まずアマダもジャビーガも前提がおかしいと思ってたんだよね。お互いの意見はまるで違うようで、その実ほとんど一緒だと思ってたんだ」
「馬鹿を言うな。私は魔獣と魔人の生きる道を選んだ。逆にアマダは人の輝く未来を選ぶために、我らを滅ぼす道を選んだ。お互いを殺そうとすることはおかしいと言うのか?」
ジャビーガは食い気味に否定をしてくる。
その否定には様々な経験から得た重みを感じるが、それでも俺はアマダとジャビーガの考えを否定することは止めない。
この世界、この時代の価値観で考えると、二人の考えはひどく偏っているように思えるのだ。
「おかしいよ、俺なら別の道を選ぶ。というか……この世界、この時代に生まれた人たちならこう考える人が多いんじゃないかな?」
「……いいだろう、聞こうか」
戦闘中の適当な発言をする俺とはまるで違う真面目な口調に、ジャビーガは真面目なトーンで返答した。
とりあえず聞いてくれるようだが、ここからどう説明して意見を変えさせるかが俺の頑張りどころだな。
おそらくこの戦いや会話も全世界に流れているのだろう。
そう考えると何者でもない元引き籠りの俺が意見を話すことに違和感を覚えるが、勇気をもって自分の考えた意見を述べる他ない。
そうすれば、この不毛な争いも収束するかもしれないから。
「いや、そんなに難しいことじゃないよ。ただ住み分けをすればいいだけじゃない?」
「住み分けだと?」
「そもそも《ラストダンジョン》で手に入る『願望』はどんな願いでも叶うんでしょ? それなら一方を滅ぼすんじゃなくて、一方の住みやすい世界を作ればいいんだよ」
「……どういうことだ?」
少し、ジャビーガは頭を傾けた。
「先輩も言ってたけど、神は新しい惑星を作ることができるらしいじゃん。だったら、新しい惑星を作ればいい。片方には人間だけを、片方には魔獣と魔人が平和に暮らせる世界を。そうすれば全部解決じゃない?」
「新しい世界を作り、我らは我らの世界で生きればいい。そういうことか?」
思ったよりも早く、ジャビーガは俺の言いたいことを理解してくれた。
「そうそう、そういうこと。まず二人の考えは物騒なんだよ。なんでいらないものを排除するという思考が先行するんだか。俺が生まれたこの時代は幸いなことに平和と言われる時代なんだ。こうなった理由も、争いをやめて、住み分けをはっきりしたからだと思う。まぁ、完全にいざこざがなくなったとは言わないけど、それでもこうして末端の人間は平和に死ぬこともなく幸せに生きていける」
「だから、この世界を習えと?」
「わかってるじゃん、そういうこと。そんなに難しくないよね?」
俺がそう聞くと、ジャビーガは考え込むように押し黙ってしまった。
下を俯き、俺の意見をかみ砕いているのだろう。
実際に俺たちは培っていた経験も違えば、時代も違う。何もかもが違うバックグラウンドを持っている中で、同じ意見を通そうとするのが間違いだと思っている。
そんな中でも、ジャビーガは俺の意見を聞こうとした。
(あとは、ジャビーガが何を思うか。実際にどんな未来の光景が見られるのかを想像して、動けるかどうかだな)
そんなことを考えていると、非常に不機嫌そうな顔をしたアマダが突然俺の真後ろに現れた。
全く気配もなく、音もなく、当たり前のように『守りの流水』を潜り抜けてきたことに驚くも、そういえば神だったなと思い出し一人で納得した。
俺はゆっくりとアマダへと振り向く。
「お前ぇ、なぜ戦いを止めた。なぜジャビーガの傷を塞いだ」
その声は底冷えするほどに怒りの感情を帯びており、思わず全身の鳥肌が立つ。
目の前にいるのはエルフであり、亜神だとわかっているからだろうか。
有無を言わせない雰囲気が異様に怖く感じていた。
それでも俺はダンジョンという異物に鍛え上げられた強靭なメンタルで、なんとか持ち直す。
「戦う意味がないから。《ラストダンジョン》を攻略するのに、俺と対等に戦えたジャビーガを殺すのは損だよ」
「馬鹿か、お前ぇ。そもそも終着点が違うのにどうやって相容れようとするんだ」
「ジャビーガにも言ったけど、なんでいらないものを排除しようとするの? アマダは仮にも神なんでしょ?」
「亜神だ、間違えるな」
「亜神ならこの地球がどうやって時代を乗り越え、どんな経緯を辿って今の平和を維持しているのか見てなかったとか言わせないよ?」
俺の言葉が正論だったのか、アマダの顔から怒りの表情が消えた。
そして、見てきた歴史でも思い出しているのだろう、苦虫でも噛みつぶしたような微妙な顔を浮かべた。
アマダも亜神という経験を通して、どこか考えるところがあるように思えた。
そして、ジャビーガと同じくアマダも考え込むように下へと俯いた。
二人はほぼ同じタイミングで顔を上げた。
実際に考え込んでいた時間は十数秒ほどだったが、彼らにとっては十分な時間だったのだろう。
意外にも晴れた表情で口を開いた。
「悪くない、かもしれないな」
「そうだな、人間にしちゃあ……良い案かもしれねぇ」
二人が思いのほか、早く決断したことに俺は驚いていた。
同じ世界でも時代が違えば価値観がずれる。
ましてや別の世界の、見知らぬ文明で、見たこともない時代で生きてきたこの二人の価値観がずれることは当たり前だった。
というか、そうだと思っていた。
ガルティアではもしかしたら「不要なものは排除する」という思考回路が当たり前だったのかもしれない。
だけど、この世界のこの時代は違う。
無いなら作ればいい、こういうスタンスの人が多い気がする。
だからこそ便利な世界へと変わり、平和な世界になった。
そんな中でも、目の前の敵対していた二人はすぐに価値観の違いを受け入れ、自分の中でかみ砕いてその案が良いものであると言い切ったのだ。
いや、少し曖昧な返答だったかもしれないが、確かに受け入れようとは努力してくれたのだ。
「自信ない? まぁ、前提として《ラストダンジョン》を早期攻略しなければならないんだけどね」
俺が発破をかけるように問いかけると、二人は当たり前のように答えた。
一緒の世界に住むから争いが起こる。
だから、一時的に共闘を結んだとしても、できるだけ早く世界の住み分けを実現した方が良い。
「まさか、私が勝てない敵など貴様以外に考えられない」
「俺は亜神だから直接手を貸すことはできねぇが……まぁ、兄弟たちならどうにかすんだろ」
「じゃあ、決まりだね。……この領域のルールってなしにできるの?」
俺がそんな純粋な疑問をぶつけると、タイミングよくディエントがこの場に降りてきた。
そして、少し申し訳なさそうなトーンで言った。
「すまないが、俺にはできない……」
「仕方ねぇ。あんまり干渉はよくねぇんだが、俺がやってやろう」
ディエントの言葉を遮り、アマダが得意げに話し始めた。
あの白い空間で何度も見た両手を叩く動作を行うと、瞬きするほどの合間に闘技場であった空間が掻き消えていた。
代わりに俺たちが立っていたのは、先ほどの真っ白な部屋の中だった。
(まぁ、とんとんと拍子抜けするくらいに話が進んでるけど……こんなにも綺麗な人を己の手で殺さずに済んだことは収穫だな。さすがに夢に出そうで怖かった)
美人なジャビーガと戦う意味がなくなり、途端に綺麗に思えてきたことはまだ内緒だ。
それでも穏便に二人の長年にわたる争いが無くなったことに、密かに安堵する俺であった。




